第16話 自殺転生
「矯正……?」
「あ、もちろんあなたの元いた世界でではないですよ。別の世界です。つまり異世界で、です」
「……」
「その世界には、人間以外にも様々な知能を持った生物がいます。エルフ、ドワーフ……などなど。あなたが聞いたことがある生物はこれくらいでしょうか」
女神は、ですがと続ける。
「人間が他の生物を滅ぼそうとしています。まるで、あなたのお友達が猫を殺してしまったかのように。このままでは、あなたの世界と同じ、人間だけの世界になってしまいます。それを、止めてほしいのです」
「……それで、矯正?」
「ええ、人間を滅ぼせとは言っていません。むしろそれをされては困ります。私が望むのは、すべての生物の共存。そのためには、人間を矯正して良い考えへと移行させなくてはいけません」
「……なぜ、共存を望む?」
問うと、女神は考えるように俯くと。
「仲良くするのって、素敵じゃないですか」
「……ふん。白々しい」
「あら悲しい」
目元に手をやり、俯きがちにこちらを覗く様はまるで女優のように美しかったが、彼女がやっていることで全てを嘘くさくさせていた。
時間が経ったからか、かけられていた圧が緩むのを感じると、俺は声をいつもどおり発せるか喉を鳴らし。
「勝手に話を進めるな」
「質問をはさんでくるものですから、興味があるのかと。では、やっていただけないのですか?」
女神のその問いにどこか面倒くさそうな意を感じ、俺は断るという選択肢に嫌な予感がした。念の為、濁すように聞いてみる。
「…………やらないと言ったら?」
「あなたには、やってもらう以外の選択権は無いんですよ」
「……」
「あなたは、どうも女神の権威を理解していないようですね。ここは死後の世界とは厳密には違います。死んだ魂が今後どうなるか。つまり、審判の場です。そして、私は決定権がある」
「――っ」
「わかりましたか? 私には、あなたをどこへだってやることもできるんです。元の世界の肉体を奇跡的に回復させて、また同じ人生を引き続き歩んでもらうことだって」
女神の言葉に、息が詰まるほどの戦慄を覚える。先ほどは物理的な圧だった。だが、今は。
「地獄に落として、今度は死の自由さえ無い苦痛に悶えてもらうか」
心が潰されてしまうような、絶望する暇もない圧倒的な恐怖。
心臓を握りつぶされては元に戻され、また握りつぶされる、終わりの無い恐怖。出口の無い、地獄の迷宮。
女神は地獄に落とせるといったが、ここが地獄ではないのか。
「ですが……」
と、女神の一つの呟きで、今までの恐怖から解き放たれたような感覚を覚え、俺は無意識に止めていた呼吸を取り戻す。酸素を取り込もうと激しく呼吸を繰り返した。
「苦しそうですね。別に呼吸をしなくても死にませんよ? もう死んでいるのですから」
そういう問題じゃない。呼吸といういつもの行為をすることで平静を取り戻そうとしているのだ。
「先ほども申し上げましたが、良い関係を築いていきたいのです。無理やり従わせると言うのも、心苦しいですからね。従わなければ仕方がありませんが……。ああ、そういう意味では、あなたには選択権がありますね。苦しんで従うか、苦しまずに従うか。……賢明な判断を」
従いたくはない。
俺は苦しみから、人間から解放されるために自殺をした。また、苦しみを味わうことにはなりたくない。
だからこそ、女神の言葉に反抗せずに従わなければならない。
「……ああ……分かった……従おう」
俺の言葉に女神は頷くと、にっこりと笑いながら。
「ありがとうございます。それと、私はあなたの苦しみを知っていますからね。今後の活動で苦しまないように、特別なものを差し上げましょう」
「……何を?」
俺の問いに女神は微笑むことで返し、掌を虚空にやりスライドするように動かした。
すると、真っ暗な背景のため見にくかったが、黒い長方形の板のようなものが虚空に現れた。それを判別できたのは、その黒い板が背景の黒よりもグレーに近い色であり、俺と女神の姿を反射していたからだ。
「これはなんだ?」
「画面のようなものと思ってください」
女神がそう言うと、その画面に光が点った。
そこに映っていたのは。
「……人間?」
直立不動で目を閉じた、青年の中性的な人間の姿だった。
「姿はそうですね。ですが、これは機械でできています。つまり、ロボットです」
「ロボット……?」
「あなたにはこれからこの体で、人間を矯正してもらいます」
「どうして、機械の体なんだ?」
「まあ、生身の人間でやってもらっても、私としては構いません。また、痛くて苦しい思いをしたいのならですが」
「……」
機械の体なら苦痛を感じない、ということだろうか。
「これは、私からの餞別のようなものです。この体なら、痛み、苦しみ、皮膚に感じる不快感、すべてが無くなります。気管支炎も罹りません。もちろん全ての肉体的病気にも罹りません。あなたの望みは苦痛からの解放といったところだと考えましたので、このようなものを用意させました。いかがですか?」
「…………俺の望みは無だが。けど、それでもこれは」
苦痛、悲哀、歓喜、快楽。全てを捨て去ることは無理かもしれないが、少なくとも人間よりは、無に近い。
正直請けたくなどないのだが、これ以上望むのは無理か。
「喜んでいただけて何よりです。では早速、一つ目の矯正の依頼を」
女神は虚空に浮かんだ画面を消すと。
「あなたにはとある世界に行ってもらい、そこにいる人間と共に、ある町に住む人間たちを矯正してください」
「待て、人間と? なぜだ。こちらは矯正する側じゃないのか? なぜ人間が居る」
と、女神は首をかしげ、可笑しそうに口許を緩めると俺を指差す。
「あなたも、人間じゃないですか」
「む……そうだが……」
「安心してください。その人間も、他の人間に虐げられたりしていて人間不信のようなものになっています。あなたを裏切ったり、反抗したり、そういったことはしない性格ですよ、彼女は」
そうは言っても、前世の烏羽のような例もある。いつ俺を裏切ったりするかはわからない。
まあ、機を見てその人間を追い払うとするか。
と、女神は俺の考えを読んだように。
「おっと、あなたも人間不信でしたね。まあ、協力するもしないもお任せしますよ。見知らぬ世界でひとりでやっていける自信があるのなら、ですが」
「……その人間以外にはいないのか?」
「いますよ、人間に虐げられた十数人の人々が」
「つまり、人間である俺に対して、協力はしてくれないと?」
「ええ。今から行ってもらう場所は、人間から逃げ延びた人々が集まってできた集落のようなところです。ですから、人間のあなたは冷遇されるでしょう。大人しく人間と共に、矯正を成してきてください」
「…………分かった」
渋々頷くと、女神はパアッと表情を明るくする。俺はその胡散臭さに顔をしかめながら。
「それと」
「ん? なんですか?」
「もしも人間の矯正が成功したら、俺の望みを叶えてくれないか」
「ええ、私のできることであれば、叶えて差し上げます」
俺の望みは、ただ一つ。
痛みも苦しみも、喜びさえも必要ない。完全なる無。自身の消滅。
女神はわざとらしく喉の調子を確かめるように喉を鳴らすと。
「では、早速。最初の依頼ですから、簡単なものにしておきました。あなたの新たな人生が華やかであることを祈って――」
「ふん……何を言う」
俺の呟きを無視し、女神は俺に手をかざすと。
「――っ」
真っ暗だった空間に突如光が溢れだし、俺の意識はその光に飲み込まれていった。
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