第一章/人間《どれい》は神に祈る――死に絶えろ①

 濡れ鴉亭は宿屋ではあるものの、公都グラムにおいて有数の規模を誇る。幅広く取られた中庭では時に演劇を上演し、時には今日のように闘技を催す。立ち見席はもちろんじき席すら用意してあるのは、濡れ鴉亭が成功を手にした証と言っても良い。

 そこでの闘技大会に勝利し、頂点に立った。人間の身にすれば、両手で握りしめたくなるほどの栄光、なのだが。当の本人は二階の桟敷席に上がった瞬間、声をあげた。


「……ディア様。このやり方、本当に嫌なんですが」


 黒色めいた群青が、しゆうで輝きながらつり上がる。リオは自らの所有者であり、雇い主でもある精霊――エルギリム訓練場オーナー、ディア゠エルギリムへ抗議すら含めた声をあげた。

 その口ぶりに、周囲を歩く精霊や付き従う人間たちはぎょっと瞳を見開く。

 本来、精霊と人間の格差は言語を絶するもの。

 多くの人間は法的な保護の対象ではない。即ち、他者の所有物になっていない限り、精霊は人間をどのように扱った所で罰せられないのだ。

 リオの口ぶりは決して精霊に向けるものではない。その場で首をねじ切られてもおかしくはなかった。

 しかし桟敷席に座る所有者――ディアは、奴隷の言葉を気にする素振りさえない。むしろうれしそうに口元を緩め、そんなリオの姿を自らの客へと披露する。


「どうですこのぜんとした振る舞い! ミノス族さえ屈服させてみせる技量! 闘技場の華になれる要素は十分!」


 ディアは宝石をほう彿ふつとさせるへきがんでリオを見た。

 めんぼうは砂粒程の隙も無く、流れるような銀髪には、長い時を生きた自負が込められている。美しい、と一言で言ってしまうのがそんとさえ感じられるほど。

 まなじり一つ、りよう一つとっても、自然の造形物というより、誰かが手を加えたのではないかと疑ってしまう。

 けれど彼女は、紛れもない自然の落とし子。精霊、ウッドエルフ。一本の線を頬に引きながら、彼女はますますセールストークを加速させる。

 相手はグラムで数多くの闘技大会を開催する、興行主の一角だ。

 ディアのような訓練場の主人は多くの闘技者を抱えるが、好き放題に闘技大会に出場させていれば良いわけではない。格が低く、注目度の低い大会に出場させても、得られるものは僅かな賞金。どうせならより高位の、大規模な大会が望ましい。

 とすると、必要なのは興行主への闘技者の売り込みだ。


「分かったけど、やっぱり人間じゃあねぇ。この前の、ハルピュイアみたいな子なら良いんだけど」

「精霊か人間かよりも、闘技者は強いか弱いか! それにリオなら、きっと人気も出てお客さんも倍増間違いなし!」

「うーん……」


 片目を隠したラミアが、長い舌をぐるりと巻いてリオをまじまじと見る。うろこのついた下半身が、桟敷席でとぐろを巻いていた。

 十秒ほど思案した後、舌が動いた。


「ディア、やっぱ今回は無し。悪いけどこっちも商売。人間が参加出来るってだけで、大会の格が落ちちゃう」

「え、えぇ!? えーあー……そ、それはそうだけど、でもほら、リオには他にも良い所が」

「駄目なものは駄目。紹介できそうな案件があったら入れたげるから、今回は引いて」


 ラミアは、一度決めた事は曲げない性格であるらしかった。興行主としては必要な判断力だ。桟敷席から降りると、従者を引き連れてさっさと観客席から出て行ってしまう。従者はやはり、人間の奴隷だった。


