第一章/人間《どれい》は神に祈る――死に絶えろ③

「ごめんね~リオきゅんッ! 本当ならリオきゅんが来る時間帯は絶対あけてるんだけどぉ。あの乱暴オーガがどうしてもって言うからさぁ。本ッ当参っちゃうよねぇ」


 場所は、エミーの執務室。本来なら外部の人間を持て成すのは応接間であり、執務室はより私的なスペースだ。

 ここに迎えられたリオとディアは、エミーに近しい存在と認められていると言って良い。


「い、いえ。全然、全く、問題ないです。こうしてお時間を頂けるだけでもじゅ、十分ですし」

「もぉ~リオきゅんったらいい子ね! 大丈夫? ちょっとだけ血をもらっても良い?」

「え、ええ……ぼ、僕のをお望みなら」

「冗談冗談、そんな事ここでしたら変態だもんね~」


 エミーはリオを抱きかかえたまま、執務椅子に座りながら満足気に頬を緩めている。ちらりとその紫瞳がディアを時折見つめるが、流石にディアとしてもここで出ていく選択肢はない。

 何せ、当然エミーはリオが男であると承知しているし、その上でこうやって接しているのだ。ここでディアの視線がなくなれば、何をしでかすか分かったものではない。下手をすれば、大事な闘技者の一人が、帰ってこなくなってしまうかもしれなかった。

 その上で、ディアは思う。今の時点でエミーのやっている事は十分に変態的だ。

 ヴァンパイアの吸血とは即ち、性的行為に近い。奴隷相手とはいえ、昼間から話題に出す内容ではない。

 リオはその事実に気づいていなかった。勉強熱心な彼に、ディアが敢えてヴァンパイアの習性だけは教えなかった成果だ。

 エミーがリオに入れ込んでいるのも、この成果が一因になっているはず。

 というのも、リオ相手には積極的に見えるエミーだが、実のところ彼女は全く男慣れしていない。緊張からすぐに下手な事を口走っては、相手を凍り付かせてしまうのだ。

 最初、ようやくディアが伝手つて辿たどってリオと共にエミーに拝謁した時は酷いものだった。

 高位精霊であるが故に、男慣れしていないとは聞いていたが。


『あ、あああ貴方がリオ、リオきゅん? ど、どどうかしら。お近づきのしるしに吸血して、して良い?』


 最悪の対面だった。未だに婿がいないのもうなずける。精霊は勿論、今時の人間でも顔を青ざめさせて逃げるだろう。ディアですら、リオが泣き喚くのではないかと心配したほどだ。

 だがリオはきょとんとした顔で、小首を傾げながら言った。


『……? ぼ、僕のものが、必要なのであれば?』


 無知とは、時に武器である。

 恐らく、エミーはその一言でリオに陥落してしまったのだろう。それからというもの、ディアの下には彼女からリオを引き渡さないかという誘いや、月に四度は連れてこいだとかいう指示が矢継ぎ早にとんでくる。

 そのお陰でパトロンとしてばくだいな支援を引き出せているのではあるが。流石にこうも間近でリオを愛でられれば、ディアとしても内心穏やかではなかった。


「エミー様、その……」

「なぁにリオきゅん。欲しいものがあるなら何でも言ってね?」

「い。いえ、エミー様には十分な支援を頂いていますから。そうではなくて、アネルドート様は、どうしてあのようにお怒りになっていたの、かなぁと?」


 ただの好奇心、では無かった。ディアの言いつけだ。リオはともかく、ディアは精霊界の情報を何よりも求めている。闘技商売は、政界とのつながりが命だ。闘技大会という催しの多くが、そもそもからして議員たちの人気取りに過ぎない。民衆にとって闘技はこれ以上ない娯楽であり、だからこそ議員たちは闘技者のパトロンとなって業界に金を注ぎ込む。

 そうして政界というものは、何時いかなる時も情報が命。

 ディアが今まで生き残ってこれたのは、のんなようでありながら、ある種のしたたかさも持っているからこそだろう。

 エミーはちらりとディアを見ながらも笑みを絶やさずに応じた。口調が、ほころんだものではなく平時のものに戻っていた。


「……ええ、大した事ではないのだけれどね。ディア、貴女にも伝えておきますわ。最近、人間達の反乱が続いてるのは知ってるでしょう」

「耳には入っています。解放奴隷を中心に、各都市や村落で賛同者を集めているとか何とか。名乗っている名が――」

「――『正義解放戦線コンクラート』。愚図ほど、『正義』という響きが好きなものでしてよ。どうやらソレが、この公都にも巣を張っているらしいのです」


 驚いたようにディアは長い耳を動かしたが、全く察する所がなかったわけではない。

 公都で人間をやけに見かけるようになったし、最近人間を取り締まる役人の数も多くなっていた。リオに対する視線が強くなっていたのは、その所為もあるのだろう。宿場の闘技大会でも、随分と書類を求められたものだ。


