第26話 頭を下げるとは
途中でクロウだけ夕食を挟み、それを食べ終えた頃。
「長々とすみませんでした……。おかげで少し楽になりました」
「いえ。俺は話を聞いただけですから。……俺からも一つ聞いても良いですか?」
「ええ。もちろん大丈夫です」
「話を聞いただけで楽になるっていうのは、どういうことなんですか?」
前世ではカウンセラーの先生に話を聞いてもらうこともあった。
進路のことや友人関係、家庭のことなど、話すだけでも心が軽くなるということを謳っていた。しかし、俺が前世でいじめを受けていたり家庭に問題があることを相談しても、生暖かい言葉しかかけられなかった。解決もしないただの言葉など、心が軽くなるはずもないのに。
期待して裏切られて落ち込むという無駄としか言いようがない悩み相談に、意味がないものだと割り切ったのだ。
だが、今回は目の前に楽になったと言う人がいるではないか。俺が相談を聞くという経験を前世ではしたことがなかったので、良い機会だ。
「……えと。頭の中の悩みを口に出すことで、それが形になるんです。話す前は悩みがモヤモヤとしていて、形が定まっていなくて。それゆえに悩みが色々と変化することもあって、最悪の状態や関係ない悩みまで考えてしまうこともあるんです。それが、口に出して形を固定してしまうことで、深く考え込みすぎなくなるんです。といっても私の場合で、他の人はどうかわからないんですけど」
……つまり、毎日いじめや虐待を受けて悩みが次々と増えていっていた状況では、やはり無意味だったということだろう。悩みが膨らんでいくのは、話しても話さなくても同じなのだから。
「……そうか。参考になりました。ありがとうございます」
「あの、なにかあったんですか? ……私で良かったら話だけでも聞きますよ?」
「……っ。いえ……結構です」
その言葉は、俺の中で聞きたくない言葉のうちの一つだ。
だから俺は、クロウが何かを相談したがっているとわかっていながらも、自分から話を聞くなどと言わなかった。
話して楽になることなどないのだから。
――だがそれはそれとして、その心遣いには素直に嬉しかった。
彼女はただの善意で言ってくれている。悪いのはここまで狂ってしまった俺――いや、狂わせた前世の人間だろう。
と、クロウは窓の外、一寸先は闇とまではいかないものの、真っ暗でほとんど見えなくなった夜を見て。
「あ……結構良い時間ですね。拘束してしまってすみませんでした」
「いえ。では、この毒は確かに頂きました」
互いに立ち上がり頭を下げると、クロウは食事処を出ていった。
長時間座っていたと思っていたのだが、体が固まった様子もない。腰の痛みもない。やはり、この機械の体はいいものだ。
改めて実感しながら食事処を出ようとして――
「ん? コロンさん?」
柱に隠れながら、コロンが厨房の様子を窺っていた。腕には野営のときに作った鍋と食材を抱えて。
そして深呼吸をして、小さくぶつぶつと何かを呟いている。
「すみません。……えと、厨房を貸してください……。厨房を貸してください……」
もう一度深呼吸をすると、こくんと頷き、柱の陰から出ようとして。
「オーダー入ります! クルミのサラダひとつ!」
「はーい!」
「っ……!」
びくんと体を硬直させたかと思うと、ぱっと柱の陰に顔を隠してしまう。
「まあ、コロンさんにはハードル高いな」
俺は柱の陰に隠れているコロンへと近づき。
「コロンさん。大丈夫か?」
「っ……。あ、アストマさん……」
「よかったら俺が話、つけてこようか?」
「で、でも……申し訳ない……です」
「そのくらい別に構わない。コロンは俺の後ろで隠れていればいい」
そう告げると、俺はコロンがついてくるのを確認しながら厨房へと向かう。
「あの、すみません。お仕事中失礼します」
「はい。あ、お客様。申し訳ございませんが、ここは厨房ですので……」
「いえ、客ではないんですが。この子に少しだけ厨房を貸してくれませんか? 一応村長さんからの許可はもらっているんですけど……」
ふむ。話をつけるとは言ったが、どのように話を進めていけばいいのか。俺が言葉を頭の中で選んでいると。
「……ていうかエルフじゃないのが何でここに……? あ、もしかしてコロンさんとアストマさんですか? サクさんから話は聞いています。調味料は適当に使ってしまって構いませんので、ご自由にどうぞ」
「おお、ありがとうございます」
サクさん、事前に話をつけてくれたのか。
と、厨房の人たちの視線が俺の少し横、コロンに集まっていた。
俺の陰に隠れていることで、逆に目立っているのか。
そんなコロンに、厨房のエルフは目線を合わせるように中腰になり。
「きみ、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ?」
「っ……」
にこやかに話しかけてくれた厨房の人だったが、コロンは鍋でバッと顔を覆ってしまった。
「すみません。この子少し怖がりなので」
軽く頭を下げつつ、俺はコロンに顔を向けて。
「この人たちもコロンさんに危害を加えるわけじゃ……」
いや、言ってもあまり意味はないだろう。俺の言葉で怖さが和らぐような感じじゃないしな。
「皆さん、使わせてもらう身ですみませんが、この子にはなるべく話しかけないようにしてもらってもいいですか? 話なら俺が聞くので。申し訳ないのですが」
