英雄とドラゴン
世界中を旅し続けている奇術師と人形にとって、季節の概念はあまり意味をなさない。
春の訪れに従って動けばずっと春だし、雪の降る街を選んで行けばずっと冬だ――もっとも、彼らは季節の運行に関わらず、好きな街へ、行くべき街へ、彼らの公演を待っている街へ、行くのだが。
だから、今回水の街を訪れた際にも、季節のことなんかまるで考えていなかった。
「暑いな……」
水の街の大通り、上着を脱いだ奇術師がつぶやく。
ふたりが訪れた際、その街は真夏であった。特に、水の街はいたるところに水路があり、目には涼やかなのだが、陽光をふんだんに浴びた水が温まって熱気となってしまう。あまりの暑さに、住人たちは打ち水をしていたのだが、その甲斐なくて暑さが増すばかりであった。
奇術師のほうはといえば、帽子のおかげで陽光が遮られるが、黒いせいで熱は集まる。試しに帽子を脱いでみたものの、地肌を直接焼かれる感覚に耐えられそうになかった。隣にいる人形は、白いシャツをめいっぱいたくしあげている。あとで夏服に着替えよう。人形の温度調節機能は優れているが、それでもこの熱気には体表面温度がかすかに上がっていた。
「お前でひんやりしたかったんだけどな」
奇術師は汗ばんだ手で人形の腕に触れる。何もないよりはましなのだが、そこまで冷たくもない。
人形はされるがままになっていたが、急に奇術師の手を振り払って走り出した。
「い、いきなりどうしたんだよ!?」
駆け出した人形を追いながら息が上がる奇術師、この程度の走りで動悸がするほどやわではないはずなのだが、この暑さでは仕方がない。道ゆく人々は皆麦わら帽子をかぶっていたり日傘をさしていたりする。何より軽装だ。こんな格好で無防備にこの街に来たのが悪かったのだが――とか考えながら路地を右に曲がる。
「待ってくれって!」
人形はちらと奇術師の方を振り向いて、奇術師が追いかけてきてくれていることを確認したが、止まりはしてくれなかった。
「だ、だから、待てって!」
人形を追って大通りに出る。人並みを避けながら、ひた走る。奇術師は額の汗を拭う。
そして、はたと人形は立ち止まる。
噴水広場の前で。
奇術師は歩いてそちらに近付いて行った。足元には、細かな装飾を施された水色と赤色のタイルの水路がある。
どこの街にでもある噴水広場ではあるが、水の街のそれはいっとう豪勢であった。水の流れるかすかな音さえも制御され、ひとつの音楽として構成されるようになっている。そこに人々の足音が加わって、『水の音楽』は完成する。
水路をたどり、人形のもとにたどり着くと、人形は涼しい顔で笑っていた。
「そうだよな、お前は暑くないんだよな……」
大きな口を開けてこっちこっち、と人形はどこかに指をさしていたので、奇術師はそちらの方向に目を向けた。
そこにあったのは、九つの水の柱で構成された、周期的に水が噴き上がる大きな噴水であった。
こいつはこれを見せたかったのか? と思ったところに、その横にやたら鮮やかな色を身に纏った男がいるのが目を引く。
鮮やかというか、上下ビビッドオレンジ。上下ビビッドオレンジ!? ビビッドオレンジのジャケットにパンツ、中に着ているタートルネックは白。
見間違えるはずがない。だってこんな服装の人間、これ以外にいるわけがない。街中にビビッドオレンジがいるものか。ファッションショーじゃあるまいし。しかもあの少年のかたちをした自動人形まで連れて。
「え、生きてたの!?」
そこにいたのは幻影遣いだった。てっきり死んだものだと思っていた相手が目の前に現れたら、さしもの奇術師も驚く。
「人間を指してその発言はどうよ」
「どうよ」
幻影遣いの隣で胸を張るトミイにも指摘される。
「ごめん……」
いやいや、今のはジョーク、と幻影遣いは肩をすくめる。人形がどこかで幻影遣いとトミイを見つけて、奇術師に会わせたかったのだろう。それならそうと、ジェスチャーか何かで教えてくれてもよかったのではないだろうか、と、奇術師は思う。
幻影遣いは奇術師をちらと見て、空を仰ぐ。
「いやー人間ってしぶといもんだな」
「トミイも!」
「そうそうお前の活躍すごかったもんな。ドラゴンの羽ひとつ切っちゃったし。まあ、その程度じゃドラゴン、死なないんだけどな……」
幻影遣い曰く、奇術師たちが花の街から避難した後、ドラゴンの幻を見せている『何か』の存在にドラゴンが気付いてしまったらしく、街ごと破壊しながらふたりは姿をくらますしかなかったのだという。その過程で、やわらかい腹の部分が弱点だろうと、幻影で囮を作りながら矢やナイフを撃ってみたものの、どの部分に当たってもびくともしなかったそうだ。トミイがなんとか羽を一枚切りつけたのだが、バランスを崩してなおドラゴンは飛び続けた。
一度目標を定めたドラゴンは、対象を破壊するまで止まることはない。
だから、幻影遣いたちもおいそれと故郷の街には帰れない。
それに――
「いや、でも、花の街じゃああんたたちの銅像とかあるし今度記念日ができるとか聞いたし」
そう、花の街では、彼らは完全に死んだことになっている。らしい。それは他の街でも噂になっていたので、奇術師も聞いていた。
故郷の町を救った英雄として、幻影遣いとトミイは扱われているのだとか。
知ってる知ってる、あれやばいよな。おれたちばっちり生きてるってのに、と幻影遣いは言う。
「おまけにお気に入りだった居酒屋じゃおれたちの好きなメニューが追悼メニューになってるらしいぜ」
「チキンの香草焼きと牛肉のトマト煮込み!」
元気に答えるトミイを無視して、幻影遣いは奇術師に、彼にしては珍しく、おずおずとこう言う。
「まあ、その、なんだ」
お前のマジックで、どうにかならないか?
「え?」
奇術師がそう呟くと同時に、人形も目を丸くした。
「だから、お前のマジックで、おれたちを街に帰してくれよ」
「ちょっと話が読めないんだけど……」
まったく意味がわからない。僕たちってただのマジシャンじゃなかったっけ? たしかに世界一ではあるけれど……と奇術師が困惑しているところに、立ち話もなんだし、そのへんの飲み屋にでも入ろう、と幻影遣いは呼び込みをしている居酒屋を指差す。
「そもそもあんたが何の話をしているのかわかってないからなこっちは!?」
「まあ落ち着けって、ここは奢るからさ」
「割り勘って言われたらさすがに帰るところだ」
「昼から飲む気か?」
「素面でやってられるか?」
まあ昼間から飲むビールがおいしいことくらいは奇術師も知ってはいる。知ってはいるが酒を飲んだらただでさえわからないはなしがもっとわからなくなりそうだ。
「冗談」
「冗談だって!」
とトミイも繰り返す。
「だいたい、こういう居酒屋って昼間は喫茶店のメニューだってあるだろ?」
幻影遣いに丸め込まれるような形で四人はさっき呼び込みをしていた居酒屋に入ることになる。奇術師としても、これ以上屋外にいるのは避けたかった。涼しい顔をしている人形がほんのすこしうらやましかった。
その居酒屋は、幻影遣いの読み通り、喫茶のメニューも置いていた。メニューの後ろの方にある、色とりどりのケーキをトミイが眺めていて、横から人形も覗き込んでいたのだが、お前ケーキ食べ過ぎだからな、と幻影遣いがトミイに言っていた。
結局幻影遣いはホットの紅茶を頼んでいた。トミイはオレンジジュースを。奇術師はアイスコーヒーを注文した。ブラックで。人形も同じくアイスのブラックコーヒーを。
オーダーも済んだあと、奇術師はかねてから気になっていたことを幻影遣いに尋ねる。
「いやさっきから気になってたんだけど、暑くないのか? その服」
幻影遣いはトレードマークのビビッドオレンジのジャケットをずっと着ていた。水の街はとんでもない暑さだっていうのにもかかわらず。一般的な春や秋くらいの気候ならともかくとして、この暑さでは汗だくになってしまうだろう――実際、幻影遣いはこの店に入ってすぐ、ハンカチで汗を拭いていた。
幻影遣いはしれっと答える。
「このジャケットは暑いさ。だからトミイには半袖を着せてるし」
「脱げばいいだろ……」
「脱いだらお前たちに見つけてもらえなかっただろ?」
まあ、うまいこと見つかっちゃったし、暑いから、脱ぐけど、と幻影遣いはビビッドオレンジのジャケットを脱いで椅子にかけた。正直なところ薄手の長袖でも暑いのではないか? と思うのだが、幸いなことにこの店は冷房が効いていた。
「そんなことよりさっきの話、考えてくれるか?」
