第3話【カー倶楽部『風来坊』】

「あんたさぁ、ちょっといい加減にしてよ!。」

 27歳の池山信子はいらいらしていた。

 6月の、夏のボーナスが振り込まれて最初の週末だった。亭主である28歳の英輔が勝手に信じられない買い物をしたのだ。

「どうして?なんで何も言わずに買っちゃうの?。」

 信子が手に持っているのはカーショップが発行したレシートとクレジットカードの利用明細書だ。英輔が上着のポケットに隠していたレシートとカードの明細書を洗濯もの探しの時に見つけ出し、それを亭主の英輔に突きつけるようにしてまくしたてた。

「いったいどうしてこんなのが必要なのよ!。」

 論より証拠と言わんばかりに信子はリビングのテーブルにレシートとカードの利用明細書を叩きつけた。

「あ・・・え・・・えっと・・・。」

 英輔は何も言えなかった。クルマいじりは若いころからの趣味であり、やめられないのだ。それを理解してもらえる範囲を超えて使ってしまったのだから、返す言葉がなかった。

 信子はリビングのソファに座って固まっている英輔を上から見下ろして続けて言った。

「アンタがクルマ好きなのはよく知っているわよ。車検とか定期点検とかで維持費がかかるのも知ってるわよ。それにクルマいじりも自分の小遣いの範囲でやるんなら私も何も言わないわよ。・・・それに、今のままで十分だと思っていた・・・。なのに、なにこれ?。さっきクルマも見てきたけど、・・・あんなの、今の生活のどこに必要なのよ?。それに、金額だって・・・」

 英輔が車に取り付けたのは扁平スポーツタイヤと、大型の特別デザインのアルミホイール、さらに前後左右からの見た目の印象を大きく変えた黒いエアロスポイラーだった。当然レシートに書かれている合計金額は英輔の1カ月の給料を超える数字だった。金が足りないわけではないが、信子には信じがたい金額だった。英輔としては月々の支払いが自分の小遣い以下の金額になるよう分割払いを選んだのだが・・・。

「ごめん・・・。」

 英輔はそういうのが精いっぱいだった。

「もう、あんたにクレジットカード持たせなきゃよかったわ。何に使うかわかったもんじゃないもの。大体約束したじゃない!?。クレジットカードは基本通勤定期とかガソリン代とか車検や定期点検、他に大きな必要な買い物で使う時だけって。やりたいことは基本小遣いでやってもらって、その小遣いだって少ないわけじゃないと思うし、付き合いとかで足りないならいつでも言ってって。約束したじゃない!?。」

 英輔と信子が結婚したとき、英輔は『俺、無頓着でお金の管理ができないから』と言って自分の銀行通帳とキャッシュカード、印鑑を信子に一式渡した。そして、信子が英輔の給料などを管理し、池山家の家計を支える役割を担い、英輔は信子から毎月三万円の小遣いをもらって過ごす、というように話し合って決めた。その小遣いを使っては少しずつ自分のクルマのドレスアップ等をしてきた・・・。

「・・・。」

「とにかく、クルマはすぐ元に戻してきて!。あんなんじゃ恥ずかしくて近所の人に見せられないわ!。」

 英輔にとってクルマいじりはやめるにやめられない、いわば最大の趣味であり、自分の時間が取れたらずっとクルマと触れ合っていて、大袈裟に言えば生き甲斐でもあった。

「え~・・・俺がクルマいじり好きなの知ってるだろ・・・。」

「あのね、クルマいじりがダメだとはひとことも言ってません。ハチロクが悪いとも言ってません。しなくてもいいことを、しかも1カ月分の給料を超えるような買い物をしておいて黙ってたことを言ってるのよ。」

 信子の強い口調に、英輔は何も言い返すことが出来なかった。

「とにかくね、うちには暴走族みたいなクルマも、暴走族みたいな人も、どっちもいらないの!。これから璃子の子育てで大変になるのが分かっているでしょ!。

それに、今のご時世燃料代もばかにならないんだからね。燃費のいい車で静かにおとなしく走っていればそれでいいのよ!。大体あれだけ場所とるくせに荷物は乗らない、乗るのも降りるのも大変だし、車内は狭いし、後ろの席なんて使えないし、乗り心地なんて最悪だし、燃費なんて何にも考えてませんってクルマ・・・効率が悪いったらありゃしないわ。」