「大丈夫ですよ。すみません、こちらも配慮が足りませんでした。知らない土地で不安でしょうし、知らない人から声をかけられたら怖いですよね」
コロンは知らない土地というより、外界すべてにおびえているような感じだが。
「すみません」
俺はコロンの手を引きながら厨房の人に頭を下げつつ、邪魔にならないように厨房の奥へと歩みを進める。と、繋いでいた手がくいくいと引っ張られ。
「あの、……アストマさん。ごめんなさい……私のため……に」
「いや、さっきも言ったがこれくらい構わない。この体を作ってくれたお礼もできてないしな。それに、人のために頭を下げるというのも新鮮だ」
「……新鮮、です、か?」
「ああ。前世では頭を下げるっていうのは、ただ許しを乞うためのものだったからな。だが、人のために頭を下げるというのもあるんだな。今まで一つの意味しかないと思っていたのに、別の意味も見つけられた。面白いじゃないか」
考え込ませすぎないようにと思い言うと、コロンは少し驚いたように目を開いていた。
「そういう……謝るもある……んですね」
「ああ、今気づいた。コロンさんのお陰だな」
「わ、私の……?」
「コロンさんがいなければ気づけなかったことだ」
「そ、そうですか……。ふふ……よかったです」
コロンは少し口角を緩めると入っていた肩の力を抜く。そして俺を追い越してコンロへと進んでいった。
「やはり、僕も行ったほうがいいんじゃないかな? いや、せめて誰かを護衛に付けたりとか」
「いえ、サクさんたちは食料もぎりぎりなんですよね? ならその戦力を狩りに回してください。こっちは俺たちだけで大丈夫ですから」
馬車に乗り込んだ俺を、サクは朝日が眩しそうに眼を細めながら見上げて、うーんと唸っていた。その後ろには、ついていく準備は万端だと言わんばかりに武器や防具を身に着けているエルフたちが整列している。
「けど――」
「クローバーさんが帰ってきたときに、ご馳走もなしじゃかわいそうじゃないですか。とっておきのご馳走を用意して待っていてください」
「……ははっ。じゃあ申し訳ないけどクローバーのことは任せるよ。僕が行けない代わり……と言ってはなんだけど、僕特製の毒をプレゼントしよう」
「え、これって……」
「うん、用法用量は正しく使ってね? これ一つで簡単に人を殺せちゃうから。まあ、アストマさんなら心配はしていないけど」
サクはそう言いながら懐から紫色の小瓶を数本取り出す。
と、不意にとげとげしい声が聞こえた。
「ねえ、それってサク君しか使えない毒じゃないの? それをなんで人間なんかにあげるの?」
「彼はクローバーを助けてくれる――」
「いや、それはただサク君の毒をもらうための口実で、本当はその毒を悪用する気かもしれないじゃない」
後ろで待機しているエルフのうちの一人が声を上げていた。人間なんかと一緒に行く気はないというのか武装はしていない。
――その声は、前世の母親のヒステリックな声ではなかった。含まれているとげとげしさは、母親のようにただ人を傷つけるためのものではない。騙されているのではないかという不安や恐れも混じっているような声音。
なら、俺は大丈夫だ。
「彼は自分の身も顧みずに――」
「だったら、俺をナイフで切り裂いてみてください。なんなら腕を切り落としてしまってもいいです」
「え? あ、アストマさん?」
俺は馬車から飛び降りるとそのエルフのもとへと歩いていき、腕の裾をまくってずいと差し出す。
「俺は切り落とされても構いません。……もしもあなたに、俺を信じている心が少しでもあるのなら、この腕は切れないはずです。切り落とした場合、クローバーさんを助けられる確率は下がってしまうから」
「あんた、なに言って……」
「……あなたが心の底から、俺がエルフさんたちを騙そうとしていると考えているなら、切り落としてください。ですが、俺がクローバーさんを助けると信じてくれているなら、このまま行かせてください」
「……」
目の前のエルフは俺の瞳をじっと見つめた後、片手で俺の腕をつかみながら懐から小さなナイフを取り出した。
そしてそのまま躊躇もなく、逆手に握ったナイフを腕に振り下ろして――
「ははっ。なによ。あんなに大口叩いといて怖いんじゃない。ぎゅっと目なんてつぶっちゃって」
「それは、怖いですよ。けど、人間に虐げられるときに比べたら軽いものです」
無意識に閉じていた目を開くと、腕ギリギリのところでナイフが止まっていた。
機械の体のため痛みは感じないが、腕にナイフが突き刺さると思うと、目をぎゅっとつぶってしまったのだ。
「そ。まあ、ちょっと頼りない感じするけど、信じてあげる」
「ありがとうございます」
ポンと背中を叩かれて、俺は馬車へと戻る。
「びっくりしたよ。もう無茶しないでね」
とサクは胸をなでおろしていて、馬車の上で手綱を握るコロンは、突き刺さるところを見ないようにとその手で目を覆っていた。
俺が馬車に飛び乗るとコロンは俺の腕を見て、なにも怪我をしていないことを確認すると目を覆っていた両手を降ろす。
コロンはエルフの住人から声を掛けられながら、馬車を動かし始めた。
先頭にはサクが両手を振っていて。
後ろの方で俺にナイフを突き立てようとしたエルフが、べーと舌を出したあとに笑っていた。
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