さっきの話、というのは、奇術師のマジックで幻影遣いたちを花の街に帰してほしい、ということだろう。どのような理屈でそうなったのか、奇術師にはまったくわからなかった。幻影遣いとはそれほど長い付き合いではないが、ものの道理のわからない相手だとは思っていなかった。
「マジックってそういうのじゃないってこと、あんたはよく知ってるよな?」
「そりゃなあ、だいたい同業者だからな」
「じゃあなんで僕に頼むんだ」
「頼めるのがお前しかいないんだよ」
「いかにも友達が多いですみたいな面しておいて?」
奇術師が見たところ、幻影遣いはあの街ではかなり人気なようだった。友人の数も多いのでは、と思うのは自然なことである。
幻影遣いは実はさ、と言う。
「街の外に知り合いいないんだよ」
「トミイはいるよ!」
だから街の外って言ったろ、お前は街の住人なんだからさ、と、幻影遣いは言う。
そのとき、店員が全員分の飲み物を持ってきてくれた。それから、サービスですと言ってチョコレートをひとかけら、すべての皿に置いていった。おれ、チョコレート好きなんだよね、と幻影遣いは言う。人形の分のチョコレートを指して、これもらっていい? と言うので、人形は首を縦に振った。
紅茶を一口飲んで、チョコレートをつまんで、チョコレートあるなら酒飲みたかったなと呟いてから、幻影遣いは続ける。
「いや、まあ、実を言うとな、花の街から外に出たこと、あんまりなかったんだよ。買い物に行くくらいでさ、旅行っぽい旅行にも行ったことがない。おれたちは花の街では無敵の幻影遣い。それでいいと思ってたし、結果として街のひとたちも守れた」
「……あんたらの『幻影』は、街に仕掛けたギミックで成り立ってたんだよな?」
幻影遣いは大規模な幻を見せるのが得意だ。空から降る天使から、この世界には存在しないはずの――実際、いたのだが――ドラゴンまで、なんだって投影することができる。
ただし、街の中でだけ。
彼らのマジックは、街中に仕掛けられた装置によって作動している。それによって、幻影遣いは花の街では完全無比のマジシャンでいられるのだ。
幻影遣いは水を一口飲んで、
「そうそう」
とこともなげに言う。
「ってことは、新しく再建されたあの街じゃあ、『無敵の幻影遣い』じゃなくなるんだよな?」
「そうだな、仕込みがなけりゃ、普通の幻影遣い、くらいだろうな」
「新しい街でやり直す、っていうのは? 仕事なら、いくらでもあるだろ。街に仲間が多いなら、なおさら」
「それも考えたけど、今更幻影遣い以外の生き方なんかできそうにないし」
幻影遣いは人形からもらった分のチョコレートも口にする。やっぱりチョコレートっておいしいんだよな、と笑ってから、
「何年かかければまた『無敵の幻影遣い』に戻れるかもしれないし、やっぱりおれはあの街が好きなんだよ」
「トミイも!」
横で話を聞いていたトミイも幻影遣いに賛同した。
奇術師には、そのようなこだわりはなかった。自分の生まれた街のことなど、とうに記憶の彼方に過ぎ去ってしまったし、今まで訪れたどの街にも好きなところがあった。でも、どの街にも住みたいとは思わなかった。
なぜなら、奇術師はできるだけ多くの人々に自分のマジックを見せてやりたかったからだ。できるだけたくさんのひとたちによろこんでもらいたかったからだ。
そこが幻影使いとの大きな差である。
だけれども。
「僕には、あんたたちのこだわりはわからない。でも、あんたたちのことは嫌いじゃない、から」
正直なところ、幻影遣いとトミイに関しても、たくさんある街にいた人々のふたりでしかなかった。もちろん、あの街を守って消えてしまったと聞いたときは悲しかったけれども、長い旅の中のこと、そのようなことがないわけではなかった。
それが、生きていたとなれば、驚きはしたけれども同時にうれしくはあったし――今こうやって喋っているものなんとなく夢みたいでもある
だから、できたらなんとかしてやりたい。
その程度には、奇術師はやさしかった――もっとも、本人にそう言ったら、否定されるだろうが。
「協力するよ――うまくいくかはわからないけど、とりあえず、話は聞こう」
「よしわかった。じゃあドラゴンを一緒に倒そうぜ」
「え?」
またも奇術師は目を丸くすることになる。
なんてったって奇術師は、世界で一番のマジシャンだ。
不可能を可能にするのが、自分の仕事だ――とはいえ、ドラゴンを?
みな飲み物を飲み終わってしまったころなので、おかわりをしたら、またチョコレートがおまけについてきたので、また人形はそのチョコレートを幻影遣いにあげていた。奇術師は、自分にくれたっていいんじゃないか、とも思ったのだが、ここでチョコレートがほしいと言ったら、まるで自分がチョコレートが大好きみたいじゃないか、とやめておく。
ビターチョコレートをかじりながら、幻影遣いは今回の『依頼』について語り始めた。たまにトミイも相槌を挟みながら。
人形は口をちょっと開けたまま、うんうんと頷いていたのだが、眉をひそめることもあった。
奇術師は、幻影遣いの話を聞けば聞くほどわからなくなった。
荒唐無稽にもほどがあるし、自分にそれが任された理由もわからない。
わからないのだが、わからないなりに、奇術師は幻影遣いの言っていたことを要約する。
「ええと、あんたのオーダーはこうだ。騒ぎにせずに、故郷の街に帰りたい。そのために、ドラゴンを倒したい。ついでに、気まずい空気は避けたい」
「その通り、お前やっぱり賢いな」
伝承によれば、ドラゴンは標的が完全に消滅するまで追ってくるとはいう。花の街であれだけのことをしたのだから、幻影遣いとトミイは目をつけられてしまっているだろう。だから街に帰るためにはドラゴンを倒す必要がある。
論理的にはそうなのだが、だからといって自分がドラゴン退治を任される理由にはならない。
奇術師は人形のほうを見るが、奇術師ならできる! とばかりに自信満々な表情をしている。
「おだてても乗らないからな」
「えーっ、おれずっと本心で喋ってるのに」
「それが嘘っぽいんだよ」
「嘘じゃないのにねえ」
トミイが茶々を入れるが、奇術師は気にせず続ける。
「いや逆にどうして僕なら解決できると思ったんだ」
「え? お前の機転に賭けてる」
「自分でもなんとかしようとしなかったのか?」
「したよ? とりあえずこのまま乗り込んだけど、ものまね芸人だと思われた」
「帰れ! って言われちゃったねえ」
ちゃんとあのジャケット着ていったんだけどさあ、と幻影遣いはこぼす。
「そ、そうか……」
「そのレベルで死んでると思われてる」
そっちの話か? ドラゴンじゃなくて? と奇術師が思っていたら、
「――その上、あの街に向かったら、不審な羽音がした。あれはきっと片翼を失って、再生中のドラゴンだ、たぶんな」
「じゃあ、そのドラゴンが弱っているうちになんとか倒したい、ってことか」
「そう」
「そう。って気軽に言うけど、それこそマジックの領分じゃない。やっぱり、専門家に頼んだほうが――」
少なくとも、マジシャンはドラゴン退治の専門家ではない。そのくらいのことは、幻影遣いもわかっているはずなのだが、と奇術師は思う。
「お前の公演の構成、すごかったじゃん。構成力があるっていうことは、発想の幅が広いってことだ」
「そうかな……?」
前段と後段がつながっているとはいまいち思えないが、幻影遣いの勢いに押されているところがある。
「そうだよ。そういうことにしておいてくれ」
「あんたは人を乗せるのがうまいな」
「褒めてんのか?」
「そうだよ。そういうことにしておけ」
奇術師は投げやりに言う。
幻影遣いは軽い口調で返す。
「それに、ドラゴン退治の専門家なんか、もうこの世界にいやしないよ。ドラゴンが幻の存在だって言うのに」
そう言われてみれば、街の護衛兵たちだって、あれは対人間の訓練を受けた存在でしかない。せいぜいが対野生の大型獣だ。幻獣、ましてやドラゴンになんか対抗できるわけがないのも道理だ。
しかし、マジシャンよりはマシなのではないか、と思えるのも道理だ。
「それに、おれたちにはこいつらがいるだろ?」
幻影遣いはトミイのほうを見る。それから、人形のほうを。
たしかに、自動人形は人間よりも高い能力を持つ。というか、持たせることができる。人形もトミイも戦闘用に作られているわけではないが、ちょっとした改造を加えることは可能だ。
これらの力があれば、ドラゴンを倒せる――のか?