 英輔が乗っている車はトヨタのハチロクという名のスポーツカーだ。大学を卒業して就職したころから長年夢見てきたクルマで、念願のクルマだった。新車ではとても買えない値段だったが、それでもその車を買うために我慢して給料をコツコツ貯め、程々にたまった時分に真っ赤なハチロクを身近な中古車販売店で見つけ、手に入れた。

 そのハチロクで、2年間乗ってきた。最初のうちはその流麗なフォルムのデザインや独創的なエンジンやそのメカニズムについて知識を得て、そして自動車情報誌や様々なドレスアップをした他人のハチロクを見てきた。そんなことをしているうちに自分だけのオリジナルさをこの愛車に求め更に愛情を注ぎたい、と思うのは車好きには当然の流れだろう。

 ところが、計算?が崩れだしたのは昨年、信子が身ごもってからだった。それまでは信子も「乗り降りが大変」とは言いながらも喜んで助手席に乗り込んできたのに、妊娠して身重になった頃からは同じ言葉でも機嫌悪い言い方に変わり、「荷物乗らない」とか、「乗り心地固すぎ」等、ハチロクの短所ばかりを言うようになってきた。

 子供が生まれた最近はハチロクに全く興味を持たなくなり、ガレージがなんとか2台分の広さがあるので、信子は別に買った中古車のダイハツ・タントを使うようになった。ダイハツ・タントは軽自動車とは思えない広い室内空間を持つ、とても使いよいクルマだ。そのうえ、ハチロクよりもずっと燃費がいい。おかげでいよいよハチロクの居場所が池山家になくなってきてしまった。

 英輔はそんなハチロクが可哀想に思い、この土曜日の午後についに思いきってしまったのだ。頃合いを見て信子に話そうと思っていたが、信子の方が先にクレジットカードの利用明細票をヨットパーカーのポケットから見つけてしまったのだ。

「・・・。」

 英輔があまりに返す言葉もなく小さく固まっている様子を見て、信子も気づいた。

「ちょっとぉ・・・言い過ぎたかもしれないけど、ね、お願い。冷静になって。」

「・・・冷静なつもりだよ・・・確かに、俺もやりすぎた・・・。」

 英輔はポツポツと、話した。

「本当にごめん・・・実を言うと・・・隠すつもりなんてなくて、・・・俺の小遣い、分割払いの間はその金額分を差っ引いてくれたらいいって、そのうち言おうと思っていた・・・ごめん・・・。」

 英輔が本心を言うと、信子もまた自分の心の中に抱えていた本心を喋り始めた。

「なによ、なによ、アンタはクルマのこと、自分のことばっかり・・・本当にアンタは何してるのよ!私や璃子を見てよ・・・私の旦那様でしょ!?璃子のお父さんでしょ!?。子供みたいにいつまでも自分の好きなことばっかり!。少しは大人になってよ。!?。」

 信子は次第に涙を浮かべながら、英輔に訴えた。その信子の姿を見て、英輔はハッと気づいた。本当に大事なのはハチロクじゃない。愛する妻・信子なのだ、そして奥の部屋で眠る璃子なのだ、と。

「・・・ごめん、俺が悪かった・・・だけど・・・車は・・・ハチロクは・・・。」

 英輔は心から詫びた。が、その先が言えなかった。とりあえずしばらく待ってくれ、と返事するのが精いっぱいだった。



 翌日の日曜日、朝9時半を過ぎたころ、ハチロクの姿は喫茶ジータの駐車場にあった。

 ジータはまだ開店準備の時間だった。藤田が焙煎機にコーヒー豆を投入して装置を動かして各テーブルの清掃をしているときに、英輔のハチロクが駐車場にやってきたのだ。

 店の入り口に近いところにハチロクを止め、英輔はマスターの藤田の姿を店内に確認すると準備中の札がかかっていたがかまわず英輔は入店した。そしてカウンター席に崩れるように座り、顎を乗せるようにうつ伏せになって落ち込んでいた。

「マスター、俺も年貢の納め時が来たよ・・・。もうハチロクに乗ってやれなくなりそうだよぉ・・・。」

「それは大変ですねぇ、そのハチロクの件で奥さんと喧嘩ですか?。」

 藤田は調理場のほうに戻ると、引き続き開店準備をしながら英輔の相談相手をした。相談相手と言っても、藤田としては開店準備をしながらなのであまり本気で聞いてはいなかったが。

