第35話 もしもあの時

 隊長が、隊長の姿をした偽物の首を切った。

 偽物の首は面白いほどに弧を描いて地面に激突する。

 僕はその光景を見て、やっぱり隊長は隊長なんだ、隊長があんな卑劣な手を使うやつに負けるはずがないと、歓喜に震えた。

 僕はあの偽物に人質に取られていた時出来た首の傷を撫でながら、雄たけびを上げようと剣を握りしめ――

「俺が、首を切られただけで死ぬとでも?」

「っ?」

 心臓を撫でられたような低い声が響いたかと思うと、膝をついて死んでいたかと思われた偽物が、まるで獣のように隊長に飛びかかった。

 殺したと思っていたのは隊長も同じだったようで、目を見開くことしかできずにそのまま馬乗りの状態となる。

 切られたはずの首からは血液の一滴も流れていなかった。

 人の姿をしながらも、無機物にも見えるその不気味さに、僕は思わず肌をさすった。

「くっ……そ、放しやがれっ……」

 ――あれ、僕が隊長に変な液体を飲ませてしまったから、あんなに動きが緩慢に? 僕のせい? で、でも、やらなかったら偽物に指先を……っ。僕はどうすればよかったんだ。

 と、とにかく隊長を助けないと。そう思い、僕は地面を蹴って――

「ぐぅぅぁああぁぁっ!」

 隊長の腹に響くような悲鳴が聞こえて、思わず足を止めた。

 偽物が隊長の手を、まるで地面に縫い付けるようにナイフで突き刺していた。

「誰も動くな。この隊長の命が惜しいならな」



 マヒ毒が効いているのか思うように力が出せない様子のケットに馬乗りになった状態で、俺は小声で話しかける。

「おい、あの鐘塔はどうやって開ける? 鍵があるというわけでもないんだろう?」

「……へっ。だれが、お前なんかに――あぐぅぅっ!」

 俺は手に突き刺していたナイフをえぐりながら。

「これ以上痛い思いはしたくないだろう? 早く吐いたほうがいい。楽になるぞ」

「こんな、痛み。何度も経験してきた。……っ。耐えられないほどじゃあ、ねえな」

「そうか。……ときに、お前の隊長という職はもう失うのかもしれないな」

「なん、だと?」

「お前の言う、剣の使い方もままならない奴に負けたんだ。目撃者も多い。それにお前の力不足で、町民の安全が脅かされたんだ。これは責任を取って辞職だろうな」

「……辞職?」

「ああ。隊長が、ただの人に負けたんだ。負けた奴がこの町を守れるなんて、町民の奴らは思うかな? 俺だったら思わないな。そんな奴はすぐに解雇だ。これからは、敗戦の元隊長として生きていくんだな」

 告げると、ケットは奥歯が嚙み合わない様子でかちかちと鳴らし、掌に突き刺さったナイフを恐る恐る見る。

 普段のケットにこんなことを言っても、聞く耳を持たなかっただろう。

 だが、痛みというのは感情をおかしくさせる。

 いつも体のどこかしらが軋んで痛んでいた前世。

 きっとその痛みがなければ、虐げられる現状を受け入れなかっただろう。

 しかし、痛みによって思考はマイナスなものへと引っ張られていく。

 逆らったらさらに痛みが増すかもしれない。傷が増えるかもしれない。

 痛みが恐怖を呼び寄せるのだ。

 そしてそれはケットも同じだったようだ。

「いや……いや、そんなはずはない。もしそうなったとしても、誰かは証言、してくれるはずだぜ。いや、させる。足を引っ張った奴……そう、新人が裏切ったせいで負けたと。そうだ、そうすればしょうがない」

「お前は、どれほど部下に慕われているんだろうな。普段の自分の行いを思い出してみろ。厳しいことばかり言っているんじゃないか? 挨拶をろくに返しもせずに、適当に流しているんじゃないか? そんな皆から嫌われている隊長が失脚するチャンスなんだ。皆はどう動くかな?」

「くそっ……」

 自身がどういうふるまいをしているのか心当たりがあったのか、ケットは苦い顔をする。

「だが、もしもお前が鐘塔の中に入る方法を教えてくれたのなら、俺が負けたとすることも出来るぞ。ただここから走って逃げだせば、周りにいる新人の兵士たちは、お前が俺を退けたと思うだろう」

「……教えれば……。それだけでいいのか?」

「ああ、そうすれば解放する」

「わ、わかった。くそっ。教えてやるよ」

 ケットは半ばあきらめたように地面に頭をつけて話し始める。

「あの扉は、遠隔操作だ。詰所の隊長室、そこの本棚にボタンが隠されていて、それを押すと開くようになっている。前は鍵だったんだが、馬鹿な兵士がその鍵を盗まれたことがあって、部下に鍵を持たせるのは信用ならねえと思って変えた」

