おはよう! いちばんドリ

@wlm6223

おはよう! いちばんドリ

 メンテナンスエンジニアなんてやるもんじゃないな。

 おれの会社は音響機器メーカーのA社だ。業界内ではそこそこ知られた名前だが、世間一般の人は名前すら聞いたことがないだろう。

 具体的に何をやっている会社かといえばプロ用(放送局・レコーディングスタジオ用)のエフェクターやら音響卓の設計と製造、ラジオ局用のワンオフのスタジオ機器の設計などだ。そのほかカフなどの小物や電話回線を使った中継システムなんかも作っている。

 それらの機材は基本的に二十四時間三百六十五日稼働の過酷な使用条件でも運用できる信頼性が大前提となっている。タフでなければプロ用として大手を振って販売できないのだ。

 が、基本的にモノはいつか壊れる。不具合を起こす。こればかりは仕方のないことだ。

 つまりだ。そのメンテナンス要員も二十四時間三百六十五日稼働でタフでなければやっていけないのだ。

 で、おれの仕事は年がら年中、メンテナンスのための出張となっている。業界用語でいえば「びーた」だ。

 先日は天神のコミュニティーFM局、その前は枚方のコミュニュティーFM局,今日は豊橋のコミュニティーFM局だ。一昨日までの記憶はあるが、それ以前のことはもう忘れた。多忙を極めると、その場その場の短期集中力で仕事をやりおおせるので精一杯なのだ。修理報告書を書いてしまえばそれでお終い。次の仕事に備えなければやっていけないのだ。

 「昨日? そんな昔のことは忘れちまったよ」なんてのが昔のハードボイルド映画の台詞にあったが、おれの場合は本当に仕事に忙殺されて記憶が吹っ飛んじまっているのだ。

 そんなわけで自宅に帰れるのは一週間に二三日程度。これでは家賃を払うのがもったいない気がしてくる。ふとそんな思いするのだが、この仕事に就いている以上、もうそれは仕方ない。そんな生活に嫌気が差して転職しようかな、とふと思うこともある。が、実際には時間が全くないので転職しようにも転職活動をする時間がないのだ。

 難儀なやっちゃなあ。

 おれは新幹線の中で自嘲しながら車窓の夜の田圃の光景をつらつらと眺めていった。


 ラジオ局の場合、メンテナンスにさける時間は午前二時の放送終了から午前五時の放送開始までだ。その三時間で全ての決着をつけなければならない。

 おれは午後十時過ぎにJR豊橋駅に着いた。現場のスタジオは駅から徒歩で行けるほどの近場だ。地方都市のコミュニティーFMとしてはけっこう珍しい。おれはいつも持ち歩いている「出張セット」(下着類、替えのTシャツなど)とメンテナンスセット(工具類、測定器、若干の予備パーツなど)の入ったでかいバッグを抱えてそのFM局の事務所の扉を叩いた。

 出迎えてくれたのはいつものSさん。おれと同じ世代の未婚男性。スペック的にはおれと大体同じだ。

「いつもすみませんねえ」と地元の方言ではなく共通語で話してくれる。これがけっこうありがたい。

「うちの機材が悪さして申し訳ありません」

「まあ、機材なんてそんなもんでしょ」

「で、今回の不具合はどんな感じですか?」

 Sさんの話によればメインの卓の9チャンネル目が全く音声を通さなくなってしまったとのこと。ケーブルの断線を疑って別のケーブルに差し替えても症状は治まらなかったという。ああ、卓の中で何か飛んだな、とおれは思った。しかしメンテナンスの仕事で思い込みは厳禁だ。実際に何が起こったのか測定器の結果を確認し、この目で確かめなければその実体は分からない。

