人形師と奇術師
奇術師が人形を作った。彼にはその能力があり、日頃の細かな修繕も彼が行っていた。
しかし、年に一度は、専門家によるオーバーホールが必要で、そのような場合に頼りになるのが人形師だ。
人形師は、この国で――もしかしたら、この世界で――一番の自動人形製造者であるからにして、そう呼ばれていた。他に名前もあるはずなのだが、名前など誰も気にすることはなかった。
人形師は、常に灰色のパーカーを着ていた。自動人形を製造したり修復したりする際に、汚れても目立たないようにというのがその理由だ。
ある秋のこと、奇術師と人形は人形師の元を訪れた。人形師の居宅は、森の街のさらに奥、道を知らないものは誰も見つけることができないような場所に存在する。奇術師も、最初に訪れようとときには大いに迷ったものだが、今ではスムーズに行くことができる。
森の外れにある大きなモミの木の横にある小道を入り、真っすぐ進んだらすべての季節で白い花を咲かせている木を右に曲がる。それと知らない者には道とすらわからないような道を、奇術師と人形は進んだ。
一時間ほど歩くと、突然視界が開け、小さな畑のそばに木製の家が建てられていた。その家の裏には、薪を割るためのスペースがあることを奇術師は知っている。人形が畑の作物に興味を示しているようだったが、奇術師は人形の手を引いて進んだ。
奇術師が木で作られた扉をノックすると、扉はすぐに開いた。
「よう、奇術師。またこの季節か」
現れたのは、灰色のパーカーを着た、五十そこそこに見える男性だった。まあ入れ、と言うので、奇術師と人形は家に上がる。
作業所を併設したその小屋はいつもきれいに整頓してあった。通された灰色のテーブルも、人形師が自分で作ったものだ。
奇術師と人形は席につく。人形師もその向こう側に座る。
奇術師は、人形師をちらと見て言う。
「あなたは――ちょっと髪が白くなりました?」
人形師の切りそろえられた前髪に、少しばかりの白髪が見える。去年来たときは、ここまで多くはなかったはずだ。
「お前さんがここに来るようになったのは――いつだったかもう覚えてねえが」
「たしか、嵐の日でしたね」
とにかく、とても大変だった、という記憶が奇術師にはある。この森の家はただでさえ見つけるのが困難なのだ。ちょうど秋の嵐にぶつかって、今日行くのはやめておけと森の街の人々には言われて、でも日程的にはここで行くしかないのだと強行した。
それは、いつのことだっただろう。
正直なところ、長年ここに来ているのは事実だったが、いつから、というのは奇術師にも人形師にもわからなかった。もちろん、帳簿をひっくり返せばどこかに記録があるのだろうが、多忙な人形師のこと、膨大な注文を記録してある帳簿の中から特定の期日のものを取り出すのは困難であろう。
人形師は奇術師と人形を見て、感慨深そうに言う。
「ああ、違わないな」
それにしてもよ、と人形師は笑う。
「お前さんはまったく変わらねえな」
「そんなこと言うの、あなただけですよ」
奇術師と人形が、同じ街を訪れることは少ない。あったとしても、相当長い年月を経てからのことになる。この世界は広く、彼らが訪れるべき街はいくらでもある。奇術師は、自分の公演をできるだけ多くの人たちに見てほしいと考えていた。自分たちの起こす『奇跡』を、たくさんの人たちに届けたい、それが奇術師の願いであった。ゆえに、同じ人に継続的に会う機会はなかなかないのであった。
人形師は、コーヒーを三つ持ってきて、自分と奇術師と人形の前に置いた。
人形に食事をする機能はないが、擬似的に水分を摂取することはできる。このような会食の際に、手持ち無沙汰になってしまい、不自然な行動を取ることを防ぐためだ。
奇術師はコーヒーに口をつける。ここのコーヒーは、いつも深煎りだ。ミルクを入れてもおいしいかもしれないが、奇術師はブラックコーヒーを好んでいた。
まだ熱いコーヒーに砂糖を三杯は入れてかきまぜた人形師はそれで、と切り出す。
