第二章 インサイティング・インシデント③

「それじゃあ、目下のところは、『旧校舎コドク倶楽部』の第二章、『七不思議編』の展開を実行に移していこうかしらね」


 記念すべき第一回目の超文芸部会議は、そのように始まった。


『はいはい! 千尋お姉ちゃんにクエスチョンです! それってどんなお話なんですか?』

「お話の流れとしては実にシンプルよ。第一章においてコドク倶楽部を立ち上げた主人公たちが、部室を構える旧校舎でカケルくんという怪異に遭遇するの。カケルくんは短距離ランナーの魂が乗り移った人体骨格模型で、目撃者には肉体の入れ替わりを懸けた屋内レースを仕掛けてくるわ。妙に綺麗な走法フォームで追いかけてくるというのが特徴よ」

「七不思議の定番、走るガイコツってやつですわね。ちょっと絵面がおもしろくなる設定が付け足されているようですけれど、手塚さんが考えたんですの?」

「僕にそんな発想はないですよ。この学校に伝わってるシュールな怪談をそのまま流用しただけです」

「貴様ら、我が主の説明中に余計な口を挟むんじゃない」

「話を続けるわね。カケルくんの俊敏な動きと華麗なコーナリングによって、主人公たちはあわや追いつかれてしまいそうになるの。でも、旧校舎に住み着いていた野良犬をけしかけたことで状況は一変。カケルくんは大腿骨をワンちゃんに持っていかれたせいで、そのままレースに敗退してしまうわ」

『え、それで……?』

「これでめでたしめでたしよ。その後、カケルくんはすっかり立場が逆転して、おやつ欲しさのワンちゃんたちに追いかけ回されることになりました、というのがオチになるわ」

「『「…………」』」


 視線の集中砲火が公人に向かう。


「なんだよ。素人が書いた作品なんてこんなもんだろ」

「それにしたってひっでぇですわ。B級ホラー映画でももっとマシなシナリオですわよ」

「勝ち方に爽快感がなさすぎる。せめてちゃんとしたレースで決着をつけろ」

『中途半端にリアリティのない展開やるくらいなら、いっそ主人公チームも特殊な力で対抗すればいいのにと思うです』


 貴重なご意見がたくさん寄せられた。辛辣とはいえ作品の感想には違いないので、公人は静かに聞き入れる。活かすかどうかは別である。


「作品がつまんないって批評は甘んじて受け入れるけどさ、問題はそこじゃないだろ。高嶺さん。君は、この展開をどうやって実現させるつもりなんだ?」


 水を向けられた高嶺はきょとんとしていた。


「それは勿論、私たちもカケルくんを見つけてレースするのよ」

「……現実に、カケルくんなんて怪異はいないよ?」

「そう決めつけるのは早計というものだわ。現に、カケルくんの噂話はこの学校に伝わっているんでしょう? 火のないところに煙は立たないのだから、きっと、カケルくんと遭遇できる方法があるはずよ」


 なんて純粋な目でズレたことを言いやがる。


「というワケで、当面の間はカケルくんとの遭遇方法を探します。ミカコは学校関係者のSNSからより詳細な情報を調べて」

『いえっさー!』

「薔薇園先輩は各種小道具の作成をお願いします。クレイジーソルトを詰め込んだ煙玉があると嬉しいです。カケルくんの弱点なので」

「任せろですわ」

「秋円寺くんは対カケルくん用最終兵器、ワンちゃん軍団の調達よ。裏山に何匹か住み着いているはずだから、なんとか手懐けてちょうだい」

「仰せの通りに!」


 公人が口を挟む間もなく、各人に指示が配られた。

 小規模なかぐや姫のごとき難題を突きつけられたというのに、皆文句を言うどころかノリノリである。やはり同じ穴のムジナだ。

 こうなると公人も指示を仰ぐしかない。


「……僕は、一体何をすればいい?」

「手塚くんは私と一緒に現地調査よ。カケルくんが現れるとされる旧生物室をくまなく調べるわ」

「え」

「鍵も既に入手しているの」

 彼女のポケットからじゃらりと赤錆のついた鍵束が現れる。用意がいい。

「手塚くんには期待しているわよ。ぜひホームズばりの観察眼を披露してちょうだいね」


 一撃必殺と噂される高嶺のウインクを受けてなお、公人は苦々しい表情を浮かべたままだった。

 好奇心で「出る」と噂される場所の調査に出向くなんて、ホラー作品の前フリにしか思えなかったからだ。



 同じ建物内にあるのだから当然といえば当然なのだが、旧生物室にはすぐ着いた。

 階段を下りること一回、角を曲がること二回、あとは廊下を直進するだけだった。

 わざわざスペースを開けてシーンを切り替える必要もなかったくらいだ。


「どこからどう見ても普通の空き教室なんだけど。本当に調査なんてするの?」


 公人はガラス窓に顔を近づけて、旧生物室を覗きながらそう言った。


「もちろんよ。どこかにカケルくんの手がかりが残ってるかもしれないじゃない」


 高嶺は先程からドアをガチャガチャ鳴らしている。どうやら鍵束にはキータグがつけられていないらしく、お目当ての鍵を見つけ出すためにトライアンドエラーを繰り返しているようだ。


