第9話
ログハウスの中は妙に生活感があった。
どうやらここはヒスイの住居の様だ。
至る所に本棚があり、その全てが本で埋まっている。
少し気になり手を伸ばしたがヒスイから待ったがかかる。
「それら全てが魔道書じゃ、お前らが触ったところで何も起きないものが大半だが中には危険なものもあるのじゃ。永遠に眠れなくなったり、眼から火が吹き出しても知らんぞ」
思わず手を引っ込める。
ヒスイは戸棚の奥から丸めたカーペットを引っ張り出す。
机を動かしたりして何とかスペースを作り、カーペットを広げる。
複雑な幾何学模様が織り込まれており、まるで芸術作品の様だ。
「これが転移魔術陣じゃ、これに乗れば連邦におる知人の家に跳べる。」
「凄いな、魔術は…まるで夢のような技術だよ」
感心しているとヒスイが照れ臭そうにいった。
「欠点も多い。起動にはとんでもない魔力を食うし一度に五人程度しか運べん。連続して使えないし、術者は一緒にいけんのじゃ。」
「それでも十分凄いと思うけど…」
ヒスイが陣の上に乗る様に指示を出す。
「私は後から飛んでいく。転移した先から動かず待っていてくれ。危険なことは何もないと思うが…何も触らずにな。」
そう言いながらヒスイが手を翳すとカーペットの模様が光り始める。また、目の前の景色がぐにゃりと歪む。
目を開けると先程のログハウスではなく少し埃っぽい倉庫の様な場所にいた。雑多なものが置かれており、剣や盾、鎧の様なものまで置いてある。
広さはおおよそ8畳くらい。広めの一人暮らしの部屋ぐらいはあるだろうが様々なものが置かれているせいで狭く感じる。
「埃っぽいわね」
咳き込みながら辺りを伺う。
部屋の上部に小さな窓があるだけでかなり暗い。
リオはペンライトを取り出し辺りを照らす。
「待ってろと言われたけど、座れそうな場所もないな…」
腰を落ち着けるとこを探して、部屋を歩き回っていた時だった。
バンっとドアが開く。
「盗人!この龍のご加護のあるアンデル商会の倉庫に押し入るとは不届な奴らにゃ!!」
目の前に現れたのは、猫耳を持つ気の強そうな獣人の女性だった。彼女の青い瞳は鋭く、まるで全てを見透かすかのような光を放っている。耳はピンと立ち、わずかに動くたびに細かな毛が反射する。背中まで伸びる艶やかな黒髪は風に揺れ、まるで夜空の闇を切り取ったようだ。
顔立ちは整っているが、そこに柔らかさはない。意志の強さを感じさせるきりっとした眉、少し吊り上がった猫のような目元が、彼女の鋭敏さを強調している。口元にはかすかな笑みが浮かんでいるが、それもどこか挑発的だ。
彼女の身体はしなやかで引き締まっており、戦士としての鍛錬を感じさせる。肩から胸元にかけては露出が少しあるが、動きやすそうな軽装の鎧をまとい、その下から筋肉の線がわずかに見える。腰には長い尻尾が、彼女の動きに合わせて滑らかに揺れていた。尻尾の先端もふわりとした毛がついており、猫のような愛嬌を感じさせる部分もあるが、その動きには気の強さと機敏さが滲み出ている。
武器の柄を握りしめ、まるでいつでも飛びかかれる準備ができているかのようだ。しかしその姿勢には余裕があり、むしろこちらを見下すような態度すら感じられる。
驚いてリオと俺は銃を向けるが彼女は余裕そうだ。
そういえば、兵士となった魔術師には銃が効かないと言っていたことを思い出す。
「私に勝てるつもりか?」そんな言葉が彼女の瞳から読み取れるような気がした。
慌てて俺は銃を下ろす。
リオは構えたままだ。
「ちょっと待ってくれ、俺たちはその龍にここへ送って貰ったんだ。そこの魔術陣から出てきたんだよ。」
両手を上げながら猫耳の女性に話し掛ける。
「嘘にゃ!私がここに雇われてから10年、一度もそんなことはなかったにゃ!」
ヒスイ…10年以上訪問してないのか。
そりゃこんな対応になるよ、俺たちが不審者だ。
「頼む、ここでしばらく待っていたらヒスイが来てくれるから。」
キッと目を吊り上げる。
