第32話 初めての変装
「えと、はい。着けました」
目線がいつもの高さに戻ると、俺は荷物の中から手鏡を取り出して己の顔を見る。
「……ケット。……っ」
そこに映っていたのは、鐘塔のパンフレットに載っていた隊長ケットの顔。俺の顔は面影もなく消えていた。
真正面から挑むのは無謀だ。だから、この機械の体を最大限に利用する。
生身の人間では、ケットに成りすますなどそうそうできる芸当じゃない。
だが、このままでは顔の下、服や武具などは俺のままのため、すぐに見破られてしまうだろう。
「コロンさん。あーっと、……お金って持ってないよな? 顔だけじゃなくて、装備もそろえたいんだが」
「えと、すみません。少しなら持ってはいますが、装備を買えるだけのお金は、その……持っていないです……」
「いや、大丈夫だ」
よく考えたら、年下の女の子にお金を借りるわけにはいかないな。
というか、この世界に来てもお金か。
いっそ、町の通行人すべてから金を巻き上げるか?
いや、騒ぎを起こせばケットが飛んでくるだろう。
なら、目立たない路地裏辺りで経営している店を襲うか?
などと考えていると。
「えと、つけ、というのは、どうですか?」
「つけ? ああ、ツケか」
「はい。ドワーフの村では、あの、武具を売っていたんですけど。支払えない人が……つけで、と言っていました。つけと言えば、お金は払わなくて、えと、良いんですよね? 魔法の、言葉です」
「いや、払わないという意味じゃなくてな……今は手持ちのお金がないから、後でまとめて払うよってことだ。支払いがなかったことになる訳じゃない」
「あ……そうなんですか」
「ああ。というか、コロンさん接客してたのか?」
「えと、はい。ですが、人手があまりに足りない時だけ……です。それに、お客さんも人間じゃなかった、ので」
「いや、接客しているだけでもすごい。俺なんか、接客どころか働いたことすらないからな」
「いえ……少しだけ、ですし、上手じゃなかったので」
俯きながら首を左右に振るコロン。
「まあ、ツケはいいかもしれないな。チリジン町の隊長としてツケをお願いするんだ。無下に扱うことはしないだろう。まあ、俺の体より大きい剣と盾が置いてあればいいんだがな」
「私の鍛冶道具が……一式そろっていて、金床と炉と材料があれば作れます……けど、ないです……」
どこか残念そうに鍛冶道具をいじるコロンに。
「そうだな……じゃあ、いつか見せてもらいたい。あれほどきらきらと輝いていて、何もかもを切り裂きそうな鋭い刃物が、どうやって出来上がるのか見てみたいしな」
「は、はい。えと、楽しみにしててください、です」
「あ、隊長、お疲れ様です」
「ああ、お疲れさま」
ぴしっときれいにお辞儀をする兵士に挨拶を返すと、兵士は小さく目を見開いて首を傾げる。
あれ、ケットは挨拶を返すような人間じゃないのか。
「いや、何でもない」
俺はぶすっとした表情とずかずかと入り込むような無遠慮さを心掛けながら、扉を少し乱暴に開けた。
入るとすぐに、受付の女性と目が合う。
「隊長さん、こんにちはー」
「う、うむ」
少し低い声をつくり、適当さを心掛けて言葉を返す。……こんな感じか?
「そうだ、新人の練習を見てみたいんだが、どこでやっている?」
「新人さんですか? 珍しいですね。えーっと、今日は座学メインなので、202会議室で研修を受けています」
「202会議室か。ちょっと地図見せてくれないか?」
「いいですよー。ちょっと待って……くださいね。えーっと、はい。お待たせしましたー」
受け取ったのは、この建物の地図。4階まで部屋の名前や階段の位置が描かれている。
俺は2階にあるであろう202会議室を探すふりをしつつ、ほかの階に目を通す。
4階には……会議室ばかりだな。普段から使われているような感じじゃない。
3階は……総務課、会計課、広報課……庶務関係のフロアか。
「どうしたんですか? 202ですから、2階ですよ」
「ああ、いや、4階などあまり行かない部屋も多いから、ちょっと確認をな」
「あはは、そうですよね。会議室といっても会議なんてやらないですし、物を置こうにも飛ばされたらと思うと、何にも置けないですよ」
飛ばされる……そうか、もし竜巻が発生したら地下のシェルターに隠れなければいけないから、高い階の部屋は使われていないのか。
そうなると、お目当ての部屋は下の方に……ん、地下? この建物には地下があるのか?
