第7話【共に】
片山謙吾は明細を見て唸っていた。
広告代理店からの振り込みは想定してはいたものの、カメラマンとしての仕事について考えるべきかもしれない、と思っていた。
片山の仕事・・カメラマンではあるが、世の中にカメラマンと言っても多数存在し、鉄道や飛行機と言った乗り物をメインに活躍するカメラマン、風景などの自然を相手にするカメラマン、野生動物を相手にするカメラマン、タレントや芸能人を相手にポスターなどの撮影をするカメラマン・・・。だが、彼が選んだのはメーカーの商品カタログのための写真を主とした仕事をしている。商品の写真、タレントを使ったイメージ写真、挿入用の風景写真など、だ。
若いころ・・・片山が一人のカメラマンとして独立したころは俗にいうバブルの時代、多くのメーカーがありとあらゆる商品を出せば出すほど売れる時代だったこともあって、仕事も多数入ってきた。しかし今は少しでも出費を抑える企業が増え、それは広告代理店を通じて片山に対し値下げ要求してくることが増えてきたのだ。
「片山さん、気を付けないと仕事もらえなくなるよ。広告以外にも生き残る道を見つけるか、値下げに応じるか、どっちかしないと。」
と広告代理店の担当者も言うようになっていた。
馬鹿野郎、ただでさえ仕事が減ってきているのに、値下げなんて簡単に応じていたらこの物価が高くなる一方の世の中でどうやって生きていけというのか、と言いたかったがその担当者に言っても仕方がない。その言葉をぐっとこらえるしかなかった。
そんなことを思い出しながら、銀行の駐車場の車の中で通帳を見ていた。
確かに、カタログ写真だけで生きていくのは厳しいだろう。独立した最初のころはよかったが、今やすでにモノが氾濫する時代だ。宣伝しても、ユーザーが必要と思わない限りその商品は売れない。メーカーはそう理解すると宣伝費用を削る。それは単価の高い宣伝屋は切っていく、ということだ。
「俺ももうすぐ60歳、これまでとは違う生き残る道・・・と言われても・・・なあ・・・。」
と、仕事を失うよりはまし、としぶしぶ値下げに応じて仕事を行なった。そして、振り込まれた金額とにらめっこを続けた。
喫茶ジータは休みの金曜日だが、藤田は店にいた。
写真の入った額をもらったのだ。
その写真を見ながら、藤田は数日前のことを思い出していた。
「コーヒーは旨いし店内も落ち着いた雰囲気でいいんだけど、室内の飾り気がなさすぎだと思うなあ。」
と開店間もない時間にやってきた一人の客が支払いの時に言われた。また、続けて
「俺、いい写真を持っているから、この店の雰囲気に合いそうなやつを適当に持ってきてあげるよ、好きに飾るといい。悪いことは言わんから。」
と言われた。
背丈は藤田と同じくらい、筋肉質な体系で、短髪が似合っている。一見気難しそうな顔をした人に見えるが、喋るとなかなか好感の持てる人でもあるな、と藤田は感じた。
「でも、飾り付けられるような写真なんて、買うとなったら結構値段が高いでしょう?。以前、有名なカメラマンの展示会を見に行ったことありますけど、その値段見て驚きました・・・。」
藤田はそう言って断ろうとしたが、その客は笑いながら
「あ~、勘違いしないでくれ。金が欲しいわけじゃないんだ。それに個展や即売会での写真の値段ってのは色々わけがあるんだ。写真のサイズやそのカメラマンの認知度もあるし、展覧会場だってその場所の借り賃を払っているからね。
まあ、そんな話はさておいて。定休日でも来る日はいつ?。特別に来る日、あるんだろ?。その時に持ってきてあげるよ。」
そして、定休日の金曜日の午前10時ごろに、約束通りに彼は昔ながらの三菱パジェロでやってきた。藤田が店の扉を開けると、彼は写真の入った大きな箱を店内に持って入ってきた。
その箱を一番近くのテーブルに置くと、
「私はこのあと仕事があるんだ・・・。儲けの少ない仕事なんだが、大事なお客さんで、な。飾り付けまでを手伝ってあげたいのだが、申し訳ない。」
と言い残し、さっさと去っていった。
箱を開けると、写真は大きな1号サイズや2号サイズ等のそれぞれの印紙にプリントされたものがそれぞれすぐ展示できるように額縁に入っていた。
早速取り出して、それぞれの作品を見た。
「ほお~・・・なるほど・・・。」
