ニ、エレナ①


 ベッドの傍らの椅子に腰かけ、目を覚ましたエレナの骨と皮だけの手を握る。

「手が冷たい。暖炉に火を入れようか?」

 尋ねると小さく首を振るような気配を感じたが、エレナはもう自分の体を動かす力がなかった。体を起こすことはおろか、言葉を発することすらできない。さっき見たメイドの遺体とそれほど変わらない顔色で、セオドアをひどく不安にさせる。

 愛しい妹は奇怪な遺伝病に侵されていた。血に刻まれているこの病は二、三代に一人は発症する。発症すれば徐々に衰弱し、やがて死に至る不治の病だ。数年前、エレナに発症の兆候が表れ、今や寝たきりだった。回復は望めない。もう長くないと、セオドアも彼女自身も理解している。

「……どうしたの? 私は大丈夫だよ」

 エレナの冷たい湖水のような青い瞳――セオドアと同色の瞳が、力なくまどろみながらも心配そうに見ている。セオドアは知らず知らず強張っていた頬をゆるませ、安心させようとエレナの手をやさしく撫でさすった。

 しかしセオドアのエレナを失う不安と恐怖は、言葉にしなくても彼女に伝わっている。

 二人の間には昔から感覚や感情を共有するような不思議な繋がりがあった。生まれ落ちた時にひとつの魂を二人で分かち合ったのだろう。喜びも怒りも悲しみも、すべての心を共有している。

 血のついたシーツは取り替えさせた。純白のシーツにエレナの闇を溶かしたような黒髪が水にたゆたうように広がっている。エレナほど長くないが、セオドアも同色の髪を伸ばしていた。瞳の色も同じで、顔の造りも同じ。幼い頃はもっと似ていた。成長するにしたがって男女の違いが現れたが、物憂げで神秘的な容姿はやはり誰もが似ていると言う。

 それなのに、なぜエレナだけが遺伝病に苦しまなければならないのだ。病も二人で分かち合えばいい。死が半身をもぎ取ろうとしている。エレナがいなくなれば生きていけないのに。

 漏らしそうになった嗚咽をセオドアはどうにか呑みこみ、視線を窓の外へと移した。

 森に冷たい霧が立ちこめ、窓を締めていても室内に滲むように入りこんでくる。霧のせいで空も見えず、鳥の声も響かない。別荘付近はまるで外界から隔離されているかのようだった。霧が晴れれば、瑞々しい木々の色と清らかな空気が安らぎを与えてくれるはずだ。

「ねえ、エレナ。霧が晴れたら湖にボートを浮かべよう。私が漕いで、エレナはお気に入りのあの白いドレスを着て」

 そう言いながら、おそらくその時は来ないだろうと感じていた。

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