めんどくさい愛の手紙
社会的弱ミク
本文
なにが起きたんだ……?
痛てぇ……
痛み? これは痛みか……?
目の前に広がる景色はひっくり返った景色、割れたフロントガラス、そんなフロントガラスの先には暗い曇天の空と、降りしきる土砂降りの雨に、雨に濡れたアスファルト……
ああ、そうか。
海水浴…… 俺はチトセと海水浴に行っていたのだった。
買ったばかりの新車で、付き合って二年目の記念に遠い県へ海水浴で向かったのだっけ。
天気予報では晴れだった。
そして実際に晴れだった。
でも、午後から突然に雲が出てきて、雨に濡れるのが嫌で早めに切り上げたんだった。
そして最新式のナビに従って通行が少ない道を進んでいると、突然動物が出て、ハンドルを切って……
そして……
あれ、てか…… チトセは……?
助手席を見るが、そこに居る筈のチトセは――
○○
俺が寝るベッドを窓から差し込む陽気が照らす。
今日も相変わらず病院の院内は喧しい老人の話声で溢れていた。
まったく、この喧しい話声を聞いているとウンザリしてくる。
そんなこんなで、ベッドから出て松葉杖をつき、病室から出た。
あの日、チトセを失ってからというもの、本当に些細な事が癪に障る。
ああ、チトセ…… おれ、ほんと馬鹿だよな……
お前なら、こんな俺を笑ってくれるよな……
行く当てもなく院内を歩く。
どれだけ歩くも、ありし日のチトセの笑顔が消えてくれない。
つい先ほど購買でヤケで買った菓子パンを片手に食べながら歩いていると、院内の中庭に来た。
あっ、ベンチが開いてる……
そのベンチへ向かうが、まったくもって自身のおぼつかない足取りにウンザリする。
悲しみたいのに、このうまく動かない体に気が取られて悲しみに浸る事さえできない。
やっとの思いでベンチに座り、相変わらずの晴天の日差しを楽しむ。
思い出すは、あの日の海水浴。
あの時のチトセは、輝いていた。
ああ、チトセ…… ほんと、ごめんな。
この日差しをしばらく楽しんでいると、突然横から老婆に声をかけられた。
「こんにちわぁあ……」
「……ああ、こんにちは」
その挨拶に返し、声の主を見る。
しわしわに顔が萎れた、八十歳を超えていそうな杖をついた老婆。
この病院に入院しているのか、寝間着を着ている。
ああ、またか。
老婆は俺の横に座ると、懐から一つの柿を出し、手渡してきた。
「まあまあ、若いの。そんな辛気臭い顔しなさんな」
「……いえ」
「それはそうと、わたくしの話を聞いてくれないかしら」
そう言うと、老婆は頼んでも居ないのにベラベラと話し始めた。
やれ旦那には法隆寺でプロポーズされただの、あの人は優しいのに自分には厳しいだの、自分に尽くしてくれる良い旦那さんだの。
老婆の旦那さんは凄く人情がある言い人だったらしい。
そんな話を聞き続けると、老婆は突然に話を変え始めた。
「そうじゃ。少し頼まれていいですかのぉ」
「……なんでしょう」
老婆は懐から手紙を取り出した。
その古ぼけ皺がよった手紙を俺に手渡すと、満足そうに言う。
「退院したら、この手紙を私の旦那に渡しておくれ」
「一応言いますが、ご自身で渡しては?」
「もう、この病院から離れられなくてねぇ……」
「……そうですか」
老婆の言葉に、そう返し、手紙の宛名を見る。
古式ゆかしい男性の名前に、奈良県の住所。
奈良かよ……
ウンザリしながら老婆に振り向き文句を言ってやった。
「あのですねぇ…… 少しは私の都合の事も――」
そう言うが、そこには老婆は居なかった。
全く、言いたい事を好きなだけ言って、頼み事を勝手に押し付けて消えやがったぞ、あの幽霊老婆。
まったく、どいつもこいつも、なんで死んだらこんな自己中になるんだよ。
ほんと、あのチトセですら、俺に一言も言わずに成仏しやがって。
一言ぐらい、あってもよかったじゃないか。
手に残った手紙を眺める。
しかたねぇな……
○○
一人暮らしの休日は長いもんだ。
あの病院を退院し、会社に出社して初めての休日。
本来は今日はゴロゴロとベッドで寝てるつもりだったが、いかんせんやる事があるのだ。
机に置いたままの老婆の手紙を眺める。
まあ…… あの老婆に頼まれたんだ。
「まったく、仕方ない。お前の為に、せっかくの休日を潰すんだ。少しは感謝してくれよ」
どうせ誰も聞いても居ないだろう独り言を放ち、乱暴に手紙を握って鞄の中に入れる。
財布を鞄の中に入れ、鍵を持つ。
そろそろ寒くなってきた頃だから、上着もいるだろうな。
準備が終わり、玄関で靴を履いて扉を開けた。
外は快晴、まったくもって旅行日和だな。
