第二章 インサイティング・インシデント②
公人が本革の手触りを感じながら、家の鍵にストラップを取り付けていた時である。
部室にようやく高嶺が姿を現した。
「みんな、おまたせ。どうやら揃ってるみたいね」
その声に反応し、薔薇園は内職の手を止め、ミカコはスリープモードを解除し、秋円寺は静かに開眼した。公人と比べて露骨に態度が違うが、比較対象が高嶺では仕方ない。
「我が主。生徒会室へ何の用事があったのですか?」
「部活動創設の申請よ。無事に生徒会長のハンコをもらえたわ」
「おお! ということはつまり!」
「ええ。私たちの活動が本格始動するということよ」
高嶺は指定位置に着席することなく、ホワイトボードの前に立って全員を見渡した。
常にアルカイックスマイルで固定されている彼女にしては珍しく、その顔には満面とでも言うべき笑みが浮かんでいる。
「さぁそれでは! 気になる部活動名から発表していくわね」
高嶺は黒のマーカーを手に取り、デカデカとホワイトボードに文字を記す。
最初に「文」の字が記された時点で「おやまさか」と思ったものの、「芸」と来て「部」と来たものだから、そのあまりの予定調和ぶりに、公人は逆に驚いた。
文芸部。
奇抜なメンバーを集めたにしては、なんのひねりもない活動名である。
「手塚くん。今少しガッカリしたでしょう」
「いや、別に」
ちょっと嘘である。
「こんなありきたりな看板じゃあ、俺のモチベも下がるってもんだぜヘイヘイヘイとか思ったでしょう」
「全国の文芸部に失礼だろ」
「安心して。もちろん、ただの文芸部じゃないわ」
次に高嶺が手に取ったのは赤のマーカーであった。中央に記された「文芸部」の左上に、まずはギザギザのフキダシを描いた。
そしてそこにひとつの文字を記した。一画二画と力強い太線が引かれていくのに連動して、公人の眉間にも一本二本と深い皺が刻み込まれていった。
記されたのは、小学生の人気ナンバーワン言語、「超」である。
高嶺はマーカーのキャップを閉じ、皆に向き直って宣言した。
「ずばり、私たちの活動名は、『超文芸部』よ」
ご存知の通り、文芸部とは紙面に物語を紡いで、それを発表する文化系部活動である。
それでは、その文芸部のひとつ上をいく超文芸部とは、一体いかなる部活動か。
一言で言えば、それは、物語の実現を目指す部活である。
登場人物も、舞台も、設定も、すべて身近なものを採用する。そのうえで面白い物語の構想を立てる。
あとは実現化に向けて一生懸命がんばる。
それが、高嶺が語るところの超文芸部ということらしかった。
「超文芸部が目指すのは、紙面を飛び越え、部室を飛び出し、現実そのものに影響を与える実践的文芸活動よ。凝り固まった常識ばかりの現実世界を、面白おかしく書き換えていきましょう」
ここまでならよかった。
物語の実現を目指すなんてことを言っているが、この現実世界が堅牢強固な物理法則に守られている以上、採用できるシナリオには限りがあるからだ。少し風変わりな演劇部みたいなものである。
強いて文句を挙げるとするならば、「活動名が恐ろしくダサい」ということくらいだ。
「みんなには、なにか実行に移したい物語はあるかしら?」
高嶺が尋ねると、登場人物たちは少し考えた後、自らの意見を口にした。
「わたくしには現状ありませんわ。ただ、物語の実現という点に徹するなら、目標は地に足ついたもののほうが簡単ですわね。例えば、次期の生徒会選挙を勝ち抜くストーリーにするとか」
『でも、それだと結果がわかりきってるです。ハラハラもドキドキもないですよ』
「そうだな。現実に迎合するために物語を矮小化するのは本末転倒だろう。ここはやはり、実現可能性が低かろうと我が主を満足させられるようなものを採用すべきだ」
「例えば?」
「私と我が主が船舶事故に巻き込まれて、無人島でサバイバルするというのはどうだろう」
「申し訳ないけれど、ボツね」
「寝言は寝て言えですの」
『そこはせめて超文芸部のみんなで行くですよ』
