第33話 今度こそは
扉が乱暴に開かれ、受付の女性は隊長であるケットの姿を確認すると、不満げに頬を膨らませた。
「あ、隊長さん。話の途中だったんですから、いなくならないでくださいよー」
「あ? 何を言っているんだ?」
「何って、ジョンソン君ですよ」
「そんな奴のことは知らねえな」
「えー。ちゃんと話聞いてください」
「聞くって言われても、話されてねえぞ」
「はい? いやいや、さっき話しましたよ。隊長さんも新人さんが気になるんですよね」
「気になる? 別に。今回も普通のやつばっかだろ」
「えー? さっき気になる新人さんがいるって言って、出ていったじゃないですか」
その言葉を聞いて、ケットは今まで流すように聞いていた耳を傾ける。
「おい、さっき俺が出ていったって言ったか?」
「は、はい。忘れたんですか? 隊長室の鍵を借りた後に新人さんを見に202に行って、戻ってきたじゃないですか。その時に新人さんについて話しましたよ。で、私と話している途中に隊長さんが出ていってしまったんじゃないですかー」
話を聞いている内に、だんだんとケットの顔が険しいものになっていく。
「鍵を借りた……? おい、てか鍵を貸したのか?」
「え、はい。貸しましたよ。隊長さん、今日はもう休んだほうがいいんじゃないですか? きっと疲れて記憶がおかしく――って、隊長さん?」
ケットは顔色を変えて廊下を走る。そして隊長室の前へとたどり着くと、ポケットから鍵を取り出し扉を開いた。
「引き出しが……開いている……。それに書類が……」
机の引き出しが開けっ放しになっていて、床には紙が散乱している。
と、その様子を見ながらも机には近寄らず、棚の端っこの方へと足を向けた。ブックカバーに覆われた本がぎっしりと詰まる棚、そこに付着しているほこりを見て、ケットは呟く。
「こっちは……特に触られた様子はないな」
ケットはそれだけを確認すると、部屋を出て鍵を閉めた。
念のため、鍵がかかったかを確かめてから、受付に戻る。
「おい、なんで俺以外に鍵を貸した?」
「はい? 隊長さん以外には貸していませんよ。さっきも隊長さんに貸したんですけど」
「はあ? 俺は借りた覚えは……いや、そうか、変装か……おい、お前が鍵を貸した奴はどこに行くとか言ってたか?」
「……? 自分のことじゃないですか」
「違う。お前が鍵を貸した奴は偽物だ」
「に、偽物ですか?」
「ああ、だからどこに行ったか教えろ」
「ええと、新人さんを見に行くって言ってました。今の時間だと……鐘塔にいると思います」
「そうか。念のため、5,6人用意して待機させておけ」
「わ、わかりました」
ぺこりとお辞儀すると、受付の女性は裏の部屋へと駆けていく。それを尻目に、ケットも扉を開けて外に出ていった。
鐘塔へと続く道はここだけ。ケットは必ずここを通る。
詰所の出入口を監視していたが、先ほどケットが中に入っていくのを確認した。
直に部屋が荒らされていることに気づき、受付の人からどこに行ったのかを教えられて、俺を探すためにケットはこの道を通る。
鐘塔は町の端にあるため、さっきほどから人通りがさっぱりない。
そのため、人影が見えたらそれはケットだと思っていいだろう。
俺は転がっていた樽の陰に隠れて、マヒ毒の入った小瓶を握りしめていた。
サクからもらった毒で殺してしまっては、鐘塔をどうやって開けるのかが分からなくなってしまう。生かして尋問するのだ。
俺は今だケットの姿が見えない、道の先をじっと見つめる。
右手にはマヒ毒。腰の横にはケットのツケで手に入れた振り回しやすい短剣。それと、変装用の大剣と盾を背中に背負っている。
あとはケットが来るのを待つだけだ。
ふと、前世の記憶がよみがえる。
シロの牛乳を家から取ったとき。
母親に見つからないように策をめぐらせて、どうにかシロに飲ませるてあげることができた。
