2-2. 胎動

「『あのとき』の口論が原因なのかな……」

「──さてな」


 三人で過ごした時間のなかでも口論は当然の如くあった……。

 彼女と、俺自身。


 そして、あの人と──。


「思い返せば、たいてい『あの人』が、なだめ役。

 ……あまり口論になった覚えはないよね」


 振っておいてか、過去を振り返っているなかで該当する場面がなかったことに気づき失笑する彼女。

 俺自身もあまり記憶していないが、たった一回だけ、口論したことはあった気がする。

 ……ただ、それもすぐに和解して水に流れたが。

 決裂に至る動機としては弱いだろうな。


 ではほかに、なにが『あの人』をそうさせたのか──。

 過ごした時間のなかで、それに該当する場面を見つけることも出来ない。


「……変わってしまうものなのかな」


 それが落としどころであろうな。

 ……限られたなかでの推測ではあるものの、こちらに非があるようには思えない。


 あの頃に懐かしむ一方で、人は常に変わり続ける──。

 ……老いていく、ということもある。同時に、考えも変わっていく。

 こればかりは仕方ないのかもしれない。

 置かれた環境に、境遇に、出会いに──。次々と時間の経過とともに捲られるページのよう、突然の出来事にはその人が予見できるものはなくて──。

 変わりたくなくても、変わってしまうものなのかもしれない。

 その過程での断捨離だんしゃりであれば、致し方ないのだろう。


「……もしかしたら、違った景色が見えたのかもね」


 吹く風に消え入りそうになるぐらいにまで弱々しい彼女の言葉──。

 振る舞い次第では、違った『現在』があったのかもしれない。

 涙混じったそんな言葉を、星々に投げかけるも彼女に返答はない……。


 そして、彼は失踪してしまった──。

 誰にも告げることなく──。

 それは『私たち』に対してはもちろん、『親』、『兄弟』にも──。


 ただひとり、かなぐり捨て、誰にも見つからないように──……。


 ……それを知り得たのは、悲しくも警察からの電話であった──。

 突然の送る式典のなか、整理が追い付く訳もない。……特に彼女にとっては。


 『いったい、なぜ──!?』


 しきりに零れる、彼女の言葉。

 同時に、同じ言葉が、目の前に立つ者たちからも溢れる──。


 いったい、誰に宛てた言葉なのだろうな──。


 虚空に、ただただ溶けていく──。両者からの言葉は、悲しくも不条理な事実に、納得のいく答えを求め、嘆いているように見えた。

 ……仮に答えが与えられようと、納得に至ることは出来ないであろうな。


 結果たるものがすでに『不条理』なのだから。


 そんな彼女と親族たる彼らの表情は受け止めることの出来ない事実に、うまく咀嚼そしゃく出来ず固まっては涙を流していた。


『どうか、どうか戻ってきて──』


 いまもどこかにいるであろう、その『息子』に、『兄』に、『彼』に宛てて──。

 心からの思いを告げるかのように──……。


 ……夢なら覚めてほしいものである。

 知人ならまだしも──。

 親しかった相手の早すぎる旅立ちには、言葉が出ない。

 俺にも教えてほしいものだ。

 幾年も悩ませられ、月日が流れたいまもこうして尽きることがない。

 命日にこうして集まってしまうのはそれが起因している。

 過去を振り返ってみたとき──。

 もしかしたら、違った振る舞いをしていれば、結果は異なっていたのかもしれない。なにかしら助けになれたのではないかと。

 それが過ぎるとき、心が締め付けられるような苦しい感覚に襲われる。

 しかし、いくら悔いようと、自分自身を追い詰めても──。

 そのときに戻ることなんて出来やしない。

 残酷にも、それはいまも進行し続けてしまっていて、止まることはないのだから。

 ……ただ出来るのは、同じシチュエーション。反省が出来る特権を活かし、同じ場面に遭遇したとき『それを回避する』、それだけと『割り切る』しかないのだから──……。


 耽ているさなか、ジャケットにしまっていたスマホからコール音が鳴る。


「もしもし──」


 端末越しからの、あらかじめ決められていた言葉に、ただ静かに答える。

 コール音からのやり取りは意図せずして辺り一面に響いているかのようで、夜の海辺に短くも溶けていった──。


「……行くの??」

「ああ」

「……そっ、か──」


 雲一つ遮るものない満天の星空のなか。

 冷え始めた寒空に一人身を置く彼女は、去る『こちら』に目線を向けてくれることもなく続けて星空を見上げていた。


 見上げる夜空に、彼女がなにを想っていたのか──。


 煌めく星空の下、晴れない表情で見つめる彼女の姿に、掛ける言葉なく去るしかできない自分自身に無力さを感じるしかなかった。

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