反対意見でも出て「のんべんだらりとお菓子食べながらボドゲに興じるお遊びサークルにしましょうよ」という方向性に進めば公人にとっても御の字だったが、他のメンバーはすさまじい順応性の高さを発揮して会議に加わった。
さすがは高嶺が集めた奇人変人どもである。
だが、この時点でも公人には机に頬杖つくくらいの余裕はあった。
『千尋お姉ちゃんは何かアイディアあるですか?』
風向きが変わったのは、
「ええ。当面の間は、手塚くんが著した『旧校舎コドク倶楽部』の展開をなぞっていこうと思うの」
などと高嶺が言い出した時である。
「待て待て待て。なんでそうなる」
さすがに聞き逃すことのできない案件だったため、公人の背筋もしゃんとした。
「手塚公人。貴様、我が主の判断に異論を唱えるつもりか」
「そりゃそうだろ! 必死で埋めた黒歴史が掘り返されようとしてんだぞ! 断固反対だ! 原作者として異議を申し立てる!」
「黒歴史って、そんなにつまんねぇ作品なんですの?」
「まごうことなき駄作です! 実現させる価値なんて微塵もありません!」
「そんなことないわ。思春期の敏感な自意識と、捨てきれない理想の青春と、歪な全能感がテクストの奥に表現されている傑作よ」
「~~~~~!」
小説を書いたことのある人なら理解できるだろうが、己の制作意図が透けて見えるというのは中々恥ずかしい。
性癖を全部載せした作品であれば「ワシはこれが好きなんじゃい!」と開き直ることもできるが、『旧校舎コドク倶楽部』はコソコソと理想を詰め込んだ作品だ。
それを見抜かれたとあっては、顔を覆って声にならない叫びを喉奥で鳴らしたくもなる。
ちなみに言っておくが、高嶺に悪気は一切ない。純粋な善意も、時として人を傷つけるナイフになりうるのである。
「……いや! いや! 僕はただ感情論で高嶺さんを否定したいワケじゃない! あの作品は、実行には向かない明確な理由があるんだ!」
もうここまで恥をかいてしまった以上、「好きにしなよ」とふてくされて作品の二次使用権を譲渡してしまってもよさそうなものだが、公人はなおも反論した。彼には彼なりの意地があるらしい。
「高嶺さん。あれを読んだ君なら知ってるだろ? あの作品、最初こそクセの強い高校生がクラブ活動を発足するって話だけど、後半からは色んなものを詰め込んだ闇鍋ストーリーになってたじゃないか」
「学校の七不思議、街にはびこる半グレ組織ときて、最後は地球侵略に来た宇宙人と戦ってたわね」
「どれひとつとっても実現は無理だろ! 僕らは至って普通の、」
視界に、あまりに外見の個性が強い超文芸部の面々の姿が映った。
「……ビジュアル以外は普通の高校生に過ぎないんだから!」
が、公人はそのまま突っ走った。見てくれなど、神秘性でいえば指先からライター程度の炎を生み出すザコ超能力に劣る。
公人はかくして己の正当性を示し、奇行に走らんとする高嶺を説得しようとした。
普段声を出さない生活を送っているせいで、不必要にボリュームが大きくなってしまい、叫び終わった頃にはしんと部室が静まり返ってしまった。実に気まずい。
「手塚くん」
名前を呼ばれたので、公人は恐る恐る顔を上げて高嶺の顔を見る。
冷水を真正面からぶっかけられたというのに、その目にはめらめらと闘志のようなものが宿っていた。
「最初から諦めていては、事を為すことはできないわ。大事なのは結果ではなく過程よ。どれだけ実現が不可能に見えても、そこへ向けて足を踏み出すことに意味があるの。それが、私の目指す超文芸部の姿よ」
公人はもう自分の言葉では高嶺を説得できないと悟った。それほどまでに、彼女の瞳から強い意志を感じ取った。
周囲を見渡す。他のメンバーも同じ色の炎を瞳に宿していた。
まったく、もう。どいつもこいつも。
「わかった。わかったよ。高嶺さん。君の指示に従う」
公人は諦めたように、そう嘆息した。
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