「あーもー、悔しい! リオならすぐに人気出るはずなんだけど」


 大会が終わり、精霊も疎らになった桟敷席に座り込んでディアが言う。かたひじを突きながら、ぼそりと美しい唇が言う。


「……いっそ、女装をやめて男なのバラしちゃう? 美しい男の子と戦えちゃうサービス。いけそう!」

「いける、じゃありませんディア様!」

「えー、いけるのになぁ。リオほどの男の子なら誰もほっとかないのに」


 何処か誇らしげにディアが言う。反面、リオはまゆひそめてその一言に嚙みついた。

 美しさや文化と言った、いわゆる魂のぜいにくを有難がるのは精霊特有の感覚だとリオは思う。特に、精霊族特有の男女観についてはめない箇所が多い。

 ――何しろ精霊と人間は、恐ろしい程に男女観が異なる。性質、趣向、思考、習慣。ほぼ真逆と思うほど。

 人間にとって、男は狩猟や農耕が出来るだけの力があれば良かった。少なくともフリルのついた服を着せられた覚えなどリオにはない。

 反面、精霊において力を求められるのは女の方だ。

 推察するに、人間が肉体しか武器を持たないのに対し、精霊は神霊からの『恩寵』を武具とする事からくる違いだろう。

 恩寵によって、精霊は人間と隔絶した特性を得る。力の骨子となる体内霊素はばくだいに拡張され、時には『神性』と呼ばれる権能すら操る個体もいる。

 そうして、どういうわけか男性より女性の方が圧倒的に恩寵を受ける量が多いのだという。それゆえに、人間とは男女観が逆転した。

 そっとリオは、自分に着せられたフリル付きの、実に愛らしい、恥ずかしい衣装を見て思う。

 神よ、死に絶えろ。貴方あなたの気まぐれが、自分をこんな屈辱に甘んじさせているのだ。


「……第一、僕が男だってバレたら、闘技大会に出る事だってできなくなるでしょう。人間でも、女だから、参加させてもらえてるんですから」

「うーん、それは確かに。とするとやっぱり」


 ディアはリオの両手を唐突に握りしめる。リオが頬を染めるのにも気づかず、唇は動き続けた。


「ずばり、色仕掛け作戦! リオの魅力なら、同性と思っててもくらっときちゃうはずよ!」

「……正攻法で勝たせてください! ディア様の言う事は聞きますけど、それは違います!」


 彼女はこういう性格だった。エルフには珍しく陽気。精霊とは思えない程に寛容。それでいて、どこかズレている。


「いやほら、だって楽する方が良いでしょう? 獣だってわなや武器を使うより、直接殴った方が早いのと一緒よ」


 訂正。ズレているのではない。何かが抜け落ちている。

 ウッドエルフの精霊における階位は、第四階位。それでも人間や一般の精霊をはるかに超える力が彼女にはあった。

 一般精霊の階位はおおよそ第五か第六に集約されるので、ディアは一つ抜きんでた存在と言える。


「勿論、リオがちゃんと戦えるのは知ってるわ。でも、根本的に人間は霊素マナ精霊わたしたちより少ないんだから。なら、使う手を増やすのは大事よ。強者を倒す為なら、使える手はなんでも使う。そうでしょう?」

「……それはそうです」


 リオは一拍を置きながら言う。


「ですが、からに頼り切るつもりはありません。いずれ僕は、この大陸で一番の闘技者――『竜の征服者ドラゴニア』になる。最大の強者、竜を撃ち落として」

「……相変わらずだけど。その意味、分かってるのよね? 気軽に口にして良い言葉じゃない。竜は全ての精霊が目指す到達点。人間が口に出すのすら嫌がる輩もいるのよ」

「けれど、しなければならない事ですから」


 リオの瞳をじぃと見つめながら、ディアは頬をつりあげた。彼の言葉に含まれた意味を、無言の内にくみ取ったかのようだった。


「ええ、そう。なら私は信じるわ。古い格言にもある通り、『力』が無い者に与えられるものは、おくびようさと貧窮だけ。『力』はごうまんだが、全てに決着をつけてくれる! 勝利こそが、闘技者の正義なんだから」


 精霊たちは、自然がもたらす脅威から生まれた出自ゆえか、純然たる『力』に莫大なかつさいと賛辞を惜しまない。

 精霊の階位、そうして巨大な公国を支配する百霊議会の議員となる資格すらも、『力』によって選定されるのだ。国家正義とは『力』によって執行され、世界秩序とは『力』によって保たれる。これこそ、精霊たちを貫く最大の不文律。

 ゆえに、闘技者となって『力』を示す事。その闘技者を飼いならす事こそ、この世界で成り上がる為の最たる手段だった。公都グラムでは、昼夜を問わず闘技者たちが栄光を求めて血を垂れ流している。


