第22話 幸運な日常は
「もう……お父さん。この絵は恥ずかしいから外してっていったでしょ?」
「そうだね。また新しい絵を描いてくれたら、それを代わりに飾るよ。あぁ、次の僕の誕生日が楽しみだね」
「え、絵は……ちょっと恥ずかしいしさ。あんまり上手じゃないし。今年も小瓶にしようかなって考えてるんだけど」
「ああ、あの小瓶か。可愛くて薬を入れやすいんだよね。嬉しいよ」
「うん、楽しみにしててね?」
そう微笑みながら言うと、腰ほどまである髪をなびかせながらくるりと振り返り扉へと歩いていく。
と、途中にある1つの絵の前で止まると、それを眺めながら。
「お母さん。やっぱりきれいだね」
「うん。クローバーはお母さんに似ていて、可愛い」
そう言いながら、サクは仕事の手を止めて己の娘、クローバーへと目をやる。
髪色は一見、サクと同じ白銀。しかし光の加減でやわらかい薄緑、ライムのような色が差すのだ。
そしてエメラルドのような瞳は母親譲りで、凛と輝いている。
身長は最近サクを抜き、着々と育っていることをサクは実感していた。まあ、サクは男のエルフの中で一番身長が低いのだが。
「か、可愛いのはお父さんでしょ?」
「はは、よくお母さんに言われたよ。けど、うん。クローバーは可愛い」
「ちょっ……。やめてよ」
手で顔を扇ぎ熱を取ろうとするしぐさに、サクは笑みがこぼれた。
――僕の様に可愛くなるのか、それとも僕の妻、ミツに似てきれいになるのか。今は幼さも相まって可愛いけれど、5年後10年後はどうなっているんだろう。
「お母さん、今どこにいるんだろうね。また、会いたいな……」
「僕のために薬を探して世界中を回ってくれてる。……僕のせいでミツにも、そしてクローバーにも寂しい思いをさせているよね。ほんとにごめんね」
「だから大丈夫だって。お父さんは気にしなくていいんだよ?」
と、不意に扉がノックされ開かれる。
「あ、クローバーちゃん、ここにいたんだ」
「ん? どうしたの?」
現れたのは、クローバーと同じ狩り仲間のエルフ。
彼はこちらに軽く会釈をすると、クローバーに向き直る。
「狩りで使う麻痺毒がそろそろ切れそうなんだ。悪いんだけど作ってもらえる? 材料はこっちで用意してあるから」
「うん。もちろん良いよ」
「悪いね。僕でも作れるんだけど、クローバーちゃんの技術には敵わないから」
「そんなに変わらないと思うけどなぁ」
あははと笑ってクローバーは扉に手をかけると。
「お父さん、またお昼にね?」
「あ、うん。クローバーの料理、楽しみにしてるよ」
「あはは……まだうまくできないけどね。頑張ってみるよ」
「うん、気を付けて」
手を振り見送ると、狩り仲間のエルフもこちらを向いて会釈をし。
「では、村長。失礼します」
「あ、ちょっといい?」
「はい……なんでしょうか」
「……あの……さ」
こういうことを聞くと、親バカだとか、過保護だとか思われるかもしれない。けどやっぱり気になるものは気になるのだ。クローバーが部屋を出ていった今が聞くチャンス。
「クローバーは、ちゃんとやれてるかな? その、迷惑とか――」
「とんでもないですよ。一緒に狩りをしてからそれほど経っていませんけど、もう主力と言っても過言ではないです。みんなクローバーの弓の腕を買っていますし、毒や薬の調合技術では勝てるものはいないです」
そんなことは知っていた。クローバーにバレたら絶対に怒られるだろうけど、サクはこっそりとクローバーの狩りの様子を影から見ていたのだ。
本当に聞きたかったのは、クローバーがみんなにどう思われているか。
ま、この様子だと歓迎されているようだし。
サクはほっと息をついて頬を緩めると。
「そっか。ならよかった。これからもクローバーをよろしくね?」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。では、失礼します」
「うん」
静かに扉が閉じられたのを見送ると、サクは机の上に山積みの書類に手を付ける。
が、すぐに手を戻し、自身の手を確かめるように触る。
「ちょっとカサカサしてきたかな」
指先が白く水分がなくなっていた。
そう呟くと引き出しから背の低い小瓶を取り出し、中のクリーム状の薬をすくうと手に伸ばす。
