第4話
ヒスイの突きつけた指先を見つめながら、俺はしばらく何も言えなかった。まるでこの世のものとは思えない強大な存在が、目の前で「美味しい食事」を要求している光景が非現実的すぎて、脳が追いついていないのだ。
「え、俺が…君に食事を…振る舞うってこと?」
「そうじゃ!異世界の美味い料理を腹いっぱい食べさせろ。それだけでいいのじゃ!」
そう断言するヒスイの顔は、少し前の威圧的な雰囲気から一転、あどけない期待に満ちた少女の表情だった。そのギャップに笑いそうになったが、状況の重大さを思い出し、俺は深く息を吐いた。
「…分かった。約束するよ。俺の世界に戻れたら、君にたくさんの美味しい料理を食べさせてやる。」
俺の返事を聞くや否や、ヒスイはパッと笑顔を浮かべ、満足そうに頷いた。
「決まりじゃな!では!」
ヒスイは両手を合わせた。
途端に彼女を取り囲むようにぐるりと複雑な模様をした魔法陣が浮かび上がる。
それらの模様が浮かんだり消えたり高速で移り変わってゆく。
魔法陣はどんどん細かく小さくなってゆきやがてヒスイの手に収まる六面体へと形を変えた。
「手のひらを出してくれ。さっき鱗の模様がついた方の手だ。」
指示通りに手を差し出すとその上に六面体を置いた。途端にその形が崩れ、手のひらに溶け込むように消える。
「身体に熱はないか?調子が悪くなったりしてないの?」
ヒスイはこちらを覗き込み様子を伺う。
「待て待て、ヒスイさん…さらっとやったけど今のはなんだ?その質問は結構ヤバいことをやったのでは?」
「世界を渡る術式をお主の身体へ馴染ませたのだ。失敗したらお主の身体が吹き飛んだかもな」
カラカラと笑う。
「ちょっと…」
「まあ、上手くいったから良い良い。お主の身体にある元の世界の情報を使い、世界を渡る術式だ。有り体に言えば、お主が巨大な魔術具になったとでも言おうか。」
「じゃあ、これで俺は世界を渡れるってこと?」
「馬鹿者、お主の身体には術式が刻まれただけだ。
誰か魔力を供給しながら術式を起動させる必要がある。しかもとんでもない量の魔力が無ければ起動もできん。ちょっと失礼。」
ヒスイはペタペタと俺の身体を触る。
「うむ、問題ないな。早速いくかお主の世界に。」
「ごめん、ちょっと待ってくれ。片付けがまだ…」
ふんふんと意気揚々としているところ悪いが、その前に荷物を片付けさせて貰った。
リュックに全て詰め込み背負ったところで振り返る。
「お待たせ、その魔術を使うのに何かしないといけないことはある?」
「必要なことはないぞ、そこに立っていてくれ。あ、背を向けてくれ。」
ヒスイに対して背を向ける。
「うーむ、背嚢が邪魔だな…前に背負えるか?」
ゴソゴソとリュックの向きを変える。
荷物が多く前が全く見えない。
「これでいいかな?」
「良いぞ、では始めるとしよう。」
そっと背中に手が置かれる。
気になって後ろを見ようとするが気が散るからやめろと言われた。
「目を閉じてじっとしててくれ。」
言われた通り大人しくする。
ブツブツと何かを囁く声がすると身体がじんわりと熱くなる。
ふらっと立ちくらみのような感覚があった。
「終わったぞ、転移終了だ。」
もっと凄い感覚や現象が起こるかと身構えていたがあっさりと世界を渡ってしまった。
荷物を下ろす。
顔を上げると昨日キャンプした広場だった。
先程まで空から見下ろしていた壮大な大地はどこにもない。
だが後ろにいる少女、ヒスイがいることが幻ではなかったことを証明している。
「ほー、ここがお主の世界か、魔力はほとんどないし、景色も…なんもないな。」
「そりゃここは山の上だし…」
キョロキョロと周りを見渡すヒスイは見た目通りの年頃の少女にしか見えない。そして空を見つめながらふと呟いた。
「お、あれはなんじゃ?」
ちょうど上空にキラリキラリと光が見える。
「多分、飛行機かな。人を乗せて空を飛ぶ乗り物さ」
「ほー、飛行船のようなものか。魔力がない世界だというのになかなか凄いことをしておるでないか」
よく見てみると旅客機にしては小さいような気もしたが自分の目でははっきりと見えない。
空を見上げていると袖を引っ張られる。
グゥっと可愛らしいお腹のなる音が聞こえた。
「実はな…思ったより世界を渡るのに魔力を使いすぎていてな。腹が減った。何か食事はできぬか?」
上目遣いでこちらを見上げるヒスイ。