奇術師はいやいやと首を振る。なんだか相手のペースに巻き込まれている気がする。協力はしたいと言ったが、ドラゴンを倒すのはちょっと――
と思っていたところで、人形がこちらを見つめているのに気がつく。珍しく、わりと真剣な表情で。
「なんだ、お前、こいつらの助けになってやりたいのか? 僕だってそうだけど、さあ……」
できないことを安請け合いするのは違うだろ、と続けようとしたところで、人形が両手で花の形を作って見せる。
花。そういえば、そんなこともあった。トミイが人形と遊んでくれたときのこと。
「ああ、花をもらったな。だから……?」
人形は、花を作っていた手を広げて、幻影遣いとトミイのほうを指す。それから、奇術師をきらきらとしたライトブラウンの瞳で見て、小首をかしげてみせる。口元をきゅっと結んで、口角を上げるその笑みは、完璧な笑顔のひとつであった。
『誰からも愛されるための笑み』は、自分にだって、よく効く。そんなことはわかっている。こいつはやさしい。やさしく作ったからだ。わかっているのだが抗えない、こいつの頼みとあれば。
「まあ、お前が言うなら、やるか……」
「お、ようやくやる気になってくれたじゃん。やっぱり、お前に火をつけるのってその自動人形――名前なんだっけ? なんだな」
「今はウィルですね」
「じゃあウィル! よろしくな」
よろしくな、って言っても、けっこう前から知り合いだけどさ、とかなんとか言いつつ、幻影遣いは人形に手を差し伸べる。人形はちょっとだけ間を置いてから、幻影遣いの手を握った。幻影遣いは、こいつの手ってひんやりしてるんだな、と思った。
奇術師は、その光景を見ながら、どことなく居心地の悪さを感じていた。人形がほかのひとたちと仲良くしているときには、そうあるべきだな、と思うだけなのに。
「まあ、何と呼ばれたって、自分がそれ、とはわかると思いますよ」
「お前相変わらずそのスタンスなんだな」
奇術師は人形に固定された名前をつけていない。かならずその場面や状況に合わせたテンポラリーネームで呼ぶ。
そしてそれを人形はよしとしている。
幻影遣いと初めて会ったとき、そのことを指摘されたのもかなり前のはなしだ。
「それは……」
奇術師がどう答えていいのかわからずに口ごもっていると、幻影遣いは、
「別に文句言いたいわけじゃないけど」
と紅茶を飲む。あのときもそうだったけれども、どこまでが本気なのか、どこからが嘘なのかがわかりにくいのがこの幻影遣いという男なのだと、奇術師は理解しつつあった。
そういえば、と奇術師は言う。
「あれ、どうしていきなりドラゴンなんか出てきたんだ?」
「さあな、理由なんぞわからん。おれが生きている間に見ることなんかないと思ってたよ。幻獣たちはもう存在しないって言われていたからな。伝説の中にしかもういない」
「僕も同じ認識でいたけど――出てきちゃったものは仕方ないな」
実際、他の街を回っていても、あの街にドラゴンがやってきたそうだ、というのは噂話になっていたようだった。幸いなことに、他の街でドラゴンを見かけることは、なかったのだが。
「そうだ、ドラゴンの弱点ってなんだったか、覚えてるか?」
突然の幻影遣いの言葉に、奇術師は何の奇をてらったことも言えず、なんとなくで、
「……目?」
と答える。大体の動物は、粘膜が弱い。
「羽だよ羽。羽の付け根ね。一応花の街の伝承ではそういうことになってる」
「あのドラゴンの片翼落としたんじゃなかったか?」
「トミイがなんとかな。でもすぐ再生を始めてた。もしドラゴンを殺そうと思うなら、両翼を同時に落とす必要がある――とは思うけど、確証はない」
少なくとも、両翼が落ちれば地面に落ちるしかないから、その間に致命傷を負わせることは可能だろう。
「推測するしかないんだな」
奇術師がそう言うと、トミイが場違いな明るさで言う。
「ドラゴン、いないことになってるからね!」
「でもいただろ。おれたちは戦った――あれは、ほんもののドラゴンだった」
お前らもちょっとは見ただろう、あれがドラゴンだよ、と幻影遣いは声を低くする。
「なんかさ、おれたちいつも幻を扱ってるからさ、気付かなかったんだけど、ほんものって、怖いんだよ。炎は熱いし、羽ばたくだけで突風が来る。ちょっとした建物なんて、ドラゴンブレスがなかろうが、あれが飛んでるだけで壊れちまう」
奇術師たちは、遠くにいたドラゴンのことしか知らない。それでも、十分な恐怖があった。花の街を守るために、最後まで人々を逃がしながら、幻のドラゴンを操ってその脅威に対応していた彼らの恐怖はいかほどであっただろうか。
だからこそ、奇術師は素直な感嘆と共に告げる。
「それでも、あんたらは成し遂げた、だろ」
「街は壊れたけどな。別の街に命からがら逃げ出したわけだけど――おれたちは。でも、みんな無事だって、聞いて、嬉しかったよ、あのときは」
まあ、どの街にいたって、ドラゴンが追ってくるから、長居はできないんだけど、あれ、おれたちの熱パターンを覚えてるぽいんだよなと、幻影遣いは続ける。
でも。
「花屋のあの子も、学校の先生やってる昔の同級生のあいつも、みんな無事だったんだって」
「あんた、あの街が好きなんだな」
「――好きだよ。当然だろ? おれが育った街だ。トミイを作った街だ。おれがずっと、幻影遣いをやってた街だ。嫌いになるわけがない」
「トミイもね、花の街が大好き!」
そう笑い合うふたりを見て、奇術師は思う。
人形がそれを望むからではなく、それはきっかけだったのだが、自分の意志で、こいつらを助けてやりたい。
奇術師はこめかみに指を当てて考える。砂糖が足りなくなった気がして、チョコレートをかじる。
手駒は、マジシャンふたりと自動人形二体。少年型と成年型。
自動人形二体は、作戦に応じて最適化することができる。
それから、マジシャンは実戦にはあまり参加しないが、ちょっとした幻とか、手技の応用くらいならできる。
これらを用いて、ドラゴンを倒す。
果たして可能なのだろうか。
可能なのだろうか、ではなくて、可能にしないと、ひとが死ぬのだ。
でもどうやって――と思っていたところに、これしかないというアイデアが浮かぶ。
「わかった。あんたの望みは全部叶うし、僕のマジックも『観客』に見せられる、そういうプランだ」
奇術師はひとつ手を叩き、それから人形に目を向ける。
「そのためには、こいつの活躍が必要になる」
今までだいたい蚊帳の外だった人形は、突然自分に言及されて驚く。
「任せたぞ、ウィル」
奇術師にウィルと呼ばれた人形は、少しだけくちびるを開いたまま頷く。
ここまで来たら最善を尽くすしかない。その前に、手持ちのカードを確認する必要がある。
「一応最初に聞いておくが、ドラゴンの投影はまだできるか?」
「今残ってる装置の数だと――保って数十秒ってところか」
「でもドラゴンは『現れる』、そうだろ?」
「ああ、その時間だけなら、寸分違わず、質量も、体温すらあるかのような、ドラゴンを見せてやれるぜ」
「なら問題ない」
今回の作戦には、どうしたって囮が必要になる。幻のドラゴンを見せられるなら、それが一番よかった。
「作戦決行は――とはいっても、ドラゴンがここに追いつくまで、そう時間はないだろうな」
幻影遣いは奇術師に尋ねる。
「早いほうがいい、明日にしよう」
「準備してるうちにこの街にドラゴンが来ちまったら、困るからな」
ドラゴンは、列車などといった比較的速い移動にはあまり強くない――というのが幻影遣いの読みだった。熱のパターンが探知できるとはいっても、探知範囲がそれほど広いというわけではないのだろう。ただ、ドラゴンの飛ぶ速度はかなり速い。しらみつぶしに探されたら、いつかはたどり着いてしまう。
「てか、一日仕込んだだけでドラゴン倒せるんなら、お前ドラゴン退治屋に転職したほうがいいんじゃないか?」
幻影使いが冗談めかして言うと、
「僕は一介の奇術師だよ。あんたたちの協力も必要だし、それにまだ倒せてないからな」
奇術師はあくまで冷静に答えた。トミイはケーキも食べていい? と幻影遣いに尋ねていて、すげなく断られていた。人形はそれらの光景をにこにこ眺めていた。
ほんとうにこのメンバーでどうにかなるのだろうか?
