第12話 解離と気づき
瞼を開くと、目の前には土と草が。体を起こそうと地面に手を立てると。
「いたっ……」
全身が軋むような痛み。すべての怪我が共鳴しているのでないかと思うほどに、一つ痛めばすべてが痛む。
「僕」はこんな痛みに毎日耐えていたのか。
少し手を伸ばすと、ねっとりとつく毛並みが手に触れた。土埃が付着しているのか、ねちゃっとした中にざらざらとした感触がある。
「シロさん……すみません。こんなことに巻き込んでしまって……」
シロはもともと真っ白な毛並みをしていたからだろう。溢れだした血で全身が真っ赤になっていた。キャンパスに絵の具をぶちまけたような、鮮やかな赤。その色は、必死で生きた証だ。
特に真っ赤に濡れている部分の毛をどけて見てみると、目を背けたくなるほどの怪我が目に飛び込んできた。皮膚を乱雑に引きちぎったかのような傷から、今だにどくどくと血が流れ出ている。
「うっ……」
胃や食道を圧迫されそうな嘔吐感を覚えるほどの光景だったが、俺は決して目を背けない。
静かにシロの体を抱く。飢えている体はもともと軽かっただろうが、零れ落ちていく血のせいでもっと軽くなっていた。
ねっとりと、俺の両腕が血で染まっていく。
シロの体は、さっきまでは確かに生きていたということを主張するようにまだ温かった。
このままずっと抱いていたかったが、俺にはやることがある。これ以上シロを汚させない。
段ボールにそっとシロを寝かせると、俺は顔を近づけて。
「ちょっと、待っててください」
まだ赤が着いていない頬にキスした。ふわふわした毛並みが口にあたり、長く伸びた髭が頬をくすぐる。
俺は立ち上がると、後ろに振り返った。
「佐藤とやら。どうしてシロさん……あの猫さんを殺した?」
リボルバーをぷらぷらと指に引っ掛けて遊ぶ男――佐藤は、俺の言葉に驚いたように目を開いていたが、すぐに睨み返してくる。
「は? なんだよその口の利き方。しかも呼び捨てだし。価値のない奴が俺に馴れ馴れしく話しかけるな」
「馴れ馴れしくしたつもりはない。馴れ合おうとするつもりもない。ところで……その銃、警察に突き出したらお前は捕まるな」
俺は佐藤が持っているガスガンを指す。
その銃身は金属で出来ていた。
「なにが? ただのガスガンだぞ。お前に何がわかるって――」
「始めはただ威力を上げようとしただけなんだろうな。で、威力の上がった銃を試し撃ちしていたら、プラスチックの銃身が壊れてしまった。そこで、丈夫な金属製に変えた。だろ?」
「きもっ。なんでそこまでわかんだよ」
「俺もガスガンを改造しようとしたからな。ま、そもそもガスガンを買える金もなかったしが。けどお前は、立派な犯罪行為をしているんだ」
「はっ。適当並べやがって。どこが犯罪なんだ? あ? 言ってみろ?」
「銃身を金属にすることが、だ」
「けど、ネットには金属製の銃も出回ってるぞ」
「ネット……とやらがどうだかは知らないが、きっとそれはモデルガンだろう。銃口がふさがっていて、色も黒とかじゃなく金色だったりしていたはずだ」
「色……確かに……」
「これでお前は立派な犯罪者ってわけだ。警察に突き出したらどうなるだろうな。お前の将来はおしまいかもしれないな」
佐藤はリボルバーをぷらぷらさせるのを止めて、銃身を見ていた。口が乾いたのかごくりと唾をのみこみ、心を落ち着かせたいのか小さく深呼吸をしている。
「足りない頭をいくらひねっても俺に追いつけないんだから、さっさと諦めて捕まれ」
「お、お前……っ。はっ。威勢のいいこと言ってるが、結局お前は俺の掌の上なんだよ」
「なにがだ?」
「お前は1人、俺らは6人。勝てるどころか逃げることすらできないだろ」