「アネルドートは、その事実をもって人間の管理強化を推進させるつもりでしてよ。今夜の百霊議会で、正式に議案として提出するようですわ。何処まで強めるか、は分かりませんけれど。今のように自由に出歩く事は不可能になるでしょうね」

「っ、それって、つまり」


 反応したのはリオだった。思わず黒くつやのある瞳を見開き、唇を跳ねさせる。


「ああ大丈夫よ! リオきゅんは必要ならわたくしの館にいれば良いんですもの。ええ、それが一番よ! 今すぐでもいいはずよ!」

「い、いえそうではなく。――それは、僕が闘技者ではいられなくなる、という事ですか」

「ふぅむ、そうねぇ」


 エミーはヴァンパイア特有のきばをかちりと鳴らした。彼女が考え事をする時の癖だ。そうしてその頭脳は、いかに溶けきっていても百霊議会の議員である。もう一度牙を鳴らして、結論を出した。


「難しいでしょうねぇ。今はまだ人間の闘技者もある程度いるけれどぉ、それは一時とはいえ武器を持たせる事でしょう。アネルドートは『強硬派』だからねぇ、本当に牧場に集めて管理化するくらいの事言い出しかねないわ」


 人間牧場。人間を一か所に囲い集め、徹底管理を行って反乱者や治安を乱すものを出さない施策。精霊界ではよく持ち出される言説だ。

 と言うのも、前例がある。つい千二百年ほど前、当時の精霊王ガーネットが人間を解放するまで、人間は精霊の家畜に過ぎなかった。時にあいがんされ、時に慰み者にされ、時に踏みにじられ、時に食われる家畜であった。

 今では身分を買い戻す事が許され、自由人となる事も、時に精霊と婚姻を結ぶ事もある。再び人間を家畜化するなど、余りに時代遅れ。言うなれば、アネルドートは時代の針を、一つ過去に戻そうとしている。


