第二話 俺、打ちひしがれる
二月二十三日、月曜日――。
起きて身支度をする。
食料は冷蔵庫に一週間分はゆうに持ちそうな量が入っていて、中に入っていたバナナを取り出し食べた。
結局家族は夜になっても誰も帰ってこなかったな。うーん、設定されてないせいだろうか。ちょっと寂しい。
ま、とにかく行動しないと何も始まらない。学校に行ってみれば何か進展もあるだろう。
俺はカバンを持ち、サイフをポケットに入れると家を飛び出した。
ちなみにサイフには生意気にも三万円も入っていて、金銭面で事欠く心配はなさそうだ。
ヒロインの誕生日に、アルバイトもしていないのに妙に高そうなプレゼントを平然と送るもんだな、と思っていたが、けっこう裕福な家庭の育ちなのだろうか。振り返り自宅を見上げてみるが、確かになかなかいい家かもしれない。
「……」
学校ってどこだ……? まずい、ゲームだと一瞬で移動するもんだからちっとも考えていなかった。【どぎまぎ市立あたふた高校】。場所を調べようにもスマホもパソコンもない。
どうしようかと家の前に思案に暮れていると、向かいの家のドアが開き、長菜が出てきた。俺に気づくと目を伏せ、そのまま右の道を足早に進んで行く。
……そうか、長菜について行けばいいんだ。
俺はかなり距離を取り、長菜の追跡を始めた。
「……」
無言で長菜の後を追い続ける。……それにしても完璧な後ろ姿だ。歩くたびにさらさらと揺れる赤い髪も、カモシカのような健康な足も、すべてが美しい。どんな作画の優れたアニメーションも超越したリアルな姿がそこにはあった。
長菜がこちらを振り返ったので、軽く手を上げるとあわてて前を向き、歩く速度を上げる。
なじみ野長菜――。他のヒロインと比べて好感度が上がりやすく、攻略は容易なキャラだ。
デートで辛辣な選択肢を選んでも、露骨な怒りは見せず、やんわりとたしなめてくるだけ。普通にプレイしていれば嫌われるような事はまずないだろう。
ただ、傷心度も上がりやすいため、すぐに【ダイナマイト】がついてしまい、他のキャラを攻略する場合は、お邪魔虫になる事も多い。
ダイナマイトとは、傷心度が一定値を超えたキャラにつく、時限爆弾のようなものである。
放置すると大爆発を起こし、他のヒロインの好感度まで一気下がる。なので、傷心度を上げないために、攻略対象でないヒロインもデートに誘い、ダイナマイトを発生させないよう気を使う必要がある。
……そんな長菜があそこまで怒っているとは。
ゲームでも良心を痛めていたが、こうして目の前で怒りを露わにされると、胸が苦しくなる。俺は何という事をしてしまったんだ。
嫌われプレイなどしなければよかったと歩きながら後悔していると、やがでゆるやかな長い坂道が見えてきた。
「お……うぉぉ……」
落ち込んでいた俺の胸の鼓動が急激に高鳴る。
ここ! オープニングムービーでヒロイン達がのぼっていた風景そのまんま! やばい、テンションが上がりまくる!