話もだいたい終わったことだし、と、居酒屋から出たらもう夕方になっていた。
「実はおれたちも今日にはこの街を出る予定だったんだよね」
いくつかの宿を訪ね歩いたが、コテージならまだ余っているとのことだった。
「合宿みたいで楽しいじゃん」
「いい歳して何言ってんだ」
「えーでもお前の人形もわくわくしてるみたいだぜ?」
トミイとはしゃいでいる人形の様子を見て、確かにそうかもしれないな、と奇術師は納得してしまった。
そういうわけで今日は四人でコテージに泊まることになった。
そのコテージは、街の外れのこんもりとした林の中にあった。石造りのその建物は、断熱性能が高い上に、居間がひとつと大きなキッチン、それからベッドが二台ずつ置かれた寝室がふたつあり、四人で泊まるにはぴったりであった。
ちなみに人工と思しき小さな川が近くに流れている。流れてはいるが街中の水路と同じように涼しさには寄与しない。人形は周りにあった草を摘んで船を作り、その川に流していた。
「ウィルはなんでもできるんだねえ」
とトミイが真似して船を作ろうとしたが失敗していた。幻影遣いはそれを見て、こいつは元気だけど若干不器用だからな、と思っていた。
夕食は四人で外で買ってくることにした。とりあえずデザートを買おうとする幻影遣いとトミイに、まずは主食から買えよとか奇術師は言うことになった。とは言ったものの、ゼリーと夜食用のチョコレートは買うことになったのだが。人形はそれらの会話を一歩引いてみていたが、荷物は誰よりも早く詰めたし持っていってくれた。
奇術師は、ほんとうに合宿みたいだな、と思った。同年代の子供たちがやったようなキャンプや合宿にはこれまで縁がなかったのだが、もしそんなものがあったとするなら、きっとこんな感じだったのだろうと。
明日のドラゴン退治のために、奇術師は人形に当座の改造を施した。改造とはいっても、元々の機能や形態から大幅に変わるものではない。よく知らないものが見ても何も気付かないだろう。
カスタムしたのは主に四肢だ。それから視覚も多少強化しておいた。もともとの性能も悪くはないのだが、相手はドラゴンだ、どれほど対策しても十分ということはない。
痛覚を含む触覚はオフにする。スリープモードにするとフィードバックがもらえなくなるからそうはしない。右脚を外しながら、人形をこうやってカスタムするのは久々だと奇術師は思う。最後に現状から大きく変えたのはいつのことだっただろうか。過酷な山道を登らなければ辿り着けない街に行こうとした時だろうか。正確な日付は思い出せないけれども、あのときは自分も大変だった。改造した人形に荷物の多くを持ってもらったが、山道を登るだけでも精一杯だった。
黒曜石のネジが床に落ちたので拾い上げる。人形はそれを目で追っている。
「不安にさせてごめんな」
と奇術師は言う。ネジを所定の位置に嵌めて、右脚を元の状態に戻す。
人形の改造も終わり、寝る支度を済ませて、奇術師はベッドに横たわっていた。人形も隣のベッドにいる。幻影遣いたちはラウンジで一息ついてくると言っていた。
「なあ、ウィル、まさかお前にこんな仕事をさせる日が来るとはな」
人形は奇術師のアシスタントとして作られた。それ以上でも以下でもない。ショーの一環で多少アクションをすることがあっても、それはあくまでアクションであり実戦からはほど遠い。
作戦はきちんとあるとはいえ、奇術師は心配だったのだが――人形は向かい側のベットでにこにこ笑って見せている。
「もしかして、ちょっと楽しみなのか?」
そう言うと、人形は枕を手元に抱えながら頷く。
「実は僕もそうなんだ。もちろん、一番楽しいのは公演だけど――他人と色々策を巡らせて、大きなことをするって、おもしろいことなんだな、って」
奇術師は、これまで合同公演の誘いなどもすべて断ってきた。スケジュールが合わないのが最も大きな理由だが、誰も彼もが奇術師に釣り合わなかった、というのが大きい。
一流のスペクタクルでなければ、観客に見せてはならない、奇術師はそう認識していた。
しかし今回は、ドラゴンを倒すという変則的な目的ではあるし、ショーでもないけれども、人と協力して何かをなすことができる。
それは奇術師にとって、心踊ることだった。
「それに、お前以外の相手と、こうやって深く関わることって、あまりないからな」
その言葉に、人形は枕を抱えながらぐるりと奇術師に背中を向ける。
「いや違うって、拗ねるなよ」
もちろん、大規模な『ショー』はそれはそれで楽しい。準備からしてずっと。
でも僕たちの舞台は僕とお前、ふたりで成立してきたのものだ。
それは変わらない。
今までも、これからも。
「この『舞台』が終わったら、最高のショーを、今度こそやろう」
人形はこちらに向き直って枕を奇術師のベッドに投げてきた。怒っているのかと思ったら口を開けて笑っているので照れ隠しか何かだろう。
奇術師はその枕を人形のほうに投げ返して、ベッドサイドの明かりを消す。
幻影遣いはトミイに対して、それほどのカスタムは加えなかった。だいたい、最初の花の街での戦いでかなりの欠損が出ていたため、その際にある程度高機能に改造したのだ――もしかしたら次があるかもしれない、と。
とはいえトミイは少年型だ。パーツも成人型よりは少なく、改造できる箇所も少ない。
だが幻影遣いはできるだけ、トミイの生存確率が上がるようにと、基礎的なスペックを上げることにしていた。
幻影遣いとトミイはコテージのラウンジに出て、カフェインレスのコーヒーを片手に夜空を見上げていた。多少曇ってはいるが、月は見える。晴れすぎていたら、もしかしたらドラゴンにすぐ見つけられてしまうかもしれないから、このくらいでよかったのかもしれない。
「なんだ、その、すまないな。おれが故郷に帰るためのごたごたに付き合わせちまって」
夏とはいえども、夜はそれなりに冷える。ホットコーヒーを飲んで、幻影遣いは言う。
「気にしないで。トミイの街でもあるし、トミイはゴーリイといられればそれでいいよ」
「懐かしいな、その名前も」
幻影遣いが幻影遣いとして名を馳せるようになってから、それまで名前で呼んでいたものたちまでもが、彼を幻影遣いと呼ぶようになった。
ゴーリイなんて呼ぶのはよっぽど親しい間柄か、しかもからかっているような文脈か、それかトミイくらいだ。
「だって、トミイはゴーリイが作ったんでしょう? トミイはトミイが一緒にいられる限り、ずっと一緒にいるよ」
「……殊勝なこった」
「それに、あの奇術師さんと人形さんとドラゴン倒すの、楽しみじゃん!」
「あー、そうだ。それでこそお前だ、トミイ。楽しみだな、おれたちがほんものの英雄になるの」
幻影遣いはじゃあ流石にもうそろそろ寝るか、と言った。コーヒーはとっくになくなっていた。
それは誰にとっても特別で、誰にとってもいつも通りの夜だった。ドラゴンを倒す前の夜といえば特別だし、公演の前の日といえば、いつも通りだ。
次の日の朝、奇術師が目を覚ますと、そのときにはもう幻影遣いもトミイも起きているようだった。奇術師は隣のベッドに眠っていた人形を起こした。朝食付きの宿ではなかったのだが、簡単なキッチンがついていたので、幻影遣いが昨日買ったものを調理して朝食を用意してくれていた。トミイはトースターの前でパンが焼けるのを待っていた。
「えっと、ウィルでいいんだっけ」
幻影遣いは起きてきたふたりを見て、まず人形に声をかける。
「コーヒー淹れてくんない? 四人分」
お前もいるんだよな? と確認すると人形は頷いた。人形は食事を摂らなくてもよい設定になっているが、水分を摂取することは可能である。
人形は部屋に備え付けてあったコーヒー豆を挽き、ポットに4人分の湯を沸かした。
「あ、いつもやってんの」
そう幻影遣いが人形に言うので、奇術師は、
「言いたいことがわかるのか?」
「この手つきを見ればわかるよ」
実際、人形はだいたいいつも奇術師のためにコーヒーを淹れてくれていた。そんなこと、幻影遣いが知るはずはないのにな、と奇術師は思ったのだが、その代わりに、こう問う。
「あんたもコーヒー派なのか?」
「いや、おれの朝はいつもは紅茶だね。でもこの部屋にはろくな茶葉がない。というか、いいやつ買うの忘れた」
「茶葉がない!」
「気付いたならデザート買う前に言ってくれてもよかったんだぜ」
