第二章/役者は踊る――人であれ精霊であれ①

「あばよボォーイ。もう二度と来るんじゃないぜぇ」


 マミーのどこか的が外れた送迎の言葉を聞きながら、リオは巨大な邸宅を後にする。

 ふと振り返ってみると、今まで自分が入っていたとは到底思えない。明らかに奴隷が踏み入る事を許されない場所だ。

 そこに踏み入っていた事実も、冠上闘技への出場権の話も、全てが白昼夢でした。そんな話の方が、よほど現実感がある。


「リオ」


 邸宅から数分歩き、大通りから小道に入り込んだ頃。精霊の影がほとんど見えなくなってから、ディアはそう呼びかける。


「はい、ディア様」


 銀髪が風を受けて、はらりと揺れ動く。合間から見え隠れするへきがんは、感情が読みづらい。他種族と異なり、どうこうや眼球の動きがごくわずかであるためだ。

 表情も大きく動かす事を好まない事から、エルフは感情の揺らぎが少ない精霊であるとよく誤解を受ける。けれどディアは、頬をにぃとゆがませて言った。


「見た? けたちがいでしょう、高位精霊は」


 誰を指すのか、リオは問わなかった。リオは当年十六歳になるが、ディアとは十年近い付き合いがある。彼女の性格を知るには、十分な時間だった。


「冠上闘技で出てくるのは、ああいった類よ。ハーレクイン卿はあれでいて怪物だからねぇ。理解した上で、君に条件をつけてる」

「つまり、出場はさせても良いけれど、どうせ、僕が活躍する事はないと」


 権威も歴史もある精霊たちのための闘技大会。そこに能力も霊素も劣る人間が突如出場し、活躍を示して人間という種族を精霊たちに認めさせる。

 素晴らしく、美しくれいな英雄物語だ。現実が酷く冷淡だという部分を除けば、完璧とさえ思える。


「ええ。百霊いれば、百霊ともに思うでしょうね。人間! それもウッドエルフ如きが率いている訓練場の輩が、冠上闘技で勝てるはずがない! しよせんは見世物だ。精霊に痛めつけられて、屈服させられる無様をさらすだけ!」


 碧眼が、リオを見つめる。リオもまた、帽子を脱ぎ真正面からディアを見た。互いに、出会った日の事が脳裏を過る。

 片や、奴隷として売りに出された取り柄一つない人間。片や、帰るべき故郷も統治すべき領地も失ったウッドエルフ。


「そんなものよ。誰も彼も、種族で値付けをされる。東方の雷帝国も、南方の騎士列国だって変わりはない。実際、そう間違ってるわけでもないわ。種族の差は、そう簡単に覆せるものではないもの」

「だから、今回の事はやめろとそう仰ってます?」


 碧眼が、くしゃりと形を変えた。


「だとしたらどうする?」

「ディア様のお言葉でも、受け取れません。常識で考えて不可能だから諦める、というなら、そもそも僕は闘技者になってませんから」


 そうだ。だからこそ、屈辱を噛みしめて女装などをしているのだ。

 ディアは満足げにうなずいた。


「その通り。私も同じだよ。やらなきゃいけないから、ここにいる。当然に出来る事、誰にだって出来る事なら、誰かに任せておけば良い。私達は、私達にしか出来ない事をしよう」


 リオが、現実を見ない甘ったれであるならば、ディアは白昼夢を現実と断じる異常者だ。

 ディアの生まれ故郷たる神樹の森は、五百年前の大戦の折に焼け落ちた。その地に住まうウッドエルフは多くが焼け死に、生き残った者も各地に散ってどこにいるかすら分からない状態。

 存在したはずの王家も、王権も全て散逸した。

 ――たった一人の、娘を残して。

 姫君であった娘は、その身を地の底に落とされて尚、生きねばならなかった。辛酸をめ、泥をすすり、土臭いウッドエルフとちようしようされながら都市を転々として生き延びる手段を探す。