「あ、これね」


 差し込んだ鍵がついに半回転して、カチャンと小気味よい音が鳴った。二人して顔を見合わせる。

 無言の圧力。

 公人はしぶしぶ戸を引いて、旧生物室の中へと踏み込んだ。


「失礼しまーす……」


 室内は、怪談の出どころにしては綺麗だった。

 木製の机や椅子は日焼けしていて古臭い印象を持ったが、きちんと整頓されていた。

 人の出入りがないため空気は乾燥しているし、どこか淀んでいる気もするのだが、不快さを感じるほどでもない。

 もちろん、科学とオカルトを交ぜ込んだ儀式の跡のようなものや、倫理に反する生物実験の残骸なども残っていない。

 至って普通の、使われなくなった旧時代の教室といった雰囲気である。


「これが噂のカケルくんね」


 そして、教室の窓際、空っぽの薬品棚の横にそれはあった。

 一般的な成人男性をモデルにした骨格模型である。

 人体の骨組みを視覚的に伝えるそれは、支柱に体を預け、姿勢良く直立していた。こちらも、ところどころが薄汚れているくらいで特に妙な点は見当たらない。


「……当たり前だけど、普通の骨格模型だね。動き出しそうな気配がまったくない」

「仕方ないわ。レースが始まるとされているのは夜だもの。きっと、今は最高のスタートダッシュのためにイメトレ中なのよ」

「カケルくん、頭の中からっぽだから無理でしょ」

「手塚くん。そういう悪口はよくないわ」

「見たまんまを言っただけだよ」


 などと軽口を叩きつつ、公人たちはカケルくんを頭蓋から足の親指の先までつぶらに観察する。五秒で終わった。


「足の部分だけすり減ってるとかあればあるいはとも思ったけど、そんなこともないね」

「きっと走り込みの後には丁寧な体調ケアを心がけているのよ。ランナーの鑑ね」

「めげないなぁ」


 このまま噂の出どころを凝視しても何も得るものがないと判断した公人は、周囲に何かないかと、一応視線を巡らせる。

 水流が凄まじいことでおなじみの洗い場付き机、かつてメダカなんかを飼育していたと思しき古い水槽、パッケージデザインからしてかなり昔のものだとわかる空の洗剤ボトルと経て、最終的に彼の視線は机の引き出し部分へと注がれた。

 そこには、一冊の古ぼけたノートがあった。


「なんだこれ」


 取り出し、色褪せた表紙を指で弾いてみる。埃は飛ばなかった。妙な膨らみがあるのは中にペンが挟まっているせいだろう。


「うわ」


 なんの気なくページをめくった公人は小さな悲鳴を漏らした。

 そこにびっしりと記されていたのは数字の羅列である。左側には日付、右側には数十秒前後のタイムがワンセットとなって書かれていた。

 視認しただけで不幸をもたらす呪詛の類ではなかったものの、枠線を大きくはみ出し、刻みつけるかのような強い筆圧で記されていて、異常さを感じさせた。


「これって……」


 公人は二つの事実に気がついて言葉を漏らす。

 ひとつ、最後に記されていた日付は、つい昨日のものであること。

 ふたつ、記録されているタイムが、毎日ほんの少しずつではあるけれど、着実に縮まっているということ。

 公人の脳裏に、夜な夜な旧校舎の廊下を走り込み、走り方のフォーム研究に余念のないガイコツの姿が浮かび上がる。

 まさか、そんなはずがない。

 公人は自分に言い聞かせるように心中でそう呟き、とりあえずこの奇妙な発見を高嶺と共有しようと後ろを振り返った。


「高嶺さ――」


 言葉に詰まった。

 それもそのはず。高嶺とカケルくんが横並びになって、両手の指を床につけ、前足を立て、前屈みになってこちらを見つめていたからだ。

 いわゆる、クラウチングスタートのポーズである。


「手塚くん。構えて」


 この妙ちきりんな状況に対し、高嶺は慌てず騒がず、至って冷静にそう呼びかける。それを合図に腰を浮かせて静止する。隣のカケルくんも連動するかのように骨盤を上げた。つま先に力が込められた。


「カケルくんとのレースが始まるわ」


 言うが早いか、完璧美少女とガイコツが勢いよく床を蹴り上げ、公人のほうへと駆け出した。

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