第11話 失ったのは

 板のような分厚い雲が空を覆いつくす中、僕は公園へと向かう。烏羽を探していていつもより帰る時間が遅かったからか、空気がひんやりとしていた。

 結局、校内で烏羽を見つけることはできなかった。

 ――そういえば、ピューレのこと烏羽さんから聞けなかったな。シロのご飯はどうしよう。

 こんなことなら、昨日食べた僕のチョコを残しておけばよかった。いや、猫にチョコは良いのかな?

 そんなことを考えていると、公園へとたどり着く。昨日よりも少しだけ木の葉の色が落ち、ようやく秋の色を見せ始めていた。

 と、かちゃかちゃという音が、公園の中から聞こえる。誰かが遊んでいるのかと思い、思わず足が止まってしまった。

「ばか、もっと狙うんだよ。貸してみろ」

 またもかちゃという音が聞こえ、そのすぐ後に。

「にゃーっ!」

「っ……」

 叫ぶような猫の、いやシロの鳴き声に、僕は駆け出す。

 1本の木の下に、段ボールを囲むようにして数人の人の姿があった。

 僕は心臓の鼓動の早さも忘れ声をかけようと――

 その一番後ろ。ほとんどが段ボールに入ったシロに視線を向けている中、一人だけ反対方向を向いた、まるで目を背けているような様子で佇む人と目が合った。

「あ、……太助、くん」

「え、烏羽……さん? なに、やってるんですか?」

「ち、違うの。これは――」

 両手で僕の視線からシロを隠そうとする烏羽。

 と、話し声に気づいたのか、シロを囲む人たちがこちらを向く。

「ああ、もう来ちゃったんだ。よりによって一番きついときに来るなんて、運がないな」

 と、猫の一番前に立っていた男が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。その手には、昨日見たリボルバーが。引き金の部分に人差し指をかけて、ぷらぷらと揺らしていた。真っ黒な銃身が、辺りの光を吸い込んでいるように見える。

「みゃー……みゃ……」

 と、人ごみの隙間から、段ボールが見える。その段ボールから逃げ出そうとするかのように手を伸ばすシロ。その手が真っ赤に染まっていた。

「シロさんっ!」

 僕は他の人には目もくれずに走り出す。が、かちゃと音がしたかと思うと、ふくらはぎに刺すような痛みを感じて、地面に転がってしまった。昨日言っていたガスガンならサバゲ―にも使われるため怪我などしないはずだが、ずっと何かが突き刺さっているような痛みにふくらはぎを見てみると。

「ひっ……」

 つつーとふくらはぎから地面へと赤い血の線が引かれていた。

「ただのガスガンだとつまんないだろ? 俺は天才だから、こんなことも出来んだよ。お前と違ってな!」

 きらりと光を反射した銃口に、思わず目を背ける。しかしいくらか待っても痛みは襲ってこず。代わりに、いつの間にか後ろに回っていたのか、だれかが僕の両腕を無理やり引っ張り上げる。そして髪を引っ張られて視線をシロに固定された。

