2-3 責任を負わされない人生が、幸せとは限らない

翌週、エイドはラウルド共和国の領地に馬車で移動していた。

当然だが、ラウルド共和国に行く予定が決まったばかりの未夏はまだ出立すらしていない。彼女が到着するのは来月の予定だ。



(ラジーナ……いよいよ、あの女に会うのか……)



前世で彼女に冷たくあしらわれた記憶、そして暴徒を送り込まれた記憶を思い起こし、エイドは怒りと憎しみに身体が震えた。


今世でもラジーナの部下である『英雄』達の手によって、多くの顔見知りが命を落としていった。これについては彼女が直接手を下したわけではないし、これは戦争だから仕方ない。だが、そうだと言って簡単には割り切れない。



……だが、それ以上にエイドも、軍を指揮して彼女の部下を何人も殺してきた。

きっと彼女も、自分を憎んでいるに違いないとエイドは確信している。



(俺が前世で彼女に嫌われたのは、当然の報いだ……。だが、今世では……どんなに嫌われても、俺はラジーナに尽くす……命に代えても戦争はもう起こさせない!)



自分の身体を差し出したミモレ、自分を信頼してくれた親友テルソス、そして自身を守るために戦い、身代わりとして傷つき死んでいった将兵のことを思い、惚れ薬を大量に取り出し、一気に服用した。



「さて、つきました。エイド様」

「ああ……」


御者はそうエイドと、その使用人たちに声をかけた。

そしてぽつりとつぶやく。


「……前世での失敗は今世でこそ取り返しましょう」

「ああ。……お前を見習うよ。……よくやってくれた」



前世でこの御者はモンスターに遭遇し、ラジーナへの献上品とともに帰らぬ人となった。これもまた、両国間の関係が悪化したした要因の一つだった。

だが今世では、そのような失敗は繰り返さないようにと鍛錬を続けていたのだろう。




……その、名もなき御者の進んできた馬車の後ろには、おびただしい数のモンスターの死体が転がっていた。その中には、ヴァンパイアやオーガなどの強敵も含まれている。




輿入れ前のエイドや、そのおつきのものを万一にもケガさせるわけにはいかないため、彼らはすべて御者が一人で仕留めたものだ。だが、彼の右目には大きな傷がついており、生涯開くことはないことは明白だった。



「ご武運を祈ります。……オルティーナ様のために」



御者は、ゆっくりと歩いていくエイドに対し、そうつぶやいた。






「はじめまして、エイド。私がこの国の代表、ラジーナですわ?」

「はじめまして、ラジーナ様。エイドと申します」



彼女はこちらに対して初対面だが、エイドにとっては何度も前世で顔を合わせている。



(やはり……俺のことを憎んでいる眼だな、あれは……)



エイドはそんな風に思いながらも、彼女の顔をじっと見つめた。



「あら、私の顔が気になりますの?」

「……そ、その……すみません……。あなたに見惚れてしまったみたいです……」



ラジーナは勘が鋭いので、演技による言動などすぐに見抜ける。

また、いわゆる『歯の浮くようなキザなセリフ』は却って嫌うことも前世での経験からよく知っている。


……だからこそ、大量の惚れ薬で『本当に彼女に見惚れる状況』を作り上げた。

実際彼女は、それを本心だと思ったのだろう、少し嬉しそうに答える。



「あら、嬉しいですわね。……けど、あなたは所詮人質。私を愛したところで、用済みになれば処刑される身ですわ?」

「存じております。……ですが、それとあなたが美しいと思うことは別問題です。どうか、あなたのために力を振るわせてください」



エイドは『本心から』そう答えた。

無論これは惚れ薬の力で、彼女への憎しみを抑え込んでいるからだ。



(うん……ラジーナ……いや、ラジーナ様はとても美しい、そう見える……。未夏には感謝しないとならないな……)



自分の思考というものは、必ず言葉や態度に現れる。

そのため、彼は自身の心の中でも『ラジーナ様』と敬称を付けて呼ぶことを心がけるようにしながらも、そう思った。


(この胸の高鳴りは『作られたもの』だけど……それでも、ラジーナ様が喜ぶなら、それで十分だ……)