トミイは気付いてなかったよ! と言った。それと同時にトースターのベルが鳴る。きれいな焼き目のついた食パンが元気よく飛び出してくる。
人形が火にかけていたポットも沸いたようで、フィルターを使ってコーヒーの抽出を始めていた。
幻影遣いは卵料理何がいい? とみなに聞いて回っていた。卵焼き! 目玉焼き! といった声が飛び交い、おれはスクランブルエッグ! なんで全員違うんだよと幻影遣いは嘆いていたが、すべてのオーダーに応えることに対してどこか楽しそうだった。
みながてきぱきと朝の準備をしているので、奇術師はやることがなくなってしまった。せめてもと思って、テーブルを拭くことにした。
朝食を摂りながら、四人は作戦の最終確認をした。奇術師は卵焼き、幻影遣いはスクランブルエッグ、トミイは目玉焼きをメインとしたプレートに、サラダとトーストが乗せられている。もちろん人形を含む四人分のコーヒーもある。
主にドラゴンに立ち向かうのは自動人形のふたりだが、人間のふたりもサポートをすることになるだろう。
ある程度食べたところで、奇術師が言う。
「ドラゴンが来たら僕らは後方に下がる」
コーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れた幻影遣いが言う。
「そしておれたちの幻のドラゴンをとっておきのタイミングで出す」
卵焼きを頬張ったトミイが言う。
「トミイとウィルがズバッと切る!」
ジェスチャーつきのその言葉に、奇術師と幻影遣いは笑みを見せた。人形は両手でコーヒーカップを持ちながら、その会話を聞いていた。
幻影遣いはプレートを平らげて言う。
「上手くいけばいいんだけどね」
「上手くいかなきゃ帰れないからな」
「帰れないの前に助からないからな」
「まあ大掛かりなショーをやるくらいの気持ちでいいんじゃないかな……」
奇術師がそう言うと、幻影遣いは一瞬きょとんとしたあと、
「なんかおれみたいな適当なこと言うな」
「そんなつもりはなかったからな!?」
実際、これはショーのひとつだ、と、奇術師は思っていた。幻影遣いとトミイを花の街に返すところまで含めて、大掛かりなショーだと。
いつもは人間の客を相手にしているが、今回はドラゴンを相手取って不意をついたり驚かせたりしなければならない、それだけなのだと。
「まあ、一大スペクタクルには間違いないからな。おれたちの、いつものショーみたいに」
幻影遣いは口角を上げてにやりと笑う。
作戦を開始するまであと一刻ほど。幻影遣いと人形はコテージを引き払う準備をしていた。荷物を整理して、散らかした部屋を片付けて、平均的な額のチップを置いて。チェックアウトしたら、もうドラゴン退治のはじまりだ。
幻影遣いは、人形の所作のうつくしさに改めて感嘆させられた。いつもはよくわからない理由で走ったり笑ったりしているが、こういう目的があることだと一切無駄のない動きを見せている。手指のひとつひとつまで完璧に制御された身体、それは自動人形という人工物だからだろうけれども――それ以上に、これを作った人間の完璧主義っぷりがうかがえる。
完璧でないものを作ろうとして、完璧に愛されるものを目指す、その矛盾を思いながら、じゃあトミイの設計思想について明確に答えろと言われたら気恥ずかしいところがあることにも気がつく。
それはさておき『人形』だ。荷物になるから、豆も使い切ったほうがいいと、幻影遣いは自分用にコーヒーを一杯淹れようとして、せっかくなら人形にもやるか、手間は変わらないし、ということで二杯分の湯を沸かす。
こいつとふたりになることも滅多にないだろうから。
今後、あるか、わからないし。
幻影遣いは、浅煎りのコーヒーを机を拭き終わった人形に差し出し、机の向かい側に座る。
「お前の『奇術師さん』はあっち側の装置の最後の調整だってさ。おれのトミイも機能チェックしてる」
人形は、拭き終わった机にモノを置くことにためらいながらも、一口コーヒーを飲んで、ぱあっと表情を明るくし、コーヒーがこぼれていないことを確認してから、机に置いた。
「そういやお前とサシで話したことなかったな。お前は喋らないけど。いつもあの奇術師と一緒にいるからさあお前は」
人形はこくりと頷き、幻影遣いのほうをしかと見つめる。ライトブラウンのつくられた瞳は、朝の光を反射してきらきらと輝いている。
「おれ、お前たちのこといまいちわからないんだよね」
人形は眉をひそめる。
なんだ、思っているより『会話』ができるじゃないか、と幻影遣いは思う。
こいつの感じていることは全部表情に出るから、というか出すしかないから、読める。というか、読めるように作られている、のだろう。
だったらこいつの『本音』も、聞けるのかもしれない。
それは興味本位だった――作戦の前に仲違いするようなことがあったらよくないのはわかる。でも、ほんとうのことを知りたいという気持ちは、抑えることができなかった。
だから、幻影遣いはわざと挑発的に、人形に、こう告げる。
「だってあいつの言ってること、全部ほんとうじゃないじゃん。嘘でもないけど。あいつがお前――ウィルでいいんだっけ、今は――のこと大事にしたいっぽいのはわかるけど、それならなんでお前からいろんなものを奪ったんだろうね」
挑発的ではあったが、思っていることでもあった。どうせ、奇術師のほうに聞いたってはぐらかされるだけなのだ。それに、あいつは嘘はつかないけれどもほんとうのことも言わない。なら、その片割れに聞いたほうが効率的というものだ。
幻影遣いは頬杖をつく、それから、人形を見つめ返す。
「おれならお前にいろんなものを返してやれるよ。名前も言葉も。ロックかかってるだろうけどバラせばどうにかなるよ」
そう言うと、人形は一瞬悲しげに目を伏せてから、かたん、とわざと音を立ててコーヒーカップを置いた。こぼれはしなかったけれども、水面は揺れた。
「怒るなって」
幻影遣いは両手を上げて降参の構えを取る。人形はそれを見て表情を緩めてくれた。
「なんて、嘘だよ」
嘘だったのが、どの部分なのかは、言わない。自分でも、正直なところ、わかってはいない。ほんとうじゃないことをぶつけて、相手の感情を揺らすのは、あまり上品な手口とは言えないから、謝りたいのはほんとうだ。
「――まあ、お前がそれをほんとうに望む日が来るなら、あいつがなんとかするんだろうな」
きっと、そんなことはないのだと、幻影遣いにもわかってはいた。わかっているのに口出ししたくなってしまうのは、昔の自分を見ているかのような気がしてしまうからだろうか。若くて、青くて、ふたりきりで街はおろか世界をどうこうできるんじゃないかと思っていた、あのころ。
幻影遣いはすっかり冷めたコーヒーを飲み干す。
そうしていたらちょうど、準備万端だ、という奇術師の声が向こうの部屋からする。幻影遣いはこっちも終わったよ、と叫ぶ。人形は相変わらず薄く微笑んでいて、幻影遣いにその真意はわからない。
× × ×
ドラゴンの視力はそれほどよくない、らしい。少なくともあの個体はそうだ。だから、前回幻影遣いの出した幻のドラゴンでかなりの部分をごまかしきれたのだが――その分、熱を探知する能力が高い。人が多く集まる場所を狙うような大規模な熱源探知から、個々の人間の熱パターンを判別することまで可能なのではないかと、幻影遣いは踏んでいた。
郊外の森に行き、まずはドラゴンを呼び寄せるために熱源を用意する。大きめの炎を焚けば街ではなくてこちらに来るのではないか? と予想している。そもそも、今、水の街は夏であるため、熱を追ってくる可能性がある。それを郊外に熱源を使用して呼び寄せる、というのが第一の作戦だ。
ただ、ドラゴンもただの熱源を敵――幻影遣いとトミイと誤認するほど愚かではないだろう。
近くまで呼び寄せたら、幻のドラゴンを出してもらう。森の真上にドラゴンをおびき寄せるのだ。幻影遣いとトミイには、体表面を氷や水でできるだけ下げてもらっておき、熱パターンによる探知が難しくなるようにしてもらっておく。そうすれば、ドラゴンも幻のほうに集中してくれるのではないだろうか――少なくとも、一瞬くらいは。
森の木々に装置を配置しておき、そこからロープを射出して、ドラゴンを絡め取り、脅威となるドラゴンブレスを封じ、できるだけ地面に引き寄せる。
これが第二の作戦で、ここからが自動人形たちの出番だ。
熱を発する『幻影』を囮にして、人形で一撃を加える。