ああ、これで飯をタカっていたのか…と理性では理解したが身体が勝手に動く。
持ってきた食料は無くなっているため、非常食として持ち込んでいたチョコレートを差し出しておく。
「確かに甘くて美味しいのじゃが、量が足りないぞ。
どこか食事を出すところはないのか?」
正直、自分もお腹が空いていた。果物を食べたがそれだけで足りていないのだ。甘いものを食べたからなのか塩辛いものが食べたい。
「山から降りて少しいけば中華料理出してるとこがあったはず。とりあえず、そこを目指すのでいいかな?」
下ろした荷物を背負い直しながらヒスイを伺うとニコニコしていた。
「もちろんじゃ、こちらの世界ではお主に従おう。
何か気をつけることはあるか?」
「うーん、とりあえず普通にしてくれれば問題ないよ。何か壊したり人に怪我させなければ大丈夫。
ちょっとヒスイの髪と瞳は目立つけど、遊びに来た親戚の子ってことで誤魔化そう。」
中華料理とは何か気になるのう、とウキウキしているヒスイを引き連れ、俺は山を降りた。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
「要警戒ポイントにて民間人を発見。これより上空からの追跡を行う。対象は2名。日本人男性と緑色の髪をした少女。」
「こちら管制室。了解。追跡に当たれ。
なお、本件はこれより国家機密事項に値する事態となった。守秘義務及び命令遵守が発生する為注意されたし。」
3面のディスプレイに囲まれ、まるでコックピットの様になっている部屋でとある自衛官は緊張しながら操縦桿を握っていた。
昨晩、急にとある山麓の広場を上空から24時間監視するよう命令が下った。
習志野駐屯地から偵察用のUAVを飛ばし、命令された地点を偵察していたが何も無かった。
何かの訓練かと思い、気を緩めた矢先に突然人が現れたのだ。
そして管制室から、あの返答である。只事ではないことだけはわかる。
カメラのピントを合わせ、対象が死角にならぬようUAVを操作する。おそらく今撮っているこの映像を自衛隊のお偉いさん方が見ているのだろう。
更に管制室から角度を変えたりピントを変えたりするように指示が飛んでくる。
ピントがあった瞬間、少女がこちら見ていた。
数千メートルも上空にいるのに目が合った気がした。思わずどきりとしたが、すぐに少女の視線は外れた。
拡大して表示された映像には少女と青年が山を下る姿が映っていた。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
「へいらっしゃい!2人かい?」
ガラガラと立て付けの悪い引き戸を開けると壮年の店主が声をかけてきた。
山から下り、駐車場で車を拾いそのまま20分。
麓の町中華に俺とヒスイはいた。
ここにくる間に見るもの全てが珍しいのか、ハイテンションで騒いでいたヒスイは年相応の少女にしか見えなかった。しかし、車に大興奮するかと思ったが同じような乗り物が異世界にもあるらしく、そこまで驚かれなかったのは少し残念だった。
とりあえず、席につきメニュー表を開く。
写真などはなく文字だけのメニュー表だった。
時刻は2時。
ギリギリランチタイムだったので、ラーメン、半チャーハン半餃子のセットが安い。
「ヒスイ、俺と同じメニューでいいか?」
「構わんぞ!それにしても先程からいい匂いしかせぬ…堪らんな!」
ウッキウキである。
注文を伝えると厨房の奥から、はいよっと返事が返ってくる。どうやらワンマン町中華のようだ。
暫くして、ラーメン、半チャーハン半餃子セットが目の前に並ぶ。
ラーメンは醤油鶏ガラベースのちぢれ麺。
ザ、町中華って感じだ。
ヒスイはまだ箸をうまく使えないのでスプーンとフォークを頼む。
「美味い…やっぱり町中華はいいなあ」
「こりゃ美味いのう、こんな複雑なスープは初めてだ。それに麺というのも堪らん。小麦にこんな調理法があるとは…」
2人してラーメンを啜り、チャーハンをかき込み、餃子を噛み締める。
「そんなふうにおいしく食べてくれると嬉しいってもんよ。本当は夜に出すんだがおまけの杏仁豆腐だ。」
ニコニコしながら店主がお盆に二つ杏仁豆腐を載せて持ってきてくれた。
「ありがとうございます!」
「それにしても妙な組み合わせだね。にいちゃんは山登ってきたのかこれから行く格好だけど、嬢ちゃんは街に行くような格好じゃないか」
