第30話 レイチェル、攫われる

 悲鳴がワシの耳に届いた瞬間、全身の血が凍ったかのように震えが走った。

 聞き間違えることなどあるはずもない、娘たちの声。

 今聞こえた悲鳴の主はファビリアとレイチェルじゃったが、近くにはアイリとカイリもいるはずじゃ。

 反射的に振り向いて走り出すが、ここから炊き出し会場までは、ほんの少しだけ距離がある。

 その少しの距離がもどかしく、焦りばかりが募って膝に力が入らない。

 絡まりかける足を必死に動かして、炊き出し会場に到着したワシが目にしたのは――。



「お姉ちゃん! 待って……お姉ちゃんを連れて行かないで!」

「離して! お姉ちゃんを追いかけるの!」

「お嬢ちゃんたちじゃ間に合わん! お前さんたちまで攫われちまうぞ!」



 アイリとカイリが、どこかに走り出そうとするのを冒険者に止められておる。

 彼女らの視線の先では、走り去る馬車が土埃を上げているのじゃが――あれにレイチェルが攫われたというのか?

 それを認識した瞬間、目の前が暗くなるような怒りを感じたワシは、一切合切を投げ捨てて追いかけようとしたのじゃが……。



「ガジュ! ねえ、しっかりして!」

「ファビ……リア、俺はいいっすから……ほら、服が汚れるっすよ……」



 ファビリアが絞りだした、涙交じりの声で我に返った。

 慌てて目を向けると、血にまみれたガジュを今にも倒れそうな様子で支えておる。

 ガジュの背中には大きな傷があり、そこから流れるおびただしい血が彼を支えるファビリアの服を赤く染めていく。

 顔からは生気が抜けており、今すぐ手当をせんと命に係わることは間違いない。



「タキヒコさん、今はガジュじゃ! 急がんと死んでしまうばい!」

「――っああ! 承知した!」



 すぐにファビリアの下へと走り寄り、彼女からガジュを引き受ける。

 彼の体を近くで見ると、思っておったより傷が深い。

 呼吸も徐々に弱々しくなっておるし、ヒサコさんの回復薬でも治療が間に合うかは五分五分といったところじゃろう。

 ヒサコさんも同じように感じたらしく、ワシの肩から降りてガジュ傍まで歩み寄ると恐る恐るといった様子で口を開いた。



「タキヒコさん、あたしは今から新しいスキルを使いますばい」



 そう宣言したヒサコさんじゃが、表情からは不安を隠せんでいるようじゃ。

 ……当然じゃろう、この状況を何とかできるのは彼女しかおらず、人一人の命がかかっておるのじゃから。

 ワシは小さく震えるヒサコさんを優しく抱き寄せると、彼女が安心できるように言葉を紡ぐ。



「大丈夫じゃ、ワシはヒサコさんを信じておる。ワシの妻ができると思ったなら、それが正解じゃよ」

「ついさっき授かったばかりで、上手くいくかも分らんが……ガジュを助けられるとしたらこれだけじゃ」



 ヒサコさんはガジュの体を、彼の妹にしたように回復薬の膜で包む。

 それで流れる血の勢いは弱まったが……止まるまでには至らない。

 じわじわと流れ続ける血で、彼を包む膜が徐々に赤く染まっていく……。

 治療を見守るファビリアは耐えられないといった様子で目を覆い、彼の名を呟いた。



「ああ……ガジュ……!」

「安心せいファビリア。ヒサコさんが助けるといったんじゃ。このまま終わってしまう訳がなかろう?」

「その通りじゃよ、タキヒコさん。これがあたしの新しいスキル……『損傷部位修復』たい!」



 ヒサコさんが叫ぶと同時にガジュを包む回復薬が黄金の輝きを放ち、傷口がみるみるうちに塞がっていく。

 呼吸もだんだんと落ち着きを見せ、頬にもほんのりと赤みがさしてきたようじゃ。

 大きく開いていた傷口が塞がり、輝きが収まると、ガジュはゆっくりと目を開いた。



「あれ……? 息が……苦しくねぇ。俺、助かったんっすか?」

「そうよ! 心配させるんじゃないわよ、この馬鹿!」

「いて! ファビリア……! 締め付けられると、苦しいっす……!」



 体を起こしたガジュにファビリアがしがみついた。

 さすがに全快とはいかないようで、まだふらついてはおるが、命に別状はなさそうじゃ。

 じゃが、これで一件落着……とはいかんのう。



「「おとーさん! おかーさん!」」



 アイリとカイリがワシらに走り寄ってくる。

 ガジュの治療が終わるのをじっと待ってくれていたのじゃろう。

 目は真っ赤に充血しており、泣くのを必死に堪えている様子が見て取れる。



「アイリ、カイリ……よう堪えておった。レイチェルのことじゃな?」

「うん……お姉ちゃんが……!」

「連れていかれちゃったの!」

「やはりの……ワシに任せんしゃい。すぐに……そう、すぐに助けてくる」


 

 ワシは二人の頭を撫でて立ち上がると、彼女らを抑えてくれておった冒険者の下へ歩いていく。

 そこで合流したアリシアさんたちと共に詳しい経緯を聞いたのじゃが――。



「炊き出し会場に突然馬車が乗り付けてきてな。その中から現れた連中が娘さんたちを攫おうとしたんだよ」

「アイリちゃんとカイリちゃんは馬車から離れた場所にいたから、近くにいた俺たちがすぐ保護して無事だったんだが……」

「ファビリアとレイチェルを攫おうとした奴とガジュが揉み合いになって、そのまま背中から切りつけられちまったんだ」

「そのまま付き飛ばされた方向にいたファビリアはガジュがそのまま庇ってくれたんだが、レイチェルは……!」



 なるほど、大体の経緯は分かった。

 必死に娘たちを守ろうとしてくれた彼らには頭が上がらん。



「アリシアさん、レイチェルが連れていかれた場所に、心当たりはあるかのう」

「言うまでもなく分かっているだろうが。十中八九、ドンダー一味のアジトだ」

「あくまで確認じゃよ。そうか、あ奴らめ……。ついに触れてはいけんもんに触れたのう……」



 ワシは小さく息をつくと、【空間収納】からとある品を引っ張り出す。

 長さは凡そ80センチ、鋼鉄で作られた金属バットじゃ。

 ヒサコさんと出会う前、ワシがまだ荒れに荒れておった頃の獲物じゃ。

 もう二度と手にすることもないと思っておったし、そのつもりもなかなかったのじゃが――。

 怒りのままにバットを地面に突き立てると、突き立てた場所を中心に石畳がひび割れ、その様子を見たアリシアさんたちが息をのむ。



「いくぞ、皆の衆。ここから先は戦争じゃ――ワシも遠慮はせん」





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