「うーん、・・・喧嘩というより、一方的に叱られたってほうが正しいかな・・・俺、信子と喧嘩はしたくないから・・・。」

 英輔は喫茶ジータの常連客の一人となりつつあった。

 大学生のころ所属した自動車同好会で友達とクルマの話題で盛り上がった。学科は違ったものの、その同好会では同じ新入生の中に信子もいた。同じ教習所に通い、免許を取った。そして安物ではあったが中古車を買い、同好会の仲間たちとそれぞれのクルマのメカニズムや装備について語り合ったり、また週末には各地を走り回った。夏休みの時は北海道、冬休みの時は九州など、同好会で走りに走り回った。

 いっぽうで信子とはプライベートでも付き合うようになり、卒業前に正式に結婚を意識し、就職して互いにお金がそこそこ貯まった時に結婚した。

いっぽう、同学年だけの集まっての走行会は『風来坊』というチーム名をつくり、信子と結婚しても付き合いは続いていた。

 この春に喫茶ジータの存在を知ってからはほぼ毎週末、コーヒーを飲みながらメンバーであり友人の廣田俊介や岩田敏夫とともにクルマ談義やドライブの打ち合わせ場所に、と喫茶ジータに集っていた・・・。

「マスターは、あの車・・・古いけどレガシィツーリングワゴン、いい車ですよねぇ・・・人もゆったり乗れるし、荷物もたっぷり乗るし・・・。」

 藤田の乗るレガシィツーリングワゴンは二十年くらい前に買ったクルマだ。後にも先にも、これ以上のレガシィツーリングワゴンはない、と藤田も自負するワゴンだ。

 藤田は一通りの作業が終わったので、少しずつドリップされていくコーヒーを見ながら英輔の相手をした。

「うん、あのクルマは運転もしやすいし、快適だし、便利だよ。燃費悪いけどね。」

「それでも、その時代、万人に受け入れられた名車の一台ですよね・・・。」

「池山さんのハチロクもいい車じゃないですか。」

「うん・・・だけど・・・恥ずかしくて近所の人に見せられない、暴走族みたいなクルマ、・・・ですよ・・・。」

 英輔は信子に言われた言葉を復唱するように呟いた。

 藤田は少し笑いながら、

「確かに、ハチロクは乗る人を選ぶクルマかもしれませんね。でも、わかる人にはわかる、名車ですよ。」

と、ひとつめのポットが一杯になりそうだったのでもうひとつのポットに入れ替えながら言った。

 藤田の言葉に英輔ははっと気づいた。

「そうか・・・乗る人を選ぶクルマ・・・逆に言うと、わからない人には永遠に理解できないクルマ、か・・・。」

「同様の日本車をあげると、日産のGTRやフェアレディZ、トヨタのスープラ、ホンダのNSX、マツダのRX-7や8、・・・。1980年代後半はそういう各メーカーのフラッグシップと呼ばれるハイパワー・スポーツカーが必ずあって、それがまだ理解されていましたけど、21世紀になると地球温暖化問題や環境汚染、更に自動車の安全性向上とか電動化などいろいろあって、メーカーもあまり力を入れなくなってしまいましたからねぇ・・・。」

