第29話 マッチポンプ

 暖かな日差しが草木に降り注ぎ、風が草原を撫でる。

 石畳の道から大きく外れたところに、ぽつんと一つの馬車が止まっていた。

 その馬車の中でコロンは、持ってきていた鍛冶道具を手入れしている。

 乾いた布で鎚をきゅきゅっと拭いていると。

「っ……」

 かたかたと石畳の道を進む馬車の音が聞こえ、コロンは道具を投げ出して隅っこにしゃがみ込んだ。

 馬車はそのまま石畳の道を進んでいく。と、道端の石ころが車輪ではじかれて、ひゅんとコロンの馬車のほうへと飛び、こつんと馬車に当たった。

「きゃっ……いや。いやぁっ……」

 コロンはその音に、さらに体を縮こまらせた。

 頭を守るようにぎゅっと手で押さえて、ふるふると体を震わせる。もっともっと逃げようと、壁に当たった体を強く押し付けていった。

「いたっ……いたいっ、です。うぁ……やめて……」

 ――石は痛いです……怖いです……

 何かをぶつけられているように体を痙攣させ、何も映していないような曇った瞳からつつーと涙が零れ落ちる。

「あ、アス……トマ……さん……。たすけ……て……」

 ――え……な、なんでアストマさんを……? 彼ももともと人間なのに……。けど、集落で囲まれたときに……助けようとしてくれたのは……嬉しかったです……

 ……あの時にアストマさんが居れば、助けてくれたんでしょうか……。それとも、大勢のうちの一人になって? ……っ。

 コロンはばたんと床に倒れると、膝を抱えて震えながら丸くなる。

 ――私は、ずっとこのまま……ですか?



 俺は鞄から、人を麻痺させるだけの毒を取り出す。サク特製の毒はここでは使わない。

 兵士がもう何度繰り返しているか分からないあくびをした瞬間に、俺は駆け出した。

「ふぁぁぁああー。っと、なんだ!?」

 俺はあくびを終えた兵士に体当たりをして、塔の壁に押し付ける。

 兵士の体を俺の体で、兵士の首を腕で締めるように押さえつけた。

 もがく兵士を機械の体の重さで強引に拘束して、小瓶の蓋を片手で割るようにして開けると兵士の口に突っ込む。

「むぐぐ……うぐ……げほっげほっ」

 せき込みながらも喉を鳴らして飲み込んだ様子の兵士から離れ、俺は兵士を観察する。

 兵士は手足がおぼつかない様子で、ふらふらとしながらも腰に携えた剣に手をやっていた。が、流石にエルフ特製の毒には敵わなかったのか、剣を半ばまで抜いたところでふっと糸が切れたかのようにその場に倒れる。

 俺は倒れた兵士のもとへと駆け寄り、塔の鍵を探す。

「あれ、ないな」

 鞄の中も、ポケットの中も探したが、鍵らしきものは見つからなかった。

 じゃあこの兵士はどうやって塔に入っているのかと、なんとはなしに扉を見てみると。

「鍵が……ない?」

 扉を開けるためのドアノブはあるのだが、鍵穴が開いていなかった。ダイヤル式というわけでもなく、鍵穴がない点以外は普通の扉。鍵がかからない仕組みなのかとドアノブをひねってみるが開かなかった。やはり鍵はかかっている。

 とりあえずこの兵士を隠そうと、兵士の腕を掴んで――

 ピィィィィィッ!

「っ!?」

 塔の上から鳴り響いた笛の音に、俺は思わず兵士を落とす。

 俺は兵士から一振りの剣をいただくと、塔の扉の傍に立つ。もしかしたら先ほど笛を鳴らした人間がここから出てくるかもしれない。

 そう思ったが、やがて聞こえてきたのは塔とは反対方向から。鎧がこすれる音と、がちゃがちゃという金属の足音。

 俺は仕方なくそちらに体を向ける。

 道の奥から、胸や関節などに金属のプレートを身に着けた兵士が数人。それと一番後ろには、俺と同じくらいの長さを持つ大剣と、中華鍋のような大きな盾を携えた、他よりはどこか偉そうな兵士らしき人物が見えた。

「動くなっ。すぐに武器を捨てて両手を上げろっ!」

「ぅ……」

 悪意を直接込めたような声に体が硬直する。


 

 ――思い出すのは真夜中の台所。切れかけた蛍光灯が明滅する中、剃り残った髭と手入れもしていないようなざらざらとした肌が眼前に迫ってきていた。

 どうして父親がこんなところに――

 ああ、これは「僕」を肩代わりした時の記憶。

 上半身を調理台の上に載せられて、右手首を締め付けるように握りしめられてまな板の上に置かれる。

「放して……」

 俺はじたばたと体を動かすが、非力な体ではなにも動かすことができない。

 父親のぎょろっとした目が俺の右手を捉えて――

 どすっという鈍い音が耳のすぐそばで聞こえて、恐る恐るそちらを見る。まな板に包丁が突き刺さっていた。

 父親は包丁から手を離すと、おどけたように掌を俺に見せつける。

「ひひっ。本当に刺すと思ったか? そんなことするわけないだろう。俺はお前を愛しているんだからな。けど、もし次にお前が俺の愛を裏切ったら……わかるな? 俺の愛を無駄にするなよ? 育ててやったんだから、少しくらい恩返ししろよ?」

「なにが……」

「ん? どうした?」

「なにが愛、だ。お前みたいな狂った人間の愛など、本物の愛じゃない」

 サクがクローバーを思う気持ち。自分の身を犠牲にしてでも自分の娘を救いたいという思い。これこそが愛なんじゃないのか?

 父親は態度が急変した俺に驚いていたが、俺がどんな言葉を放ったのか気づいたのかぎろりと俺を睨みながら。

「……は? 急になんだよ。お前誰に口きいてんだ? 父親にする態度じゃないだろ」

「俺はお前のために生まれてきたんじゃない。勝手に産んで育てて、何が恩返しだ。ただ性質の悪いマッチポンプじゃないか」

「お、お前、今度こそ本当に突き刺してやる――」

 俺は、まな板に突き刺さったままの包丁を父親が奪う前に取ると、父親の腹を蹴飛ばした。

 尻もちをついて痛そうにお尻をさする父親に近づくと。

「ちょ、ちょっと待とうか。ほら、俺も会社で疲れててな。世の中がちょっと俺に厳しいから、お前に当たってしまっただけなんだ」

 父親は俺の顔と、手に持った包丁とを交互に見ながら、震えた声を出す。

「悪かった、謝るから、その包丁をしまって――」

「ふん」

「うぁあぁぁぁあっ?!」

 父親の叫び声を聞きながら、なんだ、父親とはこんなに脆いものだったのかと呆気にとられる。

 抵抗もなくだんだんと体の奥へと突き刺さっていく包丁を見ながら、俺は――

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