 それが、自らに与えられた義務であると彼女は受け取っていた。王家たる者は、たとえ尊厳を踏みにじられても、死んではならない。

 生きて、生きて、生きて。その血を絶やしてはならない。

 祝福であり、呪いたる血。都市に出て、自らが神樹王家の血筋であると名乗らなかったのは、彼女の最後のプライドだったのかもしれない。


「良いリオ。私は必ず、自分の王国を取り戻して見せる。そのために、訓練場を作った。あそこは、私の最初の領土なの。種族によって区別しない、誰もが上を向ける最高の国」


 何時しか、そのプライドが常軌を逸したとして、おかしな事はなにもない。


「君は言ったね、人間でありながら、大陸で一番の闘技者になる。私は放浪の身に堕ちながら、再び私の王国を取り戻したい! 良いね! どっちも世迷い言で、どちらも正常なままでは出来ない!」

「ええ、ですけど僕はどちらも実現できると信じています」


 一拍を置いてから、ディアは言う。


「――その通り。現実なんて、泥を塗ってやるくらいでちょうど良いのよ」


 リオは帽子の縁を軽く弄りながら、再び歩き始めた彼女の後ろを追う。もう一言も発せられる事は無かった。

 ディアは時折、このように感情を大きくたかぶらせる。多くは、リオと共にいる時だった。身分の違いはあれど、十年前のあの時から両者は同胞だ。

 リオにとってはそれがうれしくもあり、寂しくもある。感情の発露が、彼女との関係性は決してこれ以上に進まないという証左にも見えた。

 十数分ほど小道を歩けば、ディアの根城たる『訓練場』が姿を現す。大きくはないが、訓練場として最低限の門構えは整っている。


「おかえりなさいませ、訓練長殿。遅かったですな」

「パトロン様のお話があったものだからね。無下には出来ないでしょう」


 訓練場に入ると真っ先に受付兼留守役のドネットが声をかけてくる。

 闘技者達は訓練の時間だ。庭先で木剣ややりを振るっているのだろう、休憩所側になっているロビーや休憩所はがらんとしていた。


「リオ殿も、その調子ですと怪我はないようで」

「ええ。何とか」


 ドネットは口元に蓄えた白髭ひげを愉快そうに動かして言った。彼は種族にしては高い背を軽く伸ばし、ディアと二、三事務的な言葉を交わす。

 ドネット。種族ドワーフ。細かく言えば北方生まれの彼はバレットドワーフと呼ぶらしいが、彼ら以外はそんな違いに目を向けていない。第六階位の彼は、一般的な市民階位と呼ぶべきだろう。

 ディアは訓練場の切り盛りの多くをドネットに任せていた。彼がドワーフらしく金の勘定に長けていたのもあるし、何より闘技者の扱いが上手かった。

 訓練場という商売は一も二もなく、闘技者をどう集め、どう扱うかという点に尽きる。

 所属する闘技者が闘技大会で勝利すれば、訓練場の名も高まり、闘技者も集まってくる。反対に闘技者が負け続ければ、知らぬ間に闘技者は離れていく。パトロンだってそうはつかなくなるもの。

 だからこそ公都に乱立する訓練場は、あれやこれやと手を使って名の通った闘技者を集める。

 設備や闘技教師の質で呼び込むのならまだマシな方で。力を背景にした脅迫や、他訓練場から有力闘技者を大金で引き抜くなんてのもよくある話。綺麗事よりも、汚泥に塗れた話の方がよっぽど多いのもこのかいわいの特徴だった。