 放送終了の午前二時までSさんと事務所で雑談した。事務所内にはチェック用に自局の放送がラジオから流れていた。

「御社に頼んだ中継システム、大活躍ですよ」

 その中継システムを作ったのはおれだ。ちょっと鼻が高い。

「この前は竜巻の実況中継をしたんですよ」

 竜巻の実況中継? 一体どうやったんだ? アナウンサーは現場でどうその様子を言葉にして電波に乗せたのかが興味のあるところだ。

「いやあ、あの状況で機材トラブルもなく実況できたのは、御社のおかげですよ」

 おれはありがとうございます、と素直に頭を下げた。

「無事で何よりです。なんせ御社からの注文は『とにかく丈夫で簡単にセッティングできるように』とのことでしたから」

「ああ、たしかうちのUがそう言ってましたね」

「システムを単純にするだけで丈夫になりますしメンテナンスもし易くなるんですよ。AKー47っていうライフルあるのご存じですか? あれも構造自体は凄く単純で簡素化されてるんです。そのお陰でトラブルも少ないそうですよ」

 なるほどねえ、とSさんは首肯した。

 それから今後の日本のコミュニティーFMの業界全体の話をした。どうも先行きは悪いらしい。この局でもボランティアで人員の不足を補っているとのことだが、ボランティアだけに仕事の手際が悪いとのことだ。相手が自局の社員ではない「ボランティア」なので叱るに叱れない、とSさんはこぼした。

 時刻は午前一時五十分になった。

 おれとSさんはスタジオに行き放送終了を待った。

 今日最後の番組の生放送が終わると自動送出へと切り替わった。

「お疲れ様でしたー」

 Sさんがアナウンサーとゲスト、スタッフたちに挨拶をして見送っていった。

 スタジオの人々はあっという間に捌けて、Sさんとおれだけになった。

 ここから午前五時までが本番だ。

 Sさんは立ち会いということでスタジオにいるつもりだったが、「何かあれば事務所に呼びに行きますから、仮眠でもとって下さい」とおれが言うと「じゃあ、すみませんがよろしく」と、Sさんは事務所へ引き返した。

 と言うのも、やはり客前での仕事は緊張感があってやりづらいのと、人手があればメンテナンス作業に使ってしまいがちなので人払いしたのだ。

 さあ、これからが仕事だ。

 電源タップをコンセントから伸ばして半田ごてとポータブルオシロ、その他測定器に火を入れる。卓の電源を落としてから9チャンネル目のモジュールを引き抜き治具に刺す。まずは外観上にトラブルがないか確認する。コンデンサの破裂や抵抗の燃焼なし。よし。まずは異常なし。

 おれはノートPCで回路図を横目に見ながらテスト信号をモジュールに入力して音声パス上のどこまでが正常動作しているかを確認していった。音声パス上の真ん中にもテスト信号は届いていなかった。が、1.2MHzあたりで異常発振しているのを見付けた。おれは音声パスをどんどん遡っていった。実はアナログコンソールは見た目はコンパクトなのだが音声パスはけっこう長い。普通のエンジニアはそれほど大きくない放送用の卓にこれほどまでの長いパスがあるとは思いもつかないだろう。

 そしてついに最初段のプリアンプにまできた。

 この最初段で音声は途切れ、異常発振を確認した。

 おれは初段プリアンプの回路周辺をオシロで探りを入れた。原因は初段プリアンプのOPアンプが飛んでいたからだと判明した。

 それならOPアンプの交換だけで済むな、とおれは考えた。

 パーツボックスから代用のTL072を探した。

 ない。TL072がない。

 それどころかOPアンプがない!

 こんな時に限って、必要なパーツが欠品している!

 おれは考えた。時間は午前三時五十三分。あと一時間ちょっとしかない。

 こんな時間じゃパーツ屋は閉まってるにきまっている。それ以前に豊橋市にパーツ屋なんてあったっけ?

 普通ならこれで「後日また伺います」で済ますところなのだが、また東京の会社から出直してくるのは面倒だ。第一、朝の放送に間に合わない。おれの経験則上、機械は必要な時に限って予備分が故障するのだ。今、何としてでも直さなければならない。せっかく出張して「修理できませんでした」とは上司に言えない。言いたくもない。

 パーツが故障している。解決策はそのパーツを新品の正常動作品に交換すること。が、今はそのパーツがない。加えて時間もない。

 さて、どうする?