武器に関してはマジックで用いるものを磨き直したり、街で仕入れたりした。ドラゴンの体表面に関してだが、一度改造前のトミイで斬ることができたのだから、それほど強い表皮を持っているわけではないだろう、と推測される。
人形の体表面温度は低く設定されている。だから、ドラゴンにとってはただのモノと区別がつかないはずだ。人形は戦闘用に作られているわけではないが、それなりの身体能力を持たせてはいるし、この作戦は不可能ではない、はずだ。
トミイの方も体表面温度を下げてもらったので、この二体で両翼を落とせば、ドラゴンを倒せるだろう。
水の街の郊外、というか街を囲んでいる壁の外。奇術師と幻影遣いの装置を各所に配置した森の中。ほんとうは建物があった方が装置を仕掛けやすいのだが、街に迷惑をかけるわけにはいかないから仕方がない。
ドラゴンにとっては、熱源の少ない森も、ビルと同じように見えているだろうし。
「ほんとうにドラゴンは来るのか?」
「ここまでお膳立てしてこなかったら困るだろ」
森の向こうではごうごうと火が燃えているはずだ。そちらの管理は人形に任せて、上着を脱いだ奇術師と人形遣いは森の中の装置を起動するために待機している。目が光にそんなに強くなくてね、と幻影遣いは薄い色のサングラスをかけていた。
幻影遣いとトミイが街を回っていた際、ドラゴンが追いつくまでにだいたい一週間くらいかかっていたのだという。だからふたりはそれ以上滞在しないようにしていたのだ。
そして今日がその一週間目だ。
水の街の物見の塔から、ドラゴンらしき影があるのは昨日確認済みだ――そのことは、街の人たちに知らせていないから、ここで倒すしか、ないのだが。
この街を花の街の二の舞にすることはできない。
「気楽に行こうぜ。作戦があんだろ作戦が」
水筒から水を飲んで、幻影遣いが言う。
「推測に推測を重ねた作戦だけどな」
奇術師はそう返す。実際、近年ドラゴンが出現したケースを知らない以上、幻影遣いたちが遭遇したドラゴンの性質から類推して作戦を立てるほかなかった。
「まあケースバイケースで臨機応変にどうにかすればいいだろ」
「その気楽さはいっそ尊敬に値するよ」
木陰があるので街よりは涼しいが、シャツ一枚でも相当な暑さだ。
「ドラゴンが来る前に夏の暑さで死にかねないな」
「ほんとうになりかねないことを言うのはやめろよ」
お前も今のうちに水飲んだけよ、と幻影遣いが言うので、奇術師も水筒の蓋を開ける。氷のおかげでまだ十分に冷えている水がすっと浸透していくような気がして、喉が渇いていたのだなと思う。
トミイは木の上でドラゴンが来ないか見張ってくれているはずだ。彼が合図をしたら作戦開始。
奇術師は、もうきちんと木にくくりつけてあるはずの装置を再度確認していた。これが作動しなければ、最悪の場合全滅だ。
幻影遣いが何をしていたかというと、トミイがいるはすの木の上を眺めていた。
「おい、あんたは呑気なもんだな」
「下手に触るより事前準備を信じた方がよくない?」
奇術師の言葉に飄々と返す幻影遣い。一瞬険悪な空気が流れる中、それを劈く声がある。
「来たよ!」
木の上で双眼鏡を構えていたトミイが叫び、急いで降りてくる。
次の瞬間、大きな風で木々が揺れる。奇術師と幻影遣いは空を見上げ、太陽の光を遮る大きな影を見ることとなる。
そこに現れたのは、まごうことなきドラゴンであった。地上からでは推測するほかないが、全長は平均的な成人男性の二十倍はあるのではないだろうか。体表面は茶色の表皮に覆われており、腹部はとかげのようにふにゃふにゃとした質感となっているようだ。頭部には赤い目が爛々と光っている。ひとつ羽ばたくだけで地上には大風だ。森が遮ってくれているからかろうじて立っていられはするが、遮蔽物がなければ危なかった。右の羽がわずかに小さいのは、かつてトミイが切ってから再生したからだろう。
花の街のときですら脅威だったが、今度のドラゴンは、確実に自分たちを狙いに来ている。森がなければブレスが直撃する可能性があったので、この位置取りを選んだのは正解と言える。
奇術師は、初めて間近に見るドラゴンに、少し身がすくんだが、これを僕たちが倒さなければならないのだ、と気合いを入れ直し、トミイが地上に降りてきていることを確認してから、ロープの射出装置のスイッチに手をかける。
「準備はいいか」
「当然」
幻影遣いは投影装置を起動した。ほんもののドラゴンより一回りほど大きいビビッドオレンジのドラゴンが空中に現れ、プレスを吐いてドラゴンを威嚇する。プレスももちろん幻だが、この熱はリアルなので、ドラゴンは簡単に騙されてくれる。その代わり、幻のブレスもほんもののブレスも、こちらは避けなければならない。奇術師たちは空を見上げながら、ブレスの射程範囲から外れるように位置を取っていく。
ほんもののドラゴンはブレスを吐いて応戦しようとするが、オレンジのドラゴンに実体はないため、ダメージもない。その炎は森の木々を焦がすが、不思議なことにそれ以上燃え広がることはなかった。ドラゴンの炎は、実際の炎というよりも質量のある風圧に近いようだった。
森の上を旋回しているドラゴンが、幻のドラゴンを追って射出装置の範囲内に入ったところを見計らって、奇術師がカウントする。
「三、二、一」
ゼロの瞬間に奇術師と幻影遣いはロープを射出する。奇術師が大掛かりなマジックを行う際に使っているギミックを改造したものだが、うまくいったようだ。そのロープはドラゴンまで届き、四肢を絡めとる。
「よし、引っ張るぞ」
滑車を用いてロープを引っ張ると、ドラゴンは森の天冠まで降りてきて、その重量でみしみしと枝が鳴り、葉が地面に落ちてくる。このまま地面まで落としてしまうと被害が拡大する可能性があるので、この位置に留めておく。
その時、幻のドラゴンはその任を終えて空中に溶けていった。一分かからないくらいでもどうにかなったな、と幻影遣いは思う。
じたばたともがくドラゴンの口を、身軽なトミイがロープでぐるぐる巻きにする。
今この瞬間が一番危ない――ドラゴンブレスを吐かれたらおしまいだ。ただ、ドラゴンブレスには予備動作がある。思いっきり鼻から空気を三秒ほど吸うのだ。それは前回幻影遣いたちがドラゴンと接近した時にわかっている。
だから、もしもドラゴンが息を吸い始めたら、なんとしてもすぐに避難するように、トミイには言いつけていた。
さいわいなことに、ドラゴンは暴れながらもブレスを吐くことはなく、口は封じられることとなった。
そうこうしている間に、ドラゴンを呼ぶための火を焚いていた人形が、火の始末をしてからベースに戻ってきた。
よくやったな、と人形に声を掛ける奇術師に、人形は笑顔で応じた。
森の上の方では、ドラゴンが羽や脚をロープで巻かれてながらも暴れている。
人形とトミイは大ぶりなナイフを持たせてある。これでドラゴンの羽を落とすのだ。
木を登っていくふたりに、ドラゴンが気づく気配はない。
「じゃあ、せーの、で斬りかかってくれ」
せーの、と奇術師が言うと、人形は左、トミイは右の羽を狙って思いっきり刃物を突き下ろした。
羽は落ちてドラゴンは致命傷を負う……はずだったのだが。
「ぜんぜん切れないよ!?」
トミイが木の上から叫ぶ。奇術師が下から眺めていても、どうやら傷ひとつついている様子はなかった。
「あんたらが前に羽を切った時と同じ刃物だよな?」
「そうだよ!」
「――あのドラゴン、まさか、この短期間で成長してやがるってことか?」
幻獣たるドラゴンは、普通の動物とはまったく異なる生態をしている可能性が高い。なんせ火も吹くし。となると、傷に対する驚異的な対応速度も不思議ではない。不思議ではない、
だなんて冷静に分析してはいるが、奇術師はこれから先どうすればいいのかと考えていた。バックアッププランはいくつかある。いくつかあるけれども、ここまでうまく行かないとは思っていなかった。
ドラゴンが暴れて、身体を拘束しているロープが切れ始めたので、
「ふたりとも、とにかく下に戻ってこい!」
と奇術師は叫ぶ。
人形とトミイは地上に戻ってきて、
「ねえあれ何!? 岩みたいだったよ!?」
人形が奇術師に刃物を見せてきたが、完全に刃こぼれしていてもう使えそうになかった。
地上でもたついている間に、ドラゴンは元気を取り戻し、両手両脚と翼をばたつかせ、ロープをいくつか切りはじめている。今のところ、口はまだ塞がれたままなのが幸いか。