全部で6枚。どこかの田舎道のモノクロの風景写真、スタジオで撮影されたような可愛らしい動物の写真、美しい自然風景の写真、・・・。いろいろな写真が入っていた。どの写真も描写がきめ細かく、大変感銘を受けた。
大きな写真を飾れる場所は、店内に4か所だ。
「ふーむ・・・どれも素晴らしい写真だけに、どうしたものか・・・。」
と藤田は独り言を言った。そのとき、ドアが開いた。
「マスター、おつかれさま。作業進んでる?。」
と入ってきたのは香織だった。
香織と再婚して、藤田の毎日に彩(いろどり)が戻ってきた。藤田にとってこれまでの10年間はいわばモノクロ、白と黒だけの世界と言ってよかった。毎日顔を合わせる時間が少ないとはいえ、家に帰ると家族がいる、というのは落ち着くものだし、何かあった時に話し相手がいるという事実は何にも代えがたい。
香織にしても、家に大黒柱となる藤田がいると、それだけで何かと安心だった。別れていた10年間、経済的な問題もあったがなによりも精神的にきつかったのは事実だ。別れて最初の3年ほどは近隣の人たちの、「旦那さんと別れた女」という好奇の眼で見られることが多く、家事だけでなく何もかも全て一人でやらなくてはいけなかった。娘の恵美も同様に感じることが多く、泣いて帰ってくることもあった・・。
そこに藤田が戻ってきた。それはこの上なく精神的に楽になることこの上なかった。
香織は派遣の仕事を続けているが、この日は『家事都合』で休暇を取って作業を手伝ってくれることになった。
また、藤田は香織と恵美の住むマンションに移ることにした。こちらのほうが藤田が住んでいたアパートよりも広いだけでなく、喫茶ジータにも近く好都合だったのも理由の一つだ。
もう二度とこの幸せを放しはしない、と藤田は心に誓った。
「ん?・・・そうだなあ・・・香織のセンスで選んで、それぞれ飾る場所を決めてくれないかな・・・俺にはどうレイアウトしたらいいのか、よくわからん・・・デザイン学校出身の香織の力を借りたい。」
「どれどれ?」
香織は写真を見た。
「あら、かわいいワンちゃんの写真。キスしたくなっちゃうわね・・・。あら、こっちの写真もステキ・・・。」
香織は一枚一枚、鑑賞しては感想を述べた後、答えた。
「・・・そうねえ、見栄えという考え方をすると・・・店に入ったときにお客さんはあたりまえだけど自分が座りたい客席のほうを見るわよねぇ・・・入口から見た客席側の、お手洗い側の壁には落ち着いた色合いの、この田舎道の写真とか、クラシックカーの写真がいいんじゃないかしら?。で、客席から見る、カウンター側の壁にはこの一番大きい、綺麗な風景写真・・・。」
設置の高さについても香織のアドバイスを受けながら、藤田は30分ほどかけて、写真を飾り付けた。
「うん、いいね。」
店内を見て藤田はそう言った。
「でもまだ何か物足りないわ。壁の飾りつけはこれでいいと思うんだけど・・・。うん、まだ店内がなんだか寂しい感じ・・・そう、本物の植物よ!観葉植物。室内でも手入れが簡単な鉢植えの・・・オリーブとか、アロエとか、観葉植物が欲しいわ。レジの辺りとか、窓際とかに置くの。主役のために、脇役は必要なのよ。」
香織の意見に藤田は頷いた。
そしてその日の午後、喫茶ジータの店内には立派な鉢植えのオリーブが入り口付近に、窓際にサボテンやアロエなどが並べられた。
数日後、写真を提供してくれた片山が再び来店した。
「お、飾ってくれているね。うん、飾る位置もいいじゃないか。高すぎず低すぎず、飾る点数も多すぎず少なすぎず、素晴らしい。」
と言いながらカウンター席に片山は座った。藤田は
「有難うございます。写真には疎い私ですが、やはり違いますね。」
と言った。
「だろう?。なんなら写真のこと教えてやってもいいぞ。こんな私だが一応プロカメラマンだからな。あ、申し遅れた、私はフォトスタジオをやっている、カメラマンの片山だ。よろしく。」
と言いながら名刺を藤田に渡した。名刺には次のように書かれていた。
〇〇フォトスタジオ
代表 片山謙吾
電話:〇◎▽-凸凹◇□
Mail:◇◇photo@●□.jp
「片山様・・・プロカメラマンでいらっしゃいましたか。」
「ま、プロカメラマンというても、カタログや広告用の挿入写真を撮ったり、ウチのスタジオに来る客に特別な記念写真を撮ってあげたり。小さな仕事ばかりでそんなに儲かってはおらん・・・。」
と片山は言った。そして、
