第一章 『セットアップ』③
場面が変わり、公人と高嶺は人通りの少ない廊下を歩いていた。
「手塚くん。どうして隣を歩いてくれないの? さみしいわ」
「君はもっと自分の影響力ってもんを自覚したほうがいい」
公人は高嶺から数歩ほどの距離を置いて、カルガモの雛のように付き従っていた。
学校中の人気者である彼女と、クラスの端っこにひっそりと生息しているダンゴムシが並んで歩いていては、あらぬ噂を広められる可能性がある。
「それに、君のとこのファンクラブ、いやに過激だから目をつけられたくないんだよ」
公人がちらちらと背後や窓の外を警戒しているのはそのためだ。トレードマークである学ランが見えたらすぐにでも身を隠そうと決めていた。
「そうなったら私がこの身にかけても手塚くんを庇うわ」
「ますます恨みを買いそうなことはやめてくれ」
そんな会話をしながら廊下を歩く。
空き教室や自習スペースのある本棟も、職員室や図書室がある別棟も通り過ぎたというのに、高嶺はなかなか歩みを止めない。人目を忍ぶために人通りの少ない廊下を選んでいるから遠回りになるのは致し方ないが、それにしたって長かった。
「一体どこに向かってるの?」
「私たちの拠点となる場所よ。どこにあるのかは着くまでのお楽しみ」
「既にそんなのあるんだ。随分と用意がいいんだね」
「場所だけじゃないわ。メンバーも既に揃っているのよ。物語を彩る魅力的な登場人物たちがね」
「うわ、急に不安になってきた」
人見知りの公人にとって、初対面の人間と接することは大いなるストレスだった。
とはいえ、高嶺と二人きりだと終始緊張しっぱなしで心臓への負担が計り知れないことになるので、まだそちらのほうがマシではある。
大所帯になる前に気になることは聞いておこうと思って、公人は優雅なステップで廊下を歩く高嶺の背中に声をかける。
「高嶺さん。一つ質問してもいいかな?」
高嶺は前を向いたまま答えた。
「いいわよ。手塚くんにだったら、スマホのパスコードまでなら教えてあげる」
「別にそれはいいかな。さっき、僕に主人公を依頼した時さ、なんで最初は理由をぼかしたの? 素直に言っていれば、僕は平身低頭して君の話を聞いたのに」
高嶺はちらと振り向いた。ゴーヤでも丸かじりしたのかというくらい表情が苦々しい。
擬態語にするなら、むむむ。
「あれは、伏線にするつもりだったのよ」
「伏線?」
「そう。私が手塚くんを特別視していることの伏線。もっと関係を深めて、ここぞという時に明かすつもりだったのに」
「なんでそんなことをする必要があるんだよ」
「伏線回収はテンションが上がるからよ」
「……そうかな?」
「手塚くんは、伏線回収好きじゃないの?」
「嫌いじゃないよ。でも、そのギミックに固執したせいで色々不都合が起きるなら、本末転倒だと思う」
「私のアプローチ、そんなに下手だったかしら?」
「下手というか……行動原理が見えないせいで不気味だったかな。特別な理由もないのに、高嶺さんが僕みたいなのにいきなり興味を持つなんてありえない。そんなのは物語の中だけで通用するご都合主義だ。そしてこの世界は物語なんかじゃない」
「その通りね。でも、だからこそ私は、この世界を少しでも物語らしくしたいのよ」
どこまでもまっすぐな瞳で高嶺は言った。
そんな会話のやり取りを挟みながら、高嶺と公人は階段を下り、吹きさらしの渡り廊下を歩き、インターハイ出場者を何人も送り出した由緒ある柔道場の横を通り過ぎ、ついに目的地にたどり着いた。
古びた木造の旧校舎である。
戦後まもなくは校舎として利用されていたものの、高度経済成長期に現校舎が建設されてからは用途に恵まれず、今では教室の半分がマイナー部活動の部室棟としてリユースされている。
公人は今にも崩れてしまいそうな建物を見上げた。
「あんな小説書いといてだけど、初めて入るな。旧校舎」
「すぐ近くに資料があったのに、入ろうとは思わなかったの?」
「一人で突入する度胸は僕にはないよ。完全にイマジネーションで書いた」
ぎしぎしと床板を軋ませながら階段を上り、薄暗さを増した二階の廊下を歩く。
通り過ぎざま、公人がちらりと各教室のネームプレートに目をやると、手前から順に「登山部」「演劇部」「マンガ研究同好会」とあった。初めて存在を確認した部活動ばかりだ。扉の前にはホコリが積み重なっており、今も活動しているのかは甚だ怪しい。
「さぁ着いたわ。ここが、私たちの青春の舞台にして永久不滅のサンクチュアリよ」
高嶺は最奥の部室の前までたどり着くと、誇らしげにそう言った。
