第27話 チリジンの町訪問
馬車の窓から、過ぎ去っていく景色を見ていた。
草原の先は地平線で途切れていて、狭い日本では見られないような広大な光景。
そう思ったのはコロンも同じようで、手綱を引きながら辺りを見て目を輝かせていた。
「ひ、広いです。……あの地平線まで何kmでしょうか」
「俺たちは馬車に乗っているから、だいたい5kmくらいか」
「あの、……見ただけで、わかるんですか?」
「いや、これもただの前世の知識だ。……あ、そうか、世界が違うから距離も違うかもしれないな。俺の世界では、立って見える地平線までの距離は、大体4kmと少しくらいなんだよ」
「アストマさん、の世界は……進んでいるんですね。ですが、どうやって……測ったんですか? 地平線に目印は……つけられない……です」
「あーっと、三平方の定理っていう計算式があってな」
「計算式……すごいです。私は計算すこし苦手なので……。家具を作る時とか、紙で書かないと……たまにわからなくなります」
「鍛治に使っているのか。俺はただ無為に計算式を解いているだけだから、何かに貢献できている分すごいじゃないか」
「い、いえ。私はただ教えてもらっただけで……」
「まあ、科学が進んだおかげで空の向こうに行けたりと、夢が現実になった。その反面、見えているのはたったの4,5kmくらいしかないっていうこともわかるから、夢を壊すものにもなるな」
「そ、そうですね。けど、この世界は違うんですか?」
「ああ。この世界の半径はわかるか? わかれば計算できるぞ」
「は、半径ですか? えと、この世界って……球体、なんですか? 地面はこんなにまっすぐだと、思うんですけど……」
思わずといった感じでくるりと振り向くコロン。が、露骨に反応したのが恥ずかしかったのかばっと前を向いてしまった。
「……ああ、そうか。確かにどうなんだろうな。俺の世界では球体だっていうのが常識だから、球体だということを証明するのは……調べなかったな。すまない、この世界が球体かどうかはわからない」
「で、でも、そのおかげで、この草原の広さも、もっと広いかもしれないです」
「ははっ。確かにそうだな」
そのまましばらく進んでいくと、急に馬車の揺れが穏やかになり、車輪の音がこつこつと硬質なものに変わっていた。
地面を見てみると、石畳でできた道がくねくねと続いていて、いくつかの馬車が行き来していた。その先には町のような建造物がおぼろげながら見える。
「あと少しだな。コロンさん、疲れてないか?」
「え、えと、あの。はい……」
コロンは俺と出会った時に戻ってしまったかのように、おびえたような声音で返す。
どうしたのだろうかと声をかけようとすると、町から出てきた馬車が一台こちらに向かってきていた。
「……っ。……っ」
急に馬の手綱を乱暴に引き、急停止させるコロン。勢いで馬車の中が前に引っ張られ、荷物やカプセルが倒れそうになるのを体で支える。
「わわっ。ちょ、コロンさん?」
「い、嫌です……っ」
コロンは手綱を放り投げて、こちらに向かってくる馬車から逃げるように、俺がいる馬車の中に転がり込んだ。
がらがらという車輪の音がだんだんと近づいてくるにつれて、コロンは体を丸めて隅へと逃げていく。
外を見ると、ぼーっとどこかを見つめて操縦する人間らしき男が乗った馬車が、石畳の道に沿ってこちらに向かって来ていた。
「大丈夫だ。ただすれ違うだけだから」
そしてそのまますれ違って――一瞬ちらりとこちらを見た男と目が合った。
「っ……だ、大丈夫だ、コロンさん。ほら、通り過ぎていった。ただすれ違っただけだ。それだけ……それだけだから」
「いなく、なりましたか?」
目の端に涙をためて見上げるコロンに、俺はエルフの村でもらった毒の入った小瓶を見せながら。
「ああ。それにもし襲い掛かってきても、俺がこの毒で殺してやる。あんな人間、取るに足らない」
そうだ、俺にはコロンにもらったこの機械の体と、エルフからもらった毒がある。もうあの前世のように、暴力で脅されて強引に従わされるなんてことはない。俺は人間なんかに負けない。
「ほ、ほんとですか?」
「ああ。だから怖がらなくていい」
俺はしゃがみ込んでいるコロンに手を差し伸べる。
コロンはその手を見て、どうしようかと迷ったように手を宙に浮かせていた。が、こくんと頷くと俺の手を取って体を起こす。
「あ、ありがとうございます。……あの、やっぱり怖いので、私は町に入れない……です」
「ああ、大丈夫だ。コロンさんは十分に頑張った。これ以上、人間がひしめくような場所に行くのは難しいよな。町の近くで待機――」
コロンの体がぶるぶると震え、引っ込んでいた涙がまた浮かび始める。
「――だと近すぎるよな。そうだよな。ふむ……そこにある茂みに隠れていればいい。あそこならそうそう人も来ないだろうし、来たとしても道から離れているから声をかけられることもないだろう。町までもそう遠くないし、俺も走れば数分でつくしな」
