第3話師匠の行動範囲

朝、8時半豊浜幸之助は会社に到着した。

エレベーターを待っていると、

「すいません、乗りまぁ〜ス」

と、男が駆けてきた。

男は将棋新聞を熱心に読んでいた。

「アマチュア王将戦の地区予選ですか?どこであるんです?」

と、豊浜は男に声を掛けた。

「名古屋市の中区金山だね。会館があるでしょ?そこで」

「会館ありましたっけ?ここからなら、どこで乗り換えですか?」

新瑞橋あらたまばしだね」

「へぇ〜、王将戦にもアマチュア戦があるんですか?」

「そうだよ。あっ、なんだ。おはよ」

「うん、おはよ」

エレベーター内は、重役が揃っていた。

8階にエレベーターは止まった。8階は営業二課である。

「じゃ、お先に」

「あぁ」

と、豊浜は答えた。


「誰だ!あの男は!社長の顔も知らん平社員か?」

と、米満専務は怒りを露わにする。

「まぁまぁ、米満君。うちにも、色んな社員が居ても良いじゃないか」

と、豊浜は肘原の横柄な態度を許した。

「社長、今日は東洋銀行の加藤頭取がいらっしゃいます」

「あぁ、その件ね。加藤君はうちの大学の同期でね。話しはしてあるから、米満君と、後、君名前はなんだっけ?」

と、メガネの男を指差す。

「斉木慎太郎です」

「そうそう、斉木君と対応しなさい」

「受けられるんですよね?融資を」

「これは、ある大先輩からの教えでね。守りも大事だが、時には攻めも大事と教わってね」

「社長、大先輩とは?」

「肘……、肘をぶつけちゃった。じゃ、頼むよ」

と、18階でエレベーターを降りた。融資より、ビッグプロジェクトが待っていたのだ。

10時。その男は現れた。

「わざわざ、お越し頂きありがとうございます」

と、豊浜は男に一礼した。

「いや、たまには日本の会社の社長室が恋しくなりましてね。カナダの港街の雰囲気が全く合わなくてね」

その男は、サウスウッド海運の社長の溝口だった。

溝口はソファーに座った。

「溝口社長、今回の話しなんですが、先日、お送りしました、契約内容で宜しいでしょうか?」

と、対面に豊浜は腰掛けた。

秘書課の若い女の子がお茶を出す。

「久しぶりだなぁ、淹れたての日本の緑茶は」

「そうでしょうなぁ」

「後、もう一声欲しいのですが」

「もう一声?」

「単価安く出来ませんかね?」

秘書課の若い男の佐々木は資料をテーブルに並べた。

「これが、ギリギリの数値なんです」

「カナダの木材を、かまぼこの板にすると言うのは問題ありませんが、うちとしてももう少し単価を低くしてもらえませんと、コストがかかり過ぎるので、あともう一声!」


白髪であごひげを撫でながら、溝口は話している。東海トランスコーポレーションとしても、このカナダ航路の船舶の仕事は取りたい。社運が掛かっているとも言える。

「もう少し、時間を下さい」

「良いですよ。私は1週間、名古屋市に滞在します。良いご返事を待っています」

「分かりました。……あっ、溝口社長、これから昼食はいかがです?」

「……あ、もうこんな時間ですか。久しぶりにひつまぶしを食べてみたいのですが」

「佐々木君。熱田あつた蓬莱軒ほうらいけんに直ぐに連絡して」

「かしこまりました」


2人はエレベーターに乗った。18階から、8階でエレベーターが止まる。

「いや〜、参っちゃうなぁ〜。明後日から神戸だ。アマチュア王将戦にエントリーしたのに」

「ゴホンッ」

「あら、トヨ……社長。お疲れ様です」

「うむ」


「あっ、し、師匠!」

「ん?オジサン……もしかして、溝口ちゃん」

「そうですよ!溝口です。お久しぶりです。何で、また、師匠がこの会社に?」

「実は、ここで働いてんのよ。……どうしたの?カナダじゃないの?」

2人は会話が止まらない。

「み、溝口社長、この男とどのようなご関係で?」

「プッ、なに、溝口ちゃん、社長なの?」

溝口は名刺を肘原に渡した。

「なになに〜、サウスウッド海運、代表取締役」

「へぇ〜、出世したんだ」

「豊浜社長、実はこの方、私の古い友人でして」

「古い友人?」

「師匠です」

「ま、まさか、溝口社長、この男が将棋の師匠ですか?」

「はい。ね?肘原師匠」