「こいつのオーバーホール、ってことでいいか」
「はい」
自動人形は精密機器だ。細かなずれが大きなバグにつながる。それを防ぐためには、定期的なオーバーホールが必要となる。この人形のような、長年使っているものだとなおさらだ。
「前回のオーバーホールから、これまでにいくつのパーツを換装した?」
「右腕部上部と、左足の小指、それから腰まわり一式ですね」
人形師は頷く。
「ずいぶん丁寧に使ってきたんだな」
一年も使えば、これ以上多くのパーツが壊れることはよくある。しかも、この人形はマジックの補助という難しい任務を帯びている。そのような人形が、これだけの破損で済んでいるのであれば、それは持ち主が大切に使っているか、人形が慎重な性格なのか、どちらかだ。
人形師は、この人形の性格については把握していた。比較的好奇心旺盛で、気になるものがあったらなんにでも走っていく、そんな自動人形だ。
だから、年一のオーバーホールでやることがあまりないのは、この奇術師の使い方のおかげなのだろう、と人形師は結論付けている。
自分についての話をされているのを理解しているのだろう、人形はコーヒーに口をつけたがそれほどは飲まずに、ずっと静かにしていた。
そうそう、とコーヒーを一口飲んで、人形師は口を挟む。
「名前は」
「僕の名前なんかどうだっていいじゃないですか」
「いや、人形の」
「今のテンポラリーネームですか?」
「いや、本当の名前」
奇術師はため息をつく。
「つけないことにしてるって、最初に言ったじゃないですか」
奇術師は人形に名前をつけない。誰のものでもないからだ――少なくとも、そう思いたいからだ。
たいていの自動人形には、名前がある。ない自動人形は、人格を設定されていなかったり、単純作業のみに従事するものだったりする。名前を保つ必要がない自動人形にはない。当然のことだ。でも、この人形は違う。マジックのアシスタントを行うという使命を与えられ、高度な人格を持たされた精巧な自動人形だ。名前がない方がおかしい。
人形師がテンポラリーネームではない、継続して呼ばれる名前にこだわるのは、通例、自動人形は名前によって制御される機構が搭載されているからだ。その名前を呼ばれたときだけ発火する記憶領域、身体領域。あるいは普段呼ばれる名前とスリープモード用の名前を設定したりと。
何よりも、自動人形であってさえ、存在は、社会の中で生きていくものだ。社会で関係を築く際に、一貫した名前が存在することは前提となる。
それらのメリットを理解してなお、奇術師はこの人形に確固たる名前をつけてはいない。場合に応じたテンポラリーネームのみがあり、人形もそれを受け入れている。
人形師はひとつ息を吐いて言う。
「じゃあ、今もそのままか」
「そうですけど」
「――お前さんがそれを選ぶなら、それで」
じゃあ分解するから、コーヒーを飲み終わったら、一旦機能を停止させてくれ、俺はオーバーホールの準備をしているからと人形師は作業場に移る。
そうして人形師のリビングには奇術師と人形が残された。普段なら人形師はクライアントを置いておいたりはしないのだが、奇術師は勝手知ってる仲だ、と人形師は認識していた。
奇術師は、人形がコーヒーにあまり口をつけていないことに気がつく。
「アンディ、このコーヒーは苦手なのか?」
アンディと呼ばれた人形は、ひとつ瞬きしてから首を振る。苦手というわけではないようだった。去年来たときは真っ先に飲んでいたような気がするが、なぜだろう。喉が渇いていない、というのはないはずだ。そもそも必要がないものを摂取しているだけなのだから。
奇術師がなぜだろう、と思っていると、人形は壁際の棚に置いてあるガラス容器を指差した。その中には、挽く前のコーヒー豆が入っている。
「――そうか、あの人形師、豆を変えたんだな?」
人形がそれほどコーヒーにこだわりがあるとは知らなかった。奇術師もコーヒーを好む方ではあったが、基本的にはコーヒーっぽい味がすればなんでもよい、という性質だった。
