第3話
崖っぷちに立たされるという諺はあるが気がついたら物理的に崖っぷちに立っていたというのは珍しいだろう。
二、三歩後ろに下がっていたら俄然に広がる絶景に飛び降りるところだった。
とりあえず、もうちょっと島の内側の安全なとこへ移動してから話したいと伝えたところ、すんなりと快諾してくれた。
踵を返したヒスイが手を振ると少し離れたところの地面が隆起し出して、二脚の椅子と丸いテーブルの形になった。
テクテクと歩いて行った彼女はその椅子に腰掛け、反対側の椅子に座るよう促してくる。
俺はおっかなびっくりしながらその椅子まで移動し、荷物を脇に置きつつ座った。
そこからはまるで企業面接かのような問答が始まった。改めて名を名乗るところから始まり、出身地やここまでどのような移動手段で来たか、持っているヘッドライトなどの道具の用途は何か、などなど。
初めは緊張というか混乱していたが途轍もなく可愛い少女と話していることが楽しくなってきていた。
しかし、話しているうちに改めて自分が違う世界に迷い込んでいるという事実がはっきりしてきていた。
何度か頬をつねったりしてみたが、夢ではないと実感するだけだった。
グゥっとお腹のなる音がする。
自分の腹の音だ。
朝飯の栄養バーは食いかけで、ポケットに入ったままだ。
「申し訳ない…そろそろご飯にしてもいいかな。朝から食べてないからお腹が減って…」
「あの栄養バーとやらか?」
「それの食いかけもあるけど、本当は朝食に予定していたものがあるんだ。時間がかかるからちょっと支度だけさせてもらっていいかな?」
「いいぞ、どんなものを食しておるのか気になるしの」
とりあえず、バックからメスティンを取り出す。
メスティンとは万能飯盒だ。アルミ製のものを俺は愛用している。
作るメニューは鯖缶炊き込みご飯。
米を一合入れて、鯖缶の中身を汁ごと投入、もちろん刻んだ生姜も忘れない。
足りない分の水を足して、醤油をひと回し。
携帯コンロを取り出し、その上に載せて火を掛けてたら20分だ。
その間にも少女からは使ってる道具、食材について、質問が飛んでくる。
特に米について驚かれた。
米の存在自体を知らないらしく、水を多く使う穀物を主食にできるなんて、お前の国はなんて水資源に富んだ肥沃な大地なんだ、という驚きらしい。
「それにしても私の目の前で料理とは…肝が座っておるわ。この世界の人ならば震えて気絶しておるよ」
「可愛い少女にしか見えないからね…」
「龍の姿になってやろうか?まあ、龍の姿でくしゃみしたらお主なんざ一瞬で吹き飛ぶけどの。」
カラカラと笑いながら少女が恐ろしいことを言う。
「それは遠慮しておきます。もうこの景色だけでお腹いっぱいだし。」
そんなこんな話しているとメスティンからチリチリと音が聞こえてきた。焦げ始めのサインなのでサッと火から外し、布に包んでひっくり返して10分ほど蒸らせば出来上がりだ。
蓋を開ければ、炊き込みご飯の香りがたちのぼる。
うまいことおこげができており、醤油の焦げた香ばしい匂いがする。
ゴクリ…生唾を飲み込む音がする。
ハッと見上げてみたらヒスイが真ん前にいた。
目が輝いている。
「嗅いだことのない香り…なんじゃこれは食べなくても香りだけで美味いと思わせる…なあ、お主。
私にそれを譲ってもらえないか?代わりの食い物にこれをやるから!!」
少女が虚空に手を突っ込むと空間が揺らぐ。
引き出したその手には桃のような果実が握られていた。
「これは私のお気に入りの果物だ。この島でしか取れんし下の世界では出回ってないものだ。貴重だし何よりも美味しいぞ!だから、それを!」
グイっと押し付けられる果物。
ふわっと甘い匂いがする。
少したじろいでいると少女纏う雰囲気が変わる。
「あー、それをくれないとどっかの大地を焼いてしまうかもしれん…」
発言が徐々に危険な方向へ向かっていく。
よく見ると少女の眼の瞳孔が縦に割れ、そこにチラチラと炎のような模様が浮かんでいる。
少女の呼吸に合わせて口の周りの空間が揺らいでいる。
熱気が顔に当たり、チリっと前髪が焦げる。
「さ、差し上げますから!!ちょっと、熱気がこっちまできてます!」
「そうか!ではいただくとしよう!!」
パァッと笑顔になったヒスイは俺の手からメスティンを引ったくると持っていた果物をこっちに投げた。そしてそのまま、素手で中のご飯を摘むと口に運んだ。
「美味い…」
一口を大事に味わっている。
「これ、使ってください。」
渡しそびれたスプーンを差し出す。
スプーンを受け取ると美味い美味いと言いながら、メスティンの中身を口に運んでいく。
その間に受け取った果実を見てみる。
桃のような見た目とサイズをしているがブドウのような質感の皮をしている。皮を剥かずに食べれそうだ。
インナーで表面を拭い、一口齧ってみるとじゅわりと果汁が吹き出してくる。真ん中に大きい種があり周りの果肉が食べれるといった感じだ。
