プロローグ/女装の麗人
眼を疑う。疑念は不信に変じ、しかし次には
「カーマイン山にて生まれ落ちた人の子! 人間の女にして闘技奴隷――リオ゠カーマイン! 今日三戦目! 軽快な
宿屋の中庭に作られた小規模な闘技場で、人間と進行役に紹介された対戦相手は、余りに場に不似合いな格好をしていた。
役者を
恐らくは闘技者の中でも、
貧弱な男ならばともかく、戦士たる女ならば、なくはない。
「――しかし、相手となるは我が
カーリは
その細い体つきは、男と見間違えそうになるほど
しかし特筆すべきは、その
思わず、カーリは
「頑張ってリオちゃん!」
「怪我しちゃ駄目よぉっ!」
街中で行われるごく小さな闘技だけあり、観客は百名を少し超える程度。しかし観客の精霊たちは異様に沸き立っている。
そのどれも、カーリに向けられたものではない。黄色い声援と熱の
だがそれも致し方がない。彼女が明らかに邪魔そうな様子で帽子を脱ぎ落とすと、肩口程度まである群青の頭髪が、
顔つきには特有の艶があり、短命種である人間に許された輝かしさを有している。
美少年と言われても通じる顔立ち。周囲の精霊たちは、どうやら彼女のそんな姿に
「よろしくお願いします」
リオの瞳が、周囲の熱狂を
「……奴隷なら、
不意にカーリが
――人間と精霊族、そこには越えがたい壁がある。
人間とは即ち、エルフやミノスといった精霊族に従属する、奉仕種族。精霊族は彼らに従われる支配種族。
生まれからして、種族からして身分が違う。片や
思えばリオは、素晴らしくその素養を有していた。精霊ならば間違いなく彼女に視線を奪われるだろう。
本当に惜しい。もし彼女が男で、娼夫であったのなら、カーリは通い詰めてしまったかもしれない。いいや、通い詰める。娼婦としてでも、需要は十分にあるだろう。
それが、よもや闘技奴隷にされてしまうとは。
確かに、人間の身で
しかし怪我をさせてしまっては元も子もないではないか。今日二戦をして怪我をしていないのは、対戦相手が
――そうしてあわよくば、縁を結んでおきたい。同性と言えど、見逃せない魅力だ。
そんな下心すら持ちながら、カーリは甘い吐息を漏らす。進行役が、リオとカーリ、両者の用意が整った頃合いを見て、声を響かせる。
「ではでは! 濡れ鴉亭闘技大会、最終戦! 開始ィッ!」
観客、そうしてカーリがリオの容貌に視線を奪われていたのは、闘技が始まるまでの
「――嘘」
誰が言ったのかは、もはや特定出来ない。だが漏れ出た感情は、この場の全員が共有していた。
視線は、鋭く空に円を描く大剣へと注がれる。リオが両手を勇ましく振るうと同時、銀色が鮮やかな軌道を描いて疾駆した。
「むっ!」
誰よりも驚愕を露わにしたのは、対戦相手たるカーリだ。
想像していたものは緩やかな軌道、
全てを裏切って、すでにリオの刃は眼前にあった。それはカーリの甘さとは言い切れない。
「一つ、二つ、三つ――」
軍用大剣は人間に軽々と扱える代物ではない。重心が独特であり、よほどの訓練を積まねば自由自在とはいかない代物だ。精霊の『加護』でも受けていれば別だが、リオにそんな気配はなかった。
ただ口先でリズムを取りながら、自在に軍用大剣を振ってみせる。どうやって、これほどの武技を。
カーリにそれを問答する余裕はない。軽やかに戦槍をぐるりと回し、反射的に長柄を横にして大剣を受けきる。鉄と鉄が
流石に、力勝負となればカーリの敗北はあり得なかった。ミノス族は『神霊』から『剛力』の
「っ、
額に汗を垂らしたカーリだったが、初撃を防ぎ切った事で
カーリは彼女に対する認識を改めた。人間の闘技者に求められるのは美麗さだけだが、彼女は技量も身に付けている。大剣を振るう為、相手の間合いへ入り込む為の身体の使い方を。それは紛れもない、勝利するための必然の努力。
だがそれならば、カーリも同じ。彼女は宿屋の一闘技者で終わる気はない。いずれ大歓声の中、人気闘技者として富を築く。こんなくだらない場所で、よりによって人間相手に無様を
頭に生えた双角を突きあげながら、カーリは呼吸を整える。幾人もの血を吸った黒鉄が、陽光を反射して
「は、ぁ――っ!?」
カーリの頬が赤らみ、唐突に瞳が明滅する。公都グラムでもまずお目見え出来ない
だが、それでもだ。
相手から――『闘技の後、お時間ありますか』なんて甘いハスキーボイスで
カーリの思考が生まれて初めて、戦闘以外の事で高速回転する。
闘技者はよほどの人気者にでもならなければ、男から声はかからない。それこそ
宿屋で武技を振るうような闘技者では、金で一時の快楽を買うのが精一杯。
女とはいえ、リオほどとなれば高級品。奴隷とするのは勿論、一夜を買うのすらカーリには荷が重い。いやいや、もしかすると本当は男なんじゃないのか。それなら、今すぐにでもこの場で手を出したい。
「――ごめんなさい」
ふと見れば、自分に馬乗りとなったリオが、刃を首筋に押し当てている。背後には闘技場の砂。視界の先には陽光。自分が倒れ伏しているのだと、カーリはようやく気付いた。
やられた。そう思ったと同時、声が上がる。
「お、おぉおおお!? しょ、勝者――」
進行役が、一瞬戸惑ったように詰まってから、言う。
「――エルギリム訓練場のリオ!」
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