第三章 ファースト・ターニングポイント①

 一部損壊した旧校舎を放置して、公人たち一行は超文芸部の部室へと戻った。

 皆が所定のパイプ椅子に腰掛ける。ミカコは公人のスマホから脱出し、モノリスに戻って広くなった画面の中で身じろぎをした。

 高嶺は一人立ち上がったまま、皆の顔を順に見つめる。そして言った。


「まずは、みんな、危ないところを助けてくれてどうもありがとう。あなたたちがいなければ、私か手塚くんのどちらかがカケルくんに身体を乗っ取られていたでしょうね。その点については感謝してもしきれないわ」


 彼女は両手を身体の前で重ねてうやうやしくお辞儀をした。命を助けられたことに感謝しているのは公人も同感だったので、誰も見ていないけれど軽く頭を下げた。

 きっかり三秒頭を下げて、高嶺は顔を上げた。そして今度はこっちのターンだとばかりに両手を腰にあて、頬をぷくーと膨らませる。


「でも、どうしてこんなワクワクする正体を教えてくれなかったの? カケルくんのことだって、実在するって教えてもらっていたら、もっと緻密な作戦を立てていたのに」


 ぷんすかしている理由が「おかげで死ぬところだった」という至極当然なものではなく、明後日の方向にズレたものであるのは実に高嶺らしい。

 しかしそれでも他の三人が困ったように顔を見合わせたので、公人は助け舟を差し出した。


「高嶺さん。こういうのはあれだよ、迂闊に一般人に正体を明かすことはできないってやつなんじゃない? フィクションだと大体そうじゃん」

「いえ、大っぴらにしないのであれば別に構いませんわ。わたくしの場合、店の常連さんやご近所さんには正体を明かしてますし」

『ミカコはそもそも隠してるつもりなかったです』

「同じく」

「ああ、そうですかい」


 しかし、ものの見事に空振りに終わった。


「というより、高嶺さんはわたくしたちの正体をご存知とばかり思っていましたわ。だって、集められたメンバーが狙いすましたかのように『こちら側』の人たちばかりなんですもの」

「それなんですけど、先輩たちのバックにいる組織が一枚噛んでるとかじゃないんですか? 偶然こんなことにはならないでしょ」

「少なくともわたくしは個人事業主ですわ。ミカコさんや秋円寺さんは同業他社といったところですわね」

『たまーに協力してハントすることもあるですけど、基本ノータッチです。お互いの活動方針も違うですし』

「私は我が主にしか従わん」

「ああ、そうですかい」


 またも空振りである。そろそろ発言に自信がなくなってきた。


「私は物語に出てくるような個性の強い人たちに声をかけただけだったのだけれど……ここまで大当たりだと自分の選球眼に驚くほかないわね」

『もうひとつ可能性はあるですよ。千尋お姉ちゃんの能力っていう可能性です』

『能力』という単語に、高嶺はピクリと反応した。

「実にそそられる言葉ね。詳しく聞かせてちょうだい」

『千尋お姉ちゃんって、今までになにか不思議な体験したことあるですか?』

「そうね……すべて幼い頃の話だけど、カッパと相撲を取って土俵際まで追い詰めたり、アブダクションされてUFO内で一週間のホームステイをしたり、ハイジャックされた飛行機で一か八かの囮役を引き受けたりしたことがあるくらいかしら」


 公人の予想を遥かに上回るエピソードの濃さだった。よくもまぁそれで「なんの面白みもない人生を送ってきた」などと言えたものだ。


『だとすると、やっぱり千尋お姉ちゃんも能力者なのでは? 因果律操作とか、願望の引き寄せとか、そういう類のやつです。千尋お姉ちゃんは物語を実現しようと超文芸部を作ったですよね。メンバーを集める時に無意識に能力がはたらいて、数ある生徒の中からミカコたちを選別したのではと思うです』


 ミカコの分析に、他のメンバーも追随した。


「確かに、それだとカケルくんが出現した理由にもなりますわね。もともと怪異が生まれやすいという土壌はあったのでしょうが、直接的なきっかけは高嶺さんの能力だったと」

「我が主であればそのくらいの力を持っていてもおかしくはないな」

「なんてこと……なんの変哲もない私にそんな能力が秘められていただなんて!」


 高嶺はまるで拾った宝くじに一等の当選番号が記されていたみたいに感極まっている。


「もしその話が本当なら、こんな嬉しいことはないわ。私たち超文芸部が紡ぐ物語の可能性が一気に広がるんだもの。現代ファンタジー、ホラー、ミステリ、SFにラブコメ……ああ、よりどりみどりでどれを選ぶべきか迷ってしまうわ」

「こちらとしても大助かりですわ。バトル方向に話が進むのであれば、素材調達に事欠かなくなりますもの」

『ミカコもたくさんデータが採取できそうで嬉しいです!』

「我が主、万歳! 我が主、万歳!」


 やんややんやと登場人物たちが盛り上がる中、ひとり、輪の中に入れず疎外感を味わっている者がいる。


「ちょっといいか?」


 我らが《主人公》、手塚公人である。

 彼は期待と諦観がごちゃまぜになった複雑な表情で問いかけた。


「高嶺さんは引き寄せの能力を持った特別な人間だった。それはいい。で、そんな高嶺さんに集められた他のメンバーもなんらかの非現実的な存在だった。これも別に構わない」


 そこまでが前置きだった。


「じゃあ、僕はどうなんだ? 今のところなんにも兆候がないんだけど……これ、あとでなんか能力が覚醒するって考えていいんだよな? 僕だけ凡人のままってことはないよな?」


 悲痛の籠もった問いかけである。

 これまで非現実的な存在や事象については「あるはずがない」というスタンスを崩してこなかった公人だが、否定のしようがない証拠を次々見せられたせいで、固定観念を粉々にされてしまっていた。

 そうなると、芽生えるのはかつて頭に思い描いていた妄想の数々である。ひねくれていた彼にもそういう時期はあったのだ。

 魔法、超能力、サイバネティックスにオーパーツ。とにかくなんでもいいから、物語で活躍できるような個性が欲しかった。

 登場人物たちは答えた。


「いえ、手塚さんには何の素養も感じませんわ」

『ミカコの分析によれば、公人お兄ちゃんに能力が目覚める可能性はほぼゼロです!』

「思い上がるなよ凡人が」


 すがる余地もないほど一刀両断された。

 ただでさえオーバーキルな宣告を受けた公人であるが、トドメを刺したのは、むしろ優しげな口調で放たれた高嶺の一言だった。


「大丈夫よ手塚くん。一般人に近いほうが読者の目線に立って物語を記述できるじゃない。なんの能力もなくたって、あなたは私たちの主人公よ」

「ああ、そうですかい」


 三度目の正直はならずして、空振り三振に終わった公人である。

 今度こそ完全に彼はふてくされた。

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