地下にあたる階には、人が何十人と入りそうな広々としたスペースが広がっていた。この地下はシェルターになっているのか。
となると、そのシェルターにすぐに入れそうな場所に……
1階の、地下へと続く階段付近の部屋をひとつひとつ確認していくと。
「ああ、見つけた。ありがとう。この地図はもらってっていいか?」
「はい、もちろんいいですが。何に使うんですか?」
「む。そうだな、ちょっと隊長室に置くんだよ。手元にあった方が便利だからな」
「そうですか、また欲しかったら遠慮なく言ってください」
「ああ、ありがとう。あ、それと隊長室の鍵を」
「いいですけど、失くしたんですか?」
「ああ、今日はちょっと町中で戦闘をしてな。その時に落としたのかもしれない。今部下に探してもらって……探させているから、直に見つかる」
「わかりました。では、どうぞ。使い終わったらその鍵は返してくださいね」
「ああ」
俺は地図を畳み、鍵を懐に入れて隊長室を目指す。
今話した感じだと、隊長ケットはこの建物にいないようだ。今ならじっくりと部屋を調べられる。
えっと、確か廊下の角を曲がると――
曲がろうとすると、角にごつっとぶつけた音がした。
振り向くと、背負っていた俺の全身ほどの長さの大剣が引っかかっている。
俺は背中に背負った大剣を背負いなおし、ついでに腰に携えた盾の位置を調整しつつ歩く。
コロンと話した通り武器屋に行き、ケットのツケでこの大剣と盾、そして防具一式をもらったのだ。
今受付の人と話して疑問を抱かれなかったのを見ると、変装は成功しているようだ。
話し方も俺と似ている部分があるから無理に似せる必要もなく、心の負担もそれほど大きくはない。
地下へと続く階段を通り過ぎいくつかの部屋を過ぎると、隊長室と書かれた札がぶら下がった部屋の前へとたどり着く。
もらった鍵で扉を開けると、一番最初に机の上に山積みになった書類の束が目に入った。
俺はその机の引き出しを、下から順番に開けていく。が、その中一つ一つにも、適当に入れたのか書類や厚紙のようなものが詰め込まれていた。
この町のパンフレットには、ケットが鐘塔の管理者だと書いてあった。
それならばこの隊長室に扉を開ける方法があると思ったのだが、この書類の量はなんだ。
書類が整理されておらず、違う書類同士が混ざってしまっている。
書類の束から、一見ケットは仕事に追われているのかと思ったが。
ただ片付けができない人間というだけか。
……ただ、防犯という面ではいいのかもしれない。
こんなに書類が乱雑しているのでは、どこに何があるかが分からない。
やはり、直接ケットに聞くしかないか。
ケットの姿をした俺が、誰かに鐘塔の鍵のありかを聞くのはおかしいしな。
と、何かの請求書と、入隊希望の申請書の間に挟まっていた、一つの書類が目に留まった。
「シェルター設計図……」
「鍵、ありがとう」
「いえいえ、これが私のお仕事ですから。そういえば、今回の新人さんはどうでした?」
「新人? あ、ああ、そうか。……そうだな。やはり見ただけでは分からないな」
「ですよね。そういえば、新人さんのもう半分は施設見学に行っているんですよ。そちらもよかったら」
「施設見学?」
「あれ? 隊長さんの時はなかったんですか?」
「いや、ちょっと前過ぎて覚えてないな」
「あはは、そうですよねー。鐘塔、公民館、門、役所、えーっと、後は覚えてないんですけど。警備をするから一応覚えておいてって感じで、施設を回らされるんですよ。今は……えっと、公民館にいるみたいです」
施設見学の時間帯が書かれた紙と時間を見ながら、受付の人が話す。
「それ、一枚もらっていいか? もし時間が空いたら行く」
「もちろんいいですが、珍しいですね。いつも新人なんてーって感じなのに」
「一人気になる新人がいてな。202会議室にはいなかったから、そっちにいるのかもしれない」
「そうなんですね。ちなみに私は202にいるジョンソン君が気になります。剣よりも光る金髪。剣を振るうたびに滴る汗。そしてなにより、あの顔ですよ、あの顔。かっこよくないですか? 早く声をかけないとほかの子にとられちゃうってわかってるんですけど――」
だんだんと早口になる受付の人を放っておいて、俺は詰所を後にした。
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