エンシャルト 第2話

友好国のリシャルトから参列したのは国王とその愛娘、そしてその専属のガーディアンだった。リシャルトは平和な小国であるので、多くの護衛をつけない理由は察することができる。しかし唯一の護衛が二十中盤ほどの青年であったことには驚いた。しかも長髪で、それを無造作に一つくくりにしている。多少気遣う気持ちはあれどあまり格式高い場に慣れていなさそうな青年、というのがフランの素直な感想だった。

「ルナティア、そろそろ挨拶のお時間だ。準備はいい?」

隣の席に座るこれもまた友好国のハルシャルトの外交大臣は不思議そうな顔をして、そのガーディアンを見た。一国の姫に不敬も甚だしい。しかし国王さえもそれを許容しているようで、王女アルテアもいつもの事だというふうに澄まし顔である。しかも愛称で呼ぶ仲とは、他国の事ながら顔を顰めてしまいそうになる。

「リィン。着いてきて頂戴ね」

「仰せのままに」

わざとらしく恭しいお辞儀をしたのはリィン=ルトーラ・エストワールというガーディアンだった。彼の本職は王族の護衛などではない。全ての人形師と繰り手、それだけではなく全ての人間を破壊することのできる王玉が眠るリシャルトの「洞窟」を護る、れっきとした「ガーディアン」であった。ガーディアンは殺伐としてはいるが完全実力性であり、実力のないものは落とされる。タロットの大アルカナから取られた役職を持ち、リィンは最も強い太陽の正位置に就いている。正位置か逆位置かというのは魔力が決めることであり、王玉次第というところもある。つまりリィンは強い武力と魔力、そして王玉に愛された戦士なのだ。

だからリィンは誰に何を言われようとなんとも思わなかった。そもそも洞窟を護る人間だ、陽の光を浴びて活動できるような者ではないと諦めるように常日頃から卑下していた。

「しかしお姫様、こんなすごい場所に来るのは俺は初めてですよ」

無敵の戦士も慣れない場所では緊張するらしい。何度も髪を撫でる仕草をして、多少は可愛らしいところもあるものだとアルテアは微笑ましかった。

「そうね、でもわたしといたら今後も来ることはあると思うわ。空気も、身分の高い方々の顔と名前も、そして気をつけるべき人も。覚えて帰ってね」

気をつけるべき人。それは超大国アルトスティンの人々の話でもなく、今回の主役である新郎新婦でもない。アルテアは事前に話す時、眉根をひそめて小声でリィンに囁いた。まるで、城の周りを飛び回る鳥たちや機嫌よく葉を鳴らす木々たちをも警戒するかのような様子だった。 一番怖いのは、王族ではなく神族よ、と。


リィンはこの城に来るまで十年地下で王玉を護り続けた。十年間、己とその技術のみに向き合い続けた。だから、俗世のことには全く疎く、地上に上がった時の太陽の光さえ初めて見るような気持ちになっていた。日光さえ忘れてしまう永い暗闇の前の知識を手繰り寄せると、神族とはこの我々の住む惑星を造り上げたとされる「神」の末裔だった。海を無から生み出し、粘土のように土地を練って、そして我々人間にも息を吹き込んだ。物語の世界だとさえ思っていた神族が今も続いていること、そして現実の世界で力を持ち続けていることにリィンはいまいち理解が及ばない。

「アルカナ様は、今やこの世の誰よりも偉い。人の命どころか国家を消すことなど指一本でできるの。彼女の動きには気をつけて」

「一体どんな人間をいろんな国の大人たちで祭り上げてるんですか。神の末裔というだけでしょう。しかも女性。何ができるんですか」

「神様の力ことはわたしにはさっぱり。でも、見た目で舐めてかかってはダメ」

アルテアはあまりこれについて言及することさえ良くないと思っているらしい。浅く首を振るともうこの話は終わりだという風に紅茶を口に含んだ。リィンは主にこれ以上なにか尋ねることはしなかったが、依然謎は深まるばかりだった。


実際エンシャルト王国に初の護衛の仕事として来てみれば、どの人間がどれほど偉いか、どれほど強いかはリィンにとっては簡単に察することができた。陽の光を浴びてぬくぬくと生きていた人間には、わかるまい。魔法によってつくられた永遠に消えない火の光がいくつか、勿論地面などよく見えることは無い。王玉は光に当たることが許されないのだ。しかし、リィンたちガーディアンには「見え」ていた。風の動き。相手の気。響く音。それだけで、暗闇に生きることを決めて選ばれた戦士たちには充分だった。こんなにも全てが明確に見える世界で、リィンは何にも負けることは無いと思った。

