第二章 インサイティング・インシデント①


 セットアップの翌日のことである。

 帰りのホームルームが終わり、公人がリュックを引っ掴んだところで、教室に秋円寺が姿を現した。


「部室へ行くぞ」


 彼はいかにも不服そうな様子でそう言った。

「わざわざ迎えに来たのかよ。高嶺さんの指示か?」

「そうだ。貴様、部室に顔を出さずにそのまま帰宅するつもりだっただろう」

 ものの見事に図星である。

「理解できんな。我が主の隣に立つという、これ以上ない栄誉に浴しているというのに逃げ出すなど」

「今日はどうしても読みたい本の発売日なんだよ」

「仮に貴様の親が生死の境を彷徨っていようが、会合を欠席する理由にはならん。ほら、行くぞ」


 公人は半ば連行される形で教室から出た。

 白髪赤目の長身学ラン野郎と並んで廊下を歩く。

 高嶺ほどではないにしろ、秋円寺は周囲の注目を集める存在だった。

 過激派組織の象徴たる格好をしているため、すれ違う生徒のうち半分以上は彼に視線を向ける。そして距離を取ろうとする。

 公人にとって腹立たしいのは、あからさまに不快感をあらわにする生徒に交じって、何人かの女子が彼に熱意の籠もった視線を向けているということだった。

 そして、当然の帰結として、並んで歩く公人にも視線の流れ弾は命中していた。珍妙な動物を眺める目だった。


「明日からはちゃんと部室に行くから、迎えに来ないでくれ」


 四方八方から突き刺さる視線は、対人能力の低い公人のキャパシティをゆうにオーバーしていた。軽い気持ちで放つデコピンでも、ダンゴムシ相手では致命傷になりうる。


「ならん。我が主の命に背くことになるからな」

「お前のせいでさっきから視線が痛いんだよ。このままだと精神にガタが来そうだ」

「他の奴らなど気にしなければいいだろう。我々と違って、奴らは取るに足らないモブに過ぎん」

「すごい選民思想だな。さては友達いないだろ」

「そんなものは不要だ。私には、我が主さえいればよい」


 渡り廊下のコンクリを踏みしめながら、公人は辺りに他の生徒がいないことを確認して、尋ねる。


「なんでお前、そんなに高嶺さんに入れ込んでるんだ?」


 普段人にあまり興味を持たない公人にしては踏み込んだ質問だった。

 これまで高嶺に淡い恋心を抱いて玉砕する有象無象は腐る程見てきたが、秋円寺ほどのめり込んでいる人物は未だかつて見たことがない。

 それはもはや恋心では説明のつかない何かに見えた。熱心というよりは執心、信仰というよりは狂信。

 理由を問われた秋円寺は、ちらと横目で公人を捉えた。


「神託を受けたのだ」

「神託?」

「そうだ。私はあのお方を見守る大いなる存在から、『彼女を幸福に導くべし』という願いを託されたのだ」

「白昼夢の類じゃないのか、それ」

「決して夢などではない。大いなる存在の御言葉は、電撃のように全身を駆け回り、私の第一行動原理として脳に刻まれた。この神秘体験を神託と言わずして何と言う」

「それ、いつ受け取ったんだ?」

「主を初めて見た時だ。入学式の日、桜舞い散る校門前で、我々は偶然目が合った。その時に私は、彼女を見守る大いなる存在の御言葉を聞いたのだよ」


 本気度百パーセントの目つきで、秋円寺はそう言い放った。


「なるほど……それは確かに、神託だなぁ……」


 ただの一目惚れじゃねぇか。

 とは思ったけれども言わずにおいた。



 秋円寺が恍惚と高嶺の魅力をプレゼンするのを聞き流しているうちに、旧校舎の部室にたどり着いた。

 床を引っかきながらドアを開けると、薔薇園は革の端切れと糸でなにやらちくちくやっており、ミカコはお昼寝のためかスリープ状態になってただのモノリスと化していた。

 高嶺の姿はなかった。


「薔薇園まりあ。我が主はどこへ行かれた?」

「生徒会室に用事があると言い残して、先程部屋を出ていかれましたわ」

「そうか」


 それだけ聞き出すと、秋円寺は自分の所定位置に着席し、腕を組んで瞑目した。

 一学年下の後輩に舐めた口をきかれているというのに、薔薇園は気にした様子もなく、手作業に没頭している。

 公人もなんとなく昨日座った椅子に腰掛け、しばらく室内の様子を覗った。

 ……気まずい。

 昨日の時点で薄々感づいていたことではあったが、ここにいるメンバーは曲者揃いだ。皆が皆、高嶺を起点としてコミュニケーションを取っている。彼女がいればやかましいことこのうえないが、共通項を欠くとお通夜のように静まり返ってしまう。

