第二章/役者は踊る――人であれ精霊であれ④
国家とは、常にその巨体の行く先を示す必要に迫られる。領土拡大か、維持か、それとも縮小か。国家間の間柄は均衡を保つのか、それとも敵対するのか。民の権利は、立法は、司法は。
巨体には余りあるだけの選択と道筋。だが国家が常に利益の最大化を求める以上、必ず行く先は示されなければならない。
百霊議会。公都グラムに設置された、国家意志決定機関。
半円に設計された議会は、階段状に貴族階級の議員を並べ、日々議論を行った後、議長の決定をもって国家の方針を定める。
今夜、その中心となっているのはアネルドート゠オルガニア。国家の頂点に位置する第一階位のオーガが、豪放たる様子で議員に向かい演説する。
「――即ち、人間は精霊にとっての毒に過ぎない。上手く使えば国家の発展に繋がるが、自由にさせれば国家を滅ぼす種となる。我らが同胞が、『霊腐病』に苦しんでいるのは周知の通り!」
『霊腐病』――精霊の根幹たる霊素に侵食し、喰らい尽くすまで止まらぬ病。
精霊は霊素によって形作られ、その種族すらも霊素の属性によって左右される。まさしく、彼女らの生を象徴するもの。『霊腐病』は、一切の
罹患者が完治した記録は
『霊腐病』の原因が人間であると、証明した医者や学者はいない。ただ、患者には人間を奴隷近くに置いていたものが多かったのも事実。
「よって、百霊議会の権限により人類種統制管理法、第二条の再度施行を求める!」
アネルドートの堂々たる弁舌。しかしその内容に、議会が波打つ。『穏健派』の想定を、
人類種統制管理法、第二条。すでに廃止された旧法であり、建国当初の条文だ。
即ち――人類種は権利の全てを喪失する。自ら権利を買い戻す事は
人間にとっては、希代の悪法。精霊にとっては、『強硬派』の一部が望む古めかしい旧法。
『強硬派』の議員たちはアネルドートの主張に
「人間はその数によって労働力となり、国家の歯車に組み込まれておりますわ。今更、人間達を家畜に戻して生活が成り立つと?」
国家を構成する比率だけを見れば、圧倒的な数を擁するのは人間だ。生物はよりか弱いものこそ、多くの命を残そうとするもの。
生まれ落ちた時から権能を有し、一個体で生存を可能とする精霊たちは
「ならば、家畜の役割を広げ必要な仕事をさせれば良いだけ。権利を与える必要はなかろう。毒を用いるものも、毒を愛しはしない!」
アネルドートが、議員の発言を一喝する。本来、議員の権限は平等だが、精霊とは即ち『力』を貴ぶ種族。
『力』の象徴たるオーガのアネルドートは、一定の敬意と尊重を受けていた。『強硬派』の議員たちは彼女の発言を後押しし、『穏健派』議員は
アネルドートは、百霊議会の象徴――決定権を有する議長へと視線を向けた。
視線の先に見えるのは、大樹。議会中央に設置された議長席に根を張るような姿で、議長クライム゠アールノットは座している。
第一階位。種族トレント。全身を覆う樹皮と数え切れないほどの枝葉が、彼女が背負ってきた年月を語っている。ゆっくりと、幹を傾けるような素振りでクライムが語る。
「そうさね。あの法律が生きてたのは、まだワシが若木の頃かい。アネルドート、お前さんは知らんじゃろうが、当時は今より人間の反乱はずっと多かったのさ。今みたいに、
「反乱は鎮圧すれば良い。第一、人間が反乱を起こすのは、飴と鞭の関係ではない。奴らの本能のようなものだ。アレらは、自由にすればするほど無暗な悪事を考え付くようになる。反乱には至らずとも、人間どもが悪意をもって精霊に歯向かう事件は何度も起きている! 百霊議会の宝物殿にも盗みが入ったではないか!」
「あれが、人間の仕業だと?」
百霊議会が有する宝物殿には、かつての大戦時に使用された『秘跡』が多く格納されている。
即ち、神霊や大精霊が直接加護を刻印した武具や物品。どれをとっても、国宝と言って良い代物だ。数か月前に、宝物殿に侵入者が現れたのは事実。
精霊による、恩寵の使用反応は無かった。よって人間の仕業だとする言説もあるにはあったが。
「人間が入り込めると、本気で信じているのかい」
クライムは全く相手にしていなかった。百霊議会自体は、議会の様子を見せるため時折開放しているが、宝物殿を含む旧来の建造物は全く別だ。存在そのものが重要機密の塊。他国からの
アネルドートの発言が、ここにきて一度勢いを失う。というのも、彼女は生きる『力』そのものであるが、クライムは生きる歴史そのものだからだ。
この場にいる精霊の誰よりも生き、歴史の多くを見聞きしていた。建国当初から生存している精霊は、この場では彼女だけだ。
精霊に寿命という概念は希薄だが、時が経てば彼女らは自然の中に溶け落ちその個は失われる。何千年も生きるような種は、それこそごく一部に限られた。