刹那、空気が重く、風の機嫌が変わったのを感じた。空気は淀むわけではないし寧ろ良い魔力を持つ人間がいるとき特有の、浄化されたそれであった。しかし、心臓が震えるような、動物としての本能を揺さぶり警戒心を強めさせるような空気が一瞬にして充満したのだ。

「神族、アルカナ・クローズ=ルシファーさまの御成です」

エンシャルトの大臣が大きな声を張り上げた。 アルカナ。その名前にリィンは興奮を覚えた。昼間の道を堂々と歩く者にこの異様な雰囲気が出せるとは、アルテアがあんなにも気まずそうに名前を呼んだだけある。ひと目見ようと入口の方を眺めた。多くの貴族がサンルームに続く広いレッドカーペットから退き、男も女も皆深深と頭を下げる。その奥から歩いてくるのは、宝石のように美しい女だった。高身長で、すらりと長い手足を見せびらかすかのようにモーションを繰り出し、ゆっくりこちらへと向かってくる。まるで絵画のようなシチュエーションだ。前下がりのショートカットヘアは銀色で、この部屋に差し込む全ての光を反射しているようだった。紫と黄色のオッドアイは奇妙なまでに整った彼女の容姿を神秘的に仕立てあげていた。弧を描く薄い唇と高く彫りの深い鼻は、確かにどの民族の特徴とも似つかない。いや、特徴を捉えるのが難しいほどに難のない美しさがあった。成程、神族というのは最も神に近い人間と聞いていたが、人間であるかも怪しい。

「あっは、いいよ、みんな頭上げて。僕はフランのお嫁さんが気になってきただけなんだから」

発された声は確かに少女のもので、抑揚もある、表情もある、良くも悪くも普通の人間のそれである。リィンはさらに薄気味悪いと思った。青い軍服のようなコートは金の刺繍が全体に入っており、現世に疎いリィンにも高価なものだと判った。この数秒だけで「格」を見せつける少女は確かにここにいる誰よりも選ばれた人間に違いなかった。

「リィル、下がりなさい」

か細いが真剣な声でアルテアが服を引く。あまりに夢中になってリィンだけがカーペットの上にいたらしい。アルテアの少し前、何かあったとしても彼女を守れる位置に下がり、左手で彼女のふわふわと膨らむスカートに触れるようにしてガードをかけた。

「アルカナ様!お着きになる前に声をかけてくださいとあれほど申し上げましたのに」

レッドカーペットを走って行くのはこの国の王子、この会の主役らしかった。フランの焦り様は面白いほどで、花嫁も放って王子自ら走り出すとは不思議な光景であった。

「いや、主役を僕の迎えに来させるわけにはいかないだろ。君を祝うために皆があつまった」

フランは跪き、白い手袋越しにアルカナの手に口付けを落とす。

「お会いできて本当に光栄です。せめてここからお席まで、僕に案内させてください」

アルカナはそれ以上何も言わず、フランに手を取られてこちらへ歩いてくる。高貴な振る舞いが様になる二人だと感心したら、アルテアは拗ねてしまうだろうか。しかし妾の娘であり子どもの頃は街の庶民と混じって暮らしてきたアルテアの清貧さはどうしても彼等に並びようがなかった。最も、リィン自身はアルテアのそのさっぱりとした気取らない部分を好ましく思っているのだが。

歩みを進めるのも高貴な人達は遅いらしい。演劇にでも見えるフランとアルカナを眺めているうちに、リィンは最初に感じとった異変を忘れてしまいそうになる。

「あら、珍しいお顔」

芝居がかった仕草でアルカナはアルテアの真横まで来ると立ちどまり、顔を覗き込んだ。アルテアではなく、リィンを、だ。目線の高さはリィンより若干低いが、それを感じさせない存在の圧があった。

「リシャルトより国王である父と参りました。アルテアと申します」

アルテアが頭を下げる。王族がこんなにも頭を下げるものなのかと意外に思うが、彼女がきっと特別なのだろう。特別な彼女はアルテアを一瞥するとやはりリィンに目を合わせる。

「リィル。後で僕と二人で飲もう。約束ね」

リィンは目を見開いた。その愛称を、どうして彼女が知っているのだ。

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