プロローグ/女装の麗人

 眼を疑う。疑念は不信に変じ、しかし次にはきようがくへと入れ替わる。


「カーマイン山にて生まれ落ちた人の子! 人間の女にして闘技奴隷――リオ゠カーマイン! 今日三戦目! 軽快な剣捌さばきで未だ傷を負っていません!」


 宿屋の中庭に作られた小規模な闘技場で、人間と進行役に紹介された対戦相手は、余りに場に不似合いな格好をしていた。

 役者をほう彿ふつとさせる、フリルと花飾りがふんだんに取り付けられた紅色のドレス。帽子は異様に縁が大きく作られ、火食い鳥の大羽を飾りにしている。

 恐らくは闘技者の中でも、けんらん闘士と呼ばれる手合い。飼っている人間を闘技者とする『精霊』がいる、というのはたまに聞く話。

 貧弱な男ならばともかく、戦士たる女ならば、なくはない。


「――しかし、相手となるは我ががらす亭の首席闘技者! ミノス族が重装闘士カーリ! 果たしてどこまで相手になるでしょうかぁっ!」


 カーリはがいに生えた双角で天を突きながら、まじまじと対戦相手を見つめる。

 その細い体つきは、男と見間違えそうになるほどきやしや。恐らく人間という情報は事実だ。彼女の身体には、種族特徴と言えるものが何もない。

 しかし特筆すべきは、そのようぼう

 思わず、カーリはのどを鳴らした。同性と言えど、その容貌と肉体はカーリのしんしびれさせる。


「頑張ってリオちゃん!」

「怪我しちゃ駄目よぉっ!」


 街中で行われるごく小さな闘技だけあり、観客は百名を少し超える程度。しかし観客の精霊たちは異様に沸き立っている。

 そのどれも、カーリに向けられたものではない。黄色い声援と熱のこもったかつさいは、多くが対戦相手のリオに向けられたものだった。

 だがそれも致し方がない。彼女が明らかに邪魔そうな様子で帽子を脱ぎ落とすと、肩口程度まである群青の頭髪が、つややかな輝きをもって跳ねた。黒と蒼の混じったひとみの色は、見つめるものを深層へと連れ去ってしまいそうな輝きがある。歳はまだ少女といって良い頃合い。

 顔つきには特有の艶があり、短命種である人間に許された輝かしさを有している。

 美少年と言われても通じる顔立ち。周囲の精霊たちは、どうやら彼女のそんな姿にことごとくやられてしまったらしい。


「よろしくお願いします」


 リオの瞳が、周囲の熱狂をげんそうに見つめていた。人間らしくびくびくと頭を下げる様子は愛らしい。どうやら、おくびような性格らしかった。


「……奴隷なら、しようになった方が幸せだったろうに」


 不意にカーリがつぶやく。元より、人間は戦いに向かない。彼らに出来るのは、ただ精霊に仕える事だけ。

 ――人間と精霊族、そこには越えがたい壁がある。

 人間とは即ち、エルフやミノスといった精霊族に従属する、奉仕種族。精霊族は彼らに従われる支配種族。

 生まれからして、種族からして身分が違う。片やひざまずく為に生まれ、片や従われる為に生まれるのだから。男という性別が女に愛され、女に支配される義務を負って生まれるのと同じ事。

 思えばリオは、素晴らしくその素養を有していた。精霊ならば間違いなく彼女に視線を奪われるだろう。

 本当に惜しい。もし彼女が男で、娼夫であったのなら、カーリは通い詰めてしまったかもしれない。いいや、通い詰める。娼婦としてでも、需要は十分にあるだろう。

 それが、よもや闘技奴隷にされてしまうとは。

 確かに、人間の身で軍用大剣クレイモアを握りしめ、両手で振るう姿にはあいきようがある。言葉では語り辛い、美しさも感じさせる。

 しかし怪我をさせてしまっては元も子もないではないか。今日二戦をして怪我をしていないのは、対戦相手がびんに思っただけに違いない。カーリはそう感じながらも、鈍く輝くせんやりを肩に載せる。下手な怪我はさせられない。一発で武器を弾き飛ばして、降参させよう。