 おれは咄嗟の代案を提示しに事務所で仮眠をとっていたSさんのもとへ行った。

 事情を説明し、これからの対策を提案した。

「9チャンネルのEQ、使ってます?」

「いや、使ってませんね」

「それじゃあ、9チャンネルのEQのOPアンプを移植していいですか? もちろん、9チャンネルのEQは使えなくなりますが」

「問題ないです。それでお願いします」

 よっしゃ! 光明が見えた。

 おれとSさんはスタジオに戻り、「緊急手術」を開始した。

 まずEQ回路をバイパスするためにプリント基板のパターンをカットし、音声パスをバイパスする配線を追加した。それからEQ回路のOPアンプを抜き取り(これがけっこう手間取る)、初段のプリアンプへと移設した。これでは「メンテナンス」と言うよりも「改造」と言った方が正しい。

「おはようございます」

 朝の最初の生番組のアナウンサーが出社してきた。アナウンサーはぎょっとした目でおれとSさんを見た。

「何かあったんですか?」

 Sさんは間髪置かず応えた。

「いえ、ちょっとした修理です」

 全然ちょっとしていないのだが、と言いそうになったが言葉を飲み込んだ。

 OPアンプの移植が終わるとすぐテストした。問題なし。ただし9チャンネルのEQは使えなくなった。

 治具で正常動作を確認するとすぐさまモジュールを卓に戻した。

 アナウンサーは朝の原稿のチェックをしている。もうすぐ本番だ。

 卓の電源を入れて動作チェック。念のため全てのチャンネルの動作確認をした。問題なし。OK。

 このとき午前四時四十五分。気が付いたらスタジオには四人ほどのスタッフたちが集まって放送の準備に取りかかっていた。

 スタッフたちの準備にギリギリ間に合い朝の最初の放送が始まった。アナウンサーがブースでマイクに向かった。カフをオンにして朝一番の生放送が始まった。

「おはようございます。『おはよう! いちばんドリ』のAです」

 アナウンサーの一言で一気におれの緊張の糸が解れた。メンテナンスが無事終了し、滞りなく放送が始まったのだ。

 いつものことなのだが、仕事中は集中し緊張しているのがおれの常だった。このときほどその開放感を感じたことはなかった。

「いやあ、何とか間に合いましたね」

 Sさんは睡眠不足の目でおれに言った。

「ご心配お掛けしました。でも何とかなりまましたね」

「どうです? ちょっとゆっくりしていきませんか。たまには御自身の機械がどう使われてるか見ていきませんか」

 有り難い申し出だった。

「せっかくですが、これから東京に戻ってレコスタのメンテナンスがあるんです」

「ありゃあ、そうでしたか。じゃ、今度は中継システムのメンテナンスの時になりますかね」

「ええ。それでお願いします。その時ついでに9チャンネルのEQも復活させますから」「なんか大変ですねえ」

「ま、仕事ですから」

 白状すると「おはよう! いちばんドリ」の放送の様子を見学してみたかった。自分の作った機械がどのように活用され、放送局の運用に何が求められているのかを知るチャンスだったのだが、今のおれにはそれはできなかった。エンジニアとして必要な情報を得る絶好の機会だったが、おれのスケジュールは過密過ぎたのだ。

 朝焼けの中でアナウンサーの声が電波となってこの豊橋市の中を広がっていく。おれは豊橋駅の新幹線の中でポケットラジオからその様子を聞いてみた。

 新幹線が走り出すとすぐに電波は途絶え、サーいう小さなノイズしか聞こえなくなった。

 東京へ戻る車中、おれはいつものようにうたた寝した。まとまった時間、睡眠できるのはこの移動時間だけの生活にも慣れてしまった。

 こんな生活が定年まで続けられるのかなあ。

 そういった不安が頭をよぎったが、おれは新幹線が東京駅に着くまでの間、すぐに泥のように束の間の睡りに落ちた。

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