「えっと、ちょうど今から帰るとこで。この子、親戚の子で留守番がてら預かることになったんです。」
少しドキッとしたがこのくらいなら大丈夫だろう。
「そうかい、それならいいさ。話は変わるけどこう見えても私も山が好きでね。よく登るのさ。にいちゃんも登る人だろ?」
ニコッと笑った店主としばらく山の話をした。
今日の山はどんなだったか、花は何が咲いていたか、他にはどこの山に登ったのか。
ふと、見ると店内にはいろんな山頂から撮ったであろう写真が飾られていた。
結構長話をしていたがその間もヒスイは隣で無言のまま食事を進めていた。少女の姿だからか一口一口が小さく更にそれを味わって食べている為、食事スピードがゆっくりなのだ。
おまけの杏仁豆腐を食べ終えた時だった。
ガラガラと引き戸が引かれ、男が四人ほど入ってきた。
「すみません、お客さん。もうランチタイムは終了で…」
店主が頭を下げに行った。
そろそろ俺たちも出るか、声をかけてヒスイを伺うと彼女は警戒したように先程入ってきた客を見ていた。なんだと思い、俺も入り口に目をやると黒いスーツをきた男4人に店主が囲まれて何か話している。
困ったようにこちらを見ながら店主が店の外へ出て行くのと入れ違いに黒スーツの1人がこちらにやってくる。
「お二人とも、申し訳ないがご同行していただけますかな?私はこういうものです。」
差し出されたのは警察手帳であった。
思わず冷や汗が出る。もしかしてヒスイを連れていることが誘拐に見えて通報されたのであろうか…
なんにしても彼女の存在はやばい。
戸籍もない異世界の龍なのだ。
何か打開策はないか考えを必死に巡らせてみるが良い案は思いつかない。
「ふむ、それが人にものを頼む態度か?」
後ろからヒスイがスプーンを咥えながら黒スーツに尋ねる。
「その懐にあるもの、魔力を封じる手枷じゃろ。隼人からはこの世界に魔法や魔術はないと聞いていたが…そうではないようじゃの?」
ぴくりと黒スーツの眉が動く。
「やはり…そちらに関係する人でしたか。確認が取れたのならこちらもやり易いです。」
そういうと警察手帳をしまい、懐から名刺を取り出しこちらに差し出した。
「私は陸上自衛隊特別事象対応部別班の佐藤といいます。別班の佐藤とでもお呼び頂ければ」
「別班って架空の部隊のやつですよね?」
思わず聞き返してしまった。
別班、オタク心がくすぐられるワードだ。
「そうですね、一般的には無いものとされていますよ。我々はこういった魔法や魔術が絡んだ事案を秘密裏に処理させて頂いております。」
「秘密裏ってことは自分達のことをどうするつもりなんですか?」
「そのことを含めてお二人にはご同行頂きたい。こちらの魔封じの枷についてお気分を害されたようなら大変申し訳ない…稀に言葉の通じない輩もおりまして…」
頭を下げる佐藤さん。
「どうするハヤト。この世界ではお主に従うぞ」
こちら見上げながらヒスイが聞く。
陸上自衛隊ということなら国が関わっている。
ここから逃げたところでお先は真っ暗だろう。
それにどうやってこの場所を相手が知ったのかもわからない。
ここは怪しくてもついて行くしか無い。
不安そうな顔をしたからだろうか、ヒスイが笑う。
「心配するな、ハヤト。あの程度の輩なら蹴散らすことは造作でも無い。いざとなればお主と私でさっさと逃げだすことは容易よ。最悪、街一つ灰になるかもしれんがの」
それを聞いた佐藤さんは思わず顔を引き攣らせていた。
「ほれ、連れてけ、佐藤とやら。美味い飯を出してくれたなら色々と話してやろう。」
ストンと椅子から降りて出口に向かうヒスイ。
慌てて後を追いかける。
その進行方向にいた黒スーツたちはさっと距離を取った。
「なーに、取ってくったりはせん。食事が終わるのも待っててくれてたみたいだしの。」
店を出ると黒塗りのクラウンが止まっていた。
内心、映画とかで見るやつだー、と思って眺めていると佐藤さんが後部座席を開けて乗るように促してくる。
「宮守様の車はこちらが責任を持ってお家までお送りいたしますのでご安心ください。」
不安に思ったことを先にフォローされてしまった。
2人して乗り込む。助手席には佐藤さんが乗り込んだ。
お主の車より座り心地が良いでは無いか、と上機嫌のヒスイを連れて車は都市部へ向かっていった。
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