「とりあえずみんな無事でよかった、よかったけど、あのドラゴン、このままだと街に向かいかねないぞ」
「森の中で仕留めておきたいな」
「トミイが飛ぼうか?」
お前は飛べないだろ、あの高さまでは、と幻影遣いが空を指す。まだドラゴンはロープに若干絡まっているが、完全に振り払うのも時間の問題だろう。
なんとかして、ドラゴンの急所を突き止めなければならない――そう奇術師が思ったところに、人形がドラゴンの一点をずっと見つめているのに気がつく。
――そうか、そういうことか。
それなら、ちょっとした囮があればどうにかなるのではないか。奇術師はかすかな期待を込めて幻影遣いに尋ねる。
「ドラゴンを投影するのはもう無理なんだよな……?」
「ああ、あれだけ大きいと装置への負担も大きい。いくつか壊れちまってるな」
木々に設置された装置をいくつか手にとって、幻影遣いは答える。もともと最後の手段のようなものだった。これらの装置ももう寿命が近いだろう。
「残りを使ってなんかまだ囮にできそうなものないか!?」
「えーっと、うさぎ? これなら一分は行ける。熱源としても使えるけど小さいな……」
「できたら飛べるやつがいい」
「そしたら……ハチドリ?」
ハチドリか。小さくはあるが、飛べるならば問題がない。
奇術師は性急に幻影遣いに聞く。
「何羽出せる?」
「三羽がギリかな」
「ああ、それで十分だ」
三羽のハチドリ。それから人形。
これがあれば、もしかしたら。
もしかしたらドラゴンを、倒せるかもしれない。
マジシャンというのは切れる方のナイフと切れない方のナイフを持っているもので――これは前者だ。奇術師は懐にしまってあった普段遣いのナイフを人形に手渡して、こう告げる。
「もう一度羽を狙う」
人形はしっかりと頷く。
「おいおい、硬くて切れなかったのに?」
幻影遣いはそう言うが――さすがに何か策があるのだろう、とは思った。
「頼めるか、ウィル、お前に見えているものを、斬ってくれ」
それから、奇術師とこの自動人形には、言葉にしなくても通じあえる、なにかがあるのだとも。
「一瞬でいい、あのドラゴンがハチドリを目で追ったら、それで。その一瞬があれば、ウィルが仕事をしてくれるさ」
人形は今こっそり木を登っているところだった。幻影遣いは壊れかけた装置をいくつかかき集めて、当座は動くようにする。ダイヤルを回して、セットして。
「いつ?」
「あと少し――かな」
人形はするすると登っていき、ドラゴンの羽の近くにスタンバイした。ドラゴンは先程と同じように、人形には気づかない。
「今だ」
そう奇術師が言うと、幻影遣いは装置を作動させ、青と赤の小さな鳥たちが、空に舞い上がった。それらはドラゴンの頭のそばを飛び回り、新たな熱源にドラゴンは目を向ける。
空高く飛ぶハチドリたちを見て、奇術師は小声で言う。
「――これはオレンジじゃないんだ」
「え、おれがなんでもオレンジにすると思ってたわけ!?」
「違うの!?」
「あのドラゴンは急にだったからそれしかなくて、この服は幻影遣いとしてのキャラ立てだよ!」
もしなんでもオレンジにするんだったらトミイもオレンジだよ。てかもうそろそろ口の拘束解けるぞこの調子だと。幻影遣いはそう言うが、奇術師は動じない。
こいつにキャラ立てっていう概念とかあったんだ、と内心思いつつ、奇術師は空を眺め、最適なタイミングだな、と思う。
幻影遣いが聞いたのは、大きな質量を持つものが木々の葉をこすりながら地面に落下する、どすん、という音だった。
それは自分たちがいるところからそれほど離れたものではなくて――と思っていたら、上から液体が降ってきた。雨ではない。真っ赤だ。ということは血液だ。木々のおかげで全身に浴びなくて済んだが、上の方の木の葉は真っ赤に染まっていることだろう。
え、これ、どういうこと? と言おうとした瞬間に、もう一度地面に何かが落ちた音がする。今度はわかった。ドラゴンの羽が、落とされたのだ。
両翼を失ったドラゴンは、木の枝を巻き込みながら、ゆっくりと地上に近づいてくる。
このままだと落ちてくるぞ、と奇術師が言う声が聞こえる。
幻影遣いとトミイは森の外れに向かって走った。振り返らずに。あのドラゴンは森よりはさすがに小さかったはずだ。
みしみしと木々がきしむ。森全体がドラゴンに抗っているかのようだった。
ようやく森から出たころには、ドラゴンは木を何十本も倒しながら、地面に倒れていた。
羽が再生することもない。
ドラゴンを、倒したようだった。自分たちが。
――でも、どうやって?
気がついたら奇術師の横には人形がいて、返り血を浴びながらもいつものように笑っていた。
それから、奇術師は得意げに幻影遣いに言う。
「な、魔法みたいだろう?」
「それおれのセリフ」
っていうか今回『魔法みたい』だったの、ウィルじゃないか? と幻影遣いは笑う。人形は肩をすくめてみせた。
全身土埃やドラゴンの血まみれなので、早く水の街に戻って体を洗いたい。
水の街への帰り際、幻影遣いは奇術師に尋ねる。
「ちなみにさあ、あれどういう仕組み?」
幻影遣いの目には、一回目も二回目も同じにしか見えなかった。
なんなら、囮の規模が小さかったぶん、二回目のほうが不利だったともいえる。
同じにしか見えなかったのに、二回目だけ、ドラゴンの翼を切断することに成功した。
「前と同じように、じゃだめだったんだ。まったく同じ、じゃないと」
奇術師は石だらけの道を歩きながら言う。
「あんたら、前回ドラゴンに出会ったとき、矢とかも使ったんだろ? それでちょっとだけ鱗が剥がれて再生しきっていない箇所があったんだ。たぶん拾ってきたパーツで――石とか木の皮とかで――埋め合わせしたりしてたんじゃないかな。ウィルにはそれが見えていた。なんせ贋作を見抜くのはたやすいから、こいつにとって」
マジシャンのアシスタントをするために作られた自動人形ならば、たしかに、真贋を見極めるのは仕事のうちとも言えるだろう。
それでも幻影遣いにはまだ疑問がある。
「でもあの距離じゃお前には見えてないだろ?」
「でもこいつは見えるって言うから、信じた」
奇術師は人形の肩を叩く。人形は微笑みながら首を傾げてみせる。
幻影遣いはわかっていながらも言うしかなかった。
「言ってないじゃん」
「言わなくてもわかるよ」
「――そっか」
それは想定の範囲内の返答だったが、幻影遣いは満足した。
ドラゴンは倒された。
今度こそ――幻影遣いとトミイの凱旋だ。
四人は水の街に戻り、身支度を整えたあと――さすがにかなり汚れていたので、不審がられることになったのだが、街の外で猛獣に追われたのだということに幻影遣いがしてしまった――花の街へと向かう列車に乗った。ここからはかなり距離があるから、途中の街で乗り継ぐことになる。
列車に乗ろうとしたときに、トミイが言った。
「そういえば、あのドラゴンはどうなるの?」
幻影遣いはバッグを運びながら答える。
「まあ、そのうち腐るんじゃない? 一応生き物だし」
「また適当なこと言ってんな」
奇術師は幻影遣いのあしらい方を覚えつつあった。
そのうち、ドラゴンの死体を巡って、水の街の少年少女が冒険譚を繰り広げることになるのだが――それは彼らの知るところではない。
列車で移動している道すがら、窓側に座っている人形はいつも通りずっと窓の外を眺めていた。草原、草原、草原、たまに木がある、くらいで、どの地域でもたいして変わりのない景色だと奇術師は思っているが、人形にとっては違うものなのではないだろうかということにしていた。
幻影遣いは車内販売の紅茶が薄いんだよな、とこぼしながらも、まあこれしかないしと飲んでいた。トミイはカラフルな琥珀糖が入ったソーダ水を楽しんでいた。
幻影遣いはストローでソーダ水の中の琥珀糖をどうにか取ろうとしているトミイに尋ねる。
「それうまいの?」
「おいしいよ!」
それならよかった、と答えたあと、奇術師の方に向き直って、
「おれ若干不安なんだよね」
「一緒にドラゴン倒しておいて何言ってんだよ」
「トミイは大丈夫だと思うけど」
お前はいいよなあ気楽で、と幻影遣いは言う。
「なんとなくさ、ドラゴンは倒せるっていう根拠のない自信があったけど、街の人たちにはまた偽物扱いされるんじゃないかってさ」
「え、そんなに不安なの?」
