第31話 またあの暗闇に

「ああ、コロンさん……」

 馬車の窓から、恐る恐るといった感じで顔を出すコロン。

 俺を認めた瞬間に、こわばっていた表情が緩んだ気がした。

「あ、アストマ……さん。おかえりなさいです。は、早かった――って、アストマさん……腕が……とれてます……っ」

 馬車の窓から飛び降りて、俺の腕を確認するようにぺたぺたと触る。

「ああ。そうだな。折角造ってもらったのに、申し訳ない……」

「そ、そんなことよりも、あの、痛く……ないですか?」

「そうだな。嫌になるほどに痛くない。何も感じない。……なんだよ。いっそ、狂えるほど痛ければよかったのに」

「……え、あ。ご、ごめんなさい……。私が……こんなのを、造ったばかりに……です……」

 俺の腕を確認していたコロンの手が止まり、力なく重力に従ってだらんと降ろされる。

「いや。コロンさんのせいじゃない。せいじゃないから……」

 ああ。なにを言っているんだ、俺は。コロンに言っても傷つけるだけなのに。

「とりあえず。あの、腕、直します……」

「申し訳ないが、頼む。あと、強く当たってすまなかった」

「い、いえ。アストマさんは、その、怖くない、です」

 俺はされるがままにコロンに手を引かれて、馬車の中へと入っていった。



 コロンが腕をくっつけていくのを、俺はぼーっと見ていた。

「あ、あの。アストマさん?」

「ん?」

「あの、一人で行かせてしまって、ごめんなさい……。私も、あの、私も行けば、助けられた……かも、しれないのに」

「いや、コロンさんは人間が怖いだろう? 無理はしなくていい」

「で、ですが……あの、アストマさんも、無理……してます」

「ああ、まあ。コロンさんに任せて俺はここで待ってる、なんてこともできないだろう。それに、コロンさんは俺と違って痛みを感じる。俺が行かないとな……」

 まったく。こんなに小さい子に無理をさせようとしている。俺が動かなければいけない。

 なのに、心にずんとのしかかったこれはなんだ。

 ため息を強制させ、瞳を動かすことすら億劫に感じる。

「アストマさん……?」

 と、コロンが腕を直す手を止めて、俺の顔を見上げた。

「あ、アストマさん……っ?」

「ん?」

 俺の目をじっと見つめて、なにかに気づいたように小さくだが目を開かせたコロン。

「ご、ごめんなさい。アストマさん……も、ここに来る前に、殴られたりしていたって、聞いていました……なのに、アストマさんにばかり無理を……」

「無理じゃない。ただ……ただ、ちょっと……な。あはは……」

 心にのしかかった塊が、肺から突くような笑みを吐き出させた。

 俺はコロンの視線から逃れるように、自身の手に目をやる。

 断面は腕の半分のところまではきれいに切れていた。が、途中から強引に引きちぎったような跡が残っている。

 ふと、先ほどの戦闘が蘇った。

 父親のように嘔吐感を催すような下卑た笑みを浮かべて大剣を構えるケット。

 その大剣を、俺はとっさに剣で防ごうとした。

 あのとき俺は空中に持ち上げられて、どうすることも出来なかった。剣で守ろうとすることで精一杯。

 それに、金属で出来た機械の体が、こんな簡単に破れるように切り裂かれるなんて思わなかった。

 ――もう一度ケットと戦うのか。

 チリジンの町の人間を矯正するためには、隊長であるケットとの戦闘は避けられるとは思えない。

 鐘へ続く扉が開かなかったときのように、なにかの問題が発生して足止めされてしまった時、ケットを呼ばれて戦闘になる可能性は大いに考えられる。

「はぁ……」

 さっきは毒を投げて逃げられたからよかったものの、もう一度同じ手が通用するかどうか。

 もし負けたら、今度は捕まるかもしれない。そして身動きの取れない中、心臓に突き刺さっていくような鋭い罵声を永遠に浴びせられるのか。

 ――月の光さえ届かない家という牢獄。

 腕を握るように掴まれて身動きの取れないまま、酒瓶を何度も叩きつけられる。

 ガラスと骨が鈍い音を立てる中、「僕」は痛みに耐えることしかできない。

 もしも、また同じことになってしまったら。

「せっかく造ってもらったのに、こんなにぼろぼろにして。本当に、俺はなにもコロンさんに返せてないな」

 今も、俺はコロンに腕を直してもらっている。

 もらってばかりで、なにも出来ていない。

「あ……アストマさん。あの、私は……。少しだけ、アストマさんの過去を聞きました。えと、あの、わ、私と境遇は違い、ますけど、嫌な目に遭った、というのはいっしょです」

