第二章/役者は踊る――人であれ精霊であれ②
「リオ、今日も無意味にお
リオの両腕を、片脚であっさりと押さえ込みながら女は言った。
訓練場の闘技者、アエローだ。
「何とか言えよ。私の声が聞こえねぇわけじゃないんだろ。ええ?」
「…………」
「何か言えよ!?」
アエローは不機嫌そうに舌打ちをしながら、
長い白髪に、鋭い黄瞳。闘技者と言うには
だが、彼女を決定付けるものは容姿や体格では無かった。腰元から誇らしげに生えた巨大な翼こそ、彼女の全て。
種族、ハルピュイア。第五階位。精霊の中でも多くない、空を領域とする種族。
「訓練中は無暗に、話しかけないってルールでしょう?」
「こ、の野郎! てめぇ、私には生意気だよなぁ!? 私の忠告が聞き入れられねぇのか、ええ?」
鋭い爪を有する右足が、ぐいとリオの首筋を
「ふ、ぐ――ッ!?」
「ハッ! 私の脚一本で黙らされる奴が、よくも闘技者なんて名乗れるもんだ。私は厚意で言ってやってんだぜ。人間の闘技なんざ、危なっかしくてみてられねぇからな」
アエローは片腕でリオをつり上げ、首をゆっくりと締め付ける。両脚が浮いた宙づり状態では、ろくに抵抗も出来なかった。いいや、たとえ両脚が地についていても同じだっただろう。
ハルピュイアは決して膂力に優れた種族ではないが、脚で掴み込む事にかけては他の追随を許さない。リオが全力で抗ったとしても、正面からでは彼女の片脚に決して敵わないはずだ。
首が強く、絞まる。呼吸が数秒全く出来なくなった。空気を求めて大きく声を上げると、アエローがため息を漏らす。
周囲の闘技者たちの反応は二つ。
当然の事だった。リオが人間であるからだ。精霊というものは、幼少期からそのように育てられる。
――人間とは、即ち精霊の奴隷。手荒に扱った所で、一体何の問題がある。
「ア、エロー……さんッ!」
「あァん? 言っておくが、お前がディア様に気に入られてるからって手加減はしねぇぞ。それとこれとは別問題だ」
多くの闘技者たちがリオに突っかかる理由とは、即ちこれだった。
人間でありながら、奴隷身分でありながら、主たるディアの
それでいて、本人の実力は人間に毛が生えた程度のもの。アエローの脚一本で身動きが取れなくなる。
となれば、苛立ちがディアの眼の届かぬ所でリオへと向けられるのは必然だ。
その容姿をもって上位の者に
少なくとも、アエローの周囲にいる闘技者らは、そう思っているのだろう。
「ほら、どうした? 闘技なんざもうやめるって言うなら今日は許してやるぜ。お前には向いてねぇよ」
宙づりにされたままのリオは、か細い息を必死に
胸中にあるのは、血が沸き立つ屈辱と、焼き付くような恥じらいだけだった。
今日は、闘技で敗北しなかった。当然、搦め手を使って。
今日は、冠上闘技への出場という望外の権利が与えられた。必然、条件は付いてきたが。
正直、リオは浮かれた気分がどこかにあったのだ。自分も、少しは闘技者としての役割が板についてきたのではないか。ディアの役に、立てているのではないか。彼女に、並び立てるのではないかと。
だというのに、たかだか第五階位のアエローにすら『力』で敗北する。闘技となれば、彼女は羽を広げて空を統べるだろう、そうなればますます手は出ない。
自分でなければ、絞め殺してやりたいくらいの無様さだった。小さく、声を漏らす。闘技者としての熱が、脳に回り始めていた。
「うんうん、何だって? 言えよ、リオ」
耳を近づけるアエローに、リオは必死に
「……うるさい、です。虫でも探しておいたらどうですか。ハルピュイアは、ミミズがお好きなんでしょう?」
「――ッ!」
ハルピュイアを鳥と重ねて語るのは、余りに有名な禁句だ。彼女らは翼こそ持つが、鳥ではなく風の精霊から分化した種。
鳥と同一視されるのは、種族としての根本を汚されるに等しい。
リオはそれをよく知った上で言った。多くの種族と、その特性は彼の頭に詰め込まれている。当然、勝利のために。
反射的に首を千切り取りそうになったアエローを押し留めたのは、理性ではなく腹部に与えられた衝撃だ。リオは首に負担がかかるのも構わず、勢いよく足先を彼女の胴に突き入れていた。