まあ、そのあとにばれてしまったのだが。
その時と状況は似ている気がする。
違うのは、もうこれで人間に怯えることは終わり、ということだ。
俺には、コロンという存在がいる。
本当は怖いのに、俺のためにかわりにチリジンの町に行こうとしてくれる優しい人が。
俺のために行動を起こそうとしてくれる人が居る。
そんな人に、負けましたなんて言えるはずがない。
……頭にちらつく、シロを殺されたときの人間の嗤い。
平気で小さな生き物を殺せるという歪さ。
それを克服して、もう人間に怯える日々はおしまいにしよう。
ぐっと小瓶を握る手を強めると、不意に道の奥から人影が現れる。
俺の身長ほどの大剣と、体がすっぽりと入りそうな盾を手に、おそらく鐘塔をめがけて道を走っていた。
その人影を見た瞬間、高いところから落ちた時のように、心臓が不安定な浮遊感に包まれたような感覚を覚える。
深呼吸をしながら胸に手を持っていって――
「次は勝てる。大丈夫だ。……シロさん。そうだよな?」
鳴き声は聞こえなかったけれど、心の不安は少しだけすっと溶けてなくなった。
シルエットがだんだんとはっきりしてきて、足音もだんだんと大きくなってくる。
残った不安が、足音に煽られるように駆り立ててくる。
残りのこれが無くなるのは、ケットを殺してからだ。
睨みつけるような鋭い視線を放ちながら走る様は、まるで前世の母親のよう。
あの耳につくヒステリックな声は、今でも心に棘として刺さっている。
俺は腰に携えた短剣の位置を調整しながら、ケットが俺の傍を横切るのを待つ。
もう少し。もう少し引き付けて……3……2……
毒を投げつけようと立ち上がった。
少し、本当に少しだけ、俺の足音がざざっと鳴った。
その足音に反応して、ケットが顔をこちらに向ける。
「っ?」
「くっ……ばれた……」
だが反応できまいと、俺は振りかぶっていた腕をそのまま振るい、毒を投げつけた。
「また毒か?」
目に見えないほどの速度でケットの体全身が盾で覆われ、毒はあっけなく弾かれて床に落ちる。
俺は次弾としてもう一つ毒を投げつつ、鐘塔へ向かって後退していく。
ケットが足を止めてしっかりと盾で防ぐのを確認して、俺は毒を撒き散らすように数個まとめて投げつける。
足元に、液体のマヒ毒が撒き散らされていく。
「……ごほっ……なんだこれは……体が痺れる……」
そういって、マヒ毒の水溜まりから飛び退くように後ろに下がるケット。
マヒ毒を少しとはいえ吸ったケットが飛んだときはその身軽さに驚いたが、着地の瞬間にふらつき膝をついていた。
いけるという考えがよぎった。が、念のため計画の通りに。
俺はよろめくケットに追加の毒を投げつける。
盾で防いだのか、ガラスの割れる小気味いい音が聞こえたのを背に、鐘塔へと走った。
マヒ毒が効いているのか、俺を追いかけてくる足音が聞こえないまま、鐘塔の前へとたどり着く。
そこには、鐘塔の前で整列している兵士たちの姿があった。
ほとんど使われていなさそうな傷一つない剣と鎧を装備し、緊張したようにぴしっと整列する姿から、おそらく受付の人が話していた新人だろう。
と、俺の足音が聞こえたのか、新人の兵士のうちの一人がこちらを向いて。
「た、隊長?」
「え、お、お、お疲れ、さまですっ」
一人が気づいたかと思うと全員がこちらを向き、礼をしてくる。
俺は走る速度をゆっくりと落としながら、鐘塔の前へとやってくる。
ちょうど、俺と今来た道の間に新人の兵士がいるような状態。
お互いに目を合わせて首を傾げている兵士たちに向けて。
「皆、聞いてくれ。実は、俺に成りすました奴がこちらに向かってきている。姿も俺そっくりだ。……皆には、この町を守る兵士として、その不届き者を倒してほしい」
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