「実を言うと、ここで展示させてもらっている写真も誰かの目に留まってくれたらいいな、とそれだけなんだ。
これまでうちの店に飾っていたんだが、わざわざ写真を見るためにスタジオに来る人なんていなくてね・・・。ほとんどの客が必要な自分の写真プリントや証明写真とかを撮ったらさっさと帰ってしまう。かといって美術館とかの展示ホールを借りるのは金がかかるし、無名カメラマンの作品を見に来る人もおらん、というわけでね・・・。もっと気軽に、確実に見てもらえる場所はないものか、と考えていたんだ・・・。」
と続けて言った。藤田はその話を聞いて、なるほどそれで飾りつけのほとんどない自分の店が選ばれたんだ、と理解した。
「おっと、こんな話をしに来たんじゃないんだ、ホットコーヒーをひとつ、よろしく頼むよ。」
と片山は藤田に言った。
「かしこまりました。」
次の日曜日。開店間もなくやってきた藤田の友、田代雄介がやってきた。
今岡はカウンター席に向かう時、部屋の雰囲気が変わっていることに気づき、店内を二度見した。そして、気づいた。
「ねえねえ、藤田君。あの写真・・・。」
と田代はカウンターに座りながら店内に飾られている写真それぞれを指さした。あの片山から預かって掛けている写真だ。
田代が特別に指差す写真は、片山がどこで撮ってきたのかわからないが、朝露に濡れた木々の葉が朝日を浴びて眩しく輝いている、森林のなかの壮大で美しい姿・・・。とてもよく描写された特大サイズの一枚だった。
「あの写真、どうしたの?。まさか藤田君自らどこかに行って撮影したのかい?。」
藤田ははにかみながら、
「ははは、俺にはあんなすごい写真は撮れないよ。道具もないし。ウチに来店してくれた一人の写真家から預かって、飾らせてもらっているんだ。殺風景だった店内の雰囲気作りにもなったし、すごいよね。」
と答えた。
「うん・・・すごいなあ・・・他の写真だって、どうやって撮ったんだろうって思うね・・・。他の動物の写真しかり、風景写真しかり、・・・店のコーヒーは旨いし、日曜の朝を爽やかに過ごすには最高だね・・・。」
田代はそう言いながら改めて立ちあがり、写真に近づいてじっくりと鑑賞した。
「すごいな・・・まるでその場にいるように感じるよ・・・こんな写真を撮れる写真家がいるんだ・・・。ねえ・・その写真家の連絡先、知ってたら教えてよ。うちの会社知ってるだろ、今度の企画で大いに使えると思うんだ。」
「あ、そうか。田代は広告代理店で仕事しているって言ってたよな。」
「ああ、この写真が使えたら強力な武器になりそうだ。うまくいけば、大きな金が動くぞ。」
2カ月後。
藤田は「出来上がった作品の試験上映をやるから見に来い、お前も関係者の一人だからな。」と田代に誘われて試験上映の会場となるショッピングモールに出かけた。平日の午後2時。喫茶ジータは夕方5時からだし、まあ、見てやるか、と気楽に藤田は見に行くことにしたのだ。
「おう、こっちこっち!。待ってたぞ、藤田。」
聞いていた通り田代がショッピングモールのイベント広場にいた。30メートル四方くらの広場だ。中央には噴水もある、休憩場所も兼ねた広場になっていた。この広場には三つの通路と出入口に繋がっている。この日は平日で比較的人は少ないとはいえ、一人通りは絶えない。イベントの内容によっては噴水を止めて蓋をし、特設ステージとすることも可能な広場だ。
今回はその特設ステージを設置し、その中は【STAFF ONLY】と掲示・パイロンとチェーンで規制されていた。その規制している中で、田代が大きく手を振って立っていて、藤田はそこに招かれた。そこには、広告の依頼主の代表と思われる人たちと並んで、片山もいた。
周囲を見るとそこは、正面には縦横10m×20mはあるだろうか、超巨大モニターが設置されていた。いたずら防止もかねて高さはフロアから2.5mくらいの位置から上に、手前2mは立ち入りができないようにして、壁に埋め込まれるように設置されていた。普段はこのショッピングモールの案内やCMなどが定期的に流されている。
田代が一台のノートPCを準備していた。そのノートPCはケーブルで施設の設備と繋げられていた。
田代は広告依頼主の人たち含め全員に、
「それでは、あちらの・・・巨大モニターのほうをご覧ください。」
と言って無線機を使ってアシスタントに「始めます、照明スイッチを宜しく。レディ・・スタート。」と言い、自身はPCを操作した。