途端、首の拘束が解かれリオは地面へと投げ出される。予期すらしていなかったのだろう、アエローもまたそのまま地面に
「ア、がは……っ! っ、ぅ」
喉に、肉を引き裂かれたような熱がある。幾ら吐き出そうと喉を鳴らしても、一向に出てこない。口内に血の味が
「てめぇ……よりによって私にそれをいう意味、分かってるんだろうな、ええ!?」
白髪が土を払って怒気を
リオは分かっている。どうせなら人間らしく、頭を垂れて彼女の言う通りにしておけばよかった。何時もの
しかし常に最善を選ぶ生き方なら、彼はすでにここにいないのだ。少なくとも闘技が絡むその間だけは、彼は臆病さを忘れられた。自分自身でいられた。
これから自分に立ちはだかるのは、冠上闘技。エミーから出された条件は、一つだけではない。まだこれから、やらなければいけない事は幾らでもあるのだ。
ならばこんな所で、頭を垂れている暇はない。
「アエロー、さん。僕が気に入らないんでしょう。僕だって同じです。りょ、両想い同士、やる事は一つでは?」
「……回りくどい口ぶり。それもディア様の仕込みかよ」
意外かも知れないが、闘技者は実力以上に、評判がものを言う商売でもある。
興行主は何時だって、客を呼べる闘技者を欲していた。客が求め、客から金を吸い上げられる闘技者こそ、最上だと誰もが言う。
実力を持つ常勝闘技者は、無論客が集まってくる。しかしたとえ常勝でなくとも、不思議と客の視線を集める闘技者もいるのだ。
アエローの如く軽装を纏う突撃闘士や、重厚な防具を背負った重装闘士、挑戦闘士、網闘士といった従来の分類からは完全に外れる。気迫、所作、
――即ち、リオのような
リオが喉を鳴らす。臆病さをかみ殺し、口調を整えた。自分は絢爛闘士なのだと、そう言い聞かせる。
「――だったらどうするんです。羽を翻して逃げ帰るんですか?」
地に落ちた木剣を手に取り、両手で握りしめる。普段使いの軍用大剣と比較すればやや重さは劣るし、グリップは甘い。けれど、剣身の長さだけは合致するように作られていた。
闘技者間の
リオにしろ、アエローにしろ、ここで刃を交わし合うのは決して賢明でない判断だ。
けれど、
「……はぁ。そういう挑発か。いいぜ。乗ってやるよリオ。言ってわからねぇ奴には、身体に分からせるしかねぇからな」
「ちょ、ちょっとアエロー! まずいでしょ!」
他の闘技者がアエローを止めようと前に出るが、彼女は軽く視線一つで払いのける。
「騒ぐなって、ただの訓練だよ。
「それは、そうだけど」
アエローの武器は両脚に装着するかぎ爪だった。訓練用の木製かぎ爪を、彼女は丁寧な手つきで装着していく。
木製とはいえ、ハルピュイアの脚力から放たれるのだ。決して甘く見られるものではない。皮膚に当たれば肉は裂け、骨は断たれる。
特に、人間の柔らかな肉体であれば。
リオは口元で、熱い呼気を漏らした。何時も通り、闘技場で見せる通りの不敵な微笑を装いながら、口の中では奥歯を必死に噛みしめる。
突然に思い出した。同じ訓練場にありながら、アエローとは何時も衝突している。お互い、反りが合わないのだろう。
――けれど正面から立ち向かうのは、これが初めてだ。
自然と指先に震えが起こりそうになる。
嫌になる。闘技を前にすると、リオは何時でもこうなった。それが訓練でも、試合でも。目の前に闘技という奴が現れれば、
余りの情けなさから、口元に笑みが浮かぶ。
「――じゃあ、やりましょう。ハルピュイア」
恐ろしいほどの臆病と小心。けれど、闘技に一歩踏み込んだリオは決してそれを相手に見せなかった。何より、観客達に気取られては絶対にならない。
自分は、絢爛闘士の役割を当てられた。勝利は闘士として当然。しかしそれ以上に、無様な姿を見せてはいけない。その為に、ディアは自分を育てたのだから。
その意志だけが、炎の
「――けッ。血まみれにしてやるよ」
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