味はマンゴーだ。昔、宮崎で食べた高級なマンゴーって感じの味だ。
食べかけの栄養バーと合わせて食べるとマンゴージャムをかけたクッキーみたいで美味しい。
そんなこんなで果汁を啜りながら食べているとなんだか体がポカポカしてきた。
特に山登りで疲れた足腰がなんだか楽になった気がする。
「これ、何という名前の果物なんだい?」
「ユグドラシルの実という。それを食べると病が治るらしい。あと怪我も少し治るとか。
あー、あれだエリクサーの材料にもなるな。それを求めて戦争が起こったこともあった気がするの」
もぐもぐと食べながら答える少女。
じゃあつまり、この手のひらで種になっている果物は相当ヤバい代物ってことか…
少し手が震える。
「それにしても美味い…これはこの世界にはない味じゃ。飯をタカるためにこの姿で下界を食べ歩いておるがここまでのものを食べたことがない。」
話を聞いて見ると、普段から龍の姿ではなくこの少女の姿でいることが多いようだ。
理由は美味しいものを沢山食べれるから、らしい。
出店などでおまけがもらえる、それに馬鹿な奴が攫って売ろうとしてくるからそいつらから小銭を巻き上げ食べ物を買えるのも利点だとか。
なんだか目の前の少女がとんでもない食いしん坊に見えてきた。
じゃあ、どんなものを食べていたのか尋ねてみると、衝撃だった。
この世界はどうやら食文化が発達していなかったのだ。
屋台に並ぶのは塩胡椒で味付けした串焼きの肉。
主食は麦だ。主にパンとのことだった。
それも保存食のような硬いやつらしい。
調理法もそのほとんどがシンプルに煮る、焼く、蒸すのようだ。
食文化が発達していない理由は明白だった。
戦争だ。
この世界では今も戦争が続いている。
それも200年以上続いているという。
理由は様々で種族差別に始まり水不足、飢饉や独立運動。
魔術により個人が力を持つことができるがゆえに争いが頻発している世の中らしい。
1日で国が消えることもあるとか。
そんな理由で簡便で効率的な料理や保存食が多い。
量、カロリー、日持ちが重視されている料理ばかりで美味しくないらしい。
「この食事の礼になんでもしてやろう。さっきの果実程度じゃ割に合わん。今は気分がいいからの」
ペロリと平らげられ空になったメスティンを差し出された。
「そりゃここが異世界なら、元の世界に戻りたい、でも、せっかくの異世界を楽しむのもありだけど…俺がそんな戦争してるとこに居たらすぐ死んでしまう気がするし…」
それを受け取りながらポロッと漏れたのは本音だった。もちろん、元の世界で両親を探したいという気持ちもある。しかし、この世界への好奇心が抑えられない。
「ふむふむ…そうかそうか。
こちらの世界も其方の世界もどちらも気になると」
メスティンを受け取ろうと差し出した手をぐっと掴まれた。掴まれた瞬間、手の甲にビリッと静電気が走ったような痛みがきた。
「うわっ」
思わずメスティンを取り落としそうになった。
ヒスイがニヤリと笑った。
「異世界を旅できて、元の世界にも戻れる。
その望みを叶えてやろう。」
思わずポカンとしてしまった俺は仕方ないだろう。
こういう物語では元の世界に帰れず、この世界でなんとか生きていくみたいなストーリーになるのが定石だ。
混乱してる俺を差し置きヒスイは語る。
「勝手ながら君と契約させて貰った。ああ、それは君の身を守るものだから心配しなくていい。
この世界で君はとても価値のある人間なのだ。その魔力を宿していない肉体、それだけで戦争が起こる。」
痛みが奔った手の甲を見ると鱗のような模様が浮かんでいる。
「この世界では魔術を使うときに魔力を含んでいない物質を触媒に使うのじゃ。
魔術は魔力を宿していない触媒を使うほど、大規模に術を起こせる。そしてその触媒が大きいほど威力を増す。しかし、この世界では魔力を宿していないものはない。万物に宿っている。だから、なるべく魔力を含んでいない物質、そして魔力を通しやすい宝石の類を厳選して触媒とし、やりくりしているのじゃ。」
「だが例外が目の前におる。魔力を宿していないお主は巨大な触媒になる。世界に影響を及ぼすような魔術が使えてしまう。それは戦争をしているすべての国家が求めている物なのじゃ。」
ヒスイはこちらをじっと見つめる。
その瞳が先程同様に変化していく。
「今この場に触媒であるお主が居て、私がいる。龍であり、世界で最高の魔術師であるこの私がだ。世界を渡る魔術ぐらい造作もない。お主を元の世界へ帰してやる。」
あまりにも自分に都合が良過ぎる。
「その代わり、条件がある。」
ヒスイの変化している瞳の模様から赫い焔がたちのぼる。
俺は思わずごくりと唾を飲んだ。
「私をお主の世界へ連れて行き美味しい食事を振る舞うのじゃ。」
ヒスイはビシッと指を突きつけた。
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