奇術師は、幻影遣いはどちらかというといつだってはったりと自信でさまざまなことをどうにかしていく人間だと思っていた――そうでなければマジシャンなのにドラゴンを倒そうとなんか、しないだろうし。今回うまくいったのは結果論とはいえ、その『結果』を引き寄せるのが自信であると、奇術師は認識していた。
幻影遣いは嘘か本当かわからない口調で言う。
「お前も一回完全に死んだ扱いされてみな? 銅像立ってみな? 人間の認識を変えるのってけっこう大変なんだぜ?」
まあ、常識じゃありえないことを見せるのは、おれたちの十八番だけどさ、と幻影遣いは続ける。
「大丈夫だって、この『公演』で、あんたはちゃんと花の街に歓迎されるよ」
奇術師にも自身があった――世界で一番のマジシャンとしての自信が。
ほんとかなあと幻影遣いは笑ってみせる。それが冗談だということくらいは、奇術師にもわかった。
図書館の街――街全体が大きな図書館になっており、住民の3分の1がその図書館に勤務している――で乗り換えて、四人は花の街へと向かった。
あと三駅もすれば幻影遣いとトミイの故郷へと到着するだろう。
荷物を整理しながら、そういえば、と奇術師は幻影遣いに尋ねる。
「一応聞くんだけど、僕たちに会えなかったらどうするつもりだったんだ?」
「どうって、まあ、いつかドラゴンに見つかって死んでただろうな」
さらっと答える幻影遣いに、
「あんたがそんな殊勝な人間とは思わないが」
「ま、おれたちはドラゴンに勝った。それで十分だろ?」
「話をはぐらかすのも一流だな」
「よく言われるよ」
それじゃあプラン通り、こっちにちゃんと協力してくれよ、と奇術師は言い、任せておいて! とトミイが答えて、お前が言うのかよ、と幻影遣いが言い、人形は相変わらず窓の外を眺めている。
花の街の季節は春だった。街にはパステルカラーの大輪の花が咲き誇っており、観光客も多い季節であった。建物や広場にはドラゴンを追い払ったといわれている幻影遣いとトミイの肖像が飾られている。
そこに、またあの奇術師が突然現れるとなれば、街は大賑わいだ。
しかも、街の中心の広場で昼間から公演を行うのだという。
住民も、観光客も、奇術師の公演を一目見ようと時間になったら押し寄せた。
その広場には幻影遣いとトミイの銅像が飾られている。台座には、『花の街を救った英雄たち』と刻まれている。
真昼、時計塔の鐘が定刻を告げたとき、その公演は始まった。
奇術師は前に来たときと同じ、上下黒のスーツだったが、ネクタイをビビッドオレンジにしていた。
奇術師の横にはモーブピンクの髪をした白い服の自動人形がアシスタントとして控えている。
その公演は、小さなユニコーンの出現から始まった。かつてこの街で『見られていた』ものよりはだいぶ小さいのだが、羽の生えた馬は空中を駆け回り、やがて大気に消えていった。
それから、奇術師は水晶玉を取り出して、それを人形とともにジャグリングしてみせた。観衆は大いに盛り上がり、次はなんだろう、と思ったところで、奇術師が口を開く。
「そう、このオレンジに見覚えのある方も多いでしょう」
奇術師は自らのネクタイを指し示す。
住民はあのふたりを思い出した――いや、忘れることなどなかったのだが、彼ら彼女らの隣人を、偉大なる幻影遣いとそのサポートをするかわいらしい自動人形のことを。
奇術師は続ける。
「彼らはこの街を救いました――それはほんとうのこと。でも、彼らがいなくなったのも、ほんとうのことなのでしょうか?」
アシスタントの人形が広場の中央にある銅像に大きな白い布を掛ける。
「彼らは生きています――幻ではなくて、ほんとうに」
観衆はざわめいた。いくらマジックでも、ひとを生き返らせることはできないだろうと。
しかしこれは奇術師のステージだ。
魔法みたいなマジックを見せることで評判の、世界一のマジシャンのステージだ。
三、二、一の掛け声のあとに、銅像にかかった幕を奇術師が引くと、そこにはあの幻影遣いとトミイがいた――上下ビビッドオレンジの男と半袖シャツの少年、彼らだ、見間違えるはずがない、これは彼らだ。
これほんものだよな、と人々は口々に言う。
「な、魔法みたいだろう?」
幻影遣いがそう言うと、会場は沸いた。ふたりは台座から降りて街中に進んでいく。
ほんものだ、と街の人たちは幻影遣いに駆け寄っていく。
奇術師と人形はそれを見届けたあと、観衆から離れていった。
幻影遣いとトミイの帰還に、花の街は盛大な祭となった。馴染みの酒場は記念メニューを出したし、花屋はふたりをイメージした花束を作った。
銅像のあった広場はパーティー会場となり、幻影遣いとトミイに縁のあった者たちが集まった。
「お前たち、本当に帰ってきてくれたんだな」
幼馴染の酒屋の男が幻影遣いにそう言った。
「いろいろあったんだよ!」
とトミイが明るく言う。
幻影遣いは、紅茶を飲みつつ、やっぱり花の街のが一番だな、と思いながらも、こうみなに提案する。
「なあ、この銅像、さすがに恥ずかしいから壊してくれない?」
その願いは聞き入れられなかったが、プレートに書かれた文字は変更された。
『花の街の最高のマジシャンたち』に。
奇術師と人形は花の街を去ることにした。ここでやるべきことはすべて終わったのだから、次の街へと進まなくてはならない。今回のことで、スケジュールが変わってしまったところはあるが、どこに行ったところで、やることは変わらない。
駅に向かっていく途中で、奇術師を呼び止める声があった。
「なあ、奇術師」
お前もこの街に残らないか?
そう言ったのはここ最近ですっかり馴染みになったビビッドオレンジの男――幻影遣いで、その隣にはトミイもいた。
まさかそのような提案があるとは思っていなくて、奇術師は困惑する。
「……え?」
「前にも言ったけど、おれたちが組めば何だってできる……今はいささかパワーが落ちるけど、そのうち仕掛けだってぜんぶ取り戻してみせるさ。この街で、みんなに、夢を見せて暮らそう、そうすれば」
「そうすれば?」
「――今より大きな、幻想を見せられる。花の街の、人たちに」
悪くはない提案だと思うけどな、と、幻影遣いはエメラルドグリーンの瞳を奇術師に向ける。どうかな、とトミイも続ける。
どうやら、このふたりは本気のようだった。
そのくらいは、奇術師にもわかる。
「僕は――」
奇術師は口ごもる。人形は奇術師を不安げに見つめている。
遠くで時計塔の鐘が鳴る。もうすぐ列車は到着するだろう。
「僕はこの世界で一番の奇術師だ。少なくとも、そう在りたいと思ってる。魔法――じゃないけど、マジックをできるだけ多くの人に見せていきたい、もちろん、この街のことも嫌いじゃないけど」
奇術師は花の街のことを思い返す――それから、このふたりのことを。
どれもいい思い出だけれども、それは、奇術師にとって、そこにとどまる理由にはならない。
「ここは僕の街じゃない、どの街も」
「……そうか。おれとは組めないってか」
あからさまに肩を落としてみせる幻影遣いに、奇術師は、
「そういうわけじゃなくって――今回は組んだだろ」
「奇術師様々っていう活躍だったな」
「茶化すな」
「それに」
奇術師は人形のほうをちらと見る。人形のライトブラウンの瞳が見つめ返してきて、やっぱりこれなんだ、と思う。
「僕にはこいつがいるんで」
そう言うと、幻影遣いは、
「冗談だよ冗談。まあ、おれにもトミイがいるし」
「いるよ!」
結局彼らも僕たちと変わらないのだ、と奇術師は思う。
マジシャンと、そのアシスタントの自動人形。自分で作った、自動人形。それと一緒にやっていくのが、お互いにとって、もっともよいことなのだ、おそらくは。
じゃあもうそろそろ時間だから、と言う奇術師に、幻影遣いは、
「じゃあせめて、また花の街に来いよ」
トミイ、この街の花を教えてやれ。と幻影遣いはトミイに言う。
「花の街の春はパステルピンクの大輪の花、夏は黄色くて華やかな花、秋は香り高く白い花、冬は赤くて雪に負けない花」
よくできました、と幻影遣いはトミイの頭を撫でる。
「どの季節に来たって、この街はお前たちを歓迎するよ」
「ああ、いつか、きっと。僕たちは君たちの街をまた訪れるだろうし――今度はもっと、これよりもずっと、美しい『奇跡』を見せてあげよう」
奇術師の約束は守られる。幻影遣いはそれを見て深く満足することになるのだが――それはもっと、もっと、未来の話。
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