はじめてどうしのおつきあい

和田島イサキ

①ここまでの復習

 えらい人は言いました。「絶対キレイになって見返してやるんだから!」と。

 誰の言葉かは知らない。昔どこかで聞いて以来ずっと頭にこびりついていて、だって単純に疑問だった。

 どういう状況? まず「自分が綺麗になることで仕返しになる相手」というのが、色恋に疎い小娘の私には、いまいちピンとこないところがあった。

 恋もいざしてみると意外な発見があるもので、なるほどこれか、と合点がいった。


「好きです。付き合ってください」


 今からつきほど前のこと。桜舞う中での突然の告白は、もちろんした側ではなく私がされた側だ。

 あおかず。田舎の小さな中学校、私と三年間同じクラスの主席を争ってきた男子。それまでそんなに話したこともなかったノッポの優等生が、どういう心境の変化か急接近してきた、その矢先の出来事だった。

 以前の私なら断っていたと思う。学校での人間関係というのはいろいろ面倒なもので、余計なことして噂になったり気まずくなったりしても困る。

 が、卒業を間近に控えたその頃、私に怖いものはもう何もない。実は青木とは進学先が一緒で、でもそこは県下全域から学生の集まる学校だ。地元からも遠い。つまり彼以外の人間関係はほぼ刷新されるのだから、こいつひとりと拗れたところでどうということはない。

 彼の絡みに強気の姿勢で乗って、あることないこと適当吹いて、その結果なんか好きとか言われた。

 まじかこいつ。私のような典型的な頭でっかちのメガネ委員長を、好きとか好きくないとか悪ふざけも大概にしろって話だ。

 大概にはすべきだがそれはそれとして了承はした。理由はない。強いて言えば空が青かったから。繰り返しになるけど、卒業目前の私に怖いものはない。体が軽く、背中には翼が生えたみたいで、今ならいつまでも舞っていられる気がする——と、そんな脱受験ハイ真っ只中の女に迂闊に告白なんかするからそうなる。

 私も青木も、お互い初めての恋人だった。

 それがよかった。何も知らない子供の不器用な恋は、いつかひどい大事故を起こすんじゃないか——みたいな、そんな私の不安とは裏腹に毎日ハッピーだった。正直、こうなる前は「ただちょっと成績がいいだけのバカ」くらいに思っていた青木は、でもいざ付き合ってみるととても優等生とは思えない本物のバカで、だってっとくと延々ガンダムの話ばっかりしている。道端にいい感じの棒を見つけては、喜色満面アバンストラッシュ(何?)をキメて、一方それを眺める私はといえば、

「やっぱり男って、ちょっとおバカなくらいが一番格好良いんだよね。逆に」

 みたいなおよそ正気とは思えぬ謎のげきあさ恋愛論を、内心に腕組みして延々語ってしまうのだから、なるほどあばたもえくぼっていうのは本当だった。

 こんな調子で、早三ヶ月ほど。

 卒業して、春休みを遊び倒して、新しい学校にもラブラブバカップルとして堂々通って、もう初々しい子供のカップルがやるようなことは大抵やった。

 ペアルックもキメた。おやすみ前の通話がなかなか切れなくて困った。付き合い始めた記念日を、ただ数えることすら冷めた目で見ていた私が、それを月単位でやっているのだから人生わからないものだ。

 一事が万事こんな調子で、だから一応言っておくと、まだ全然していない。

 何かこう、大人の恋人同士がするようなお付き合いは。せいぜい手を繋ぐとか身を寄せ合うとかその程度だ。とはいえそろそろキスくらいは、という空気はお互い漏れ出まくっていたけど、でもなんとなく足踏みしている。難しい。こういうの、みんなどれくらいのタイミングで踏み出すんだろう?

 どんなにラブラブハッピーだろうと所詮は十五の若輩、まだ子供だという自覚はこんもりあった。だいたい、大人なことって基本十八歳未満お断りだ。失敗はしたくない、なんて言ったら大袈裟だけど、でもふたりの記念になる大事な最初の一歩は、なるたけハッピーであるに越したことはないから。

 逆に言えば、ここまでが順風満帆に行きすぎた、というのもある。

 それは、ふたりの間に初めて生じた小さな綻び——というわけでは全然なく、どっちかっていうとさっき言った恋愛初心者がやるアホのうちのひとつなのだけれど。

 とにかく、私は珍しく拗ねた。つい一週間ほど前のことだ。

 その日、私は自分で自分の前髪を一センチほど切った。おかげで見違えて可愛くなった私に、でも青木は何も気づかないまま宇宙世紀の話を続けて、だから私は思い切りむくれた。なんてやつだ。お前は自分の女と宇宙人類スペースノイドの真なる独立のどちらが大事なのかと、その二択に青木は「ごめん、そんなこと言わせて」とぎゅっと抱きしめてきたので「好き」ってなって許した。

 正直、理性ではちゃんと理解している。だいぶ無茶言っとんなこの女、と。

 わずか一センチの間違い探し。どう考えてもわかるはずのないそれを、でも仮に気づいてもらえたら死ぬほど嬉しい。そんな願望の先走りもあるけど、それ以上に私には手応えがあった。「えっ何この美少女」と。たかが前髪一センチ切っただけのことで。

 もちろん、錯覚だ。今日までメイクの知識も技術も積み重ねてこなかった芋女の美容センスは、もちろん進学しただけのことで自動的に世の高校生相当に成長するはずもなく、ゆえに「自分の見た目に手間をかけた」というだけのことを、過大に評価して現実を捻じ曲げてしまう。

 悲しい事故。どうして気づいてくれないの、という無理難題と、ごめんねほら見ていい感じの棒だよ、という優しさの正面衝突。

 もう機嫌は治ったし別に気にしてないけど、でも、ただ流すのもなんか違う気がする。

 今までうすらぼんやり生きてきた芋女の私が、生まれて初めて自分の〝女〟を意識したのが、このとき。

 ——絶対、綺麗になって見返してやる。

 えらい人は言いました。恋は戦争である、と。誰の言葉かは知らない。でももし、その言葉が真実であるならば。

 私の戦争は、ここから始まる。

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