そして、ラジーナの前に跪き、その手を取った。

……だが、その様子を群衆は冷ややかな眼で見ている。


「ちっ……あの婚約者が聖ジャルダン国の貴族様かよ……」

「私の息子は……あいつらに殺されたのよ……」

「停戦なんて俺はごめんだ。……仲間の仇を取りたい……」



そんな声がひそひそと聞こえてきているのを感じた。

これは当然のことと思い、エイドは気にせずに馬車に乗り込むが、その時にラジーナが申し訳なさそうに小声で耳打ちした。



「すみませんね、やはりあなたのことを快く思わない群衆は多いので……」

「え? ……いえ、あなたにそう心配していただけるだけで、私は嬉しく思いますので」



あらかじめ用意しておいた回答だが、エイドはそう答える。

むろんこれは同じく転生者である、使用人の指導でもある。


そしてラジーナはそっと手を握ってつぶやく。


「エイド、あなたは私と外では常に行動を共にしてください。そうすれば……危害を加えることはしませんから」



だが、エイドは自身と握っていないほうの手を見つめた。

……ラジーナの拳は強く握られ、震えていたのを見て、少し意外な気持ちになった。


(ラジーナ様は……前世では単なる『冷血の淑女』としてしか見ていなかったけど……本当にそうだったのか?)



無論、これ自体が演技でポーズであるとも解釈できる。

だが、少なくとも彼女が自身のために怒ってくれているのは悪い気持ちにはならない。


そう思うエイドとラジーナを乗せ、馬車は宮殿まで走っていった。







そして、宮殿について荷下ろしを終わらせた後ラジーナは少し申し訳なさそうに答える。


「すみませんが、エイド。私は所要があって、明日は夜明けから3日ほど家を明けますわね。……今夜はあなたの寝室で休むようにしてくれればいいですわ?」


この言葉は言外に『今夜はお預け』という意味を持つことは明らかだ。

……まあ、この世界で「突然寝所にお邪魔する」なんてことを家臣たちが許すわけがないのだから当然なのだが。


だが、エイドが気になったのはそのことではない。自身がその所要に同行しないことについてだ。



「え? ですが、私もラジーナ様に同行する必要があるのでは?」

「それには及びませんわ? ……エイド、あなたは屋敷にいるほうが安全ですから」

「は……はい……」



確かに、今の情勢で外に出るのは危険なのはわかるが、どこか納得いかないものを感じた。

さらにラジーナは続ける。



「それに、あなたに仕事をさせる気はありませんわ? 社交界など伴侶が必要な場にだけ出ていただければ構いません。あなたは、ここでゆっくり遊んでいただいて構いませんことよ?」

「……いいのですか?」

「ええ。あなたの仕事は……私を愛すること、そして私と子作りをすること。この二つだけです。後の時間は遊んでいて構いません。殿方にとって、それ以上素敵な環境はないでしょう?」

「……ええ……」




無論、彼女の本心は分かっている。

彼女はまだ、エイドのことを国内の内情を探るスパイだと思っている。……まあ、前世では実際そうだったのだが。


だから『遊んでいていい』という名目で国政に関わらせないようにしているのだ。

「ラジーナを愛する」というのも、要は『自身を裏切るような真似さえしなければいい』という意味だ。そんなことも分からないほど、子どもではない。



「はい……」

「それでは下がりなさい。あなた方も今夜はゆっくりお休みくださいませ」


そう、彼女は数人のおつきのものに伝えた。

その発言から、ラジーナは完全にエイドのことを「夫」ではなく「お客様」と考えているのがわかる。



……だが。


(それでも、俺は……ラジーナ様のために出来ることを探さないとな……。この気持ちは『偽物』なのは分かってるけど……)


「あ、あの、ラジーナ様! 明日は朝、早いんですよね?」

「ええ。朝の4時には出立します。目的地に夕方までにつきたいですから。あなたは寝ていて結構ですわ?」

「いえ、見送らせてください! ……それと、その……明日の朝、私の手でランチボックスを作らせていただけませんか?」


当然花婿修行として四季折々の料理……家庭風の料理から宮廷料理のような豪奢なものまで、エイドは叩き込まれている。



だが、ラジーナは首を振る。


「結構です。あなたの手を煩わせるのは心苦しいもの」



彼女が断るのは当然だ、とエイドは思った。

ラジーナは、まだエイドのことを信頼しているわけではない。一服盛られる可能性を否定できないのは当然だ。


エイドは残念そうにしながらもうなづいた。


「それではごきげんよう、エイド」

「……ええ……」



そしてこれも、惚れ薬の効果なのは分かっているが、ラジーナが振り向いた瞬間、もう少しでいいから彼女と見つめあいたい、という欲求にかられた。


だが、すぐにその思いはかなぐり捨てた。


(何言ってんだ。……それで彼女に嫌われたらおしまいだ。何より、俺はもう自分の欲求は捨てると決めただろう?)



そう思ったエイドは、さんざん練習した完璧な作り笑いをして、答える。


「ええ、明日はお気を付けください、ラジーナ様」

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