「なら、勝ちますよ勿論。そのために闘技者や種族の研究も欠かしていません。さっきの闘技だって、真正面からやっても勝てました。次は正攻法で勝ちます」


 不遜とも言えるリオの口ぶりに、ディアが何処か涼やかさを保ったまま、快活な笑みを浮かべる。


「ええ、ええ。そういう気持ちが一番大事よ! かんぺき! じゃあいこっか。今日が何の日か覚えてるでしょ?」


 何の日か。言われるまで、リオは意識すらしていなかった。闘技の熱がまだ身体から抜けきっていない。数秒、考える。


「……エミー様にお会いする日でしたっけ」

「その通り、よく覚えてるじゃない」

「えーあー……あんまり気乗りはしないんですが」

「ダメダメ。ハーレクインきようは一番のお得意様なんだから。リオがいかないと納得しないって。大丈夫、殺される事はないから!」

「殺される以外ならあるって意味じゃないですよねぇ!?」


 訓練場への資金提供者であるパトロンを失えば、リオだけでなくディアも破滅しかねない。ご機嫌伺いは、時に本業よりも大事。

 とはいえだ。そもそもリオはディア以外の精霊と会うのが苦手であったし、何より。


「エミー様、その、少し変わってるというか、その」

「あ。変だよねやっぱり。頭の螺子ねじ五本くらい外れてるよアレ! 貴族だからかな?」


 言わなくても良い事を、ずばりディアが言う。周囲の耳目を気にする考えはないらしい。

 貴族。第二階位以上の高位精霊が所属を許される、名誉と権力を象徴する一言。

 ――嫌だ、本当に嫌だ。

 リオは石作りの大通りを踏みしめながら胸中で口にする。

 リオの持つ悪癖だった。彼に見えているものは、自分の剣一本だけ。後は精々が、ディアくらいのものだろう。

 それだけで彼の世界は完結している。剣を振るい、敵を粉砕して勝利する。ただそれだけが、彼が有する存在意義。その為なら、ひらひらしたフリルや馬鹿みたいに大きい羽根のついた帽子だって許容しよう。

 けれど、それ以外の事には一切触れたくないのだ。

 ディアに付き従い、その背後を行く。今のリオは、彼女ら精霊と一緒でなければ大通りを歩く事も許されない身分。時折、同族たちの姿を見かけるが、誰も彼もが同じ。奴隷や使用人として精霊に括りつけられている。

 この光景がリオは好きではなかった。人間とは、即ちこの程度の存在なのだと嫌でも分からされる。

 宿屋から十数分も歩けば、目的地が見えて来る。いいや正確には、パトロンの邸宅を覆う外壁は随分と前から見えていた。ただ、入り口に辿たどくまでに少々の時間が必要となるだけで。


「失礼、ディア゠エルギリムです。通りますね」


 慣れた口調で、門前の衛兵へディアが声をかける。ここへ来るのは初めてじゃない。衛兵は彼女の顔を見ただけであっさりと門を開けた。特徴的なひとみから察するに、彼女の種族は恐らくシープだろう。

 高位精霊の邸宅は、それ一つがようさいとして機能するように作られている。元々この公都が戦線の最前にあり、城壁都市であった頃の名残だ。そう思うと、優雅に飾り立てられた庭園もどこか血なまぐさい香りを覚えさせる。

 邸宅は四階建ての上、せんとうが二つ備え付けられ、公都そのものをへいげいする。これだけでディアの訓練場を遥かに超える規模だが、邸宅の主からすればここは公都で過ごすための別邸に過ぎないというのだからあきれるばかりだ。

 邸宅の前につくと、何をせずとも扉がぎぃ、と開いていく。隙間から、ちらりとメイドが顔を出した。

 じろじろとこちらを観察したかと思うと、大仰にため息をついて言う。


「はぁ~~、まぁた貴方がたですか。我が主も暇ではないはずなんですが、どぉーして貴方がたを呼びたがるんでしょう」


 メイドの失礼、というより何処か気の抜けた態度にディアは苦笑する。リオはそっとディアの後ろに隠れた。


「どぉーもリオリオ。相変わらず礼儀がなってませんねぇ」

「そうですか。貴女に言われたくないんですけど」

「我ら死人に礼儀が必要でぇ? 格好つけなんてのは生者の特権ですよぉ」


 エミー゠ハーレクインのメイド、マミー。彼女は右目を隠すようにぐるりと包帯を巻き、残った左目だけでリオを見つめる。肌は彼女の種族に相応ふさわしくやや青白いが、それ以外はほとんど人間と同等に見える。いいや、人間だった肉体なのだから当然だろう。

 彼女の種族は、死霊。神霊の奇跡たる命を失い、一度はなきがらとなった者ら。そうでありながら、そんにも霊としてよみがえってしまった者ら。精霊としては最低の階位、第七階位。


「まぁまぁ、良いじゃない。知らない仲じゃないんだし。マミーちゃん、ハーレクイン卿はおられる?」

「ああ、おられるんですが。まだ先のお客人が――」


 おられますから。マミーがそう告げようとした瞬間だった。巨大な邸宅全体を震わすかと思わせるようなごうおんが、玄関口まで鳴り響いてくる。

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