徒歩で駅に向かい、電車に乗る。
そこから新幹線に乗り換え、奈良に向かった。
新幹線の窓から見える景色は、いつも見る町の風景とは違った景色。
チトセ、君と一緒に、こんな景色を見たかったよ。
そんなこんなで到着するのは京都駅。
無駄にデカい京都駅の迷路に迷い込み、なんとかして奈良線の電車に乗り換える。
まったく、何が古都だよ。
なんだよあの馬鹿でかいホームは…… ほんと京都駅は意味不明すぎるだろ……
そんなこんなで奈良に着いた。
鞄から手紙を取り出し、住所を見る。
今すぐ、この住所に向かっても良いのだが…… せっかくだ、奈良観光と行こうじゃないか。
○○
色々と奈良観光をしていたら夕方になってしまった。
奈良公園で最後の鹿せんべいを群がる鹿に与えつつ、住所をスマホに入力する。
その入力した場所には、居酒屋が有るみたいだ。
そう言えば、あの老婆は旦那が居酒屋を営んでいると言っていたっけな。
鹿せんべいが無くなり、周りの鹿たちは俺が鹿せんべいを持ってない事を察すると、お前にはもう用が無いと言わんばかりに俺の元を去っていく。
ほんと、鹿の癖に現金な奴らだな。
スマホのナビを頼りに、その住所に来た。
奈良公園から徒歩で来れる距離だったから歩いて来たが、それでも結構歩いた。
全く、見ず知らずの老婆の為に、なんでこんなしんどい思いをしないといけないんだよ。
そんなわけで目の前の小汚い居酒屋を見る。
青い暖簾がついた木造の店。
どこにでもありそうな、昔ながらの個人営業の居酒屋だった。
ガラガラと引き戸を開けて中に入る。
老爺の亭主の声が響く。
「いらっしゃい、何名様で?」
俺を出迎えた老爺の亭主は優しそうな人だった。
そんな老爺の亭主に、手紙を見せた。
「これをお届けにまいりました」
「あれ、郵便屋さんだったか?」
「まあ、そんなところです」
そう言って、老爺の亭主は手紙を受け取り、宛名を見て驚いた。
それはそうだ、今は無き妻からの手紙だからな。
驚きの表情で俺を見てくる老爺の亭主。
そんな老爺の亭主に、事の顛末を説明する。
最近に交通事故で彼女を失ったこと、その病院で老爺の亭主の妻の幽霊に出会って手紙を受け取ったこと、今日ここへ手紙を渡しに奈良まで来た事。
最後まで聞いた老爺の亭主は、目を伏せた。
そして静かに言った。
「まったく、死んでも誰かに迷惑をかけやがって……」
そう言うと、老人は申し訳なさそうに俺を見る。
肩をすくめる俺に、軽くため息をつき老爺の亭主はカウンターの席に俺を案内しだす。
「……まあ、座ってくれ。一杯ぐらいおごるよ」
「ありがとうございます」
老爺の亭主に、そう返してカウンターの席に座る。
俺が座ったのを見て、老爺の亭主は生ビールを出してきた。
その生ビールを一口飲むと、それを見ていた老爺の亭主は懐かしそうに話し始めた。
「ワシの妻はガンでのぉ…… つい去年の事なんじゃ」
「……そうなんですか」
「色々と他人に迷惑をかける困った妻だったが、まさか死んだ後も誰かに迷惑をかけるとはなぁ……」
懐かしそうに話す老爺の亭主。
老爺の亭主は目に涙を浮かべながら、昔話を続ける。
法隆寺でのプロポーズの話、その後の結婚式の話、それからの夫婦生活。
懐かしそうに話す老爺の亭主は俺に言う。
「お前さんも、つらい事があったみたいだのぉ」
「……はい」
「まあ、気を落とさずに、なんて言わんよ。でも、死んだ人は忘れんようにな」
そう言いながら、老爺の亭主は手紙を撫でながらしみじみという。
「死んだ人は、忘れられたら本当の意味で死んでしまう。わしも長くないが、それでも妻の事は忘れんつもりだ」
そんな老爺の亭主の言葉に、言葉が詰まった。
俺だって、チトセを忘れるつもりなんてないさ。
しばらく老爺の亭主の死んだ妻の話を聞き、居酒屋を後にする。
居酒屋の暖簾をくぐると、後ろから老婆の声が聞こえた。
「ありがとうねぇ……」
その言葉に振りかえると、病院で見た老婆が居た。
ほんと、もっと感謝してほしいよ。
誰かも知らない人の為に、ここまでしてあげたんだからさ。
その老婆の目の前を落ち葉が舞う。
うう、さむい。
もう木枯らしが吹く季節か。
老婆は言う。
「もうこんな季節だねぇ。そういえば若いの、お偉いさんに頼んだのさ、今日の夢を楽しみにねぇ。」
老婆が消える。
まったく、何が今日の夢を楽しみ、だよ。
そうして帰路に就いた。
その日の夜の夢は、あの世から降りてきたチトセと出会う夢だった。
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