さすがに去年一回飲んだコーヒーの味は覚えてないけれども、人形がこれは違う、と思うのならばそうなのだろう。自動人形の記憶領域は、人間のものよりも精密にできている。
「なるほどな、いつもは浅煎りだもんな」
奇術師が旅の途中に常備しているコーヒー豆は、基本的には浅煎りだ。きっと、人形はそれを覚えていて、気に入っていたのだろう。
奇術師は人形の分のコーヒーも飲んでしまうことにした。冷めたコーヒーは、あたたかいときよりも酸味が目立った。
人形をスリープモードに入れる前はいつも緊張する。もちろん、奇術師はそれが機能の一であり、永遠に続く死――もっとも、自動人形は死なない、壊れるだけなのだが――ではないということを理解している。奇術師が人形を作ったのだから。しかし、もしかしたら。もしかしたら、人形がもう二度と同じように動くことはなかったり、すべての記憶領域を失ってしまったりするかもしれない、と、思わなくはない。人形師は信頼のできる技術者だが、オーバーホールには多少のリスクがある。それは最初の施術時に聞いている。人間が大病をして死ぬよりも、低い確率ではあるが、再起動しない可能性は、ある。
マグカップをテーブルに置いた奇術師を、人形が覗き込んできた。ライトブラウンのきらきらとした瞳は、奇術師に何かを語りかけているかのようで、しかし奇術師には、それが何なのかを明確に理解することはできない。
だけれども、言葉より確かだったのは、人形がきっと、何かを心配しているのだろう、ということで。
「大丈夫だよ」
と言ったのは、誰のためなのか、わからない。
奇術師は作業場の方に向かって、コーヒーなら飲み終わった、と叫んだ。人形師はじゃあスリープモードに入れてやってくれと答えた。
立ち上がった奇術師は、人形を手招きして、おいで、と言う。
「今からお前を停止するよ」
人形は奇術師をじっと見つめる。
「痛くも怖くもない、ただ止まるだけだ」
窓の外から風が吹いてきて、人形の髪を撫でる。
「毎年やってるから、覚えてると思うけど」
でも、何度やっても、慣れないなあ。
奇術師はすこしだけかがんで、人形の額に自らの額をぴたりとくっつけた。
そして、この動作とともに、自分の声で口にすることによって作動する、スリープキーをつぶやく。
「おやすみ」
言い終えた瞬間に、人形は停止した。
まるで、最初から物言わぬモノであったかのように立ちすくむそれは、先ほどまであんなに表情豊かであったとは思えない、無機質な顔をしていた。
「終わったか、まあ、俺の仕事はこれからなんだが」
スリープキーは自動人形の所持者にのみ明かされる情報であり、人形師といえども知ることは許されていない。自動人形の持ち主の生体情報とともに使用しなければ意味がないものではあるが、悪用する方法がいくらでもあることを人形師は知っている。だから奇術師が人形をスリープモードに入れる時、人形師は奥に引っ込んでいたのだ。
「よろしくお願いします」
奇術師は人形師に一礼する。
人形師は任せておけと言う。
人形師は停止した人形を奥の作業部屋へと連れて行った。人間の成人と同じだけの質量のあるそれを、小柄な人形師はやすやすと担いで持っていってしまった。
奇術師はなされるがままに運搬される人形を見て、あれがただのモノになってしまったようだ、と思う。
ただのモノでないことは、自分が一番よく理解しているのだが。
オーバーホールが終わったあと、すべての機能が完全に再構築されるまでに、丸一日かかる。その間、奇術師は人形師の手伝いをすることにしていた。本業ではないが、奇術師だって自動人形を作るだけの技は持っているので、ある程度の手伝いが可能であった。
人形師の技は高いものなのだが、手伝いの分ちょっと割り引いてやるぜと彼は言っていた。人形師の他の客を奇術師は知らないので、定価がどのくらいなのかはわからないのだが。
