魔法使いと星

 その魔法使いは、魔法は見世物ではないのだと教えられて育った。

 魔法の存在は秘匿されていなければならず、『普通の人』に見せてはならないものなのだと。

 たとえ星を降らせる術を知ろうと、オーロラを見せる技があろうとーーもっとも、このような大規模な魔法は、今はほぼ失われているのだがーーおいそれと見せるものではないのだと。

 もっとも、魔法使いというのは一般に、魔法をひけらかさないようにと言い含められている。主に、師匠筋に。つまり、その魔法使いの考えは魔法使いにとって一般的ではある。

 魔法というのは、意志の力で現実を改変する行為のことだ。

 願いの力で、運命をねじ曲げることだ。

 祈りによって、世界の在りようを変えることだ。

 とはいっても、すべてが可能であるわけではない。何が可能で、何が不可能なのかは、魔法使いたちしか知らないし、時と場合と状況によって複雑に変化するその可能性をすべて把握するのは、一部の魔法使いにしかできないことだ。

 だから、なんでもありなのだと、魔法を使わない人間に思わせてはならない。

 むしろ、自分が失敗したのは、意思が弱かったからだと、思うようなことがあってはならない。

 意思だけの問題では、ないのだから。

 魔法を使うには、どうしたって、才能と技術と努力が必要になる。

 魔法を使ったって、天災や人の死などといった、大きな運命を改変することはできない。余計な希望を持たせないほうがよいのだ、と最初に魔法を使えるようになった一団は考えたらしい。

 きらきら光る小さな星を出すことは可能だ。手のひらの上で燃える炎を出すことは可能だ。可能だからといって、それに何の価値がある?人よりも多くのことができるとひけらかして、その先に何がある?

 よくて弾圧で、悪ければ殺されかねない。

 ゆえに、魔法を見世物にしてはならない。

 もっとも、どんな人間でも、多少の魔法は使えるのだ。ただ、それと知らないだけで。

 魔法というのは手順と願いだ。願いは、どんな人間でも持っている。そして、手順は決まっているのだが、偶然それが達成されることがある。タイプライターをランダムに叩いていれば意味のある文字列が生成されることがある。そのくらいの確率ではあるが、平均的な人間の一生で出会わないというわけでもない。

 とはいっても、ささいなものだ。

 牛乳の賞味期限が一日伸びたり、水切り遊びの石が一つだけ多く飛んだり。

 それらがすべて小さく、ささやかな魔法のひとつであることを、普通の人間は知らない。

 

 その魔法使いは、石の街に暮らしていた。

 石の街は、建物を作るための石材を主な収入源とする、小さな街だった。この街の主な産業である石材は、白くて硬度が高く、銀色の筋のようなものが随所に入っていることが特徴だった。

 当然、魔法使いは魔法使いを生業として暮らしているわけではない。普段の仕事は薬剤師だ。薬草が引き起こす事象は魔法でも奇跡でもないが、人間の役には立つものだ。

 魔法使いは、自分がこの街の魔法使いとしては最後となるだろう、と考えていた。

 弟子を取る予定はない。

 かつては山程いたとかいう、ドラゴンだったりグリフォンだったりといった幻獣たちがほぼ姿を消した今、魔法使いなどという存在は、そう、コストに見合わないのだ。

 古くに存在した魔法使いの魔法は、人間では対処が難しい幻獣を倒すのには役に立ったこともあろうが、今使える範囲の魔法は、大したことがない。

 水を甘くしたり、空にオーロラをかけたり、モノを消したり、あるいは出現させたり。

 そういった奇跡を起こせるようになるために、何年も、あるいは何十年もかける。

 手順と祈り。タイミングの判断。そしてそれらを制御する精神性。すべてを兼ね備えた結果としてようやく、小さな奇跡が舞い降りてくれる。

 魔法使いも、先代からさまざまな教えを受けてきたが――そのせいで同年代の人がしてきたような経験は積めなかった、という側面がある。普通の人々と同じような生活を犠牲にしてまでも、ささやかな現象を手に入れる。