暫し空いた声の隙間に、影が入り込む。
「ふぅむ、確かに確かに、疑義が残りますねぇ。人間に忍び込めるのなら、この己がとっくの昔に宝物殿を空にしているはずですからなぁ。もし人間が盗めたとするのなら、それは管理者殿の怠慢では?」
淑女然とした立ち居振る舞いでありながら、どこか他者を
第一階位、シャドウ《影》の精霊、シャリア゠グレイスティ。彼女らの種族は、陽光とともに産声をあげた。だというのに、彼女らは生まれてから一度も陽光の恩恵にあずかった事はないのだ。
その所為だろうか。声には常に皮肉が混じり、思考の方向性も謎ばかり。彼女がどうして『穏健派』に属しているのかすら、誰も分からない。
「うっさいなぁ。ボクらの管理は万全だよ。今はもう一度、警備状況の点検をさせている所さ。どこぞの陰湿な影女が入り込んでなかったかってね」
第二階位、ミミック《宝物》の精霊、ミーア゠ドット。鋭い
「おっと失礼。本音を隠せない性格でしてねぇ。ミミックという種族がただ無能というのならば、致し方ありますまい!」
「アッハッハッハ! そっかそっか、シャドウには盗みなんて大それた真似は無理だったね。誰かの後ろについていくだけが能の、永遠の
「ヒハハハハハ! 冗談だけは御上手ですな」
「クライム議長、発言よろしいかしら?」
議論が沸騰したと同時、一つの手が挙がった。クライムが許可を出すと、彼女は立ち上がって言う。
「アネルドート議員の提案する法は、かつて人間を自由にする事が悪と断じられていた時代の遺物に過ぎませんでしてよ」
エミー゠ハーレクイン。ヴァンパイアの
「それは今でも変わらん。アレらには力も意志もなく、ゆえに自由を与えれば悪事を考えるのみ。我ら精霊に首を
「では逆説的に、彼らに『力』があり意志があると、そう判断出来れば良いのですわね?」
何処か挑発的なエミーの発言に、アネルドートがぴくりと
「……何が言いたい?」
簡単な事です、とエミーは言葉を継いだ。全ての議員が、彼女の言葉に集中していた。
「――来たる冠上闘技に、わたくしは人間を一人、推薦致します。どうでしょう、その者の勇姿を見て人間の『力』と意志を測るのは」
一瞬、クライムを含めた全ての議員が押し黙った。数秒。誰もが発言に戸惑う中、口火を切ったのはやはりアネルドートだった。
「貴、様ッ! 栄光ある冠上闘技に人間を出場させるだと!? 誇りというものを忘れたか!」
「そうよ。幾らなんでも人間を出して良いはずがないじゃない!」
「闘技はただの見世物ではないのよ!」
次々と、『強硬派』の議員たちから声が吐き出される。現代では闘技は見世物とされる趣きが強いが、本来は神霊に武威を
だからこそ、人間が闘技に入り込んでくるのを嫌がる精霊は多い。彼らの行いは、決して武威ではない。ただの見世物だ、と。『穏健派』にすら、良い顔をしない精霊はいるだろう。
しかし、エミーは優雅な振る舞いを崩さずに言った。
「出場選手の推薦一枠。これは、百霊議員が総じて持つ権利であるはず。そこに制限はない。クライム議長、そうですわね?」
「……まぁ、そうじゃな。無制限としたのは、百霊議会の全会一致じゃったはず。ワシが
「それは、そうだが――」
人間を出場させる議員が出るなど、想像もしていなかった。多くの者が自らの利益とするために、推薦枠の条件について合意したのだ。
「理は、エミーの側にある。ワシは百霊議会の議長として、冠上闘技の主催者として反対する事はない。それに、『力』を示すという意味では、これ以上の場はなかろう。法案についても、皆考える時間は必要じゃ」
「な……っ!?」
アネルドートは
法案について、議長として結論を出したという意味だった。
『穏健派』の議員、特にエミーは着席しながらも大きく
まずは、リオとの約束を果たせた。ああも大見得を切って出場させてみせるとは言ったものの、人間というだけで推薦を取り消される理由には十分なのだ。万が一そんな事になれば、リオに本気で嫌われてしまうかもしれなかった。
百霊議会の場で発言した以上、クライムは決してその判断を覆さない。どれだけアネルドートたちが反対しようと、リオの出場は
反面、
唇に指をあてて思案するエミーを、射殺さんばかりの視線でアネルドートが見る。
「――冠上闘技には、私も出場する。卿の大事な人間が『事故』に遭っても、責任は取れんぞ」
「――へぇ、面白いことを仰るのね、オルガニア
真なる暴力とは、誰の目もない場所で、そっと振るわれるものなのだ。
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