「うっ」

「さあさあ、早く脱出しないと、大事な猫が死んじゃうぞ?」

 かちゃと引き金を引くと、そのおもちゃらしい発砲音とは裏腹に、銃弾が段ボールに穴をあける。

「やめて……ください」

 力を込めて振りほどこうとするが、ぎゅっと握られた痛みに、まるで全身が重力に押さえつけられているように感じ思うように力が入らない。

 リボルバーを持った男は、銃弾を込めるところであるシリンダーを押し出し弾を込めながら。

「ほら、どうした? 早く守ってあげないと、お前のせいであの猫は死んでしまうな?」

 かちっとリロードを終えると、片手でさっと狙いを定めて引き金を引く。

「にゃーっ!」

 シロは聞いたこともない大きな声を上げ、段ボールの隅へと怯えるように隠れる。小さいながらも血しぶきが上がり、段ボールを濡らした。

「ううっ……離して……っ」

 奥歯がつぶれるほど噛み締めて両腕に力を入れるが、僕の腕を押さえる力には敵わない。

 僕のこの手は、あまりに無力だ。大切なもの1つすら碌に守れやしない。

 また1つ。ちゃちな銃声が聞こえ、心が締め付けられるような鳴き声が聞こえた。

 見ると、片目が充血なんて生易しいものじゃないくらいに真っ赤に染まっていて、視界がはっきりしないのかよろよろと段ボールにぶつかっていた。

「シロさん!」

 僕は、何のために生きているんだろう。

 夢なんてなくて。両親をいつも苛立たせて。今なんか僕のせいでシロが痛い思いをしている。

 生きている価値なんて、ないのかな。

 ――ふと、シロを認めていた視界が白いもやに遮られる。

 ああ、このままでいれば、こんな記憶は消えてなくなるのかな。そう思って瞼を閉じた。白いもやが真っ暗な視界を覆いつくさんばかりに広がっていって。

「おい、ちゃんと見ろよっ!」

「ううっ……!」

 頬の辺りをひっぱたかれたかのような衝撃と痛みに、思わず目を見開く。そこには、銃口をこちらに向けた男の姿があった。

「なに目をつぶってんだよ。これから大事な猫が殺されるかもしれないってのに、のんきなやつだな。頑張ればこの猫は助かるかもしれないってのに」

 助かる……? そうだ、助けるんだ。僕は生きている価値なんてないかもしれないけれど、それに甘えて諦めて、救えるものすら手放してどうする。

 せめてもの尻拭いくらいは。

「ひっ……ち、血が」

 と、僕を押さえつけていた2人が、耳元で震えた声を出す。その言葉の通り、僕の頬からは涙のように血が筋を作っていた。

 後ろを見ると、その血を見ないように目を背けていて、僕を押さえつける手が僅かに緩んで。

 ――僕は右手にあらん限りの力を込めた。

「く、くそっ。大人しくしろ……あっ」

 右手を乱雑に動かして片手の拘束を解くと、自由になった片手で僕の髪を掴んでいた手を振りほどく。ぶちぶちと何本か髪が持っていかれたが、そのくらい安いもの。

 後はぎゅっと掴まれた左手だけ。

「さ、佐藤さん! こいつ、逃げ出そうとっ」

「はぁ? 何やってんだよ。大人しくしてろっ」

 視界の端に、こちらに銃口を向ける男の姿を捉えた。かちゃかちゃと音が鳴り、2発腰と背中に命中する。

「うぐっ……」

 痛みに立っていられないほどだったが、まだこちらに銃口を向けていた。僕は、はぁーと低い息をついて覚悟を決める。

「他者を傷つけることでしか自分の居場所を作れないなんて、……不器用ですね」

「あ? お前誰に向かって口を……っ」

 ぐっとリボルバーを握る手が強くなるのを確認すると、僕は今だ左手を掴んでいる男を盾にするように回り込んだ。

「痛った! ちょっと、俺に当たってるって――って、おい、お前待てっ」

 左手も振りほどくと、僕は一心不乱にシロのもとへと駆ける。

 撃たれたふくらはぎや腰と背中がじんじんと痛み、その痛みに地面へと引っ張られそうになるのを無理やり起こして走り出す。

 段ボールから覗いたシロの小さな眼が、僕の視線と重なった。

 ああ、あんなに怖い思いをしたのに、僕にはまだ怯えないでいてくれる。その事実に僕は、思わず頬が緩んで――

「逃げ出せたからって調子に乗るなよ」

「あぐっ……ああっ」

 膝をえぐり取られたかと思うほどの衝撃と痛みに、またも僕は地面に倒れ伏す。

 あと少し……あと少しで手が……

 シロに手を伸ばすが、背後からこつこつと心臓の鼓動よりも少し早い速度で足音が迫りくる。そして僕のすぐ後ろで足音がやんだかと思うと。

「居場所を作れないのは、お前だろっ」

「がはぁっ……」

 背中に大きな足で押さえつけられ、肺に残っていた空気がすべて押し出される。視界がじんわりと滲む中、僕はシロを求めて手を伸ばし続ける。

