第一章/人間《どれい》は神に祈る――死に絶えろ②

「――冗談じゃありませんわ! 貴女の顔をもう見たくありませんことよ! 『百霊議会』の議員として恥を知りなさい!」


 反射的にリオが両耳をふさぐ。声そのものに霊素が重なり、質量を帯びている。霊素は主の怒りに敏感に反応し、天井と床をいまわっては恐れるようにしゆんどうした。


「あちゃー、やっぱりこうなっちゃいましたか。エミー様、沸点低いですからねぇ」

「げっ。他の議員様が来てるの?」


 ディアはエミーの憤激には反応せず、その言葉を拾い取った。

『百霊議会』。その名を公都グラムで知らない者はいない。何せ公都、いいや公国そのものの意志決定を左右する、統治機構を指す単語だ。公都に設置された議会において貴族精霊たちが議員となり、公国の明日あしたを担う。

 議員に与えられる権限はばくだいだ。必要であると認められれば、警察権や司法権にすら介入出来る。無力な一般市民や、ましてリオのような人間相手であれば、議員は指先一つでろうにでもぶち込める。議員に逆らった次の日には処刑台送り、となった事例だって珍しくなかった。


「ええ、ディア様。アネルドート゠オルガニア卿が来られていますぜ。議員同士、積もるお話でもあったんじゃないですかね」

「オルガニア卿、って。『強硬派』でしょ。『穏健派』のハーレクイン卿とはそりゃ相性悪いわ」


 エミーもまた、百霊議会の議員の一員。誇るべき栄誉を抱えた精霊だ。だが同時に、それは彼女の機嫌の良し悪しでディアとリオの進退も決まってしまうという事。

 間違いなく今は、相当機嫌が悪い。

 出直しましょ。そう、ディアが口にしかけた瞬間だった。

 玄関ホールに続く扉が勢いよく開かれる。そこに現れたのは、二つの影。真っ先に飛び出してきたのは、闇夜にすらきらめく黄金の頭髪を持った美少女。見た目だけならば、年齢はリオとさほど変わらないように見える。

 彼女は紫色の瞳をぐるりと動かし、玄関ホールへと視線を向ける。探しているのは、自らの使用人。


「マミー! アネルドートはお帰りよ! 早く馬車の準備をしてさしあげなさい!」


 感情が収まりきらないという様子でいきり立つエミーとは正反対に、淡々とした様子でもう一つの影が口を開いた。


「ハーレクイン卿。言われずとも、帰還する。卿がその様子では、冷静に話も出来そうにない」

「ええ、そうでしょうね。ヴァンパイアのわたくしとオーガの貴女。近接種同士、少しでも分かり合えると思ったわたくしが愚かでしたわ」


 エミーと相対しながら、青髪の美女――アネルドートはがいから二本の角をむき出しにして言った。頬にはわずかな微笑を見せている。


「安心しろ。こちらは最初から分かり合えるとは思っていない。同じ鬼とは言え、『血吸い蝙蝠こうもり』に過ぎない卿と、純血の鬼族たる私では見解の相違があるのは当然だ」

「――言いましたわね」

「ああ、言った」


 血吸い蝙蝠。ヴァンパイアに対する明確なべつしようだ。彼女らの原初が、他者の血から霊素を吸い上げ、弱々しく生きるしかない蝙蝠の魔物だったという風説から作られた造語。

 議員ともあろうものが口にするには、少々品の無い言い回しだろう。

 エミーはのどを軽く鳴らして言う。紫色の瞳が、魂すら凍り付かせる感情を見せている。


「そう。『死体漁り』らしい、浅ましい口ぶりですこと」

「ほう、言ったな」

「ええ、言いましたわ」


 エミーは、アネルドートから売られたけんを買った。

 語るまでもない。『死体漁り』はオーガに対する蔑称。精霊、それも高位ともなれば命よりも誇りを何より大事にする。精霊の本質が、生命体よりも精神体に近いがゆえだ。


「ッ! リオ、マミーちゃん! 伏せて! 顔を上げないで!」

「えぇっ!?」


 喉を絞り込むように叫んだのは、ディアだった。その声に背を押されるように、二つの嵐が動き出す。

 先手を取ったのは、まさしく暴力の化身たるアネルドートだった。腰元の剣へと手が伸びる。装飾が施された銀の刃が、空中に線を描きながら三度瞬く。

 神霊より賜りしおんちようは『断絶』。

 ただ力が強いのではない。ただ敵を圧倒するのではない。万物全てをねじ伏せる彼女の剣の前では、ありとあらゆる抗力が破壊され、硬さは意味を失い断たれてしまう。

 ゆえの、断絶。

 エミーがどれほどの抗いを見せようと、全ては無意味に終わるのだ。それを知るからこそ、エミーは指一つ、抵抗をしなかった。

 身に着けた美しい色彩の衣服が切り刻まれるのと同時、エミーの肉体が四散する。絹のような肌はもちろんきようじんな筋肉も、霊素により支えられた骨子も、何もかも一切の抵抗を許されない。それだけではなく、エミーが背にしていたロビーの一角が弾け飛んだ。


「……ふん。相変わらず、逃げるのだけは得意か蝙蝠」


 しかし、アネルドートは口元をつまらなそうにゆがめる。きゆうてきの身体を断ち切った清々しさなど欠片かけらも見えない。

 彼女は双角をくいと突き上げ、虚空すらも射殺さんとする視線で、エミーの肉体を見ていた。

 そこにあるのは、断ち切られたエミーの肉体――しかしそれは、自分が切り払ったものではない。能動的に分割されたものだった。血液はまき散らされず、肉体は、骨子は、ぐるりと渦を成して霧に変じる。そうしてそのまま、エミーは衣服とともに姿をかき消す。