 それだけの価値はもう、魔法にはないのだと考えていた。

 現代では、昔よりも技術が発達している。水を甘くするなら砂糖を入れればいいし、空にオーロラをかけるなら映写機を使えばいい。もっとも、後者は擬似的なものに過ぎないが、見る人間からしてみれば同じようなものだろう。ならば、わざわざ非効率な魔法を使う必要はない。

 ただ、魔法使いは魔法使いであることに誇りは持っていた。

 見えないところで、ちょっとした奇跡を――ひったくり犯を転ばせたり、子供が風船を空に飛ばしてしまったらいい感じの風を吹かせたり、夢見が悪い人がいればほんの少しいい夢に改変してやったり、していた。

 それが魔法使いのおかげだということを知らずに、みなが生きていってくれたらいい。そう魔法使いは願っていた。

 

 それは魔法使いにとって日常に属する薬剤師としての仕事の場面でのこと。

「薬剤師さん、こんにちは。処方箋がこれなんだけど」

「はい、ただいま」

 魔法使いはその処方箋を読み、普段と変わりがないことを確かめる。それから、自分の右小指の先の爪を、左手の人差し指で引っ掻いて、多少ばかりの魔法を使う。今そうできるから、そうした、ちょっとした願い、これで、彼女の家の柱が折れることはないだろう。このままだと今日、破損する予定だったようだから。

 魔法使いが行っていたのはこのようなことだ。

 物理現象を読み解き、可能ならば干渉する、その程度のことだ。


 魔法使いは、そのまま魔法使いとしての人生を終えるはずだった。

 そう、あのステージに出会うまでは。

 

 ある年の秋、魔法使いは街中に貼られたビラを目にする。

 赤と緑の二色刷りで作られた、鮮やかで、よく目に入るビラによると、今月末、この街に世界的に有名な奇術師の公演がやってくるのだという。

 こんな辺境の街に? と魔法使いは訝しんだが、街の噂によると、この奇術師はどんな街にもやってきては、ひとつとして同じところのない公演を行うのだという。

 魔法使いはマジックに興味を持っていなかった。ほんものの奇跡を起こすすべを知っているからだ。仕掛けがあるものと、仕掛けがないもの。引き起こされる結果が同じなら、どちらでだって構わないじゃないか。というのと、ほんとうの自分は魔法が使えるんだから、わざわざ『偽物』を見に行く必要なんかないんじゃないか、というのと。

 同時に、仕掛けさえあれば自らの使う魔法と同じような事象を引き起こすことができるとかいう、その奇術師に興味を持った。それに、魔法使いは魔法をひけらかしてはいけない、と教えられてきたから、マジシャンが見せるような大規模な現象など、起こしたことはなかった。若いころはこっそり自分の部屋の天井に星空を投影したりしたこともあるものだが――そういうのではない、もっと、大きなことを。

 見たことがないものを、見てみたい。

 結局、魔法使いは好奇心に負けた。

 ちょうど、表の仕事も忙しくはないころだった。

 

 その公演は、街の外れにある芝居小屋で行われることとなった。さほど大規模ではない劇場だが、この街に舞台はここくらいしかない。

 座席数も多くはなかったので、チケットは瞬く間に売り切れてしまったのだが、魔法使いはちょっとの運を引き寄せることによって、そのチケットを入手することができた。

 こんなことに魔法を使っては、師匠に怒られるのではないか? という考えがよぎりはしたのだが、どうせもうこの街にはいないのだから、と自分を納得させた。

 そう、魔法を使うと、その場には独特の雰囲気のようなものが残る。魔法使いたちはそれを用いて誰かが不適切に魔法を使ったのではないかと相互監視を行っている。いた、というのが正しい。魔法使いはもう相互監視を行えるほどの人数はいない。