「ふむ。もし嘘をついていたのなら、もう一度お前の前に現れて、今度は町民の前で敗北を晒してやるからな」

「う、嘘はついてねえよ。だから、はやくこのナイフを抜いてくれ。痛えんだよ」

 大切な情報を言ってしまったと、自棄になった様子のケットの掌に刺さったナイフ。それをさらにえぐるようにぐりぐりと動かす。

「うぐっぁああっ! なにしやがる! 言っただろ? 約束と違うじゃねえか!」

「俺が、エルフさんたちから食料を奪い取った奴を許すと思うか?」

「な、なんのことだ?」

「エルフさんたちから話は聞いている。お前が食料を奪い取ったとな。そのせいで、エルフさんたちは今飢えに苦しんでいる。そんな奴、生かしておく必要もないだろう」

「くそっ……復讐かよ……」

「復讐? ――いや、これは矯正だ」

 俺は掌を痛めつけていたナイフを勢いよく抜く。

 血しぶきがナイフに絡まってその場を濡らす中、俺はそのナイフを、痛みにしかめた瞳に向かって振り下ろした。

 何かを言おうとしたのか口が僅かに開かれたまま、ビクンと体が大きく跳ねて、それを最後にケットの動きが止まった。

「己のことばかりで、他者を虐げる人間が……」

 俺は血涙を流すケットの瞳からナイフを抜き取る。

 俺は近くに転がっていた俺の頭を抱えると、改めてケットを見やる。

 だらしなく地面に転がるケット。

 手や頭からはとめどなく血が溢れていて、体はおかしいくらいにぴくりとも動かない。

「なんだよ。……こんなことで人間は死ぬのか」

 今まで「僕」が悩んでいたことはなんだったんだ。

 親に逆らったら虐待される? クラスメイトに逆らったらもっと虐げられる?

 ただナイフを一刺しするだけ。それだけであの辛い日々とはおさらばできたんだ。

 いつでも隙はあった。

 虫の声が鳴り響く真夜中の寝室、人の苦しみも知らずにのうのうと寝ているときに。

 授業開始の合図を知らせるチャイムが鳴り響いても、机に腰掛けながら楽しくおしゃべりしているその背後から。

 こんなに、簡単なことだったのか……

 嗚呼、嗚呼。

「嗚呼、今までどうして気づかなかったんだろう」

 ――もっと、もっと前世で出来なかったことを成すんだ。

 己の顔を鞄に仕舞う。左手にはナイフ。右手には大剣。

 視線を上げると、一番近くにはケットの死体を見て呆然と立ち尽くしている兵士の姿が。

 と、その兵士がこちらを向いた。その目線の先には、先ほどまではあった俺の首。

「ひっ……」

 小さい悲鳴をきっかけに、俺は地面を蹴った。

「う、うわぁっ!」

 背中を見せて、足をもつれさせながら走るその背に、俺は大剣で肩から腰を切り裂いた。

「はぐぅぅっぁあっ!」

 地面に激突するように倒れる。血が水溜まりのように広がっていくが、まだ息があるのか手を遠くへ伸ばして逃げようとしていた。

 俺は切り裂いた勢いそのままに、その兵士の頭を踏み潰す。

 ――無防備に布団の中で寝ていた両親も、こんな簡単に潰れたのだろう。

 轢かれたトマトのように頭がはじけ飛ぶのを尻目に、俺は次の獲物を探すために辺りを見回す。

「……見つけた」

「や、やめっ。来ないでくれ!」

 じりじりと後退しながら剣を構える兵士に向かって俺は駆けだすと、上段から大剣を振り下ろした。

 俺と兵士との間に火花が舞い、ぎりぎりと金属が押し合う。

 大剣の重さにもどうにかこらえているといった様子でぷるぷると腕を振るわせる兵士の脇腹を、左手に持っていたナイフで突き刺した。

「あがぁあっ!」

 腹を蹴り飛ばし無理やりナイフを引き抜くと、兵士は剣を明後日の方向へと投げ飛ばしながら地面に伏していく。

 どくどくと脇腹から血が流れ出ていくが、それを押さえようとするどころか、痛みに悶える様子もない兵士。

 光を失った瞳をただただ天へと向けていた。

 ――俺を蹴り殴ったクラスメイトも、ナイフを突き刺せば黙ったのだろう。

 蜘蛛の子を散らすように逃げる兵士たちを、俺は大剣を地面に落としながら見ていた。

 カランカランという思いのほかちゃちな金属音を聞きながら、俺は鞄から己の首を取り出す。

 これ以上は歯止めが効かなくなる。下手をすれば、この町の住民すべてを殺してしまう。

 俺は、人間を矯正しに来たんだ。復讐しにきたわけじゃない。

 前世で人間に虐げられたやり返しをしにきたんじゃない、決して。

 人間などいなくなっても構わないが、それでは女神の依頼を達成できない。つまり、俺の望みである無は叶わなくなってしまう。

 己を満たすのは、とりあえずはここまで。

 あとは依頼を達成するのみ。

 己の首をテープで応急処置的にとめ、傷口を布で覆い隠す。

 と、不意に視界が、画面が切り替わったかのように上昇した。

 視界があるところに手を当ててみると、顔の目がある辺りだった。

 完全に首と頭が繋がったわけじゃないが、これでも視界は元に戻るのか。

 ……たしか、俺の体は魔力で動いているとかなんとか言っていたな、コロンは。これも魔力の力なのだろうか。

 魔力とやらに驚きつつ、俺は鐘塔の扉を開けるためにこの場を離れた。

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