「ゴメンね、トヨ……豊浜社長。15年前に将棋クラブで出会って、それから5年間くらい将棋の指南をしてたんです。あの頃、溝口ちゃ……溝口社長はアマ初段レベルでねぇ」

「今から、我々は昼食に行きますから、また、後で話しは聞きます。君は今からどこへ?」

「社長、僕もヒマ人じゃないんだ。外回り」


ピンポーン


エレベーターは1階に止まった。社長連中は社用車に乗り込んだ。

肘原は、現場に向かった。


「いや〜、失礼な社員で申し訳ございません」

と、豊浜は溝口に謝った。

「師匠は相分からず、面白いお人だ。実はですね、15年前仕事に行き詰まりを感じて悩んでいる所、たまたま行った将棋クラブで知りあったんです。将棋は奥が深くて、また、仕事に通じる事があり、今の地位を築けたのも、師匠のアドバイスなんです。豊浜さんも、将棋指されますか?」

「はい。実は肘原君は私の将棋の師匠でもあるんです。この事は他言無用で」

「分かりました。私の関係も他言無用で」

「はい」


午後3時。

「はいっ、はいっ、かしこまりました」

と、営業二課長の久保田は真っ青な顔色で、

「肘原、おいっ肘原?」

「肘原さんは、外回りです。もうそろそろ帰ってくると思いますが」

と、肘原と隣の席の田中美樹は久保田に言った。

「ただいま〜あぁ〜、疲れたぁ〜」

「ほら、課長!肘原さん戻りました」

「肘原ッ!」

「何よ、久保田ちゃん。顔色悪いよ」

「社長がお前を直々にお呼びだ。さては、お前、何かしでかしただろ?」

「……えっ、バレた?」

「な、何をしたんだ?」

「昼メシ、中華行ったついでにビール1杯飲んじゃった。でも、1杯だけだよ!信じてよ!歯磨きもしたし」

「だから、お前はもう。直ぐに社長室に行って来なさい」

「は〜い」


肘原は社長室のドアをノックした。

「社長、営業二課の肘原さんがいらっしゃいました」

「通しなさい」

秘書課の佐々木は立っていたが、

「佐々木君。君は邪魔だから外で待ってなさい。肘原君と2人きりにしてくれ」

「かしこまりました」


バタン


「いゃ〜、何よ。トヨちゃん」

「ヒジちゃんこそ、溝口社長と昵懇じっこんだって事を何故知らせてくれないの?」

「だって、余り僕が喋ると周りにバレるでしょ?」

「それも、そうだが。ヒジちゃん、頼み事がある。この契約を有利に運びたいんだが、師匠ならどうかな?この仕事は」

と、豊浜社長は資料を広げた。

「……は〜ん。向こうは人件費や燃料代の高騰でアップアップなんだね。どうだろうね?溝口ちゃん、OK出すかな?代案はあるの?」

「一応、名古屋港は岸壁使用料が24時間関係無しのフラット料金だから、船舶の岸壁使用料はこっちが払っても、うちは助かる。これでどうかなぁ〜?」

肘原は難しい顔をした。豊浜社長は契約が決まったら社長賞として、100万円の報奨金を支払うと言った。


「まぁ、溝口ちゃんはちょと、守備が堅いから、端歩攻めでなら」

「端歩攻めとは?」

「遠回りのようで効き目のある攻めだよ。今週の水曜日から、アマチュア王将戦が始まるのよ。それに誘ってみる」

「アマチュア王将戦……確か金山でしたよね?」

「そうそう。うちの久保田ちゃんに特別休暇を伝えてよ。それなら、こっちも準備出来るから。今、溝口ちゃんどこ?」

「別件で、他を回っていらっしゃる」

「今夜、3人の時間作ってよ。お願い」

「分かった」

「後、久保田ちゃんにも連絡して!今から帰って準備するから」

「頼みましたよ、師匠」

「まぁ、トヨちゃん。穴熊囲いの崩しかた良く知ってるね」

「と、言いますと」

「堅い穴熊囲いは、安い駒で攻めるのが正攻法」

「なるほど」

「じゃ」

肘原は神妙な面持ちで一礼して社長室を出ていった。

佐々木はきっと、この男は何かしでかしたなと思った。

「佐々木君」

「はいっ」

「営業二課の久保田君にね、彼は明日から自宅謹慎って伝えておいて」

「何をしたんですか?あの男は」

「君には関係ない。それに、あの人は肘原利行と言う名前だ。忘れるなよ」

「は、はいっ。かしこまりました」


さて、どうなる?

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