「は、はい。ありがとうございます……。あの、アストマ……さん」
「どうした?」
「アストマさんも、あの、怖くないんですか? 人間に虐げられたって、ききまし、た」
「……ああ。俺にはコロンさんからもらったこの体があるからな。痛みを感じないなら大丈夫だ」
コロンの過去に何があったかは知らない。だが、生身の体で人間の町の近くまで来た。頑張ったんだ。甘えるなんてできない。
それに、これを乗り越えなければ女神に願いを叶えてもらえない。俺は早く楽になりたい。何も感じたくない。無がほしい。
「じゃあ行ってくる。ここまで来るのにも怖かっただろうに、無理させてすまないな」
「い、え。あの、頑張って、ください」
「ああ、ありがとう」
俺は馬車から飛び降りて、チリジンの町へと走っていった。
鞄には人を簡単に無力化できる毒。量を誤れば殺すことだって可能だ。
俺はそれを鞄の中で握りしめながら町に入っていった。
入る前から印象的だったのは、淡いクリーム色のレンガで組まれた建物。すべての建物がレンガでつくられていて、石で作られた道とマッチしていた。
道は馬車がすれ違えるほどに広いのだが、3階はゆうに越えているだろう家々が密集して道に沿って立ち並んでいる。そのため空がほとんど隠れていて、まるでこの町に閉じ込められたような錯覚を覚える。
が、淡い色のレンガで組まれているため暗い印象はない。店のテラスではケーキや紅茶を楽しんでいたり、レンガ造りの壁に体を預けて弦楽器を弾いていたりと、爽やかな風が流れる外国の優雅なひと時、という印象を受けた。
しばらく道なりに歩いていると、開けた通りに出る。
今までとは打って変わって、喧騒が喧騒を呼ぶがやがやとした空間。
道の両端にそれぞれが即席の店を開いている。
地べたに商品を並べて呼び込む男。肉に直接日が差さないように、木の棒と布で日陰を作っている店。
それらが道に沿って遠くまで続いていた。
「いらっしゃいませー。自然あふれる森の民、エルフから仕入れた野菜はいかがですかー? 安く仕入れられたのでお安くしますよー」
「狩りのプロのエルフが仕留めた、自然の中でのびのび育った猪の肉はどうだ? 今日は特別、いつもの半額だ。え? 品質も半分だろって? いやいや、品質は倍以上! もう芋なんて食べたくないあなたにどうぞ!」
エルフから仕入れた? その言葉が気になって猪の肉を見てみると。
「おっ。やっぱり気になるか? あんたも、もう芋なんて食べたくないだろ? 今なら安いから、この機会にどうだ?」
「っ……ぁ……」
なぜ話しかけてくる? こちらは静かに商品を見たいだけなのに。
息を押し込められたかのように声が出てこない。ちらと店員を見てみると、どうしたと言わんばかりに眉を上げていた。
俺ははっと息を吐いて、鞄に仕舞い込んだ毒の小瓶を鞄の中で握りしめると。
「……ああ。そうだな。あーっと、この猪の肉はどこで仕入れたんだ?」
「おう。近くにエルフの村があるんだが、そこから仕入れたんだよ」
「……エルフから仕入れた?」
「いや、俺も詳しくは知らないんだよ。仕入れたのは俺じゃなくてな。なんか知らんがこの町の偉い人なんだとよ。破格の値段で仕入れたらしくて、俺らに卸してくれたんだ。だから、もう次はないかもしれないぞ? さあ、おひとつどうだ?」
……なにが破格の値段で仕入れた、だ。破格どころか、なにも払っていないじゃないか。ただ食料を奪っていっただけだ。
エルフたちが汗水たらして必死に採ったものを無理やり奪って、それだけでは飽き足らず金稼ぎの商品として利用している。
「いらない。そんなことよりも、さっき芋なんて食べたくないって言っただろ? どういう意味だ?」
「あれ、あんたこの町の住人じゃないのか。ていうか、なんにも買わないなら邪魔だ。これ以上聞きたいなら何か買ってからにしてくれ」
「……そうか」
「いらっしゃいませー。猪の肉はどうだ? 今なら――」
俺を無視して呼び込みを始めた店員から離れる。
そしてそのまま店が立ち並ぶ通りを歩いていく。
――ああ、うるさい。だれもかれもが奪った物で金稼ぎをしている。
「めっちゃ買ってくれるね! じゃあもう一つおまけしちゃう!」
それは誰のものだよ。勝手に売るな。勝手におまけをするな。
「はい、ちょうど頂きました。いつもありがとうございます」
感謝を伝える相手が違うだろう。誰のおかげでその商品を売れたんだ?
毒の小瓶を握る手が強くなる。
喉の奥まで衝動がせりあがってきて、その衝動に体を任せて毒を撒き散らしたくなる。
だが、ここで撒いても意味がない。屋外では気化した毒が風で飛ばされてしまうし、この毒がエルフたちの食料にかかって食べられなくなってしまう。
俺は毒の小瓶を手放して、鞄から手を出した。
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