にやっと佐藤が笑ったかと思うと、いつの間にか背後に回っていた男二人が俺の両腕を押さえつける。
「ちっ。さすが人間のやることはあくどいな」
「言ってろ。すぐに口を利けなくしてやる」
佐藤は右手にリボルバーを持ち、ゆっくりと近づいてくる。
「ちょ、銃はやめてくださいよ。さっきみたいに当たりますから……」
「ああ、わかってる」
俺まであと少しのところまで近づくと、急に勢いをつけて拳を握り。
「ぐっ……。こんなもんか。シロさんはもっと痛かったはずだ。こんなもの、髪の毛一本抜かれたのと同じだな」
「そんなこと言えるのも今のうちだぞ。地べたに這って謝るならやめてやってもいい」
「何を言う。結局は俺に勝ちたいってだけだろ。俺が謝ってもお前が勝ったことになるわけじゃない。その様子じゃ、猫を殺したのも俺に勝つためか? 狂ってる」
こんな人間に殺されたのか、シロは。いい気分を得るために命を一つ消せるなんて。それが人間という生き物なのか。
「お前……っ。ふざけるなよ。お前に勝ちたいなんて思ってない。そもそもお前が勝てる要素なんて一つもないんだよ。負け組の分際で……っ」
「うぐっ……くっ……」
佐藤から膝蹴りをくらい腹に持ち上げられるような衝撃を感じたかと思うと、顎をリボルバーで殴られる。鼻につーんと痛みが残り、口の中にしょっぱさがじんわりと広がっていった。
「負け組はどっちだ。これから警察に捕まって、将来がパーになるやつに言われたくない。ただでさえ人間ってだけで救えないのに、さらに救えない要素が増えるな、お前」
「いい加減黙れっ」
「あがっ……」
人間はどうしてこうも自分勝手なんだ。
自分が上だと証明するために俺に暴力をふるう人間。
勝手に産んで、期待を裏切ったら掌を返す人間。
そして、自分の保身のために、他者をたやすく売る人間。
人間。人間。俺の周りには、それしかいない。いなくなってしまった。俺を温かく包み込んでくれたシロはもういない。
ここにいるのは、自分のことしか考えない卑しい人間ばか……り……
「ほら、どうした? とうとう何も言えなくなったか?」
あれ、じゃあ、俺も……人間……だから、あれ? この人間たちと、同じ……?
「うぶっ……うっ……うぇぇぇぇえぇぇっ……」
「うわっ、くっそ最悪。は? 服にかかったんだけど。いや臭っ。ふざけんなよ、ったく」
「え? 急に吐くとか気持ち悪っ」
ぱっと両腕が離され、体を預けていた俺は支えを失い地面に倒れ伏す。びちゃと膝が吐瀉物にうもれ、じんわりと生温かくなる。
嘔吐感は消えたが、肌を駆け巡るぞわぞわとした感覚は消えずに残っていた。
「はぁー。なんか萎えたわ。最悪。早く洗わねーと」
「あ、なら俺んち近いから洗っていけば?」
「悪いけどそうするわ。てか誰か上着でいいから貸してくんない? 早く脱ぎたいし、さすがに上裸であるきたくねーし」
「ボタン留まんないやつならいいけど……」
「変態じゃねーか」
「あ、あははっ。確かに、うけるー」
だんだんと話し声が遠ざかっていき、耳には木々のざわめきだけが残る。
俺は立ち上がると、よろめく体をどうにか足で踏ん張り、シロのもとへと向かう――前に膝が汚れていることに気づき、水道へ向かった。これ以上、シロを汚させたくない。
消化されかかった食べ物が排水溝につまり、こぽこぽと音を立てる。洗い終えたズボンはじっとりと水分を含み、膝にぴったりと張り付いていた。
俺は改めてシロのもとへと。
「あ、あの、大丈夫? 手当、しようか?」
俺に立ちはだかるように、一人の女生徒が消毒液を片手に立っていた。烏羽だ。
「お前が……」
「えっ……」
「お前が、佐藤たちをここに連れてきたんだろ?」
