第二章 インサイティング・インシデント⑤

 薔薇園は、腹ごなしの散歩みたいな気楽さで歩みを進め、モップを拾い、そしてカケルくんと対峙した。

 カケルくんの弾けとんだ右肩は糸で引っ張られるようにもとの位置に戻り、再び成人男性の一般的な骨格を形成する。しかし度重なる邪魔により、その怒りはもはや最高潮のようだ。全身の骨がカタカタと音を立てて震えている。

 危機的状況に対して現れた見知った顔。しかもなんだか訳知り顔。

 彼女が只者ではないということなどわかっていた。

 しかし、喉から出かけた「助けてください」という言葉をぐっと飲み込んで、公人は叫ぶ。


「薔薇園先輩! 何してるんですか! 危ないんで逃げてください!」


 身を案じる公人の叫びを聞いて、振り向きざまに薔薇園は笑う。説法を聞かされた釈迦みたいな笑みだった。


「あら? フヌケ野郎かと思いきや、少しは主人公らしいことも言えるんですのね。でも、その察しの悪さは減点ですわよ」


 言いながら、薔薇園はモップを振り回す。カケルくんへ、横薙ぎに一撃。手首を回転させて上から更に一撃。背中を経由して肩からもう一撃。

 ペン回しのような滑らかな動きで、彼女はカケルくんをシバき続ける。叩かれるたびに、カケルくんの骨から破片が飛んだ。


『まりあお姉ちゃん。後ろです!』

「ん」


 背後からの奇襲にも、薔薇園は危なげなく対応する。

 密かにカケルくんが分離させ、挟み込むように首根っこを狙っていた左手首を、モップの柄で受け止める。金属と骨がぶつかりあう嫌な音が鳴ること数回、ついに手首は叩き落とされた。おイタは厳禁とでも言うように、薔薇園はそれを踏みつけにする。


「ったく。数時間かけて編み込んだ魔術刺繍がパァですわ。どうしてくれるんですの。時は金なりですのよ」


 先程の鍔(?)迫り合いで、モップの柄に巻かれたなめし革は呪詛に触れてしまったお守りのように黒ずんでしまっている。薔薇園はそれを苛立たしげに放り投げた。

 得物を失ったというのに、彼女の表情からは動揺ひとつ感じられない。


「なんだか、すっごくプロって雰囲気を感じる動きね」


 その立ち振舞いを見て、いつの間にか背後に来ていた高嶺が感想を漏らした。公人もこくりと同意する。


「一体、先輩は何者なんだ」

『まりあお姉ちゃんは魔女の末裔なのですよ』


 公人が疑問を口にした時、タイミングよくスマホから解説が挟み込まれた。


『魔女といっても、一般的なイメージとは違うです。いわゆる魔法使いの血族じゃなくて、特殊な技術を受け継ぐ職人の一派という感じですね。カケルくんみたいな存在は、彼女たちにしてみれば素材のための獲物です』

「ワクワクする説明ね。胸が躍るわ」

「そんなもの本当に存在するのか?」

『証拠は目の前にあるですよ』


 カケルくんがまたも構える。しかも今度は背中からの大振りだ。まともに受ければそのまま文字通り骨が折れてしまいそうな一撃を、あろうことか、薔薇園は素手で受け止めた。

 ――いや、違う。ガキンと金属質な音が鳴った。火花も散った。彼女の手には、いつの間にか丸っこい十手のようなものが握られている。

 それは、裁縫の際に用いるスティッチリッパーであった。縫い糸を断ち切る時に使うアレである。

 薔薇園はノドの部分で振り下ろされた上腕骨を受け止め、横に弾いた。すばやくしゃがんでリッパーの先を股関節に差し込み、テコの原理でこじ開ける。ばぎりと嫌な音がして、カケルくんの右足が根本から剥がされた。


「裁縫道具で戦うのね。私、こういうケレン味好きよ」

「のんきに見物してる場合じゃないよ。僕らも何か手を打とう」

『あー! ヘタに動こうとしないでください! 演算が合わなくなるです!』

「演算?」

『はいです。今、ミカコは音や電波の反響でカケルくんの行動をシミュレートしてるです。こっちに危害が加わりそうになったら事前に察知するためですね。これには高度な演算処理が求められるので、座標はなるべく動かさないでください』