 和気藹々とカタンに興じるような仲良しムードも馴染める気がしないが、衣擦れの音すら目立ってしまうような沈黙は、それはそれで耐え難い。

 着席後、読書するフリをしながら考えた末、公人は勇気を出して自ら行動を起こすことにした。


「それ、なにやってるんですか?」


 狙いをつけたのは薔薇園である。

 この中では比較的まともそうな人物であったし、単純に、さっきから何をやっているのか興味が湧いていたからだ。

 幸いなことに、薔薇園は無視するでも適当に返事するでもなく、きちんと目を見て応じてくれた。


「今は革紐ストラップの制作ですわね」

「ああ、レザークラフトってやつですか。良い趣味ですね」

「何を言っているんですの。仕事ですわ」

「仕事?」

「昨日申し上げているはずですわよ。わたくしはRosen&Kreuzeの次期CEOにして筆頭デザイナーだと」

「はぁ、」


 そういえば、Rosen&Kreuzeというのは何を扱っているブランドなのか、調べていなかったことを思い出す。


「なんですのその生返事。もしかしてあなた、我が社の事業内容を知りませんの?」

「……面目ありません」


 こういう時、せめてビジネスの概要くらいは調べておくのがマナーである。非は完全に公人にあった。


「しょうがないですわね。ミカコさん。起きてくださいまし」


 嘆息しつつ、薔薇園は隣に屹立していた墓石のようなモノリスをぺちぺちと叩いた。数秒の間を置いて、モノリスの表面に光が灯り、アニメ絵柄の少女の姿を映し出す。


『ふぁい……なんですかぁ』


 スリープモードから目覚めたミカコは、寝転びパジャマの半眼で応対した。モーションキャプチャにズレが生じているのか、マヌケ面で固定されてしまっている。


「おはようですわミカコさん。早速ですけど、手塚さんに我がRosen&Kreuzeの事業概要を説明してくださいませ」

『ふぇ……あっ! これはPR案件というやつですね! おまかせください! ミカコがばっちり宣伝してあげます!』


 据え置きのスマートスピーカーと同等の扱いを受けているにもかかわらず、ミカコは実に嬉しそうだった。目を閉じてちっくたっくと首を振る。背景では『検索中……検索中……』と文字が流れていた。

 やや、しばらく。ぴこんと小気味いい音が鳴った。


『検索完了です! Rosen&Kreuzeとは、駅前のテナントビル一階にあるハンドメイドショップのことですね! 扱ってる商品は縫製品、革製品、金細工、木工細工など種々様々! 週末には手芸教室やワークショップを開催していて、地域住人に愛されて創業三十周年を迎えたお店です!』


 さすがに同名の別事業だろうと公人は思った。

 薔薇園の外見及び言動は率直に言って居丈高であり、それは世界を股にかける大資本由来のものだと思っていたからだ。

 しかし薔薇園は得意満面の笑みで、「その通りですわ!」と肯定した。

 さすがにこれには驚いた。


「……え、薔薇園先輩の家って、第二次世界大戦後に解体を余儀なくされた財閥とかじゃないんですか?」

「んなワケねぇですわ。アルバイトすら雇ってない家族経営の店ですわよ」

「世界的ブランドっていうのは……」

「ふふふん! よくぞ聞いてくれましたわね! 最近はネット通販の需要も相まって、国内外問わず注文が飛んでくるんですのよ! 先月もモンテネグロからの注文が一件ありましたわ! 送料をこっち負担にしてたせいでタダ同然でしたけど!」

「なんで、そんな口調なんです?」

「創業者たるお祖母様の教育ですわ。ボロを纏っていても心にはドレスを、というのがお祖母様の口癖でしたの」

「んー……なるほどぉ……」


 公人は薔薇園に抱いていた第一印象を大幅に修正した。今や彼女は「大資本家の世間知らずお嬢様」ではなく、「小市民的エセお嬢様」である。


『ちなみに、頑張ってはいるみたいですけど、ここ数年の売上は徐々に右肩下がりです。たぶん観光客の減少に比例してるですね』

「ちょっと! 余計なこと言うなですわ! ウチだって必死にやってるんですのよ!」


 叫びに痛いほどの実感が込められていた。


「まぁ、経営にいくつもの課題があることは認めざるを得ませんわ。だからこうして、少しの時間も無駄にしないよう仕事に励んでいるんですの」


 ちなみに、会話中も薔薇園は手元を動かし続けていた。

 幼い頃から家業を手伝ってきたのだろう。最初に見た時は革の端切れに過ぎなかったそれは、いつの間にか、色鮮やかな縫い目の刻まれたストラップへと姿を変えていた。鈍色に光る留め具がいい味を出している。


「手塚さん。こちら、お近づきのしるしですわ」


 そして、完成したばかりのそれを公人に差し出した。


「え、そんな。いいんですか?」

「ええ」


 実のところ、見ているうちにちょっと欲しくなっていたので、公人は躊躇しながらもストラップを手に取った。片手間に作ったとは思えないクオリティの高さである。

 薔薇園はにこやかに言った。


「お友達価格ということで、千円で結構ですわよ♡」


 初めてお目にかかった薔薇園の笑顔は、清々しいほどの営業スマイルであった。

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