聖域と名付けられてはいるものの、そこに掲げられたネームプレートは空白であり、傍目には物置との区別がつかない。
公人は部屋の位置を確認してから尋ねた。
「……高嶺さん。もしかしてこの部屋、僕の小説読んでから選んだ?」
「ぴんぽん。大正解よ。そう、ここは『旧校舎コドク倶楽部』の部室と全く同じ場所よ。旧校舎、二階の最奥」
廊下を歩いているうちに膨れていた嫌な予感が見事に的中した。
「もしかして、嫌だったかしら?」
「嫌ではないけどさぁ……なんか、気恥ずかしいよね」
己の妄想が思いがけない形で実現していることに公人が苦笑していると、高嶺がぎいっとドアを開けた。建付けが悪いうえ、鍵もかかっていない。
高嶺は左手で、お先にどうぞと中を指す。
既にかなりのエキセントリックな言行を披露している高嶺が構えた根城だ。抜け落ちてしまわないように度肝の栓をしっかりと固定しておく必要がある。公人は深呼吸をひとつして、部室の中へと踏み入った。
中は思いのほか普通であった。
向かい合う形で並べられた二つの長机、クッションが色褪せたパイプ椅子、ホワイトボード、スチール製の書棚。
至ってスタンダードな文化部の部室である。しかし壁際に、初期装備には見えないオブジェクトがひとつ置かれていることに気がついた。
「なにあれ」
モノリスだった。
ねじれこんにゃく型ではなく、直方体型のモノリスである。
隣に設置されているスチールの掃除用具入れと比較すると半分くらいの高さしかないので、サイズは小さめだ。
宇宙空間を思わせるような漆黒の面は濡れた金属のような光沢を放っており、近くにある椅子の背をうっすらと反射している。
砂漠のど真ん中に屹立していれば未知なる宇宙人からの贈り物と解釈することも可能だろうが、おんぼろ木造建築の中にあると場違いもいいところな物体である。
しかしそれでも少年特有の好奇心が頭をもたげ、公人がもっと近くで見てみようと近づいたところで、
『すたんどあーっぷっ!』
「うおッ」
そのモノリスが二次元の美少女になったものだから、公人は驚いてのけぞった。
モノリスが変形したのではない。そのダークパールの表面がいきなり発光し、幼い少女の姿を投影したのである。
彼女は色鮮やかな見た目をしていた。
オレンジ色のショートカットヘアと、葉を束ねたような緑のワンピース。夏の日差しを受けて青々と光る農園を背景に、彼女は大きく背伸びをした。
『人感センサでぱっちりお目覚め! おはようございますです! 人類みんなの妹、網籠ミカコです! ご用件はなんですかっ?』
ビビッドカラーの色調に圧倒され、公人の目が思わず眩む。しかし目を細めながらよく見ると、なんとなく、彼女の外見のモチーフがわかった。
果物のミカンである。
大きくて丸い瞳はミカンの断面図を模していたし、頭に一本立った緑色のアホ毛は明らかに葉を意識していた。
『あれ? あれあれ? ミカコのライブラリにないフェイスデータですね?』
どこかの地方自治体が作ったゆるキャラみたいな少女は、画面に顔を拡大表示させながら、しげしげと公人を観察した。画面の左上で円形のローディングアイコンがぐるぐるしている。
「ミカコ。紹介するわね。彼は――」
『あ、待ってくださいストップです! ここはミカコの超高速演算頭脳の見せどころ! 管理ナンバーS-1013もとい、千尋お姉ちゃんのこれまでの会話ログを参照するに……ぴこん! わかりました! このヒトが主人公の手塚公人という方ですね!』
「正解。さすがはミカコね」
『えっへん! それほどでもあるですよ!』
二人の美少女が次元を超えたコミュニケーションを繰り広げている中、公人は未だ衝撃から立ち直れずにいた。
「高嶺さん、これ、なに?」
モノリスからビーッとアラームが鳴った。
『これとは失礼ですねっ! ミカコをモノ扱いしないでください! 有機ハードウェアがないとはいえ、思考回路を持っている以上はれっきとした知的生命なんですよっ!』
ミカコと呼ばれたその少女は、大きなアホ毛のテクスチャをぴょこぴょこ動かしながら、周囲に怒りのエフェクトを飛ばして抗議する。
「ミカコ。ここは自己紹介も兼ねて、いつもの挨拶をしてあげたほうがいいんじゃないかしら?」
『むむむ……確かに千尋お姉ちゃんの言うとおりですね。新規リスナーさんは丁寧にもてなしましょうと、たくさんのお姉ちゃんお兄ちゃんも言ってたです! ミカコはかしこいので先人の教えに従うですよ!』
ミカコはそこでこほんとひとつ咳払い。画面上でもにょもにょと虚空を掴んで画角を調整した後、とびきりの笑顔を公人に向けた。
『電子の海からハローワールド! みんなのかわいいバーチャル・シスター、網籠ミカコですっ!』