「僕の型落ちスマホにそんなことができるとは思えないけど」

『バッテリーの寿命と引き換えの大技です』


 どうりで先程からスマホがアチアチなわけである。


「……っていうか、お前も普通の人間じゃないんだな」

『最初に言ってるですよ? ミカコはハイスペックな電子生命体です』

「今になってようやく、その言葉を信じたよ」


 怪異だとか、魔女だとか、電子生命体だとか。

 公人の中には未だに受け入れがたい気持ちがある。しかし、目の前の光景を見てしまうと、それらの非現実的な存在を信じずにはいられない。


「ふふふ。うまく躱した気になっているようですが、残念。あなたは既にわたくしの術中に嵌っていますわ」


 なぜなら冒頭のホラー要素はどこへやら、すっかり絵面が週刊少年誌のできそこないバトル漫画みたいになっているからだ。

 よく目を凝らして見ると、廊下にいくつもの光る筋があることに公人は気づく。

 そして、薔薇園とカケルくんが骨と裁縫道具によるシュールな鍔迫り合いを繰り広げるたび、それは一層また一層とカケルくんの身体に絡みついていった。

 金色に光る細い糸である。

 出どころは高嶺の握るリッパーの先、それが振るわれるたびに、少しずつではあるが確実に、カケルくんの動きを制限していった。


「ようやく止まりやがったですわね。まったく。大した馬鹿力ですこと」


 しまいには、カケルくんの主要の骨という骨が糸に搦め捕られ、カタツムリの歩みにも劣る速度でしか動けなくなっていた。

 それでもなお、ぎぎぎと薔薇園に腕を振り下ろそうとしているのは、それだけこの世に強い未練を残しているということだろうか。


「でも、残念ながらわたくしの作戦勝ちですわ。覚悟の準備はよろしくて?」


 さんざん打ち据えられたせいでひび割れてしまっている髑髏頭を不敵に見つめながら、薔薇園は左手に装着した暗器のような巨大針で、カケルくんの胸骨をつんつんする。

 彼女は宣言した。


「魔女の針仕事バリオン・ステッチ


 合図と共に、左手を引いた。巻き付いていた糸がギュンと縮んで、カケルくんの身体を締め付ける。

 もがくが、無駄だった。

 隙間から広げた手のひらが救いを求めるように伸ばされたが、それも金色の糸に飲み込まれた。無慈悲な搦め捕りは、辺りに張り巡らされた金の筋がなくなるまで続いた。

 あっという間に、カケルくんは繭のような金色のカタマリになってしまった。


「お二方。もう大丈夫ですわよ。怪異の拘束は完了しましたわ」


 薔薇園が、公人と高嶺に向かってそう声をかけた。



 公人は薔薇園に近寄った。

 正確には、ミカコが『近づいてください』と指示を出したのでスマホ運搬係として役目を果たしただけだ。


『これ、どうするです?』


 ミカコの目、もといスマホのカメラはぐる巻きにされたカケルくんに向けられていた。手も足も出ない状態にされているが、まだ中身は健在らしく、時折表面に手の形が浮き上がるので、安心安全という気分にはなれない。


