第28話 カミアリ一家、小さな袋に心を込めて……
「――ほう、これは……」
玄関の扉を開けて家に入った途端、なんとも甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
台所からは、アイリとカイリのはしゃいだような声が聞こえてくる。
どうやら、丁度いい時間に帰ってこれたようじゃな。
手洗いとうがいを済ませて台所へ向かうと、集まっておった皆が出迎えてくれた。
「お帰りなさい、お父さん。お話はもう終わったんですか?」
「うむ。皆に話しておくことがいくつかあるのじゃが……」
「それなら、丁度お菓子が焼き上がったところだし、お茶しながらにしましょ!」
ファビリアに促されるまま席に着くと、大皿一杯のクッキーが運ばれてきた。
甘い香りの大本はこれだったのじゃな。
ワシは娘たち手作りのクッキーに舌鼓を打ちつつ、最近起きた事件のことや、ガジュ君に護衛を頼んだことを伝えていく。
「――という訳じゃ。ちと窮屈かもしれんが、安全には代えられんからの。しばらくは我慢してもらえるかのう?」
「私はそれで問題ありませんよ。アイリとカイリは?」
「「へいきだよー!」」
「私も大丈夫よ! 護衛が少し頼りないけど……」
「こりゃ、レイチェル。そんなことをいうでない。あたしらだけじゃ足りんところを見てくれるんじゃ。感謝せんといかんばい?」
「はーい」
「よし、伝えることはこれで全部じゃ。護衛については明日の炊き出しからお願いしておるから、忘れんようにの」
ワシの言葉に皆が頷いたことを確認し、皿に向けて手を伸ばそうとしたところで、服の裾を引かれる感触があった。
見ると、アイリとカイリが何か言いたげな目をしておった。
「どうしたんじゃ、二人とも」
「あのね、おとーさん。クッキー、みんなに配ったらだめかな?」
「みんな、甘いものも食べたいと思うの」
「アイリもカイリも優しい子じゃのう……勿論いいとも。」
「「やった! ありがとう!」」
「ただ、このまま配るというのも味気ないのう……」
「それなら、こうするのはどうじゃ?」
ヒサコさんが小袋を取り出し、クッキーを2枚入れて封をする。
なるほど、これなら配りやすいし子供たちでも簡単に用意できるじゃろう。
「こりゃあ可愛らしくていいのう」
「じゃろう? アイリ、カイリ、配るっちゅうことなら、これをたくさん作ることになるが、手伝えるかい?」
「だいじょうぶ! これなら簡単だよ!」
「わたしも! いっぱい、いーっぱい作ろうね!」
「あら? それなら、クッキーも沢山焼かないといけませんね」
「そうね! お茶し終わったらもうひと頑張りしましょうか!」
あれよあれよという間に、お菓子作りの算段を立てる娘たち。
これは、ワシの出る幕はなさそうじゃな。
「それなら、そちらは皆にまかせるぞい。ワシはワシで炊き出しの準備を進めておくからの」
「あたしも手伝わなくて大丈夫かい?」
「ああ、手が必要な時は声をかけさせてもらうたい」
そうして家族全員で炊き出しの準備を進め、翌日を迎えたのじゃった。
時間通りにやってきたガジュ君と共に広場へ向かうと、既に何人かの冒険者が集まっており、会場の設営を進めてくれておる。
なんでも、火事の時にヒサコさんが治療を行った人たちが、自分たちにも手伝わせてくれと駆けつけてくれたらしい。
彼らはワシらが到着するやいなや、各々に感謝の言葉を口にして笑いかけてくる。
ワシらも彼らに笑みを返しつつ、協力して設営準備を終わらせたのじゃ。
その後はいつも通りにすいとん汁を用意し、受け取った人には娘たちがクッキーの小袋を渡していく。
「この小袋は……?」
「クッキーを焼いてきたんです。この子たちが皆様に食べて欲しいと……」
「アイリ、作るの手伝ったんだよ!」
「カイリも!みんなで一緒につくったの!」
「そうかい……君達みたいな小さい子も……ありがとう」
小袋を受け取った青年が感謝を伝えて離れていく。
その表情はとても幸せそうで、娘たちの真心が伝わったのだと思うと、ワシまで笑みがこぼれてくる。
小さな幸せを感じつつ食事の提供を行っておると、用意した鍋の中身はいつの間にかすっかり空っぽになっておった。
「よう、カミアリ。炊き出しは無事に終わったようだな」
「その声はアリシアさんじゃな。おかげさんで、何事もなく配り終えましたぞい」
振り向くと、予想通りにアリシアさんが立っておった。
何か用事があって声をかけたのじゃろう。
ワシは片付けの手を止め、彼の話を聞く。
「うちの連中が役に立ったならよかった。これから街の人に向けて宿舎を開放するんだが、お前も来てくれないか?」
「ワシもかい? そりゃまたどうして……」
「どうしても何も、あの建物を作ったのはお前だろうが。そのお前の顔を見たいって人も多いんだよ」
「なるほどのう。それなら行かんという選択肢はありませんのう」
「可能なら奥方にも一緒に来て欲しいんだが……」
「あたしもかい? 別に構いやしないが、片付けがまだあるからのう」
そう言って断ろうとしたヒサコさんを、娘たちが引き留めた。
「こっちは私たちに任せて、お母さんは行ってらっしゃい!」
「後は片付けだけですからね。私たちだけでも大丈夫ですよ」
腕まくりをするファビリアと、その隣で鍋を抱えるレイチェル。
アイリとカイリも、任せろとばかりに手を振っておる。
こうなっては、ヒサコさんも引き下がるしかあるまいのう……。
「そうかい? それなら……お言葉に甘えるとしようかね」
「話がまとまったようでよかった。それじゃあさっそく移動するから、ついてきてくれ」
アリシアさんについていくと、ギルドホールの前は街の人で埋め尽くされておった。
ワシが想像していた以上に、しっかりとした壁と屋根がある建物の需要は高かったらしい。
しかし、これでは……。
「のう、アリシアさんよ」
「その先は言わなくてもいい、さすがにこの人数は建物に収まりきらないと言いたいんだろう?」
「そうじゃ、ワシの見積もりが甘かった。今の宿舎じゃあここにおる全員を迎えきれん」
「ああ。だから、今回は年寄りや子どもを優先して――」
「それじゃあ、さっそく宿舎を拡張するとするかのう」
「――なんだって!?」
驚くアリシアさんを尻目に、ワシは人波を割って宿舎の方へ向かう。
先日スキルレベルが上がった時、拠点がさらに拡張できると聞こえておったからの。
そのまま歩いていき、宿舎の壁に手を当てると、長屋を二つ重ねたような――アパートのような形を想像する。
ワシの集中が深まるにつれて宿舎全体が眩い光に包まれ、形を変えていく。
光が収まると、そこには二階建てになった宿舎が完成しておった。
「うむ、これでよし。アリシアさん! これなら全員入っても大丈夫じゃぞ!」
口をあんぐりと開けたアリシアさんの方へ足を向けたその時、ワシの背後から呟くような声が聞こえた。
「おお……これこそまさに神の御業……」
「ん?」
「あなたは……いや、あなた様は!」
ワシが振り向くと同時に、ローブを着た神官風の男が、凄まじい勢いで迫ってきた!
その男は、詰め寄ってきた勢いそのままにワシを宿舎の壁に押し付けて、端正な顔を近づけてくる――。
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