 ――そうしてあわよくば、縁を結んでおきたい。同性と言えど、見逃せない魅力だ。

 そんな下心すら持ちながら、カーリは甘い吐息を漏らす。進行役が、リオとカーリ、両者の用意が整った頃合いを見て、声を響かせる。


「ではでは! 濡れ鴉亭闘技大会、最終戦! 開始ィッ!」


 観客、そうしてカーリがリオの容貌に視線を奪われていたのは、闘技が始まるまでのわずかな間だけだった。始まってからは、全く別のモノに視線を奪われる。


「――嘘」


 誰が言ったのかは、もはや特定出来ない。だが漏れ出た感情は、この場の全員が共有していた。

 視線は、鋭く空に円を描く大剣へと注がれる。リオが両手を勇ましく振るうと同時、銀色が鮮やかな軌道を描いて疾駆した。


「むっ!」


 誰よりも驚愕を露わにしたのは、対戦相手たるカーリだ。

 想像していたものは緩やかな軌道、欠伸あくびが出そうな程の剣速。

 全てを裏切って、すでにリオの刃は眼前にあった。それはカーリの甘さとは言い切れない。


「一つ、二つ、三つ――」


 軍用大剣は人間に軽々と扱える代物ではない。重心が独特であり、よほどの訓練を積まねば自由自在とはいかない代物だ。精霊の『加護』でも受けていれば別だが、リオにそんな気配はなかった。

 ただ口先でリズムを取りながら、自在に軍用大剣を振ってみせる。どうやって、これほどの武技を。

 カーリにそれを問答する余裕はない。軽やかに戦槍をぐるりと回し、反射的に長柄を横にして大剣を受けきる。鉄と鉄がみ合う鈍い音が鳴り響く。その所作一つが、カーリもまた耐え難い訓練を積み重ねてきたのだと告げている。

 流石に、力勝負となればカーリの敗北はあり得なかった。ミノス族は『神霊』から『剛力』のおんちようを賜った種族。筋力という一点に絞るのであれば、上位精霊たちとも相対することが出来る。恩寵を持ちすらしない人間には、決して到達し得ない地点だ。


「っ、すごいな、人間にしてはやるじゃないか」


 額に汗を垂らしたカーリだったが、初撃を防ぎ切った事であんが生まれる。落ち着いて相手を見る事も出来た。リオは大剣を戦槍と噛み合わせながら、慎重に離脱するタイミングを計っている。りよりよくで敵わない事は重々承知しているのだろう。

 カーリは彼女に対する認識を改めた。人間の闘技者に求められるのは美麗さだけだが、彼女は技量も身に付けている。大剣を振るう為、相手の間合いへ入り込む為の身体の使い方を。それは紛れもない、勝利するための必然の努力。

 だがそれならば、カーリも同じ。彼女は宿屋の一闘技者で終わる気はない。いずれ大歓声の中、人気闘技者として富を築く。こんなくだらない場所で、よりによって人間相手に無様をさらせるものか。

 頭に生えた双角を突きあげながら、カーリは呼吸を整える。幾人もの血を吸った黒鉄が、陽光を反射してようえんな輝きを発した。ミノスの剛力がリオの軽やかな身体を、紙切れの如く吹き飛ばさんとした――瞬間。


「は、ぁ――っ!?」


 カーリの頬が赤らみ、唐突に瞳が明滅する。公都グラムでもまずお目見え出来ないぼうに、間近で見つめられたからではない。カーリはそんなに安い女ではない。

 だが、それでもだ。

 相手から――『闘技の後、お時間ありますか』なんて甘いハスキーボイスでささやかれれば、流石に動揺する。リオの瞳は何処か妖艶な色合いを帯び、声色は胸の奥底を擽る。落ち着け、こいつは同性で、男じゃない。いいやもしかして、その気があるから私に声をかけたのだろうか。

 カーリの思考が生まれて初めて、戦闘以外の事で高速回転する。

 闘技者はよほどの人気者にでもならなければ、男から声はかからない。それこそ大闘技場セントラルで活躍するほどの一流闘技者でなければ。

 宿屋で武技を振るうような闘技者では、金で一時の快楽を買うのが精一杯。

 女とはいえ、リオほどとなれば高級品。奴隷とするのは勿論、一夜を買うのすらカーリには荷が重い。いやいや、もしかすると本当は男なんじゃないのか。それなら、今すぐにでもこの場で手を出したい。

 たかの花としか言いようのない相手。それが今、そっと声色を甘くして自分に声をかけてくる。どう答えるべきだろうか。いいや答えは決まっている。そんなもの――。

 しゆんじゆんの果て、カーリの視界が反転する。眼を瞬かせた瞬間には、もう終わっていた。


「――ごめんなさい」


 ふと見れば、自分に馬乗りとなったリオが、刃を首筋に押し当てている。背後には闘技場の砂。視界の先には陽光。自分が倒れ伏しているのだと、カーリはようやく気付いた。

 やられた。そう思ったと同時、声が上がる。


「お、おぉおおお!? しょ、勝者――」


 進行役が、一瞬戸惑ったように詰まってから、言う。


「――エルギリム訓練場のリオ!」

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