 この魔法使いがこの街にいる理由として、他に魔法使いがいない、というのがある。


 奇術師の公演があるまで、あと一週間。

 薬剤師として働いているときに、客からあのショーに行く?と尋ねられたので、実はチケットを取ってるんですよと返した。

「なんでも、魔法みたいなマジックを使うらしいよ」

「そんな評判がありますね。楽しみです」

 そう答えると、客は声を落として魔法使いに言う。

「……ほんとうの魔法使いだったらどうしようね」

「魔法使いなんかいませんからね」

 魔法使いは平然と答える。この程度の嘘をつけずして魔法使いなどやっていられない。

 

 奇術師の公演当日。

 ワンシーズンに一度くらいしか着ない、裏地が青と白のストライプのジャケットを羽織った。シャツはシンプルながらも仕立てのよいものを選んだ。いつもよりもこころなしか洒落た服を着て、魔法使いは出かける。興味本位ではあるが、浮かれてはいたのだ。

 この街には娯楽が少ない。山の中にあるし、それほど人口が多いというわけでもない。今回使われる劇場だって、一年の半分は開店休業だ。そのチケットがこの速さで売れるだなんてこと、魔法使いが知っている限りではなかった。魔法使い自身も、この劇場に行くのは子供の頃以来であった。

 大通りに出ると、自分と同じようにすこしドレスアップをした人々が同じ方向に歩いていくのが見受けられた。一人で行くもの、友達と行くもの、家族と行くもの。みな違うけれども、みな同じ目的を持って歩いている。

 開演の半刻前、余裕のある到着と言えるだろう。劇場の入口で、係員にチケットの確認をされる。係員はチケットに赤い判子を押して、

「それではお楽しみください」

 と言った。

 奇術師は劇場内に入って、自分の席を探す。最高の席、とまではいかないが、中央列を取ることには成功したーーチケットを取るまでは魔法の力だが、それがどの席かまでは制御していないので、これは単純な運といえる。

 すでに座っているひとたちの前を通って、席につく。

 この街特産の銀色と白の石で作られた、壮麗な劇場。

 赤い幕が降ろされているのを見ながら、魔法使いは待った。


 開幕のベルが鳴る。

 

 客席の照明が落とされ、幕が上がる。

 舞台上には、ひとりの男性。これが奇術師だろう。彼は、黒のジャケットに黒のパンツ、差し色に赤のネクタイをしていて、まずは客席に向かって一礼した。

「ここでみなさまにご覧いただくのは、そう、奇跡です」

 その奇術師は、自動人形のアシスタントをひとり連れていた。その人形は、奇術師とは対象的に、上下白のゆったりとした服を着ていて、モーブピンクのゆるやかに巻かれた髪が特徴的だった。よくできた人形だが、魔法使いにはそれが自動人形であるとすぐに見て取れた。

 そんなことが気になったのは最初だけだ。

 魔法使いもすぐに、ショーに引き込まれてしまった。

 引き当てたセンターブロックの席で、魔法使いは目の前の光景に幻惑されていた。

 奇術師はまず、カードを用いたマジックを行った。客席からひとり指名し、その客にカードを選ばせ、サインをしてもらう。もちろん奇術師はそれがどのカードであるのか見ていないのだが、奇術師はそのサインが施されているカードを迷いなく引き当てた。

 客席からは拍手。

 魔法使いも拍手していた。

 それからもさまざまなことが起こった。

 モノが現れ、モノが消え、人が現れ、人が消え、舞台後方から何食わぬ顔で現れる。

 最後には、客席全体に星のような光が降ってきた。

 ちらちらとまたたく、オレンジ色の光、光としか言いようのない、何か。それは魔法使いがかつて子供だった頃、夢見ていた『魔法』そのものだった。

 触れると儚く消えてしまうそれに手を伸ばした魔法使いは、ある違和感を覚える。

 これは。

 魔法の気配だ。

 長らく自分以外の魔法使いを見てこなかったから、さっきまで気が付かなかったけれども。

 ここで、誰かが魔法を使っている。

 この街に魔法使いは自分しかいないから――だとすると、魔法を使っている人間は、ひとりしかいない。

 舞台上にいる、彼だ。


 そう魔法使いが思ったところで、幕が下りる。カーテンコール、ふたりが戻ってきて一礼する、それを見ながら拍手をする魔法使いは、先程の公演に圧倒されつつも疑念を晴らせずにいた。