通例、奇術師は誰かの家に世話になったらマジックでお礼をするものなのだが――もちろん代金は払った上で――このあたりには人形師の家以外はなにもないのだから、公演を開くこともできない。そもそも、奇術師は人形抜きでマジックの公演を行うことなどなかった。だから、人形師に持ち込まれる依頼のうち、奇術師でも対応可能なものについて修復作業を行った。
これはお前さんに、これは俺が。
どちらの作業も、奇術師には同じように見えたのだが、人形師にとってはまったく別のもののようだった。実際、奇術師に割り振られた作業――小さな少女型の自動人形の右目の修復――は、細かい作業なので難しくはあったが可能でもあった。
その少女型の自動人形は、薄いブルーのレースで作られた美しい衣装を着せられており、きっと、これを着ていても問題がないほどおとなしい性格なんだろうな、と奇術師は推測した。もし、自分の人形がこんなものを着ていたら、すぐにどこかに引っ掛けてしまうだろう。
ガラスで作られたピンク色の右目を、無事な左目と同じように製作し、それをぽっかり空いた眼窩に嵌める。当然、修復作業の際は自動人形に痛覚は存在しない。オーバーホールする際のように完全なスリープモードではないが、半覚醒状態となっている。完全にスリープさせると、フィードバックがもらえないからだ。
右目の動きをライトで確認した後に、
「見え方は大丈夫?」
と尋ねると、その少女型の自動人形は、
「うん!」
と元気よく答えてくれた。
人間の形をしているが人間ではないモノを扱っていると、自分の身体もこのように分解可能なのではないか? という疑念に襲われることがあるが、人間を修復するのは医者の仕事であって、人形修復者の仕事ではないのであった。
そうしているうちに、一日が終わり、夜となった。
夕食を作るのは、奇術師の役目だった。はじめて人形師のところを訪れたときに作ったものが好評で、毎年作ってくれと頼まれるのだ。奇術師も、こちらがオーバーホールを依頼しているのだから、と快く引き受けていた。
普段の食事は、だいたい人形が作ってくれるのだが、奇術師にだって見習いの時期はあった。その時期に仕込まれた唯一の料理――鶏肉のカレー風煮込みを作ることとなっている。それはカレーではないのか、と師匠には聞いたのだが、師匠はカレー風だと言って譲らなかった。
人形師のキッチンにはいつも多種多様なスパイスが揃っている。奇術師はその場所をすっかり覚えてしまっていた。鶏肉と、それから庭で採れたじゃがいもと、トマトをざっくり切って煮込んだだけのものなのだが、なぜだかそれは奇術師と人形師の過ごす秋にはよく似合っていて、毎年そうしていた。
今年のカレー風煮込みはクミンとコリアンダーとターメリックを使った、至ってシンプルなものだった。年によっては、これにシナモンやクローブが加わるのだが、今年の鶏肉は質がよさそうだったので、あまりスパイスを加えすぎないほうがいいと判断したのだった。
灰色の皿に盛られたカレー風煮込みを囲みながら、奇術師と人形師は話していた。ニンジンとレタスの簡単なサラダと赤ワインも添えて。このワインはこの前修理を依頼してきた富豪が成功報酬の一部として渡してきたものだと、人形師が話していた。なんでも、売るところに売れば年収の半分くらいにはなるそうだが、人形師はそれをもったいぶらずに開けた。
カレー風煮込みを三分の一くらい、さくっと食べてしまった人形師は言う。
「オーバーホールは終わったよ。もっとも、直すところなんかほとんどなかったがな。後は記憶領域の再構築を待つだけだ」
「いつもありがとうございます」
赤ワインをひとくち飲んで、奇術師が言う。これはカレーの味に合うな、とは思うが、何がどう合っているのかは、わからない。きっと、いつも飲んでいるコーヒーよりはこの料理に合っているのだろうが。
「なんか、新鮮ですね」
「何がだ」
人形師が怪訝げに答える。
「僕、ずっとあいつと旅をしているんで、こうやって他人と、ふたりきりで話す、っていうのが、なかなかなくって」