「本物の人骨であれば素材的価値もありますけれど、元の素材は市販の骨格模型なのでしょう? わたくしはいらねぇですわ」

『ミカコも今スキャンしたですが……うーん、特に目新しいデータはないですね。よくある局所的ミーム型怪異が物体に憑依したやつです』

「お互いハズレってことですわね。もう少し検分してから、秋円寺さんに押し付けてしまいましょうか」

『そうするです。さっき連絡したので、たぶんすぐ来るですよ』


 専門用語の飛び交うやり取りは耳に入ってもすぐに頭から抜けていったが、最後に飛び出した聞き馴染みある名前だけは逃せなかった。

 おずおずと片手を挙げて、公人は話し合いに割って入る。


「あの、ひょっとして秋円寺のやつも、そっち側の……なんていうか、特殊な力を持ってるんですか?」

「そうですわよ」


 こともなげに薔薇園は返答する。

 なんということであろう。高嶺が集めた超文芸部メンバーのうち、公人以外が全員、《物語》に出てくるような異能力者であったとは。


「そんなことあるかい」


 無論、こんなことが偶然起きるはずはない。何かしらの力が働いているはずだ。

 裏で手ぐすね引く黒幕の手のひらでワルツを踊らされる前に、真相究明を図る必要がある。

 そう思って公人が問いかけるべき質問を考えていると、廊下の奥からドタドタドタと床板を踏み鳴らす音がした。

 足音だけで誰が来るのかわかった。


「我が主! ご無事ですか!」


 言うまでもなく、先程会話に登場した秋円寺である。

 本当に高嶺の言いつけを守って野良犬を躾けようとしていたのか、学ランのあちこちに犬の毛が付着していた。右足のほうには噛み跡までついていた。

 彼は公人たちを路傍の石ころ同然に無視し、一直線に高嶺に歩み寄った。


「我が主。お怪我はありませんか? トラウマが生まれてはおりませんか?」

「平気よ。ちょっと転んで鼻血は出てしまったけれど」

「……ご安心を。そのケジメはきっちりとつけさせていただきます」


 秋円寺の眉がピクリと動く。

 振り返り、ターゲットを逃したヒットマンみたいに、血走った目をぎょろぎょろと巡らせる。そして視線は廊下に転がっている金色の繭に向けられた。


「……こいつか。我が主に血を流させた狼藉者は……!」

「ご名答ですわ。無力化はこちらで済ませましたので、あなたには処理をお願いしたいんですの」

「よかろう」

「では、合図したら糸を解きますので、そのままズバッといっちゃってくださいまし」

「チリひとつ残さずこの世から消してやる……!」


 恨みがましく物騒なことを口にして、秋円寺は己の腕に巻かれていた包帯をほどく。

 ただの厨二病ファッションかと思いきや、隠されていた手の甲には、彼の浅黒い肌に溶け込むような黒いタトゥーが刻まれていた。模様こそ五芒星と厨二病的にはスタンダードなものではあるが、不可逆ゆえに神秘性を感じさせる。

 彼は手を掲げて五芒星と見つめ合うようにしながら言葉を紡ぐ。


「盲目にしてすべてを識る神よ……闇に蠢くおぞましきものよ……光に見放された汝に向けて、ただひとつの祝福を与えよう……我が肉と皮を盾として、この地に影を落とし給え《無貌の神》、装神」


 中学生が授業中に頑張って考えたみたいな祝詞を紡ぐと、廊下に伸びていた秋円寺の影がぬるりと浮き上がって、彼の身体にまとわりついた。

 どす黒い闇に包まれた秋円寺のシルエットが、腕、足、胴体と変化していく。

 闇が晴れた時、そこに立っていたのは、学ラン姿の高嶺過激派オタクではなく、黒鉄のプレートアーマーを身にまとった騎士であった。

 どこの戦史にも登場したことのないような、半球体と棒を複雑に組み合わせた奇抜なデザインをしている。手に握られているのは輪郭が常にぼやけているサーベル風の影の剣。

 頭部のみはなんの装備もなく秋円寺の素顔丸出しであるが、彼の素肌の鎧がうまく調和しており、なんだかやたらと格好良く見えた。


「消えて無くなれ」


 秋円寺が指揮者のように軽やかに剣を振るい、カケルくんが捕らえられている金色の繭を一撫でした。影の剣は繭を素通りし、その後数秒間は何も起こらなかったが、


「抹消」


 と、秋円寺が合図を送った途端に、まるで見えない何かに包みこまれていくかのように姿が黒々と染まってゆき、しまいには跡形もなくなってしまった。


「ふん。これにて一件落着だな」


 秋円寺が指パッチンを鳴らし、サーベルを空中で十字に振るった。

 それは何かしらの儀式の解除を意味していたようで、《無貌の神》によってもたらされた黒鉄の鎧は床に溶けるようにして沈み、もとの秋円寺の影へと戻っていった。

 いつもの暑苦しい学ラン姿を取り戻した彼は、キザったらしく白髪を掻き上げ、公人たちに向き直る。


「これで怪異の処理は完了したぞ。我が主に害を為す存在がまたこの世からひとつ消えた。なんと喜ばしい――」

「クソボケーッ!」

 しかしそこに薔薇園のドロップキックが炸裂した! 倒れざまに取られるマウントポジション! 流れるような往復ビンタが計二発!


「わたくしが合図してから処理しろと言ったじゃありませんの! 糸ごと消しやがってですわ! 今すぐ元に戻しなさい!」

「ふはははは! 断る! というか私にも一度抹消したものは元に戻せん! 残念だったな薔薇園まりあ!」

「あの金糸、一メートル単価いくらだと思ってんですの! いいから吐き出しなさい! さもなくば弁償なさい!」

「よく考えろ。この世から我が主に害為す存在がひとつ消えたのだぞ? 貴様の糸はそいつを逃さぬための捕縛縄として十二分に役に立った。それだけで金銭では測れぬプライスレスな価値が発生したと言えるだろう」

「もおおおお! ただでさえタダ働きなのに、クソバカのせいで大赤字ですわ!」


 黒騎士は笑い、魔女は嘆いた。なにやらエキスパート間で別個の問題が発生したようであるが、カケルくんという怪異に端を発するトラブルについては、これでひとまず解決と断じてよさそうだ。


「みんな」


 しかし、疑問は山積みである。

 高嶺は一同に向かって、有無を言わせぬ凄味を含ませながら言った。


「今回のこと、詳しく話を聞かせてもらうわよ」

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