「あ~、やっぱりハチロクが可哀想だよぉ・・・。」

 英輔は藤田の説明を聞いて涙ぐみながら顔をカウンターに沈めてしまった。

 その時、店の駐車場に一台のクルマがやってきた。マツダの青色のユーノス・ロードスターだった。天気が良いので屋根を開いていた。

英輔の乗ってきたハチロクのすぐ横に駐車し、廣田俊介と岩田敏夫の二人が降りてきた。

手動式の屋根を手際よく二人作業で閉めてから、店内に入ってきた。

「よお、英輔。なんだよ、朝から呼び出すなんてさあ。」

 廣田俊介と岩田敏夫は英輔の座るカウンター席に近い4人用テーブル席に座った。

「ああ、すまんな・・・。」

 英輔は肩を落として下を向き、ため息をつきながら二人に向いて座り直した。

「実は、あのハチロク・・・売ろうと思うんだ。」

「ええーっ。なんでなんで?。あんなに一途の思いをこめて買ったハチロクだったはずなのに!?。」

「そうだよ、『このハチロクに出会うため俺の人生はあったんだ!』とか言ってたじゃないか。」

 二人は声を合わせて驚いた。

「実は・・・」

 英輔はカウンター席から俊介と俊夫の座るテーブル席に移ると、家での出来事を簡単に説明した。

「そりゃあ・・・ノブちゃんの言うことはもっともだな。筋が通ってる。」

「うん、俺もそう思う・・・。それと・・・俺も今さっき英輔のハチロク見たけど、・・・確かにやりすぎだと思うな。・・・見慣れないせいかもしれないけど、車体に似合わないホイールのでかさはアンバランスに見えるし、・・・そして特にあのエアロスポイラー、あれ、何だよ?。どこまで手を加えたのか知らないけど、何が目的なんだ?。せっかく日常使いに合うようにメーカーがセッティングしたものを変えてしまうなんて・・・。レースに出るのならともかく、そうでないなら是非やめるべきだ。」

と二人は英輔をかばうのではなく、逆に窘めるように言った。

「そうか・・・俺がやっぱり間違っていたのか・・・。」

「いいか、俺たちの目的はサーキットを走ることじゃないだろ?。俺たち『風来坊』は一般道を普通に走るんだ。高速や一般道の景色の変化を愉しみながら走るんだ。スピードやコーナリング性能は二の次三の次なんだ。忘れたのか?。

それに、ああいう赤いハチロクのようなスポーツカーは変なドレスアップをやるとパトカーに目を付けられやすくなる。違法改造してないかって、な。」

 英輔の取り付けたパーツは全て車検対応のもので合法なのだが、廣田俊介の言い分はもっともで、かつ説得力があった。

 英輔はすっかり落ち込んでしまった。

「ま、そういうわけで、カー倶楽部『風来坊』、しばらく休むわ。シュン、トシ、悪いな。」

「おいおい、ノブちゃんはハチロク自体は否定してないんだろ?。元に戻せばいいんだろ?。だったら、俺の親戚の叔父さんに頼めば簡単に元に戻せると思うぜ。ショップに頼むよりずっと安くしてくれるし、さ。」

と俊介が言った。

 俊介の父親の弟が車の修理工場で働いているのだ。今乗っているロードスターも何かあると持って行って見てもらっている。

「うん・・・だけど、ハチロクがあると絶対また同じことをすると思うんだ。俺、馬鹿だからさ・・・。だから、この際ハチロクはないほうがいいと思って決めたんだ・・・。」

 俊介はそう言う英輔の姿に対し何も言えなかったが、横から敏夫が

「ちょ、ちょっと待てよ!。いいのか?。本当にいいのか?。それは本当にお前の本心なのか?なあ、英輔!。俺はやだぜ、風来坊二人っきりになるなんて。風来坊は三人なんだ、英輔が必要なんだ、英輔がいないと風来坊じゃあなくなるんだよ!。そんなのやだぜ!。」

と英輔の両腕をつかみながら言った。

 英輔はそう訊かれて言い返すことができなくなった。信子にガツンと言われた時同様、固まってしまった。

「お前の『風来坊』に対する気持ちは、そんな程度だったのかよ!?。」

 敏夫の声が英輔の心にぐさりと突き刺さった。

 本当はハチロクを手放したくない、『風来坊』を続けたいのだ。

「俺だって・・・そうだよ・・・本当はハチロク、手放したくないよ・・・だけど・・・仕方がないんだよ・・・。さっきも言ったろ?今は信子と璃子のほうが大事なんだよ!。」

 敏夫は英輔のその答えにはっと気づいた。しまった、英輔を困らせてしまった、と。そう気づき、

「ごめん、英輔・・・言い過ぎた・・・。『風来坊』を休むなんて言われて、つい・・・。」

と謝った。

 しばらくの間沈黙が続いた。コーヒーメーカーの豆を挽く音がこぎみよく響いていた。

「あの・・・さ・・・。」

俊介が一つのアイデアを思いつき、話し始めた

「じゃあさ、・・・俺たちが今乗ってるロードスターを売って、その代わりに英輔のハチロクを俺たちが引き取るってのは、どうだ?。」

とが言った。敏夫も「お・・・」と言い、すぐに「うんうん、それいい!。ナイスアイデア!。」、と頷いた。

「え・・・?。」と英輔が戸惑っていると、俊介は説明を続けた。

「実はさ・・・ここに来る途中、トシと話していたんだけど、あのロードスターも20年以上も前の車だし、さすがにあちこちガタが来てるんだ。マニュアルトランスミッションも渋くなってきたし、手動の屋根の開閉だって動きが悪い時もあるし、苦労してるんだ。