「ヒスイ様を呼び捨てにするなぁ!!」
次の瞬間、猫耳の女性が目の前で剣を振りかぶっていた。全く予備動作が見えなかった。
切られる!、思わず自分を庇う様に腕を前に出し目を閉じてしまった。
ギィィンと金属を擦り合わせた様な音がする。
腕にくるはずだった衝撃が来ない。
恐る恐る目を開けてみると体の周りに薄い膜の様なものが張っている。
猫耳の女性が驚いた顔でこっちをみる。
その隙を逃さず、隣にいたリオが猫耳の女性に向け、構えていたMP7を発砲した。
至近距離の発砲だったが、それを確認した猫耳の女性は後ろへと飛び下りながら銃弾を剣で弾いた。
リオはさらに発砲するが、それと同時に甲高い金属音が鳴り響く。
銃弾は全て剣で防がれていた。
薬莢の転がる音がする。リオが俺の手を引き近くの机へ誘導する。
「この銃を預かって下さい。このような狭いところでは誤射の危険があるので」
リオは俺にMP7を渡し、ベストからナイフを抜き構えた。
猫耳の女性がリオへ飛び掛かってくる。
リオは素早く身を翻し、振り下ろされた長剣を紙一重で躱す。彼女の動きはまるで影が流れるようで足音が殆どしない。
一方、猫耳の女性は力強く豪快な動きで切り掛かる。重みのある一撃が次々と繰り出され、ナイフと打ち合うたびに火花が散る。
リオは振り下ろした隙を見て、相手の懐へ飛び込み素早くナイフを突き出すが猫耳の女性は剣を巧みに回しナイフの軌道を逸らす。まるで舞踏のように互いの攻防が流れるように繰り返される。
数合打ち合ったのち、リオが再び踏み込み、刃先を相手の脇腹に突き刺そうとした瞬間、猫耳の女性が身を捻った。ナイフの刃と長剣が一瞬絡み合い、わずかな火花が散る。切り返してもう一撃狙ったナイフが長剣に弾かれ宙を舞った。
「危ない!」
思わず叫んでしまった。
長剣がリオの肩口に振り下ろされていく。
「そこまでじゃ」
凛と声が響いた。
ヒスイの声だ。
猫耳の女性が振り下ろした長剣とリオの身体との間に長方形の光板のようなものが浮かんでいる。
「全く、大人しくしておれと言ったのにこんなに暴れよって…」
ヒスイの一言で、その場の空気が一変した。猫耳の女性は目の前に浮かぶ光の障壁を見て、驚いた表情を浮かべたが、すぐに理解したように目を見開いた。尻尾がバッと膨らみ、全身が硬直したかのように凍りつく。
「ヒ、ヒスイ様…!?」
猫耳の女性は驚愕の声を漏らし、素早く飛び退ると、まるで誰かに押し付けられるかのように平伏した。その姿勢は、今までの気の強さが嘘のように従順で、まるで子猫が叱られたかのようだ。尻尾は床にぴったりと伏せられ、少し震えている。
「こうなる予感はしておったが本当になるとは…」
ヒスイが少し眉を顰める。彼女の声には、いつもどおりの落ち着いた響きがあるが、どこか厳しさも感じられる。
猫耳の女性、彼女は大きく息を呑み、震えながらも頭を深く下げた。
「も、申し訳ありませんにゃ…!この者たちが盗人かと思い…無礼を働きました…」
その声には明らかな動揺と焦りが混ざっている。
リオは、肩口に迫っていた長剣が退かされたことに一息つき、ナイフを拾い上げて立ち上がった。目の前で平伏する猫耳の女性を見下ろしつつ、肩を軽く叩いて埃を払いながら一言。
「まあ、問題ないわ、怪我はしてないもの。それに勘違いを責めるほど意地悪じゃないわ」
ヒスイがリオに歩み寄り、一礼する。
「すまんかった。クロエは少し感情が先走ることがあってな。私の友人じゃ、怒らんでくれ。」
猫耳の女性、クロエと呼ばれた彼女はその名を聞いて少し驚いたように顔を上げたが、すぐに再び頭を下げた。
「クロエと申します…どうか、私の無礼をお許しくださいにゃ…!」
リオは軽く笑って手を振った。
「別に気にしてないわ。でも、あんた、なかなか強いわね。次はお互いきちんと挨拶してからやりましょう。」
クロエは一瞬戸惑ったような表情を見せたが、リオの言葉に少し安心したのか、少しだけ柔らかい笑みを浮かべた。彼女の青い瞳には今度は鋭さではなく、誠意が見える。
「リオ殿、感謝しますにゃ。以後、気をつけますにゃ…」
ヒスイが軽く手を振り、クロエを立ち上がらせる。
「では、これで互いに仲直りじゃ。クロエ、彼らは私の大切な客人じゃ。お主も手荒な歓迎を済ませたのだから、今度はきちんともてなすのじゃぞ。」
クロエはヒスイに向かって、真剣な表情で頷いた。
「はい、ヒスイ様。全力でご協力いたしますにゃ。」
クロエは改めて自己紹介をし、彼女が虎の獣人であり、「アンデル商会」という商家に雇われてこの倉庫を守っていたことを語った。
「アンデル商会は連邦で名の知れた商会じゃ。クロエはその商会の一員として、ここでの守りを任されておる。」
ヒスイが説明すると、クロエは誇らしげに胸を張った。
「そうにゃ!小さ頃にヒスイ様に拾われ、ここに雇って貰ってるにゃ!」
クロエはすっかり落ち着きを取り戻し、誇らしげに胸を張ったまま3人に向かって一礼すると、少しきびきびとした調子で言った。
「では、アンデル商会の会頭、アンデル様のもとへ案内するにゃ。皆、ついてくるがいいにゃ。」
倉庫の一角にあった狭いドアを開け廊下を抜けると、外は少し開けた街並みが広がっていた。この倉庫は商会の中の小部屋かと思ったが違うようだ。ヒスイも少し驚いている。
昔はこの小部屋のある建物が商会の建物だったが今は違うとクロエが話す。
クロエは先頭に立ち、しなやかな足取りで石畳を歩く。彼女の長い尻尾が後ろでゆらりと揺れて、時折後方を振り返るように動く。ヒスイ、リオ、そして俺はその後をついていく。徐々に大きな通りに出ると街は活気に満ちていた。
「ここは商業区の一角にゃ、アンデル商会はこの辺りでも大きな商家にゃ、色々な品が揃っているのが自慢にゃ!」
クロエが手を広げ、周囲の店々を指し示す。リオと俺は興味深げにその光景を見渡していた。
商店が立ち並ぶ通りは賑わっており、行き交う人々はそれぞれ荷物を持って忙しそうに動いている。露店には果物や雑貨、そして奇妙な工芸品までが並び、ところどころから商人たちの呼び込みの声が聞こえてくる。時折、車輪の軋む音が耳に届き、自動車が道をゆっくりと進んでいく。
街の通りを抜け、大きな建物の前にたどり着く。目の前にあるのは、重厚な木の扉を備えた堂々とした屋敷のような建物で、周囲には警備員が何人も立っている。建物の上部には龍を象ったシンボルがある。知らなくともこれがアンデル商会の象徴であることが一目でわかる。
「ここがアンデル商会の本拠地にゃ。」
クロエは扉の前に立っている警備兵に声をかける。扉がゆっくりと開き、中から丁寧な身なりの男が顔を覗かせる。彼はクロエ達を見て、深々と頭を下げた。
「クロエ様、お帰りなさいませ。そして、お連れの方々もようこそ。アンデル様がお待ちです。どうぞお入りください。」
クロエは軽く頷き、3人に中へ入るよう促す。
「では、アンデル様のところへ案内するにゃ。」
俺たちは彼女に従い、豪華な廊下を進んでいく。絨毯が敷かれた広い廊下は、壁に飾られた絵画や彫刻で彩られ、どこか威厳のある雰囲気が漂っている。静寂が支配する中、やがて大きな扉の前に立ち止まった。
「ここにゃ。アンデル様が中でお待ちしているにゃ。」
クロエが扉をノックし、ゆっくりと開けると、その先には豪華な執務室が広がっていた。
重厚な机の後ろに、銀色の髪をした中年の男性が座っている。よくみると耳が長い。エルフのようだ。彼は眼鏡越しにこちらを見つめ、冷静で鋭い眼差しをこちらに向けた。彼がアンデル商会の会頭、アンデルその人だった。
「おや、ヒスイ殿ではないか。久しいな。そして、そちらのお二方も初めてお目にかかるな。歓迎しよう。アンデル商会会頭のアンデルだ。」
アンデルはゆっくりと立ち上がり、静かに微笑みながらこちらへと歩み寄った。
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