 シロも僕のほうへと来ようと、段ボールを頑張ってよじ登っていた。そして体が半分ほど乗り出した頃。

 視界の上、ギリギリ見えるか見えないかのところに、きらりと光るリボルバーが。

 その銃口はまっすぐに、シロへと向いていて。

「や、やめっ……」

 かちゃと安っぽい銃声が鳴って、僕の顔に生暖かい血が降り注いだ。

 シロは足で着地出来ずに地面に激突し、ボールのように1回バウンドしてぶるんと全身が波打ったように歪んで、地面に転がる。

「あ……あぁぁぁ…………」

 生き物とは思えないほどに身を任せすぎた動きで、ごろごろと僕のほうへと転がってきた。僕はそれをそっと撫でる。

 手にねっとりつく血。転がったときについたのか、土や枯れ葉が混じっていた。

 ああ、せっかく雨で流したのに、また汚れてしまった。今度は血も流さないと。

 けど、今の時期は少し寒いから、風邪をひいてしまうかもしれない。ドライヤーがあればな。

 ――殺したのは誰だ?

 急に、視界いっぱいに白いもやが張り巡らされる。僕は見えなくなったシロを手探りで探した。

「シロさん……あ、居た。ああ、温かいです……」

 ――なあ。殺したのは、誰だ?

「あ、そうだ、ピューレもらったんですよ。昨日、烏羽さんって人から。……って、あれ。無くしちゃったかもしれません……あはは……すみません」

 ――シロさんは、殺されなければいけなかったのか?

 だんだんと、白いもやが大きくなっていく。そしてそれと同時に、頭に響く声が大きくなっていく。

 ――なあ、答えろよ。シロさんが殺されたのはおかしいだろ?

「殺されて……ないですよ。ほら、シロさんはここにいます」

 ――ああ、ああ……そうだな。確かにいる。けど、もう動かない。こんなにしたのは誰だ?

「動かないのは、ちょっとお腹がすいているんですよ。烏羽さんが、くれたピューレをあげれば……元気になります」

 ――ピューレは……ほら、昨日あげただろ? シロさんと一緒にチョコを食べたじゃないか。

「あ、はは……そうでした。じゃあ、ほら、牛乳。牛乳ならあります。これあげれば」

 ――牛乳はその前の日だ。親から取ったんだよ。忘れたのか? 俺から頑張って逃げ出せたのに。忘れちゃったのか?

「い、いえ。覚えてます。だからこそ、今シロさんと一緒にいられるんですから」

 ――ああ。あの時は頑張ったよな。そして今も、シロさんを守ろうと必死で頑張った。もう、いいんじゃないか?

「……いいって、何がですか?」

 ――辛いだろ。親に、クラスメイト。全員がお前を虐げてくるんだ。一人の子供が生きるには、過酷すぎるだろう。

「でも、僕にはシロさんがいます。それに、最近は烏羽さんが怪我を治そうとしてくれたり、ピューレをくれたりしてくれます」

 ――烏羽さん。いや、烏羽は、本当にいいやつなのか?

「え……」

 ――まあいい。そんな人間よりも、今はお前のことだ。もうぼろぼろじゃないか。そろそろ休まないか?

「休む……って。シロさんはどうなるんですか?」

 ――あ、ああ。大丈夫。シロさんも一緒に休むんだ。ほら、ぐっすり寝てる。

「あ、本当だ。なんだ、やっぱり死んでないじゃないですか。寝てるだけです」

 ――そうだ……な。ほら、シロさんの横に行って。

「はい……」

 ――どうだ? あったかいだろ?

「はい。熱いくらいです」

 ――お前はよく耐えたよ。頑張りすぎだ。だから、すこし休もう。少しくらいならバチは当たらない。

「……そうですよね。そういえば、こんなに落ち着いて寝られるなんて、初めてかもしれません」

 ――ああ、こんなに怪我して。首の傷も開いてるじゃないか。……ん、どうした? ほら、早く目をつぶって。

「あなたは、大丈夫なんですか? これから……」

 ――心配するな。お前は、お前のことだけ考えていいんだ。それくらいの贅沢は、さすがに許されるだろ。

「僕のことだけ……じゃあ、今だけはゆっくり寝ていたい……です。シロさんと一緒に」

 ――それでいい。ほら、目をつぶるんだ。感じるのはシロさんの体温だけ。それ以外は何にもない。

「ああ、温かい。シロさん。僕に元気を……くれて……ありがとう、ございます」

 視界に最後に映ったのは、シロのふわふわとした毛並み。何も描かれていないキャンパスのような、真っ白な毛。

 瞳を閉じると、脳全体を白いもやが覆いつくし――

 ――ああ、おやすみ。

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