六、地下納棺堂


 別荘へ戻り、階段の陰にある部屋を開ける。今は使われていない礼拝室だ。聖なる気配はなくすっかり物置となっているそこには、布をかぶせた古い椅子やテーブルなどの家具が重ねて置かれている。

 最奥にあるのが地下へ続く扉で、聞いていたとおり鍵がかかっていた。

 セオドアがズボンのポケットに手を入れると、冷たい金属が指先に触れる。鍵だ。記憶にないそれを鍵穴に差しこめば、当然のように扉が開いた。

 なぜなのかと、考えているヒマはない。この先に重要なものがあるのに、セオドアはそれを忘れている。確かめなくてはいけないという焦燥に突き動かされていた。

 地下へ降りる階段は暗く湿った空気が充満している。壁に手を添えて降りながら、徐々に闇に目が慣れてきた。石を積み上げた壁も階段もかなり濡れていて、ちろちろと壁に水が伝っている箇所もある。地下は湖の下にまで伸びていると聞いたが、まさか湖の水が染み出してきているのだろうか。

 階段のが終わりに重々しい鉄の扉がある。蝶番が錆びたそれを異様にきしむ音立てながらようやく開くと、うっすら水が溜まっているその小部屋が納棺堂だった。

 殺風景だった階段とは違って壁に、天井に、様々な装飾がほどこされている。置かれている天使や植物、小動物などの木製の彫刻やレリーフは、宗教的というより美しくやさしいものを集めたように見えた。元は鮮やかな彩色がなされていたようだが今は色褪せている。天井から滴っている水に濡れたせいだろう。更に一部が火事でもあったかのように焼け崩れているのだ。

 棺は木製の彫刻に囲まれた中央に安置されている。セオドアはねじ釘で留められていない棺蓋をゆっくりとずらした。

 埋葬されたのはいつ頃なのか。横たわる遺体は白骨化し、左胸は深々と鉄杭で貫かれている。

 遺体が着ているのは女物のドレスだ。大部分が朽ちているが黄ばんだ白い布地についた小さな貝殻のボタンや刺繍を見間違えるはずがない。ついさっきまで目にしていたのだ。ドレスはエレナのお気に入りの白いドレスだった。

 上手く呼吸ができない。頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、立っているのがやっとだった。


 ふらつきながら階上へ戻ったセオドアは、玄関ホールで猟銃の入った箱を抱える別荘の管理人夫妻に出くわした。村を襲った獣がうろついているならと、夜になる前に準備をしていたのか。

「ああ、旦那様。ここにいらっしゃいましたか。ヒューバート様がまだお戻りにならないんです。何かあったんじゃ……あの方は霧が出ててもよく森を散歩されてましたから」

 ヒューバートが獣に襲われたのではないかと言いたいのだ。そんなことはどうでもいい。

「エレナ……エレナを見なかったか? いるはずなんだ。私の妹、私の大切な……」

 虚ろな顔でうわ言のようにエレナの名前を呼び続けるセオドアに、彼らは不憫なものを見るような眼差しを向けてくる。

「なんて言ったらいいか……お許しください。私どもには、はじめから『エレナ様』の姿が見えておりません」

 やがてためらいながらもはっきりと、セオドアをなだめるような声で語りだした。

「旦那様は妹様を亡くされた悲しみのあまり夢と幻に囚われているのだと、ヒューバート様がおっしゃったんです。旦那様のお心の安らぎのために『エレナ様』という女性がいるように振る舞ってほしいと」

 何を言っているのか理解したくない。しかし――そうだ。知っている。もう随分と前、エレナは遺伝病に冒されて息を引き取ったのだ。

 壁に手をついて自分のものではないような体をようやく支えながら、セオドアは自室へ足を向けた。

「……酒を、持ってきてくれ。強いやつだ」

 思考は鉛のように重い。何も考えたくなかった。

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