 それにちょっとでもかさばるような荷物があると一人しか乗れなくなるし。オープンは気持ちいいんだけど、夏は直射日光がきついし冬は風が冷たいしさ。

 それにくらべると、英輔のハチロクはロードスターよりずっと新しくて、年中通して快適で居心地もいい。それに、メンテや手入れも叔父さんのところで安心だし。ドライブだって4人まで乗れてさらに荷物も載せられるし、きっとそのほうがずっと楽しいぜ?。それに・・・。」

俊介は少しだけ間を置き、

「なにより英輔もあのハチロクのハンドル、握りたいんだろ?。カー倶楽部『風来坊』は続けられる。どうだ?。」

と言った。

 英輔はしばらく俊介の顔を見た。そして、

「俊介~~~っ。」

と、立ち上がりながら声を上げて抱き着こうとした。

「わっ、ちょっと待て!近寄るな!俺はホモじゃねぇからな!!。」

と言うのも構わず・・としたいところだったが、それを拒否された英輔の両腕は行き場を失なった。英輔は数秒固まっていたが、俊介に抱き着こうと上げていた腕をテーブルの上につき、あらためて座り直すと、

「やっぱり、持つべきはよき友だぜ。・・・で、なんぼで買ってくれる?。」

と満面の笑顔になって言った。

 三人で車の売買の具体的な話を始めて間もなく、カウンター向こうの調理場に置いている時計のアラームが鳴った。ちょうど開店時間の10時だ。

「はい、おまちどお。」

 藤田が3人分のコーヒーを盆に持ってテーブル席に持ってきた。

「え?まだ頼んでなかったと思うけど?。」

と英輔が言うと、藤田は説明した。

「皆さんの素晴らしい友情に、私も心が和みました。どうぞお飲みください。それに、もともと飲みに来られたんでしょう?。」

 藤田の笑顔とその言葉に3人は顔を合わせて大きく頷き、煎れたてのコーヒーの入ったカップを手に取って、

「じゃあ、ありがたくいただきます。」

と返事をして飲むことにした。

「めっちゃ美味しい!。」



 それから一週間後。

「えっ、売っちゃったの?。」

 信子は驚いた。

 ハチロクを元の姿に戻すのにかかる金額、ロードスターを専門店で買い取ってもらう際の見積もり金額、また英輔が乗っていたのとほぼ同じ状態のハチロクを買う時の相場の金額、全てを差し引きした金額で英輔は俊介と敏夫にハチロクを売った。俊介と敏夫には自動車修理工場に勤務する親戚がいるので、売買の書類手続きやハチロクを元の姿に戻すのもお手の物だろう。

 その金額は、英輔がハチロクに今回つぎ込んだ改造費用と比べると十分な金額が手元に入ることになった。俊介と敏夫にとっても、同程度のハチロクを改めて市場で買うより大変安く手に入れられるという、三人共にメリットのある売買となった。

 俊介と敏夫が一台の車でやってきて玄関先で英輔と色々打ち合わせた後、ハチロクは敏夫の運転で去っていったところだった。

 英輔は事のすべてを信子に話し、

「ああ・・・ハチロクは元の姿になって俊介と敏夫のところに行くことになった。お別れすることになったけど、あのハチロクに会いたくなったらいつだって会わせてくれるってさ。そして、今日から俺はタントオヤジになる。璃子の面倒も見る。それでいいだろ?。」

と言った。

「そんなの・・・当り前じゃない。」

 信子はそういって最高の笑顔とともに英輔に抱き着いた。そして、

「ハチロクの時のようにピカピカのタントにしてあげてね。」

と信子は英輔の胸の中で言った。英輔は信子を両腕でしっかりと抱きしめ、言った。

「おう、任しとけ。」



 1か月後。ハチロクとタントの2台でのカー倶楽部『風来坊』のドライブが行われた。最近評判の道の駅を目指して郊外の道を走っていた。

ハチロクには俊介と敏夫、タントには英輔をはじめ信子と璃子が乗っていた。

 タントの運転席に座っているのは当然、英輔だ。かつて自分が乗っていた車の後姿を見ながら走ることに、不思議に心ときめいていた。

 6月の最終日曜日、梅雨の合間の空は眩しいくらいに青かった。

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