 ああ、なんだ。魔法みたい、って。ほんとうに魔法だっただけなんじゃないか、と。

 

「あの、ほんとうに魔法使いじゃ、ないんですか」

 奇術師たちが帰る日。魔法使いは、彼らにサインを求める人波をかいくぐって――まあ、多少は魔法を使ったが、おおむね自力だ――奇術師のもとに向かった。奇術師は、魔法使いを見て、もしかしてあなたもサインですか、と言ったが、魔法使いは首を振り、先の質問を投げかけた。

 奇術師は答える。

「そう言う人、よくいるんですよね」

 隣にいる自動人形は眉をひそめているが、奇術師はあくまで笑顔を崩さなかった。そういえば、あの自動人形は一言も喋らなかったな、と魔法使いは思った。

 奇術師はなおも冷静に言う。

「ご存知の通り、僕は魔法使いじゃありませんよ」

 その答えは予想されていた。

 しかしあの会場には確かに自分以外の魔法の気配があった。

 そこまで真面目ではないとはいえ、魔法使いには魔法使いなりの自負があった。間違えるはずがない。

「全部トリックがあります」

「それがすごいんですよ」

 口先だけの言葉を使いながら、魔法使いは、奇術師がほんとうは魔法を使っているのではないか、という疑いを証明しようとしていた。

「よく言われます」

 そう言うと、奇術師はなにもない両方の手のひらを見せてから、ぱんと手をたたき、手を開くといくつかの白い花びらがふわりと地面に落ちていった。

「まあ、こういった感じで」

 隣にいる自動人形が、公演のときと同じように拍手をする。

 今のはサービスです、と奇術師は優雅に一礼する。

 ギャラリーが突然のマジックにどよめく。

 魔法使いも思わず拍手してしまっていた。

 けれども、相変わらず、魔法の気配は、する。今のマジックのせいなのかはわからないが――この空間に、ずっと。

 次の言葉を発せずにいる魔法使いに、奇術師は、

「じゃあ僕はこれで、ご覧いただき、ありがとうございました」

 とだけ言って、去っていった。魔法使いはそれを追うこともできず、立ちすくんでいた。

 群衆は解散していく。その中で、魔法使いは何もできずにいる。

 あいつは魔法使いだ、と言ったところで誰も信じてくれないどころか、自分が魔法使いだとバレてしまう結果になるかもしれない。だから、これでよかったんだ。

 そんなことを自分に言い聞かせながら大通りに向かおうとするがーー魔法使いはようやくわかった。

 足音でわかる。彼らが駅に向かう足音からするかすかな魔法の気配。群衆の足音に紛れているがわかる。わかる。これがそうだ。目に見えるものに囚われすぎていた。こんなの魔法の基礎の基礎だ。見えないものがある、というのは。

 そう。

 魔法の気配がするのは、奇術師ではなくて隣にいる人形の方だ。

 

 あの、と駅の方に叫ぼうとする。

 でも声が出ない。

 まるで、空気が魔法使いを拒絶しているかのように。

 

 その一瞬で、奇術師と人形は姿を消していた。

 

 どっちにしたって、あの奇術師はほんものではない。

 やっぱり、マジックなんか大したことはないのだ。やっぱり、魔法を使っていたんだ。あいつらが起こした奇跡みたいなマジックは、ぜんぶ魔法で――それがどのように実現可能なのかはわからないが、きっと、そうなんだ、そうに違いない。魔法使いは魔法使いらしからぬ思考をたゆたわせながら歩き始める。

 家に帰ろう、ちょっと疲れたから、石畳を接地面だけ柔らかくして――と、思ったところで、石畳がまるで硬いままだということに気がつく。

 それこそ、疲れているからだろうか。

 魔法使いは――魔法使いだったものは、普通に歩いて、家に帰って、眠って、朝を迎えたとしても、再び魔法が、使えることはなかった。

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