「まぁ、そこまではさせないわ。もうそんな時代ではないのですもの。だから安心してリオきゅん。まぁ、闘技者はやめる事になっても、他に一杯出来る事は――」

「――それでは、駄目なんです。僕は、闘技者でありたい」


 最初にディアが、次にエミーが目を大きくした。

 リオという少年は、殊更に自分の望みを言わない人間だった。むしろ顔をうつむかせている事の方がずっと多い。けれど今だけは顔を上げ、強く言葉を漏らしていた。


「……どうしてそんなに闘技者を続けたいの? 闘技者なんて危険で、野蛮で、リオきゅんみたいな子には似合わないわよ」


 それは、リオの内心に踏み入る問いかけだった。しかし瞳が真っすぐにリオを見据え、虚偽を許さない。

 如何いかとぼけようと、相手は第一階位の魔。精霊貴族ヴァンパイア。リオは反射的にのどを鳴らしながら、言った。


「――強くなる必要があるからです。それこそ、竜にだって勝てるくらいに」


 嘘は、言わなかった。決して虚偽ではない。しかし、全てではない。


「んぅ? その言葉がどういう意味か、分かっているのかしら」


 その物足りない言葉に、感じる所があったのだろうか。エミーはぐいとリオのあごを指先で捕まえる。

 永遠に続きそうなせつの時間、じぃと奴隷の瞳を貴族の視線が貫いた。

 次には、彼女の両腕が強くリオの身体を抱き寄せる。


「……もちろん、良いわよ。それがリオきゅんの夢だって言うのなら、協力してあげる。わたくしは、リオきゅんのパトロンなんだもの」


 ささやくように、うそぶくように、エミーが言う。


「但し、わたくしを裏切ることは許しません。よろしくて?」


 それは硝子ガラスの針。しかし心臓に突き刺さった瞬間、鉛となって全身をいまわる。


「――裏切るなら何時でも地の底へ叩き落としてあげますわよ」


 確かに、害意ではない。それは無邪気ないらちというべきだ。

 可愛がっている子犬が、自らの意図に沿わなかった時。飼い主がほのかに見せる感情の波打ち。

 ただそれだけのものが、人間の全身を硬直させる。高位精霊の意志は、霊素を伝い空間そのものに作用する。


「なぁんて、冗談よ冗談。ほら、お菓子を食べましょう。そんなリオきゅんには丁度良い話もあるわ。マミー!」


 ぱんぱん、と優雅に両手をたたき、使用人を呼ぶ。邸宅には大勢の使用人が控えているはずだったが、リオが知る限り彼女はマミーしか呼びつけない。

 元人間であるマミーなら、リオも親しみやすいだろう、という配慮だった。執務室の重厚な扉が、気軽に押し開かれる。待ち構えていたかのようなタイミングだ。


「へぇい、マイマスター。従僕が参りましたぜ。高級な茶菓子とティーを持ってね」

「ご苦労様。貴女、その無駄に意味不明な口調は早くなおしておきなさい」

「そいつは無理ってものでマイマスター。馬鹿は死んでも治らない。この通り、死人となった今も治りませんぜ」


 エミーはもはやため息を漏らす気力すらなくなって、マミーが執務机に茶菓子とティーカップを並べていくのを黙って見つめていた。口調はともかく、その作法は確かなのだから性質たちが悪い。

 執務室とはいえ、来客用のテーブルやソファも用意されていたが、エミーはそこには座らず執務机の上で茶を飲む事を好む。蝙蝠こうもりから生まれた血脈が、無意識に広いスペースを拒むのだろうか。


「ほらリオきゅん。食べて食べて! 東方の雷帝国から取り寄せたお菓子よ。船を渡ってくる砂糖菓子なんて、そうは簡単に食べられないわ」


 白い粘液でコーティングされた三角の菓子は、確かにリオが見た事はないものだった。きようがくなのは、手でにぎつぶせるほど小さいのに、彫刻を思わせる模様が丁寧に刻み込まれている。しかも、一つ一つが全く違う模様なのだった。

 与えられるまま口にしてみれば、仄かな苦みの次に舌が溶けたと勘違いするほどの甘味が来た。眼を白黒させるリオの反応を楽しむように、エミーが言った。


「悪くないでしょう。ひいにしている職人の品なのよ。リオきゅんが気に入ったのなら、また仕入れてもいいわね」


 これで『悪くない』程度。相変わらず、住む世界が違うとリオは実感した。庶民にとっては、砂糖を使っただけでも十分贅ぜいたくひんだというのに。砂糖の塊を、更に砂糖で塗り固めたような菓子、きっと庶民ではどういても手に入らない代物だ。


「ええと、それで。僕にも、良いお話というのは――?」


 舌が甘さで馬鹿にならないよう、リオは早々に話を切り出した。それに、こちらから口を出さなければエミーが話す事を忘れてしまうのは何時もの事だ。

 数秒目を瞬かせながら、エミーは思い出したように口を開く。細い指先が、彼女の口元でくるりと動いた。


「そうそう。忘れる所でしたわ。マミー」


 指をぱちん、と鳴らしてエミーは従僕に合図をした。

 ――数秒の沈黙。もう一度指が鳴る。はて、とマミーが首を傾けた。


「え、なんですマイマスター?」

「なんですじゃなくてよ!? 告知文よ告知文! 持ってきなさい!」

「あ~、ちゃんと言葉で言ってもらいませんと、分かるものも分かりませんぜメェーン」


 頭を抱えたエミーがリオの視界に入ってくる。相性が良いのか、それとも悪いのか。今一分からない主従だ。

 しかし、マミーが言う事を聞かないというわけではない。むしろ忠実すぎるほどに忠実だ。

 数分もすれば、彼女は両手で抱えきれないほどの羊皮紙を山積みにして執務室へと戻ってくる。


「……何それ」

もうろくしましたかいマイマスター。告知文ですよ。数十年前のものからまるっともってきやがりました」

「最新のものだけに決まっているでしょう! お馬鹿さん!」


 怒りの余り宙を飛ぶティーカップ。かんぺきにキャッチする死人メイド。こういった形式が、彼女らのコミュニケーションなのかと勘繰りたくなるほどだった。


「ええと、ほら、それよそれ。開きなさい」


 羊皮紙の内、最も新しいものを指さし、エミーが言う。

 ゆっくりと、黒いインクで彩られた文字が露わになっていく。

 内容は、百霊議会議長クライムによる――冠上闘技オリジン・リトリウスの開催告知文。


「冠上闘技、ですか。本気で?」


 応じたのは、リオよりディアの方が早かった。エミーは軽く喉を鳴らし、笑みを見せて言う。


「ええ。唯一正統で、誉れある闘技よ。五十三年ぶりの開催は、慎重なクライム閣下にしては思い切った判断だったんじゃないかしらね。市民への正式告知はまだ先でしょうけど、議員にはもう話が通ってる」