「そういえば、休憩所の一部が雨漏りしてるって聞いたわよ。私が修理しておくわ。ドネット、道具を貸してちようだい

「……い、いえ、そのような修理を訓練長殿にさせるわけにはいきませんわい」

「大丈夫よ。これくらいやらないで、訓練長なんて名乗れないわ!」


 その中で、ディアは心配になるほどしんな生き様を見せてくれる。それこそが、ディアがリオをはじめとした一部の闘技者から信頼を勝ち得た理由の一つかもしれない。

 訓練場の修理を自らしようとする訓練長など、そうはいない。まぁ――ディアの場合、大抵修理をしようとして破壊してしまう悪癖はあるのだが。

 必死に止めようとするドネットと、修理道具を持ち出すディアの姿はもはや日常風景だ。

 頬を緩めつつ、リオが言う。


「ディア様、それじゃあ僕も訓練に行ってきます。身体は、そこまで動かしてませんから」

「いいけど、明日あしたも闘技はあるんだからね? 理解した上で訓練する事!」


 ディアの言葉を背中に受けて、訓練庭へと出る。

 さて、公都には数多あまたの訓練場があり、興隆を極める所もあれば、衰退の一途を辿たどる所もある。果たしてエルギリム訓練場がどちらかと言えば、後者だろう。


「……ここは静かで、好きではあるんだけど」


 思わず、ぽつりとリオが漏らす。裏手に用意された訓練施設は、決して質の悪いものではない。実際に闘技で使用する防具が用意され、闘技者は好きに使用できる。広さや物資の充実具合も、必要な程度は揃えられていた。

 上等、とは言わないものの中等程度の設備はあるだろう。

 けれど、リオが目にした闘技者は両手で数え切れる程しかいない。用意された訓練施設は二十名以上が使用できる作りになっているのに、だ。

 仕方のない事だった。エルギリム訓練場の知名度の問題もあるが、本当に腕の立つ闘技者が入って来た場合、数度闘技で勝利した後にすぐ他の闘技場に引き抜かれてしまう。本来、訓練場を経営するのは第二、第三階位の者らが多いのだ。根本的な資金力やコネクションで劣るディアは、闘技者の引き抜きに抵抗出来ない。

 今ここに残っているのは、雇用主であるディアに恩義を感じているか、もしくは殆ど新人に近いものだけ。

 その事情を思うと、訓練用の木剣を握るリオの手にも力がこもった。

 今度の冠上闘技だけではない。リオは勝利し続けなくてはならなかった。敗北が続けば、闘技者はもちろん、訓練場にも金は入らなくなる。訓練場が立ち行かなくなれば、ディアもいずれはリオを手放す必要が出て来てしまう。

 エミー辺りなら、良い値で買い取ってくれる。いいやそうでなくても、娼館に売り飛ばせば相応の値が付くはずだ。人間にそれを拒絶する術はない。この世界はそんなふざけた理屈で回っている。

 リオは腰の大剣を降ろし、長い木剣を振り上げる。眼前に据えるのは訓練用の打ち込み台。一般的な精霊の体格を模してある。

 呼吸を、一つ。足首を駆動させ、ひざを固定し、腰を回転させ木剣を躍動させる。

 一秒の間。がい、心臓、手足。それぞれの箇所へと木剣が突き込まれた。

 しかし、まだ足りない。精霊のりよりよくであれば、霊素であれば、この程度の連撃を受けたとしても動いてくる。ありとあらゆる種族を想像し、ありとあらゆる相手を想定する。

 もう二度と、今日みたいなふざけた勝ち方はしない。実力を、ディア相手にだって認めさせる。


「一つ、二つ、三つ。一つ、二つ、三つ」


 口先でリズムを刻み、まるで中空に何度も線を描くように、リオは木剣を振るう、振るう。今日、小規模とはいえ闘技大会を終えて来たとは思えない打ち込みようだった。

 ――根本的に人間は精霊わたしたちより少ないんだから。なら、使う手を増やすのは大事よ。強者を倒す為なら、使える手はなんでも使う。そうでしょう?

 ディアの言葉が、骨身に染みる。しかし、ではどうすれば良いというのか。

 いらちすら覚えながら木剣を再び振り上げんとするリオの腕を、押し留める手――いや、脚があった。

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