第32話 踏み出した一歩

 ―――ドカッ!


「ぐえっ…」


「これで、いいのよねっ!?」


 わたしは最近、ここに連れてこられた子を、名前が分からないから『スナ子』と呼んでいる。

 この国の『深淵の使徒教団アポストリ・アビッシ』の信者ではなく、砂漠のオアシスに住んでいて、そこの古い神を崇める『スナネコ族』の子をいじめていた子たちを、木の棒で叩きのめした。


 最初、4人に囲まれたスナ子を見たとき、正直怖かった。

 でも、あまりにひどい言葉と振る舞いに、胸の中に熱いものがこみ上げてきて、気づいたら怒りで我を忘れていた。


 わたしの右足はまだ不自由だけど、レイくんとの訓練のおかげで体は自然に動いていた。

 彼がわたしを助けてくれたように、今度はわたしが誰かを助けたかった。


 気づいたら、訓練で使っていた木の棒を握っていた。

 最初に笑っていた子が簡単に倒れると、他の三人は本気になって襲いかかってきた。

 しかし、わたしは飛んだり跳ねたりはできない。

 それでも、相手が勝手に近寄ってくるのを利用し、最小限の動きで避けながら棒を叩き込んだ。


 これだけで十分だった。


 右足が不自由なまま、体重を左足に集中させ、最小限の動きで相手をかわしていく。

 体重をかけた足を軸にし、体をひねって避ける。

 そして、相手が大きく動いた瞬間に木の棒を正確に突き出す。

 すると、相手はすぐに倒れていった。


 そして、今に至る。


 あの時、レイくんが言っていたことの本当の意味を、ようやく理解した。


「意味があるかどうか、なんて気にせずに、とにかくやってみる…」


 その言葉が、今になって実感として胸に響いている。


 今回のことで、わたしが何かを始めても無駄だと思わず剣術の練習をしていたことで、この子を助けることができた。


 そう、強く思えたのだ。


 もし、あの時、何もできないと言って何もせずに諦めていたら…

 ただ無為に生きるだけだったわたしなら…

 何の力も手に入れれず…


 この子を助けることはできなかっただろう。

 見て見ぬふりをして、その後もずっと後悔していたに違いない。

 そう思うと、自然とレイくんに感謝の気持ちが湧いてきた。


 彼が教えてくれた「行動することの大切さ」が、今のわたしを支えている。

 無意味に思えるかもしれないけれど、動くことで得られる何かがある。

 そんな大切なことを教えてくれた彼に、心から感謝している。


 彼がいなければ、今のわたしの強さもなかったのだと実感する。



「ねぇ、もうこの子になにもしないよねっ?」


 わたしは、倒れ込んでいる少年たちを見下ろしながら、はっきりと問いかけた。

 すると、彼らは悔しそうに顔を歪めながらも、軽く頷く。


「わ、わかったよ。やらないって…」


 その中の一人が、女に負けた悔しさをにじませながら立ち上がり、仲間を手助けしていく。

 最後に、少しだけ振り返って、捨て台詞を吐き捨てた。


「……おんなのくせに」


 彼らは、こちらを一瞥しながら、どこか悔しげに立ち去っていった。


 ほっと息をついた瞬間、わたしは隣にいたスナネコ族の子に目をやった。

 目がくりくりしていて、猫の耳がぴくぴく動いている。

 ふわふわの髪が風に揺れ、何とも言えない可愛らしさを感じる子だ。

 じっとわたしを見つめていて、心配そうに近寄ってくると…


 いきなり飛びついてきた。


 「わっ!」


 その子は、わたしの顔にすり寄って、突然ぺろぺろと顔を舐め始めた。

 驚きと戸惑いの中、わたしはなんとか笑いながらその子を抱きしめた。

 嬉しそうなその子を見ていると、少し緊張が解けていく。


 その時だった。


「エリナ! なにやってんだ?」


 聞き覚えのある声が聞こえた。

 振り返ると、レイくんがこっちに向かって歩いてくる。

 どうやら誰かが、わたしが他の子たちとケンカしているのを見て、レイくんに知らせたらしい。


「…ほんとに、なにやってんの?」


「レ、レイくん……助けて……!」


 顔を舐められて困惑しているわたしは、半ば必死に彼に助けを求めた。


 だが、レイくんがわたしに近づこうとした瞬間、事態は一変した。

 スナネコ族の子がピタリと動きを止め、ふっと身を引いて、レイくんに向かって威嚇の声を上げた。


「ふしゃー!」


 その子は耳をぴんと立て、尻尾をふくらませて、レイくんを睨みつけている。


 驚いて立ち止まるレイくん。


 わたしも、どう対処すればいいのか分からず、しばらくその場で固まってしまった。


「…な、なにやってんだ?」


 レイくんは、わたしを助けるどころか、どうしたらいいのか戸惑いながらスナネコ族の子とにらめっこしている。

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