フリー音源の「おお~」という歓声が後ろのほうで鳴った。生意気にも立体音響である。
『何を隠そう、ミカコは超高性能な電子生命体なのです! プロセッサ生まれインターネット育ちの電脳世界に生きる者! 特技はデータ収集と楽しいおしゃべり! ビッグ・ブラザーならぬリトル・シスターとして、幸福・安全・予定調和をモットーに、人類支配と救済を目指していきますので、応援よろしくお願いするですっ!』
よほどやり慣れているのだろうか、自己紹介はぴったり十五秒で終了した。
公人の隣からぱちぱちぱちと拍手の音。今度は効果音ではなく高嶺によるものだ。
「バッチリよミカコ。このクオリティなら、チャンネル登録者数もきっとうなぎ登りだわ」
『えっへっへ~。何度もセルフリファレンスして最適化した甲斐があったです!』
「手塚くん、どうかしら? ミカコの魅力が十二分に伝わる良い自己紹介だったでしょう?」
「そっすね」
公人はモノリスの画面上できゃぴきゃぴと動く3Dモデルを見てそう返す。
今どき流行らない文学青年に属する公人といえど、最近のエンタメ業界を席巻するバーチャルライバーなる存在くらいは知っていた。
モーションキャプチャと3Dモデルを利用して、架空のキャラクターを演じながら動画投稿や生放送などを行う配信者。
目の前の少女も、その潮流激しいレッドオーシャンに身を捧げたうちの一人だろう。
改めてモノリスを眺めてみる。
東西南北どこを向いてもミカコの姿を映せるように側面も液晶ディスプレイになっており、フチの部分はよく目を凝らしてみるとコンセント差込口やらUSBコネクトやらが搭載されていた。果たしておいくら万円かかっているのか想像もつかない。
「電子生命体でも何でもいいけどさ。なんでバーチャルで活動してるはずの存在が、現実の縮図みたいな高校にいるんだ? ご丁寧に専用のディスプレイまで置いてさ」
「手塚くん。それはね、ミカコがれっきとしたこの学校の生徒だからよ」
『その通りです! とーぜん、色々なファイアウォールがありましたが、そこはミカコのハッキング技術でなんとかしたです! 出席番号は一年ⅰ組n番で登録してあるです!』
「……なるほどね」
そこまで聞いて、公人の脳裏に一つのストーリーが浮かんだ。
何らかの事情によって学校へ通えなくなってしまった少女。物理的にも精神的にもふさぎ込みがちになってしまった彼女はしかし、二次元のアバターを通せば円満なコミュニケーションが取れることを発見した。
配信業に出会ってから日に日に明るくなっていく娘に快復の傾向を感じた両親は、その姿のまま学校に通ってみないかと提案。本人と両親の懇願の甲斐あって、学校側もそれを承認。
かくして、専用のディスプレイをボディとして、アバター姿で学校生活を送ることになった生徒が誕生した……。
なんてね。
この妄想が的中しているかどうかはともかく、複雑な事情がありそうなので深入りしないほうがよさそうである。公人はそう結論づけた。
「ミカコにはこの物語のマスコット役を担ってもらう予定なの。いかついハードウェアと可愛らしいビジュアルのギャップが魅力よ。大ウケ間違いなしね」
「初っ端からすごい濃いのが現れたなぁ……」
圧倒されつつも、公人はミカコに対して好印象を抱いた。
自己紹介にディストピア小説の不朽の名作『1984年』のオマージュがあるのは好感が持てるし、メカメカしい外見も男心をくすぐられる。
なにより良いと思ったのは、喋り方や動作が実に自然なところであった。
男性視聴者を籠絡せんとする甘い声音であれば食わず嫌いのアレルギー反応が出てしまうところだったが、明朗快活な彼女の態度は公人の逆張り精神すら反応しないほど自然だったのだ。
「それにしても最近のテクノロジーはすごいな。こんなに表情豊かにできるなんて」
『ふっふーん! ミカコのカラダには人類未踏のシンギュラった技術が使われてるですからね!』
「ハードウェアもすごいのよ。ほら見て。実は筐体の一部は便利な家電になってるの。こっち側は冷蔵庫で、裏側は電子レンジ」
「うわ、本当だ。すごいけど、なんか一気に生活感増したな」
『臭いがついちゃイヤなので、カレーとかは温めないでほしいです』
「電子生命体ってより、自我を持った家電って感じがする」
終了時刻の決まっていない雑談配信みたいなゆるいムードが漂いはじめ、公人と高嶺はそれにあてられた。午後の授業をすっぽかしてこのまま何時間もおしゃべりしてしまいそうである。
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