ゆっくりとイベント広場の照明が薄暗くなり、巨大モニターもいったん暗くなった。足元のフットライトだけが光っている。そして始まったのは・・・。
どこで撮影されたかは不明だが、どこまでも広がる大平原と快晴の大空。そしてどこからともなく聞こえる鳥のさえずり。ナレーションの全くない、自然の音のみが広場に設置されたスピーカーから立体的に聞こえてくる。一羽の鮮やかな色の鳥が囀りながら右から左へと飛んでいくと、音声も合わせて移動していくように聞こえた。
やがて映像はゆっくりと空へズームインし、その後ズームアウトすると大海原を行く一隻の帆船からの映像に切り替わった。エンジンを載せた船ではなく帆船で、聞こえるのは波の音と船がそれを越えていくしぶきの音だけだった。斜め前方を見ると船の傍にイルカの群れがやってきた。船に合わせて跳ね回っている。更に、港に近いのか、上空にはカモメがやってきた。ぴゃあ、ぴゃあと賑やかな鳴き声が先ほどと同様立体的に聞こえてくる。映像は船の帆柱から見ているような映像から次第にドローンで上空から撮影されたものに切り替わっていった・・・。
次に、海の中へと映像は変わった。七色のサンゴ礁の数々や無数の回遊魚たちが周りを泳ぎ回っている。色とりどりの模様の熱帯魚が迫って来る演出もあった。
唐突に、サメが登場した。ギロリとこちらを睨んで近寄ってくる迫力あふれる映像にドキッとした。だがそのサメはそのままゆっくりと泳ぎ去って行った・・・。
海中から浮かび上がると、空には満天の星が光っていた。藤田はプラネタリウムにいるかのように錯覚した。天の川銀河が頭上に見え、また流れ星がいくつか映っていた。そして、夜明けへと・・・。
次に映し出されたのは、喫茶ジータにも飾られていた写真のような、朝日を受けて赤く染まった美しい山々や大自然の様子だった。ジータに飾ってある写真よりもずっと臨場感を感じられた。藤田はすっかり映像の虜になっていた。
そして大陸を群れを成して走り回るいろいろな野生動物たちの姿・・・シマウマやサイ、象や麒麟、名も知らぬ動物たち・・・。
最後に映像がゆっくりとフェードアウトし、ようやく男の落ち着いた低い声でメッセージが流れた。
「誰のものでもない、この地球。この地球と共に、私たちは生きる・・・。」
力強く、ものすごく説得力のある、はっきりとした声だった。
そして、大きく映像タイトル『この地球と共に/with this Planet』と協賛企業の紹介。
そして映像はホワイトアウトするように終了し、イベント広場は元の明るさに戻っていった。
藤田は言葉を失っていた。藤田だけではない、広告依頼主の人たちも、写真家の片山も、そして偶然イベント広場に居合わせた人たちも、このほんの数分の映像ショーに言葉を失い、中には涙する人たち、思わず拍手をする人たちもいた。
その拍手や周囲の人たちの表情を見て広告依頼主はにこやかに満面の笑顔の様子だった。そして田代と固い握手をして二言ほど話をしていた。そして、田代が藤田に近寄り
「どうだい、藤田。一般人代表としての感想を言ってくれ。」
と声をかけるまで、藤田はずっと放心状態だった。
「あ?ああ・・・映像のスケールのでかさに度肝を抜かされたよ・・・なんて映像だ、まるでそこにいたみたいだ・・・。そして、ものすごく説得力のある声・・・本当にこの地球を守らなきゃ、って気になったよ・・・。」
「そう言ってくれるとこの作品を作ったかいがあるってもんさ。嬉しいね。」
片山も同様に驚き、感涙していた。
「私の作品がこのようになって紹介されるなんて・・・しかも、こんなに大勢の人の前で・・・。」
片山の姿を見て、今岡は
「いえいえ、片山さんの妥協のない映像のおかげですよ。私はそれを繋いで演出しただけです。」
と片山の肩を叩きながら言った。そして依頼主の人たちに向け、言った。
「このイベント広場では3週間、不定期ですがこの映像を見ることができます。また、TVでも90秒の枠を取っていますので、短く編集されたものがいずれ放映される予定です。4K対応のTVなら、大画面で見ても映像の緻密さ壮大さを実感できるようにしています。反響次第で期間延長の可能性もあります。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます