第一章 『セットアップ』②
「手塚くんは私のことをどう思ってる?」
「どうって……誰もが羨む完璧美少女?」
「ぴんぽん。正解よ。ちなみに言うと、頻出回答は他にアイドル、マドンナ、高嶺の花、美のイデアの体現者などがあるわ」
「自分で言ってて恥ずかしくならないの?」
「だって、事実なんだもの。私がどれだけ否定を重ねても周りがそう評価するのだから、これはもう、リンゴが地面に落ちるのと同じような客観的事実だと捉えるようにしたわ」
「さいですか」
「そんな私にも悩みがあるわ。私、人生があまりに順風満帆すぎて、なんだか毎日が物足りないの。色々なことに挑戦してみたけれど、どれも私には刺激不足。そんな生活を続けているとね、何もかも順調なはずなのに、ひどく空虚な気分になるの」
「へぇ」
「私が完璧なのは、いいの。それはもう運命として受け入れるわ。でも、それに対してこの世界はあまりにも普通すぎると思ったの。私は物語に登場するような完璧美少女なのに、この現実世界は超能力も魔法もオカルトも、可笑しくて不思議なものが何もない。はっきり言って、不釣り合いよ」
「そうかもしれないですね」
「でもね、私、気づいたの。待ってるだけじゃ何も変わらないって。物語のような出来事が起きないなら、自分で探しに行けばいいんだって。だから私は、メインヒロインになることにしたの。そして、私と一緒にハラハラドキドキのストーリーを紡いでくれる主人公を探していた。そこで見つけたのがあなたよ。手塚くん」
「……はぁ」
「もう一度言うわ。手塚くん。私のために、主人公になってくれないかしら?」
公人の脳内辞書から相槌のレパートリーが尽きかけていたところで、ようやく、のべつ幕なしの長丁場演説が終わった。
高嶺は息を切らすほどに興奮していて、その頬は赤らんでいる。
誰もが目を見張るような美少女の上気した顔、からのダメ押し上目遣いを前にして、我らが《主人公》、手塚公人は次のように答えた。
「断る」
それはそれは、付け入る隙のないほどシンプルかつ明確な拒絶であった。
「……どうして?」
公人の脳裏にいくつもの反論が浮かぶ。
高嶺の先の発言にはツッコミどころがたくさんあるのだが、細かいところを突っついても仕方がないと思い、公人は最も大きな理由を述べることにした。
「一番大きな理由は、肝心なことを隠されたからかな」
「肝心なこと?」
「とぼけないでくれ。僕を主人公とやらに選んだ理由だよ」
「ぎくり」
「どんな理由であれ、君がメインヒロインになりたいってのはいいよ。相方となる主人公を探してるってのも。でも、誰もが羨む完璧美少女が、なんの接点もないダンゴムシを主人公にしたがる理由ってのは一体なんだ? そこを話してもらえない以上、君の提案に乗ることはできない」
ぱちぱちぱち、と高嶺は小さく手を叩いた。あくまで落ち着き払って。
「さすがは手塚くんね。主人公にふさわしい洞察力の高さだわ。いいわ。そこまで言うならお答えしましょう。ずばり、私が手塚くんを主人公に選んだ理由は、」
「もしも手塚公人を並べ替えると『主人公』と読めるなんてオチだったら、僕はここで全力の地団駄を踏んでやるからな」
「…………」
「なにその顔」
「にゃんでもにゃいわ」
高嶺は危うく地雷を踏みかけた口を、自らの両手でもって押さえつけていた。
もはや答え合わせと化したその反応を見て、溜息一つ、公人はすっくと立ち上がる。
「名前イジりが理由なら、不愉快だからさよならだ。理由がないなら、意味がわからないからさよならだ」
そう言い残し、公人は階段を下り始めた。気持ち早足で一歩二歩。高嶺の足音は聞こえない。
その時だった。
「待って、手塚くん――いえ、
ダンッという音が鳴った。上履きが勢いよく階段を踏みつけた音である。
それは動揺のあまり階段を踏み外しかけたせいで生じた音であり、発信源はもちろん公人であった。
彼は、ぎぎぎと人形のように首を動かして振り返る。
「……なんで、君が、その名前、知ってんの?」
公人が絶望混じりの青ざめた表情を浮かべているのに対し、高嶺の顔は遊園地に足を踏み入れた五歳児のように輝いていた。
「ああ、やっぱり。手塚くんが、『旧校舎コドク
彼女はゆっくりと階段を降りてくる。
「私が手塚くんに主人公を引き受けてもらいたい理由。それはね、私があなたのファンだからよ」
『旧校舎コドク倶楽部』とは、手塚公人が、
ライトノベルにしては地の文が多く、一般文芸にしては内容が軽く、ブルーライト文芸にしてはいささか内容に灰の色が濃い、ターゲット層のよくわからない小説であった。
内容を端的に言い表すならば、それは「はぐれ者たちの活劇」というものになるだろう。
能力、容姿、社交性などのせいで人間関係の輪から外れてしまった個性豊かな高校生たちが、旧校舎の空き教室に『コドク倶楽部』なる部活動を立ち上げ、そこで様々なトラブルに見舞われたり解決したりするというお話である。
言うまでもないことであるが、「コドク」は、「孤独」と「蠱毒」のダブルミーニングである。
全く予定がないゴールデンウィークをフル活用して執筆されたこの作品は、新人文学賞の公募に出されるでもなく、ネット上に公開されて酷評されるでもなく、印刷業者を使って数部ほど製本された。
そして、そのうちの一冊は、学校の図書室の文庫本コーナーにひっそりと設置された。
まるで、誰かが見つけてくれるのを期待するかのように。
「……あれは若さが起こした過ちだった。それがまさか、高嶺さんみたいな人に見つかるなんてね」
二人は再び階段に腰掛けていた。
公人はまるで時効寸前にベテラン刑事に捕まってしまった指名手配犯みたいにうなだれながら、懺悔でもするかのように独白を続ける。
「当時の僕は人間関係の輪から弾き出されたことに耐えきれず、理解者がほしいと思ってしまったんだ。だから、あの作品を書き上げ……それを、自費出版して、図書室に置いてしまった」
高嶺は背筋をぴんと伸ばし、公人のほうを向いて静かに話を聞いている。
「ただ作品を見てほしいだけなら、適当なペンネームでもつければ匿名性は守られる。ペンネームをアナグラムにしたのは、わざとだよ。あの時の僕は、誰かに作品を読んで、そして、作者の正体に気づいてほしかった。僕を見つけてほしかったんだ」
それは手塚公人に「い」を足したアナグラムである。
「結局、君以外に見つけてくれた人はいなかったけどね。さぁ、僕の話はこれで終わりだ」
公人はそう言うと、腰を軽く上げて、尻ポケットに入れていた折りたたみ財布を取り出した。
「――いくら払えばいい?」
その潤んだ瞳は捕食を悟った小動物のそれであり、引きつった口元には媚びるような笑みが貼り付けられていた。
「待って。手塚くん。どうしてお金を取り出そうとしているの」
「今、手持ちそんなにないから、とりあえず三千円でいいかな? 明日お年玉の残党を持ってくるから」
「いらないわ」
「大丈夫。これは僕が自らの意思で君に支払うんだ。録音とかもしてないよ。遠慮なく受け取ってくれ」
「……手塚くん、もしかして、私が脅しに来たとでも思っているの?」
「まさか! 完璧超人の高嶺さんに限ってそんなことするはずないじゃないか! これは僕なりの誠意だよ。みっともない黒歴史を見せてしまったお詫びというやつさ」
その時、高嶺の眉間に険しい皺が寄った。彼女は顔をぐいと近づけて、公人の目と鼻の先まで迫る。
その目には、義憤とでも言うべきものが宿っていた。
「みっともなくなんて、ないわ」
反論を挟む余地がないほどに、確固たる自信を持って言い放たれた一言だった。公人の自虐めいた舌が止まる。
「私は『旧校舎コドク倶楽部』をとても面白い作品だと思ったし、手塚くんの行動も、停滞した日常から一歩踏み出した勇気あるものだと思ってる」
高嶺はそこで、顔面偏差値の圧とビューティブレスを受けて硬直している公人に気づき、身を引いた。
誤魔化すように、一束の横髪を手でいじる。
「だから、お金なんてやめてほしいの。私はただ手塚くんの文章に惹かれて、一緒に物語を紡ぎたいって思っただけなんだから」
「……最初にも言ってたね。それ、どういう意味なの?」
高嶺はくすりと笑った。
「私はね、この世界を物語みたいに楽しいものにしたいの。判を押したような代わり映えのしない毎日じゃなくて、日替わりで未知との遭遇があるような、そんな刺激的な世界に」
「残念だけど、僕が主人公を引き受けても君にエンタメは提供できないと思うよ」
「その必要はないわ。行動して展開を生み出すのは私の仕事よ。手塚くんの主人公としての役割は、ずばり、描写よ」
「描写?」
「狂言回し。語り手。ナレーション。呼び名はなんでもいいけれど、とにかく手塚くんには、物語をその目で見て、あなたの言葉で描写してほしいの。例えば、」
高嶺はいきなり公人の右手を取り、卵でも温めるかのように両手でふんわりと包みこんだ。
「この状況、手塚くんだったらどう描写する?」
公人は少し考えてから、
「……目の前の高嶺さんは、何を思ったかいきなり僕の右手を握り込んだ。
僕の手とのサイズ差や、すべすべした感触や、伝わる体温に何も感じなかったかと問われれば嘘になるけれども、一番強く思ったのは、『この人はなんて危機感が足りないんだ』ということだった。
僕のような根暗なダンゴムシに安易にボディタッチを許してしまう危険性というものがまったく理解できていない。僕はあいにく鋼の自制心でドギマギを抑え込むことに成功していたけれど、他の男子ではこうもいかなかったろう。
これ以上、無理筋な恋心を不特定多数の男子に抱かせぬよう、僕は彼女に『こういう軽率な行動は控えたほうがいい』と忠告することにした」
一気に言葉を吐き出した後、公人は手を引き戻し、確かめるように高嶺を見た。
「こんな感じかな?」
「いいわ。最高。拗らせた男子高校生の心情描写として満点よ」
本心から褒められているということは理解できたが、嬉しさはそこまで湧かなかった。
「物語が始まったら、そうやって手塚くんの視点で描写をしてほしいの」
「え、リアルタイムで言葉を紡げってこと? 無理だよ。脳が焼ききれる」
公人が書いた『旧校舎コドク倶楽部』も一人称視点で描かれた小説だった。
主人公を公人と似通った精神構造に設定したため書きやすくはあったが、それでも執筆時にはああでもないこうでもないと頭を悩ませていたものだ。
「その場ではメモを取るだけでも、情景を覚えておくだけでもいいわ。最終的に、手塚くんの記述で物語が小説の形になるのなら」
ここにきてようやく、公人は高嶺の目的を理解した。
どうやら彼女は自分たちがこれから繰り広げるハチャメチャな活動を物語として紙の上に表現したいらしい。とんだナマモノ愛好者である。
「さて、それじゃあ改めて。手塚くん。あなたにお願いがあるわ」
高嶺は再度公人の目をまっすぐ見つめた。
「私のために、主人公になってちょうだい」
「……」
公人は返答に窮した。
ここで公人が、
「やったぜ。何か知らんが、放棄した黒歴史の苗が実を結び、校内のアイドルが向こうから接近してきた! これで俺にも棚ぼた形式でアオハル到来のチャンス!」
と、狂喜乱舞するようであれば展開が速くて助かるのだが、そんな素直で能天気な性格ならば、そもそもぼっちになどなるはずがなく、それすなわち彼がこの《物語》の《主人公》であるという事実に矛盾が生じることとなる。
「……高嶺さん。僕は、君のやりたいことへの理解はできる」
したがって、公人は必然的に、この人生に一度すら訪れることのないイベントを断ろうとしていた。
「意気地なし」「こだわり強め」「石の裏に籠もったままのダンゴムシ」などと批判が飛んでくるかもしれないが、この頑固さこそが、手塚公人が手塚公人である所以だと言えるだろう。
「高校生にもなって現実が見えないのか、なんてのは、夢破れた負け犬のセリフだ。どんな絵空事だろうと、実現のために行動することは美しい」
しかしまぁ、乙女の好意をここまでくらってまだ折れないっていうのは、そろそろ読者のヘイトを溜めかねないし、なにより展開が前に進まない。
ここは、彼の本来の性格に多少の齟齬が生じてしまうとしても、展開を進めることを優先させようじゃないか。
「でもだから、」
公人は「でも」から続く拒否の返答を口にしようとしていた。
しかし、言おうとしたセリフの逆接が順接に変換された影響で、拒否の言葉はすんなり出てこなかった。それは舞台上で台本をド忘れしてしまった役者のようだった。
「だから……?」
フリーズした公人を訝しみ、高嶺が視線を投げかける。その目には期待と不安が入り混じっていて、それは公人にもよくわかった。
今更拒否の言葉は吐き出せないと、公人は思った。
「だから、僕は、君の誘いに……乗るよ。主人公ってやつを、引き受ける」
自信なさげに放たれた、たどたどしい了承。しかしそれでも、高嶺の顔はぱあっと明るくなった。
「ありがとう。手塚くん」
眼の前で満開とでも言うべき笑みを浮かべる高嶺を前にして、公人は、「ああ、らしくないことをしてしまったな」と思った。
その「らしくない」行動が、第三者の何者かによって操られた結果だなんてことは、まるで思いもしなかった。
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