第17話 蒼天には雨雲が

 視界を焼いていた光が不意に消え、俺は瞼を開いた。

「……うっ」

 俺が声をあげてしまったのは、あまりの情報の多さに驚いたからだった。今まで真っ暗な空間に女神が立っているだけだった。しかし、先ほどの何もない光景も相まって、今目の前に広がる光景に雑多な印象を覚えた。

 どうやら、木の色が印象的な部屋に、女神によって飛ばされたみたいだった。

 机、椅子、物入れ、姿見。必要最低限なものが置かれたその部屋は、それだけで移動が大変になりそうなほど手狭。

 が、部屋を狭くさせていたのはそれだけではなかった。

 俺を囲うように鎮座したそれが、この部屋の3分の1ほどを埋めていた。

「これは……?」

 思わず出た呟きの声が、しんとした部屋に溶けていく。

 それは、自然の色が満ちた部屋にはふさわしくない、鉄でできた物体だった。天井へ長く伸びた楕円の球体の中は、俺のような人が1人入れるほどの空間がある。

 その物体に手を伸ばしてみると、手が触れる前に違和感を感じた。

 いや、それまででも違和感は感じていたのだろう。ただ、目の前の光景に気をとられて、感じていた違和感より優先されていただけ。

 手足の動きと頭の指令が一致しない、僅かなズレに。

 足を床につける度にぎしぎしと鳴り、沈み込む体の重さに。

 そして伸ばした手が、見慣れた自分のものではないという不気味さに。

 意識すると、体の違和感に次々と気づいていく。

 それを確認しようと、俺は部屋の姿見に駆け寄った。

 映っていたのは、先程女神に見せられた少年寄りの中性的な顔立ちをし、黒を基調とした村人のような服を見にまとった、17、8歳ほどの人間だった。

 と、不意にトントンと扉をノックする音が聞こえ、俺はばっとそちらを向く。

 数秒待つと、その扉がゆっくりと開かれた。

「……失……礼……しま……」

 ボソッと呟きながら入ってきたのは、少女だった。

 俺よりも頭一つ分低い身長は、何かに恐れているのか俯いて体を縮こませていることで、さらに体を小さく見せていた。

 おかげで肩に触れるか触れないかのところまで伸びた、晴天の空のような透明感のある水色の髪がその輝きを失くしている。

 身にまとっている真っ白なケープをぎゅっと握りしめていて、控えめそうな彼女には少し似合わないチョーカーを首に着けていた。

 ゴシックドレスの裾で靡いていそうな黒いフリルが印象的なチョーカー。留め具の部分が黒く細いリボンで隠されていて、そのリボンの中心にはアクセントにホワイトピンクの真珠が1つ付いていた。

「……あの……ラファ……さん……が……ます」

 床に話しかけているのかと思うほどにこちらに微塵も視線を寄越さず、ほとんど聞き取れない声量に、俺はどうすればよいかと思考を巡らせる。

 この少女が女神の言っていた、共に矯正を行う人間なのだろうか。

 少女は先ほどの言葉以外発さず、俺も考え込んでいたため、部屋に沈黙が訪れた。

 それに気づき、俺は考えるため無意識に下げていた頭を上げると、少女も沈黙に疑問を感じたのか、同じように顔を上げてきた。

 俺と少女の顔が合い――

「……っ」

 その少女の顔に見覚えがあり、俺は息を詰まらせた。

 といっても自殺した世界にいた、俺を虐げていた人間のどれかと同じ顔だった訳ではない。

 これは、俺が元の世界で鏡を見たとき。そこに映っていた俺の顔の、期待を失くしすべてに失望しきったような絶望の表情と、似ていた。

 ふと、女神の言葉が脳裏をよぎる。

「他の人間に虐げられて人間不信のようなものになっています。あなたを裏切ったり、反抗したり、そういったことはしない性格ですよ、彼女は」

 この少女も、俺と同じように――いや、同じなんてことはあり得ない。俺の絶望と少女の絶望を重ねるのは間違っている。

 少女は、人間の理不尽な暴風に曝され、ここまで磨り減ったのだろう。

 頭の中に浮かんでいた、少女を人間だからと拒絶、否定する言葉が霧散していく。

 代わりに浮かんだ言葉を、俺は口にした。

「はじめまして。そして、これからよろしく」

 少女は俺の言葉にビクリと肩を震わせたが、こくんと首を縦に振った。

「俺は――」

 どこかの小説で読んだ、まずは自己紹介が先だという言葉にならい名乗ろうとした。が、俺は生まれ変わったのだ。傷つきボロボロになった体は前世へ置いてきた。ならば、名も捨てるべきだ。