 次に姿を見せたのは、アネルドートの背後だ。


「賜りし恩寵を、如何いかに使いこなすか。それこそ、精霊としての品位というものではありませんでして?」


 ヴァンパイア、エミー゠ハーレクイン。賜りし恩寵は『千変』。

 ありとあらゆる姿になり、ありとあらゆる顔を有する。千変万化こそ、ヴァンパイアの有する能。

 時に闇夜を羽ばたく蝙蝠に、時に裏道を駆ける黒犬に、時に敵をほんろうする霧へと姿を変える。

 背後から、細い指先がアネルドートの首筋に軽く触れた。


貴女あなたの考えには決して同調出来ません。百霊議会、議長クライム閣下も決して許さないでしょう。そうめいな貴女が、そんな事もお分かりにならないの?」

「朽ち果てる寸前の老樹だ。何を気にする事がある」

「――貴様」


 万霊の敬意を集める、議長への暴言。未だ理性を保っていたエミーの神経を、アネルドートがにぎつぶす。指先の霊素が、暴発しそうになった瞬間。

 視界に入ったものがあった。


「無事ですか、ディア様!?」

「いったぁ!? リオ、動かないでってば!?」


 ディアを押しのけ、れきからかばおうとするリオ。逆にディアはリオを庇おうとして身を乗り出し、互いに額をぶつけている。美しき主従愛、と言うべきだろうか。

 エミーが口を大きく開いた。


「――リ」

「なに、何だと?」


 くるくると、エミーが舌を何度も空回らせ、ようやく声を上げた。


「リリリリリ、リオきゅん! 着いてたなら言ってくれれば良かったのにぃ! ごめんね、ごめんなさいね、出迎え出来なくて!」


 アネルドートの困惑も置き去りに、エミーはリオへと飛びついた。数段はあった階段を飛び降り、体格だけで言えば自分とそう変わらないリオを全身で抱きしめる。途端、リオはあわあわと全身を跳ねさせた。明らかにおびえている。


「ひゃい!? い、いいえ、エミー、様。大丈夫、大丈夫です! マミーさんから頂きましたし!」

「でもでも、本来なら主たるわたくしが出迎えるべきでしょう! 今日リオきゅんの試合日だって聞いて心配してたの! どう、怪我はない? 安心して、リオきゅんの為ならお薬幾らでも使っちゃうからね!」


 エミーに無理やり立ち上がらされながら、そのまま抱きすくめられる。リオはもはや自分の身体の制御も出来ず、エミーに振り回され続けるだけだった。

 闘技者奴隷、という立ち位置から考えれば望外の歓迎と言えるだろう。白目をいて震え続けているリオがどう思っているかは、まさに神のみぞ知る事だが。


「――人間相手に、ご執心な事だな。ハーレクインきよう


 そんな、一瞬の感情のはざを縫いつけるように。アネルドートが視線をリオに向けた。反射的にリオの背筋が固まる。蛇ににらまれた蛙、という表現は相応しくない。リオが蛙であるならば、彼女は竜だ。

 全身から滝のような汗が流れ出る。無意識の内に、まぶたの瞬きが止んだ。

 しかしアネルドートはくすりと、頬を不敵に緩める。小馬鹿にするように、言った。


「勘違いするな、人間。お前のような子犬を相手にする気はない。ただ白けただけだ。ハーレクイン卿、これで失礼する。次会う時は議会だろうな」

「……ええ。貴女の考えに賛同される方がどれほどいるか、知りたいものですわね」

「それは卿の方だろう。人間に入れ込みすぎだ。近頃は分を弁えず反乱紛いの事をする輩もいる。人間は、徹底して管理すべき家畜に過ぎない」


 だらしなく緩めていた表情を、エミーが強く引き締める。アネルドートの言葉は、人間管理主義者がよく口に出す物言いだった。

 人間に対する徹底した管理と飼育。それこそが精霊にとっても、人間にとっても良い環境なのだと彼女らは語る。時に精霊に制圧された地域で人間が反乱を起こすのは、無為の自由を与えられた事が元凶だ。人間は自由を有意に使えない生物。ならば、自由を与えない事こそが彼らに対する慈悲なのだと。


「それに、人間は『霊腐病グリード』の原因でもある。管理するにこしたことはない」

「俗説に過ぎませんわ。わたくし、確かでない事は嫌いですの」

「人間を抱えたままでは、情にほだされたようにしか見えんよ、卿」


 より強く、エミーはリオを抱き寄せた。危険性などないのだと、そう主張するかのようだった。

 かつり、かつりと足を鳴らし。アネルドートは玄関口まで降りて来る。頬に笑みを浮かべたまま、言う。


「決めるのは常に議会だ。お互い、主張があるのならば議場でにしよう。卿の甘い言説が認められるならば、の話だがな」


 マミーが開けた扉に向かいつつ、アネルドートは一瞬ディアへも視線を向けた。


「土臭いウッドエルフか。人間を闘技奴隷にするなどというお遊び、身の程を知ってやれ。闘技者への侮辱に他ならない」


 第四階位に過ぎないディアは、アネルドートの前で顔を上げる事は許されない。ひざまずき、顔を伏せたまま答えた。


「……申し訳ありません」

「ふん」


 アネルドートはそのまま、マミーに導かれて外へと出ていく。悠然と、しかし力強い足取り。

 第一階位、オーガの勇者。アネルドート゠オルガニアは誰に対しても、退く事を知らない。彼女の行き先は常に、頭を垂れるものか、嵐のあとしか残らないのだ。

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