口を半開きにしながら坂を見上げ、身震いしていると、他の生徒がやばい奴を見るような目でちらちらとこちらを見ながら坂を上っていく。
いかんいかん、ただでさえ嫌われているのに、これ以上変な噂をバラまかれるわけにはいかないぞ。
俺は冷静さを取り戻し、生徒の流れに乗って校舎へと入って行った。あたふた高校の校舎を見た瞬間再びテンションが爆上がりしたことは言うまでもない。
♢ ♢ ♢ ♢
玄関口で自分の下駄箱を探していると、見覚えのある女生徒が目の前を通り過ぎて行った。
彼女は……【
彼女はとにかく優しい。なにを言っても基本怒らないし、デートをすっぽかすと他のヒロインは恨み言を留守電に入れてくるのだが、彼女だけはこちらの心配をしてくれるような聖女だ。
そうだ、彼女なら謝れば許してくれるかもしれない。
「あ、あの、椎名さん」
呼び止めると、こちらを振り向くことなく椎名さんが立ち止まる。
「え……と。ご、ごめん。色々と」
彼女に対してしてきた非道な行いの数々を思い出しながら、うまく言葉が出せないままにとりあえず謝ってみる。
すると、一呼吸置いた後、彼女がこちらを振り返る。その目には、うっすらと涙がたまっていた。
再び視線を前に戻すと、椎名さんは走り去ってしまった。
「う、うぉぉ……」
む、胸が痛い。あの優しさの権化のような椎名さんがあんなリアクションを……。
やばい、自分が生きていてはいけない人間のような気がしてくる。
椎名さんの後ろ姿を呆然と見送り、その場にたたずんでいると誰かに右肩を叩かれた。
「よう、嫌われもん」
「……え?」
首を後ろに向けると、頬に人差し指が突き刺さる。
「引っかかってやんの」
……そうだ。こいつがいたな。
「懐かしいイタズラだな」
「懐かしい? 何言ってんだお前」
茶髪のツンツンヘアのこいつの名前は【
主人公の親友、いや、悪友である。
ヒロイン達の電話番号、好きなデート場所、果てはスリーサイズまで把握しているやばい男だ。
こいつに電話をかけるとヒロインの現在の好感度やダイナマイトの有無も聞けるため、三年通してお世話になる情報屋でもある。
「もう時間やばいぜ」
「ああ、行こう」
正直自分の教室がどこだかわからなかったので、同じクラスの四郎に会えたのは幸いだった。四郎と一緒に上履きに履き替え、後ろにくっついて廊下を進み、やがで自分の教室へたどり着く。
開けっ放しのドアから中に入ると、なんとも懐かしい光景が広がっていた。
「はは……」
「何笑ってんだ? 気味が悪いぞ」
二年に前に失ったはずの青春の光景が目の前に広がっているのだ。笑ってしまうのも無理はないだろう。まあ、そこまで充実した青春でもなかったけどさ。
机を囲んでだべる生徒や机に突っ伏して寝ている生徒の間を縫って、四郎が窓際の席に向かって行く。俺がぼーっと突っ立って見ていると、四郎が手招きする。
「お前、大丈夫か? さっきからなんかおかしいぜ」
「だ、大丈夫だよ」
ゲーム内では明記されていないが、どうやら俺は窓際の一番後ろの席のようだ。そのひとつ前の席に四郎が横向きに座っている。
俺は教室を見渡し、真ん中の列の一番前の席にその姿を見つけた。
金髪のセミロングの髪をなびかせた彼女は【
素行は良くないのだが、節々に垣間見える優しさが、ギャップに弱い俺の心を鷲掴みにしてくる、そんなキャラである。
出来る事なら、攻略対象は彼女にしたいものだが……。
「おいおい、人の彼女をあんまりジロジロ見るなよな」
「……え?」
今、なんと? なんとおっしゃいました? 四郎君。
「なにが『え?』だよ。この前紹介しただろ」
……あ。あ、あ、あぁぁ……そうだった……。卒業の二週間前。四郎が自分の彼女を主人公に紹介するイベントがあったんだ。
四郎の彼女に選ばれるのは主人公に対して一番好感度の高いヒロイン以外の誰か。全員の好感度が最低だから、誰が選ばれるかわからない状況の中で、偶然にも俺が一番好きな本永遠さんに白羽の矢が立ってしまったのだ。
すでにイベントが終わっているため、四郎と付き合うキャラを変えることはできないだろう。
「……」
ショックを受けていると、四郎がうつむいた俺の顔を覗き込んでくる。
「なあ、お前帰った方がいいんじゃないか? なんか別人みたいだぞ」
こいつ、なかなか鋭いな。さすがスリーサイズまで調べ上げるだけある。
しかし、これで攻略対象は六人になってしまった。四郎との交際が確定したキャラから告白されることは絶対にないからだ。
「しっかりしてくれよ。もうすぐ卒業なんだからよ」
「ああ……」
生返事を返し、俺は机に突っ伏した。
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