「俺はあの世界から逃げられた。コロンさんはまだ逃げられていない。コロンさんのほうが……大変だろう」

 境遇など比べるものではないと頭ではわかっているのだが、言葉が口をついて出る。

 前世でいじめについて相談した時に、俺よりもっと大変な人が居るから頑張らないと、などと言っていた人間がいた。

 それと同じようなことを思った、そして口にした俺自身に、嫌気がさした。

「……違います。私は、アストマさんのお陰で、あの、えと……その」

「ふっ。お世辞でもそう思ってくれるなら、嬉しいよ」

「お世辞、じゃ、ないです。だから、あの、私が、あの町に行って、来ます」

「……え、コロンさんが?」

 そう言いながらも、本当は怖いのだろう。守るように手を胸に当てて、震えを押さえるように手を強く握って、俯いていた。

「はい、アストマさんは……怖い思いをしてきたって、分かっていたはずなのに」

 ひとつひとつ思い出すように言葉を発する。

「エルフが、人間の私を見て……ひそひそ言っていた時、それを止めてくれました」

 コロンは、守るように胸に当てた手を離した。

「オーガとかたくさんの人が、私とアストマさんを囲んだ時、守ろうとしてくれました」

 強く握った手がゆっくりと開かれる。まだ、手の震えは止まっていなかったけれど。

「そして、さっき。怖くて町に行けない私を、邪険にしないで、むしろ、あの、頑張ったって、褒めてくれました。私も行かなきゃいけないのに、代わりに行ってくれました」

 そして小さく深呼吸をすると、俺の顔を見上げて真っすぐに視線を向ける。

「今度は、私が、アストマさんの代わりに……行きます」

 ――人間が近づいただけで怯えて、人間どころかその他にも怯えるようになってしまったコロンに、ここまで言わせてしまった。

 ああ、今にも涙が零れそうじゃないか。

 俺は零れ落ちる寸前のコロンの涙を拭うと。

「無理させてすまないな」

「無理、じゃないです。アストマさんのほうが、無理してます」

「いや、もう大丈夫だ。だって、こんなにも俺のために頑張ろうとしてくれる存在がいるんだからな」

 前世では、俺のために動こうとしてくれる人はいただろうか。

 俺を憂さ晴らしの道具のように使用して、石ころのように蹴飛ばされる日々。

 相談しても、大丈夫だよとか、世の中には生きたくても生きられない人がいるとか、君よりも境遇の悪い人は山ほどいるとか。

 面倒な案件だから、とりあえず適当な言葉をかけようというその場しのぎのセリフしか掛けられない。

 改善しようと動こうとする人間は一人としていなかった。

 俺の本と家の鍵を一緒に探してくれて、傷を治そうとして、シロにご飯をくれた烏羽。

 けど結局は、保身のためにシロを殺した。

 コロンのような存在は、今までいなかった。

「もう、大丈夫。ああ、もう大丈夫だ。泣くほど辛いのに、俺のために立ち上がろうとしてくれて、ありがとう。その気持ちだけで、俺は十分だから。これ以上の贅沢は望めないな」

「で、ですが、あの、怖くないですか?」

「もちろん怖い。けど、ここでコロンさんに行ってもらうなんて……フッ、そうだな、かっこ悪いだろう?」

 怖気づきそうな己を鼓舞するために冗談めかして笑みを浮かべると、コロンも同じようにふっと笑みをこぼしてくれた。

「あ、アストマさん……ふふっ。ありがとうございます。でも、せっかくの笑顔が、頬の傷で台無しですよ?」

「頬?」

 手をやると、確かにえぐられた跡が。ああ、剣が弾かれたときに切ったのか。

「少し……動かないでください」

 コロンは俺の首の後ろ辺りを、かちゃかちゃとやりながらいじる。鍛冶道具か何かを持っているのか、首裏にこつこつと硬いものが当たる感覚。

 と、不意に視界が一段階下がった。

「は? ん? なんだ?」

 先ほどまでコロンを見下ろす視線だったが、今はコロンと同じくらいの視線の位置になっている。

「よい……しょと」

 落とさないように抱えるようにしてコロンが持っていたものは。

「俺の顔?」

 俺ははっとして自分の顔に手を持っていくが、空を掴む。というか俺の腕が、目線の真横から出ている。

 平衡感覚が失われて、なにがなんだか、どこが正しいのかすら分からなくなり、俺はごろんと地面に倒れてしまった。

「なにが、起きている……?」

「大丈夫です。あの、ただ顔を取っただけです」

「取った?」

「えと、そのままだと、修理が難しいので」

 俺はコロンの話を聞きながらどうにか起き上がり、俺の視線はどこからきているのかと、今見えている視線の辺りを手で触ってみる。

「顔が取れても大丈夫なように、えと、目をいくつか体の中に……入れているんです」

「……今は、胸の辺りの「目」? からコロンさんを見ているってことか」

「は、はい。折角造るなら、あの、首が無くなっても動く方が、機械っぽいかなと、思いまし、た。えと、だめ、でしたか?」

 コロンは俺の顔をぎゅっと抱きながら、不安げにこちらの様子を窺うように聞いてくる。

「いや、確かに機械っぽいな」

 コロンはほっと肩の力を抜くと、俺の頬の傷を直そうと鍛冶道具を取り出した。 

 それを見ながら俺は、両手でバランスを取りながらどうにか起き上がろうとする。

 片手が無くなっている上に、頭というものが無くなったため、油断すれば倒れそうになる。

 俺は馬車の壁に手を着きながら、鞄から一枚の紙をとりだしたコロンを見る。

 コロンが紙を広げると、そこには俺の顔そっくり、というか俺の顔そのままの絵が描かれていた。

 それを参考にするように見ながら、俺の顔の傷を直していく。

「コロンさん。その絵は?」

「アストマさんを造るときに、えと、村の人に描いてもらいました」

「つまり、俺の原作ってこと?」

「原作……? えと、そうかもです」

「……ちなみに、どうして男っぽくないというか、中性的な顔なんだ?」

 問うと、コロンは俺の顔が描かれた紙を隠しながら。

「えと、あの、来るのは男の人っていうのは……聞いていました。で、ですけど、男の人っぽいというか、怖そうな顔は……嫌なので……」

「そうか。つまり、顔はいじれるってことか?」

「は、はい。あの、やっぱりこの顔は……嫌、ですか?」

「いや、そういうわけじゃない。ただ今回だけ、ちょっと顔を変えてほしい」

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