第36話 蒼天の先は見渡せず
地平線の先まで、草原が続いている。
コロンと見た時、地面からでも地平線の先を見通せなかったが、この町で一番高いところまで登ってきても見通せないのか。
俺は現在、この町の全てを見渡せるほど高い場所、鐘塔の頂上にいた。
俺がこの町に入った門から、石畳の道が伸びている。
その道から数十メートル離れたところに、馬車がぽつんと止まっていた。
あそこにコロンがいるのだろうか。
それにしてもこの、遠くまで見渡せるような景色は、学校の屋上を思い起こさせる。
命を絶ったあの日から大きく変わった。
まだ数日も経っていないのに、ただ無為に虐げられる毎日と比べて濃密な時間を過ごせたからか、何週間と経っているように感じる。
俺は、自殺した日の夕日のような色の鐘に手をやった。
優しく触れながら、左右にゆっくりと動かしてゆく。
放課後の夕日に揺れるブランコのようにだんだんと揺れが大きくなっていき――
ゴーン、ゴーンと鐘の音がチリジンの町に鳴り響く。
メトロノームのように規則正しく鳴っていた鐘の音は、やがてその音と音の間にも鐘の音を響かせ、乱れ鳴る。
町の様子はどうなっているのかと、塔の上から町の様子を見下ろした。
野菜や肉を売っていた露店の人間たちは急いで、しかし竜巻は何度も経験しているのか慣れた手つきで店じまいをしていく。
道を友人や恋人と歩いていた人間たちは鐘の音に驚いた様子だった。しかしすぐに気を取り直した様子で、避難の案内を始めた兵士に従って道を歩いていた。
カフェテラスでティータイムを楽しんでいた人間たちは、飲みかけの紅茶はそのままにクッキーやらフィナンシェやら焼き菓子を布で包み鞄に入れると、シェルターへ向かって歩き出す。
そして段々と人影が無くなっていった。
誰かが忘れた帽子が地面にポツンと取り残され、慌てた誰かが落としたアイスクリームが溶けて地面を伝っていく。
人の気配が一切無くなったのを確認すると、俺はコロンがいるであろう馬車を見つめた。
するとノロノロとだが動き出し、こちらに向かってくる。
コロンには、鐘を鳴らしたらこの町に来るように伝えてあった。
町に人間が居なくなるためコロンにも来られるだろうと思ったのだ。
これからの準備には、どうしても俺だけでは手が足りない。
コロンにも手伝ってもらう必要があった。
もちろん難しい様なら1人でやることも考えたが、馬車に乗ったコロンがこちらに向かってくるのを見ると、その心配はなさそうだ。
俺は来てくれたコロンを迎えに行くため、鐘塔を降りていった。
馬車が街道に沿ってゆっくりとこちらに向かってくる。それを操縦するのは、何かに怯えるようにきょろきょろと辺りを警戒するコロン。
と、その視線が俺をとらえた瞬間にほっとため息をついて、馬車のスピードを上げた。
そして俺の元に到着すると、馬車を飛び降りて駆け寄ってくる。
「あ、アストマさん。えと、来ました」
「ありがとう。……大丈夫か? 無理してないか?」
「えと、大丈夫、です。アストマさんがいる、ので。それに、アストマさんは、人はいないって、言いました」
「ああ、今は地下のシェルターにいる。暫くは地上に上がってくることはない」
「し、しばらくですか? じゃあ、時間がたてば戻ってき、ますか?」
コロンは己の片腕を抱きながら、町の中を伺いながら聞いてくる。
「ああ。ただ鐘を鳴らしただけだから、竜巻が来ないと分かればすぐにシェルターから出てくるだろう。だからそれを阻止しなくてはいけない」
言いながら、俺は鞄から一枚の紙を取り出した。
「これはシェルター設計図だ。シェルターの構造が載っていて、出入口や通気口の場所なんかも載っている。これに従って出入口を塞いでいけば、人間はもう出てこられない」
「お、おお。凄いです。ですが、つうきこう? ってなんですか?」
「通気口は空気の出入口みたいなものだ。地下シェルターは周囲が土で覆われているから、空気の入れ替えができない。だから、通気口を使って空気を循環させている。それも一緒に塞ぐ」
「えと、シェルターの中に毒を撒くから……ですよね」
「ああ。だが、出入口に通気口となると結構数が多いな。ここは手分けして――」
「……っ!? ……っ。……っ」
コロンは頭をバッと上げて、俺に抗議するように首を横に振る。
「あ、ああ。そうだな。1人はやはり難しいよな。よし、一緒にやろうか。その方がひとつひとつの時間もかからないしな」
コロンはこくこくと頭を縦に振る。
「それじゃあ、時間もないし早く始めようか」
「は、はい」
イメージでは、家の扉を釘と板で塞ぐようなものを想像していたのだが。
「鉄……だな」
「はい……」
俺とコロンは釘と木の板を抱えながら、シェルターへと続く扉の前に立ち尽くしていた。
竜巻に負けないようにか、扉どころかその扉枠までもが鉄でできている。試しに釘を打ち付けてみたが、傷が僅かに付くくらいで穴を開けることは叶わなそうだった。
「えと、ちょっと待っていて下さい」
そう言うと、コロンは鞄から鉄の塊を取り出して馬車の中へと入っていった。
そしてしばらくすると、馬車の中から四角い小さな物体を取り出して、それを外に置く。
コロンはその中に鉄の塊を入れて、下側に開いている穴に火を点けた。