そのまま手を揉むように全体に伸ばしながら、息を吸い込む。バニラの甘い香りが漂い、気分はまるでケーキやクッキーの並ぶティーパーティー。
この村に住んでいるためティーパーティーなど無縁の存在なのだが、サクはなんとか再現しようと、数年前に都会から材料を買い集め一度開いたことがある。
その時のカップは今も棚の上に飾っていた。
滑らかな白の下地に、深い青の花が静かに咲いているものだ。
ふうと一息ついて立ち上がると、固まった腰を伸ばす。
このハンドクリームは少しべたつくが、数分すれば気にならない程度に落ち着く。そのため、小休憩の時間に使えばちょうどいいのだ。
と、遠くの方から声が聞こえ、サクは耳を澄ました。
「ここの長に会わせてくれ。なに、手間は取らせない」
「そんな物騒な得物をまずはしまってください。というか、一度お預かりします。そしたら村の入場を許可します」
「どうして許可がいる?」
「いや……ここは俺らの村――」
村の入り口辺りから、不意に言い争うような声が聞こえたかと思うと、何かが地面に激突するような音が辺り一帯に鳴り響いた。
「っ!」
サクはその音に、机の重要な書類もそのままにして部屋を飛び出す。
転がるように階段を駆け下り、玄関の戸棚から小瓶をいくつか掴みポケットに詰め込んで、扉を乱暴に開け放つと。
村の門に、人だかりができていた。しかし、野次馬の類ではないことはすぐに見破れた。
その人だかりの全てが、レイピアや弓など、武装をしていたのだ。
「なにがあったんだい?」
「あ、村長……。いきなり、知らない奴が村に入ってきて……っ」
唇をグッと噛み矢をつがえようとするエルフの男を、サクは手で窘める。
と、風に乗って微かに、鼻を刺すようなにおいがサクを包み込んだ。
ぞわっと、全身を鳥肌が駆け巡る。
このにおいは幼少期、最初で最後の狩りをした時に嗅いだことのあるもの。刺激が強すぎて気絶してしまい、村長の息子だからと特別扱いされていたこともあって二度と狩りはしなかったけれど、それでも覚えている強烈な記憶。
これは、血だ。
心臓がいつもの鼓動のリズムを破り鳴り乱れる中、辺りから小さな声が聞こえてくる。
「村長が……」
「くそっ、何とか誤魔化せ」
「あの人間から隠さなければ……」
「前衛と後衛にわかれるわよ」
その呟きを最後に、バッとエルフたちが陣を敷く。
エルフたちの背に隠れて襲撃者らしき人物はよく見えなかった。しかしそれが、サクを守ろうとしているということは、サクにも分かった。
と、弓を携えた人物が隣に立ち、サクの肩を優しく叩く。
「お父さんは隠れてて。こういうの、苦手でしょ?」
「クローバー?」
その姿は朝、狩りに出かける時によく見た格好。
弓をぎりぎりと引き絞って、凛としたエメラルドの瞳は正面を捉えて離さない。
その姿はまるで。
「ああ、懐かしい」
――妻のあの瞳に、僕は惚れたんだっけ。
ふと、いつだったか森に迷い込んでしまったことを思い出す。
目の前には大きな牙。脂ぎった毛並みは、柔らかさよりとげとげしさを感じさせている。
グルルルルという低い唸り声にぎゅっと目をつむり。
不意に、ひゅん、と風を切る音が鼓膜を叩いた。
恐る恐る目を開けると、傍には頭に矢が突き刺さった狼の死体が転がっていて。
サクの速まった心臓の鼓動を落ち着けるような、ゆっくりとした足音が聞こえて。
木の陰から姿を現したその人物に、サクはお礼も忘れて。
手にした小さな花をそっと差し出した。
――こ、これを私に?
こくんと頷く。
彼女は、手で顔を扇ぐしぐさをすると、何かを決意するように小さく息を吐いて。
――なら、君は私が守ろう。
「お父さんは、私が守るよ」
その呟きに、我に返る。
パッと離された手からまっすぐに矢が飛び、エルフたちの隙間を縫うように伸びていき。
「あぐっ!」
命中を知らせるように苦痛にあえぐ声が聞こえた。
「やたっ」
ぐっと小さく拳を握るクローバーに、サクは小さく笑みがこぼれる。
「クローバーちゃんがやってくれたぞ!」
「よし、続くわっ!」
「侵入者を追い出せっ!」
わっと沸き、熱気を感じさせる雄たけびの始まりが自身の娘であることに誇りを感じ、サクはクローバーの肩をポンと叩いた。
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