飴玉と硝子

 人形はガラス玉が好きだ。自動人形一般の性質としてそう、というのは聞いたことがないから、この人形に特有の性質なのだろう。もっとも、自動人形一般の性質について述べるのは、人間一般の性質を語るくらいには無意味だ。どう作られたってそれぞれに個性がある。人間がどう育てられたってそれぞれに個性があるように。

 人形はガラス玉が好きだ。もう十個は持っているだろう。道で拾ったもの、人にもらったもの、奇術師の飲んだサイダー瓶の中に入っていたもの、いろいろあるけれども、すべてが親指の爪くらいの大きさで、すべてが透明だ。色のついているもの、いないもの。柄の入っているもの、いないもの。傷がついているもの、いないもの。

 人形がガラス玉で何をするかといえば、何もしない。ただ陽の光に透かしては、その落とす影を眺めているだけだ。時には何時間も。こうなってしまうと動かないので、奇術師は黙って見守ることにしていた。

 そういうわけで、ある年の初夏、ガラスの街を訪れたとき、人形はたいそうはしゃいでいた。そこで奇術師は、人形が好きなのはガラス玉ばかりではないことを知る。こいつは、きらきらとしたガラスが好きで、ガラス玉をたくさん持っているのは、それが手に入るガラスだからなのだろう。旅をしているふたりにとっては仮定の話にしかならないが、もし家を建てるとしたら、人形はガラス製の調度品を好むだろう、だなんて考えたりもした。住みにくそうだが、美しくはある。

 その街では、あらゆる部分にガラスが用いられていた。なんでも、地震などの自然災害が少ない地域らしい。確かに、もしもガラスをふんだんに用いた家が台風に遭ったら、と思うと大変だ。もっとも、この街並みに使われているガラスは、特別製であり、ちょっとやそっとでは割れはしないそうなのだが。

 カラフルな色ガラスを用いた装飾的な窓を持つ家々が並ぶ光景は、奇術師も見たことがなく、このイメージはいつか公演で使えるかもしれない、とメモを残していた。

 しかし、この光景に、奇術師以上に感銘を受けていたのが人形だ。

 人形は、立ち並ぶガス燈の飾りとして、金属部分にまるで水滴のように飾られているガラス玉を見ては目を輝かせ、家々を飾るガラスの装飾――花を模したもの、抽象的な曲線で構成されているもの、光の加減で内側から発光しているかのように見えるものなど、多彩なガラス――のすべてに手を伸ばそうとしては奇術師にたしなめられていた。

「これは売り物じゃないよ」

 奇術師が、ある家の軒先にぶら下がっている八面体にカットされた赤色のガラスをじっと見ている人形にそう言うと、人形は肩を落としていた。そりゃもうがっくりと。

「まあ、そう落ち込まずに。公演が終わったら、どこか土産物屋でガラス玉を買ってやるよ」

 途端に目を丸くしてその場で飛び跳ね始めないかというくらいの勢いの人形に、奇術師はどの店がいいかな、と思っていた。実を言うと、宝飾品のような、豪華なガラス玉を店で買うのははじめてだ。今まで人形のために与えたガラス玉は、どちらかというとおもちゃに近いものばかりだった。でも、いつもはたらいでくれているのだから、そのくらいはしてやってもいいと考えていた。

 なんせ、おもちゃみたいなガラス玉でもあんなに楽しんでいるのだ。このガラス工芸都市の、本格的なものを手に入れたら、一体どんな反応をするんだろうか。奇術師は少し楽しみにしていた。

 この街のガラス広間――透明な硝子でできた音質のような場所だ――での公演もすべてトラブルなく終わり、片付けも終わった後、人形が物言いたげに奇術師を見るので、彼は、

「大丈夫、約束は守るからな」

 とガラス工芸の専門店に連れて行った。そこには、ガラスを用いたカラフルなアクセサリーやビーズ、花のような模様の入った大きなガラスの球などが所狭しと置かれていた。

 奇術師は花のような模様のものが気になっていた。どのような技術を用いれば、大輪のダリアが花開いているようなガラスを作ることができるのだろうか。自動人形にはガラスパーツが使われることが多い。人形の目は外部に発注したのだが、細かい修理は自分でやることになる。だから、ガラスの技術にも多少興味があった。