 唯一正統で、誉れある闘技。賛否ある評価だが、高位の精霊たちは大抵似かよった物言いをする。

 いわく、他国にも広がる数多あまたの闘技大会なるものは、冠上闘技の猿真似に過ぎない。

 真に誇りを有し、栄華を有するのは、この世界で最初に行われた闘技大会――冠上闘技以外にないとそう語るのだ。

 事実、冠上闘技が一種のブランドを有しているのは間違いない。他国から参加を望む者も大勢おり、国家の枠組みを超えた祭典にすらなっている。

 エミーは、事もなげにこうつぶやいた。


「――リオきゅん。わたくしが、この祭典への参加者に貴方あなたを推薦してあげる」

「え――?」


 またもや、反応したのはディアだった。

 それも当然だ。冠上闘技に関する理解は、リオよりもディアの方がよほど深い。

 世界規模と言って良い祭典。生半可な腕の闘技者を参加させるわけにはいかない。とすれば、参加者は必ず選別される。

 即ち、王侯貴族や有力者からの推薦を受けなければならない。名の知れた闘技者には、必ずパトロンがついているもの。むしろ支援者を獲得出来ない闘技者など、その時点で腕が知れている。


「百霊議会の議員は全員、一枠の推薦権を有しているのは知っているはずでしょうディア。アネルドートのような精霊は自分で出場するつもりかもしれないけど、わたくしはそんな蛮行いたしません。ですので、貴方が条件を満たせるのなら、与えてあげる」

「そ、れは……」


 願ってもいない事。喉から手が出るほどに欲しい権利。

 時には幾万もの金貨が動くと言われる、冠上闘技への出場権。それを人間の身分で与えられるなんていうのは、幸運と呼ぶことすらはばかられる。


「もしも冠上闘技で人間であるリオきゅんが実績をあげれば、わたくしが百霊議会で演説をしてあげるわ。人間は自由を与えるに値する種族である、とね。議員たちも、実績さえあれば認めざるをえない。――けれど」


 ぴしゃりと、リオの胸中にあった甘美な期待をかみ砕くように、エミーが言う。細長い指先が、リオの唇をでた。白い手袋の感触が、やけに熱く感じられた。


「そこで無様な戦いをするようであれば、それでおしまい。いかにわたくしでもアネルドートを抑えきれませんわ。彼女の思惑は達成される」


 指先が、リオの眼前で鳴る。


「その時は、リ、リオきゅん。そう、そうよ。貴方は、貴方はわたくしの子飼いになる――これが出場権を与えてあげる条件の一つ。でも安心して? 牧場に預けるなんて野蛮な事は致しません。わたくしの邸宅で、わたくしの手で管理してあげますわ」


 まさか、対価も無しに、みつが与えられると思っていたわけではないでしょう。

 エミーのひとみが、どこか重みを伴って輝いていた。粘性の泥をほう彿ふつとさせる、魔性の笑み。

 神霊とのつながり、精霊としての強大さ以上に、政治手腕によって精霊界で影響力を保持するハーレクインのまつえい。彼女のこうかつさの一端が、まなじりから零れ出ている。

 リオは、一瞬その視線にまれた。のどが渇き、思わず眼が固まる。


「――承知しましたハーレクインきよう! 全て、問題ございません!」

「……」


 だが、リオの主たるウッドエルフは、ぜんとした様子で応じる。

 ただの一つも、迷いなどないと言うように。エミーが無言のまま、酷く気分を害した様子でディアを見つめる。

 表情が、所作が、空気が。言外に語っている。

 ――貴様如きが、話にみついてくるな。不愉快極まる。

 第一階位のヴァンパイアと、第四階位のウッドエルフ。比べる事もがましい存在の格差。

 アネルドートが同じ立場であったなら、ディアの首をねじ切っていたかもしれない。

 しかし、エミーは鋭いきばを軽く鳴らすだけで終えた。


「よろしくてよ。欲しいものがあるのなら、自ら手を伸ばしてつかみなさい。そういうのが、わたくしの好みよ」

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