「えと、ちょっと太助君怖いよ? 話し方も変わっちゃったし、どうしたの?」
烏羽は消毒液をぎゅっと胸に抱き、一歩後ずさる。
「猫が好きなんじゃなかったのか?」
「う……えと……うん」
「じゃあ、なんであんなことしたんだ?」
烏羽は段ボールのほうをちらっとみて、ぎゅっと瞼をつぶる。
「……ごめんなさい。こうなるなんて思わなかったの。け、けど、佐藤君に脅されて……。太助君が最近嬉しそうなのがむかつくって。その原因を教えてくれれば、私が太助君を手当てしたこと、不問にするっていわれて……」
「それで、1つの命と引き換えに、自分の安寧を手に入れたっていうことか?」
「そんなことっ。結果的にはそうなってしまったけれど、私はこんな結末望んでいなかったわ!」
首を振って、訴えかけるように俺をじっと見つめる彼女。
「そうだな。話したことは、まあ百歩譲って良いとしよう。悪いのは脅してきた佐藤だしな」
「……」
「けど、そのあとお前はどうした? シロさんが撃たれているのを見て、お前は何をしていたんだ?」
「うっ……けど、反抗したら次は私が狙われるかもって……」
「見殺しにしたわけだ」
「ち、違う。私は止めたかったわ。けど、怖くて……」
「……例えば佐藤の横に立っていた人間。女だったか? あいつはシロさんに危害を加えていないよな? じゃあ、あいつもシロさんを殺してないっていうのか? 俺を押さえつけていた人間。あいつも、シロさんを殺してないっていうのか?」
「……じゃあ……」
「なんだ?」
消毒液を地面に叩きつけて、滲んだ瞳を向ける烏羽は、まるで駄々っ子のように叫びだす。
「じゃあ、どうすればよかったってのよっ! みんな佐藤君には逆らえない! 逆らえば標的がこっちに向くから……っ」
「シロさんを助ければよかったんだよ」
「そうしたら今度は私が狙われるっ。今朝呼びつけられたとき、もう私の人生終わったって思ったのよ? そんなことできるわけないじゃない……っ」
「一つの命がかかっていても、お前はそんなことを言うんだな」
「怖いのよっ……」
ついに瞳から涙が零れ落ち、つつーと頬を伝っていく。
「ああ。結局、お前も人間なんだよ。自分のことしか考えない、ただの人間。……俺にやさしくしてくれたのは嬉しかったけどな。それがどんな理由であれ……」
自分より下のものに手を差し伸べるのは楽しかっただろう。だが、それに反対するつもりはない。俺もきっとそうだから。
シロという捨て猫にご飯をあげて、体の汚れを拭いてあげて。下のものなんて思っていなかったが、助けてあげたという考えはどこかにあった。
そんな自分を満たすための行為に巻き込んでしまったから、殺してしまった。
結局は、俺も烏羽や佐藤と同じ人間なのだ。
「私はただ、太助君がかわいそうで……」
「……もういい」
「えっ。そ、そんなこと言わないでよ……」
「お前と話していると、シロさんといる時間が減る。というか、シロさんを殺したお前が、なんでまだここにいるんだよ」
「こ、殺して……ない……」
「殺したんだよ。共犯だ。さあ、早くどっかにいってくれ。これ以上、シロさんを汚すな。ああ、それと」
俺はポケットから木製の猫の髪留めを取り出すと、彼女の手に握らせた。
「もう、これもいらない。これ以上お前なんて覚えていたくないからな」
烏羽はじっとその髪留めを見ていたが、やがてその手が力なく降ろされて。
「……太助君……シロちゃん……ごめんなさい」
最後に聞き取れるかというくらいの声量で呟くと、だっと駆け出して公園を出ていった。
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