 奇術師がそんなことを考えている間にも、人形は店内をくまなく回っていた。いつものよつにせわしないが、店内の棚にぶつかることはなかった。

 まるで別世界の植物のような儚さを持つ緑と紫のオブジェがあった。

 薄青くてオパールのような輝きをもつカボッションのペンダントがあった。

 裏側からダリアの紋章の彫刻を施されたループタイがあった。

 世界が終わる日の朝焼けのような、どこか禍々しさすら感じる赤と青のグラデーションの花瓶があった。

 人形がひとしきりそれらを眺めた後、選んだのは店の片隅にひっそりと置いてあった、赤くて小さなガラス玉だった。中にはオレンジと白でうっすらと炎のような模様が見える。

「もっと大きなのを買ってもいいんだぞ、これとか」

 と奇術師が両手いっぱいはあるオーロラの輝きを持つガラス玉を指したが、人形はこっちがいいのだと首を振った。

 これが気に入ったなら、と奇術師はそのガラス玉を購入した。

「お目が高いですね」

と店員はガラス玉を包装しながら人形に言った。きょとんとしている人形に、店員は続ける。

「これは、後期エンカントのヴィンテージです」

 なんでも、百年以上前に存在したガラス職人のグループによるガラス玉なのだという。炎のようにゆらめく模様が特徴的で、現存するものは高値で取り引きされているのだとか。

 人形は、その話がわかっているのかいないのか、真剣な面持ちで聞いていた。

「我々としても、価値がわかる方にお手に取っていただけでありがたいですね」

 そんな話をしている間に包装は終わっていた。

 薄い紙でふんわりと花のような包装を施された赤いガラス玉を店員から手渡された人形は、奇術師が難度の高いマジックを成功させた後のように笑顔だった。

 

 ガラスの街を離れた後も、たまに人形はポケットから赤いガラス玉を取り出しては眺めていた。床に映る影を見つめたり、太陽に透かして中の炎のような模様を眺めたり。ほかのガラス玉に見向きもしなくなったわけではないのだが、やはりあの街で買った赤がいちばんのお気に入りのようだった。

「やっぱり、それが好きなのか」

 次の街へと向かう列車の中で、奇術師は、ガラス玉で遊んでいる人形に、ガラス玉ちょっと貸してみろ、と言う。人形がガラス玉を手渡すと、奇術師はそれを口の中に放り込んでしまった。

 呆気にとられる人形に、奇術師は右手を開く。

 そこには、先程人形が奇術師に渡したガラス玉があった。

 それから、口を開いて、赤い球体を前歯で挟んで人形に見せる。

「これは飴玉だよ」

 飴玉を口の中で転がしながら、奇術師は言う。初歩的なマジックだ。飴玉とガラス玉を瞬時にすり替えて、飴玉の方を食べた。それだけのことだ。

 長年アシスタントとしてはたらいている人形にとっても、見破るのが難しくないトリックであることはわかっていた。いたって初歩的なマジックだ。人形も舞台上でこれに類することは何度だって見てきたことだろう。

 そう、奇術師は、ガラス玉に夢中な人形をからかってみたかった。それだけだったのだ。

 なのに、人形が泣きそうな顔をしてこっちを見ているから――

「悪かった、悪かったって。これはお前の大事なものだ」

 奇術師は人形の手に、そっと赤いガラス玉を置いた。そうすると、人形はすっとガラス玉を口に入れようとしたので、奇術師は慌てて止める。

「やめろって、お前は食えないんだから――いや、これが飴玉だとしても食えないから」

 人形は、たまに幼なげな行動もするが、飴玉とガラス玉の区別がつかないほど幼くはあるまい。そうは作っていない。

 奇術師が止めるのが遅かったのか、人形はガラス玉を飲み込んでしまった。

「おい!下手すると窒息するって!」

 いくら自動人形とて、息ができなくなれば破損しかねない。

 そう思っていたら、人形がけほけほと咳き込むようにして右手を口元に寄せ、奇術師の目の前で開いてみせると、そこには赤いガラス玉があった。

 奇術師が困惑していたところ、ガラス玉を手にした人形は一瞬真顔になって、それからにっこりと笑ってみせた。

「え、冗談?」

 人形は自慢げに大きく頷く。

 初歩的なマジックだ。こんな技、奇術師はとうの昔に習得していた。なのにこんなにも焦ってしまったのはなぜだろう。

「わかった、わかった、お前には敵わない」

 奇術師がそう言うと、人形は得意そうに口角を上げて笑った。奇術師もつられて笑ってしまった。かり、っと先ほど口に入れた飴玉が歯を擦る。

 今舐めているいちご味の飴玉はそのうち口の中ですべて溶けてしまうだろう。だけれども、人形がこの赤いガラス玉を見つめているのを眺める度に、この安っぽい香料の甘さを思い出すことになるんだろうな、と、奇術師は思う。

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