「それはなんだ?」
「えと、炉です。これで、鉄を溶かします」
炉が段々と赤くなっていき、熱を持ち始めたことが分かった。
上から中を覗き込んでみると、鉄が段々と溶けていくのが見える。
「いつも、これで簡単な道具を、作ってます。アストマさんが、えと、持っているその釘も、実は私が作ったもの……なんですよ?」
「へえ、そうなのか」
改めて釘を見てみると、手作りだとは思えないほどにまっすぐに伸び、先はレイピアの様に尖っていた。
「商品みたいに美しいな。コロンさんは凄い」
「い、いえ。ドワーフに教えてもらったので。その人のお陰です」
コロンは少し頬を緩ませながら、厚手の皮で出来たミトンを装着する。
そして炉から溶けた鉄の入った、不透明のビーカーのような形状の容器を取り出す。
鉄は赤く発光していて、容器の中でマグマの様にドロドロとしていた。
コロンはそれを持ち扉の前へと移動すると、扉と扉枠の間に鉄を流し込んだ。煙を立てながら流れていく鉄は扉の温度で冷え、固まっていく。
「こ、これで開かないはず、です」
「お、おおっ。凄いなコロンさん。そんなことも出来るのか」
「い、いえ。ただ鉄を溶かして埋めただけ、ですよ……?」
「いや、俺ではこんな方法は思いつかなかった。コロンさんは鍛冶の達人だな」
「た、達人……じゃ、ないですよ。これくらい、アストマさんにも出来ます。……えと、次、行きましょう?」
「ああ、そうだな。えっと次は――」
「ここで、最後だな」
「は、はい」
通気口は必要最低限酸素が確保できるように数個残し、それ以外をすべて塞いだ。
シェルターへと続く出入口は、これで最後。
「ひとつ、聞きたいんだが」
「なんです、か?」
「コロンさんは人間に酷い目に遭わされたと聞いたが、俺がこれからすることには賛成か?」
「……アストマさんが、この町の住人に、毒を撒くこと、ですか?」
「ああ」
「……アストマさんは、エルフの村のために、この町の住人を懲らしめようとしています。それは、正しいことです」
「だが、人間とはいえ命を弄ぶような行為だ」
俺はコロンの顔を見るのが怖くて、顔を背けた。
俺がこれからすることは、エルフの村から食料を奪いのうのうと過ごす人間に、痛みや苦しみを分からせるためのものだ。
しかしコロンには、シロをいたずらに殺した人間の様に、俺が命で遊ぶような人間だと映るのではないだろうか。
コロンは、今までで初めて俺のために行動を起こそうとしてくれた存在だ。
怖いだろうに、俺の代わりにチリジンの町に行こうとしてくれたのだ。
そんなコロンに、俺は――
「コロンさんは、俺が命を雑に扱うようなことをして、幻滅……しないだろうか」
「……幻滅は、しないですよ。そもそも、命を、弄ぶとか、雑に扱うとか――」
コロンは光を失った瞳をこちらに向ける。
その顔は、吸い込まれそうなほどに深いコロンの心の闇を反映しているかのように……昏く。
「どうでもいい、です」
その言葉は、ずっしりと俺の心の中に入り込んだ。
その昏さは、命についての問い。その答えにたどり着いた者が見せるもの。
俺は、虐げられる毎日の苦しみから解放されるために、肉体と精神の死である無を望んだ。
コロンは、どんな答えを見つけ出したのか。何があって、何にたどり着いたのか。
俺はそれが気になった。
しかし、それを知るには、コロンの心を閉ざしているものをどうにかしなくては。
扉を塞ぐ作業をしている時、コロンは人間がいきなり現れないかと、辺りを不安げに見渡していた。
チリジンの町付近に訪れた時、馬車が近づいてきただけでコロンは体を震わせていた。
そして俺が目覚めたラファエルの集落で様々な種族に囲まれた時、コロンは体をうずくまらせていた。
――コロンの、人間への恐れをこじらせた、人全てに対しての恐怖。それを取り除く、もしくは和らげる必要がある。
しかし、どうでもいい、か。
コロンの放った言葉に、俺は触れなかった。
触れないようにした。
その思考は、彼女なりのたどり着いた答えなのだ。
それに否定肯定問わず軽々しく触れることはためらわれた。
俺が苦しみから逃れるために死んだことを、他人からとやかく言われたくないのと同じように。
代わりに俺は、鞄から毒の入った小瓶を取り出して問いかける。
「……とりあえず、俺はこれからこのシェルター内に入る。コロンさんはどうする?」
「あう……えと、1人は怖いです。でも、人がいっぱいいるところに行くのは。…………あの、ここで、待ってます」
「そうか。じゃあコロンさんはどこかに隠れていてくれ。静かにしていればばれることはない」
「……はい。あの、また、まかせてしまって、ごめんなさい……です」
「大丈夫だ。コロンさんが造ってくれたこの機械の体のお陰で、人間のもとにいける。コロンさんは十分頑張ってくれている」
「あ、ありがとう、ございます……」
「それに、扉を塞ぐのを手伝ってくれた、というよりほぼ1人でやっていた。疲れただろう。休んでくれてかまわない」
「は、はい。じゃあ、アストマさん。お気を付けて、です」
「ああ、ありがとう」
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