「俺は――アストマと、呼んでくれ。おま……いや、君は?」

 戸惑うようにゆっくりと頷く少女は儚げで、言葉一つで折れてしまいそうなほどだったため、俺はなるべく優しい言葉を心がける。

「…………コロン……」

「……そうか。……?」

 そう呟き、蒼天に雨雲を少し混ぜたようなアイスブルーの瞳をこちらに向けた少女――コロンの表情に、何か意思のようなものを感じた。

 望みとしては小さすぎる、期待としては絶望に覆われすぎている、非常に僅かで不確かなものであったが、何かを感じ取った。

 が、それがなにかが分からず、俺は別の言葉をかける。

「よろしく、コロンさん。で、人間の矯正を依頼されたんだが、何をすればいい?」

「……えと……あの、ラファ……さんが……」

 ラファ……さん? その人? がなにかをしてくれるのだろうか。

 聞き返すのもはばかられる様子のコロンに、俺は暫し考えると。

「あーっと、じゃあその、人? の元に連れていってくれ」

「……わか……り……ま、した」



 俺がいた場所は家の一室というわけではなく、小屋だったらしい。

 扉から外へ出ると、一歩目から土を踏んでいた。

 周囲には同じような大きさの小屋が点在していて、町というより村や集落のような様相。

 と、不意に俺の耳がヒソヒソとした声を捉えた。

「っ……」

 瞬間、全身に汚水をかけられたような不快感が、俺を襲う。

 前世でいやと言うほど聞いてきた、内容は聞こえないがこちらに対してマイナスな意見をぶつけるような声。

 今まではその声が聞こえる度に耳を塞いでいた。だが、この体を、機械の体を手にいれた以上、今まで通りに虐げられる側に居るつもりはない。

 痛みを感じないこの体、反撃を恐れずに行動できる体を活かす他はない。

 俺はキッと、声のした方へと視線をやり。

「……え……エルフ?」

 その視線の先にいたのは、前世の本で幾度となく目にした、耳が尖ったエルフだった。

 そのエルフたちが、こちらに対してなにかをヒソヒソと呟き合っていたのである。

「……!」

 が、俺がそちらを向いた瞬間に、顔を真っ青にして小屋の影へと隠れていってしまった。

「……コロンさん」

「……! な、なんで……す……か」

「先ほどのエルフ? について聞きたいんだが」

 問うと、コロンは申し訳程度に体をこちらに向け。

「……あの、人、たちも……同……じ……です」

「……む? ……答えてくれてありがとう」

 何が同じかわからなかったが、聞き返すだけで怖がらせそうだったため、仕方なく推測する。

 ……同じ。コロンと同じということだろうか。ならば、あのエルフたちと共に矯正を?

 いや、女神はコロン以外の協力を得るのは難しいと言っていた。

 では……。そうか。

 コロンも、あのエルフたちも……いや、ここに住む人すべてが、人間に虐げられたという点で同じなのだ。

 ここは、人間から逃げ延びた人々が集まってできた集落だと女神が言っていた。

 つまり先ほどのヒソヒソとした声は、俺への悪口や危害を加えるような類いではなく、人間の姿をしている俺への……恐れ?

 ふと、コロンの様子がなんだかおかしいことに気づく。

 心なしか呼吸が荒く、体はふらふらと揺れ、右手で服の胸元をぎゅっと握っていた。

 そして、先ほどのエルフの声がした方を、顔をうつむかせながら不安げに窺う。

 ああ、そういうことか。

「……大丈夫だ。もういなくなったぞ」

「……あ……りが……ござ…………」

「いや、ヒソヒソ声は心地の良いものじゃないからな」

 コロンは荒かった呼吸を整えると、遠慮がちに頭を下げ歩き出した。

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