だっていつも隣にはあいつがいたから。
にこにこと笑っている、人形がいたから。
結果として、ひとりで語っていることにはなったけれども、それでも。
それでも、人形は自分に様々な形での応答をしてくれているから、さみしくはないのであった。
人形師が鶏肉をフォークに刺す。
「でも、喋らないんだろう。機能的には不可能ではないが、その発想そのものを封じるように設計してある」
人形師は奇術師の人形の機能をほぼすべて理解していた。オーバーホールを毎年行っているのだから当然のことだ。通常、自動人形はヒトの言葉を話すほうが自然だ。ヒトはヒトと同じ形をしたものは喋るのが自然だと考える傾向がある。
しかし、あの人形はそうではない。ヒトの言葉を解するが、発することはない。その代わりに、雄弁すぎるほど雄弁に、動くのではあるが。
そのような設計思想の自動人形を、彼は見たことがなかった。
奇術師はそうですね、と続ける。
「まあ、あなたにはおわかりのように、僕がそうしたんですから」
「もっと、あの人形とコミュニケーションを取りたいとは思わないのか?」
たいていの人間は、言語によるコミュニケーションを好むものだと、人形師は理解していた。今日奇術師に任せた自動人形だってそうだ。持ち主は少女型の自動人形と会話がしたいのだと言っていた。だから、会話モジュールが発達している。
もちろん、喋らないほうが都合がいいから喋らせないタイプの自動人形の持ち主もいる。法的に禁止されているが、なんらかの暴力を与えるために自動人形を制作する者もいる。そのような場合は、だいたい、言語モジュールが削除されていることが多い。
だが、この奇術師がそのような人間であるとは、人形師には思えなかった。
人形師の問いに、奇術師は少しの間考えた後、
「今のままで十分です、それに」
奇術師は手を止める。それから、訥々と語りだす。
「モノ言う存在は、その言葉ゆえに嫌われます。言葉は濁りのない情報を伝えるのには向いていません。どんな言葉があったって、その本質を理解なんかしないで、ヒトは勝手に曲解して、モノ言う存在を好いたり、嫌ったり、するでしょう」
人形師は奇術師の方を見る。料理は冷めていくが、お構いなしだ。
お高いワインのおかげなのだろうか。こいつがほんとうのことを――ほんとうに近いことを話すことなんか、めったにない。
「僕は、あいつが嫌われるのには耐えられないんです」
ブルーグレーの目を伏せる奇術師に、人形師は、
「お前さんが嫌われるわけでもないのに?」
彼――奇術師の論理はどこか奇妙だ。あの人形が嫌われないように、と言葉を奪ったのに、その言葉でわかってもらおうとしている。
「僕はいいんですよ。奇術師なんて仕事を選んだときから、嘘つき扱いされるのは承知の上です。でもあいつは違う。あいつは僕が作った。僕のために、だから」
一拍置いて、奇術師は言う。
「あいつだけは、いつも笑っていてほしいんです」
「なら、そう作ればよかったじゃないか」
人形師は、心の底からそう思っている。
喋る自動人形も、笑う自動人形も、いくらだっている。設計すれば、自動人形は、設計したとおりになる。人形師も、そのような依頼をいくつも受けてきた。自分が望むような自動人形を作る、という依頼を。そして、その依頼をすべて、完璧に完遂してきた。
自動人形は、ヒトの望みによって、作られる。
しかし奇術師はそのようなタイプではなかった――もちろん、この人形は、奇術師が自分の望みを叶えるために作ったものなのだが、顔も、体型も、性格も、すべてを、この奇術師が作ったものなのだが、なぜだか、彼はそこに不安定要素を入れたがった。
みなに愛されるように、という、理由をつけて。
奇術師はワイングラスを空ける。
「つくられた笑顔なんていう、そんな。あいつに嘘をつかせるわけにはいきませんよ」
ああ、と人形師は思う。
こいつは、ほんものがほしいのだ。
嘘を見せる職業だからこそ、なのかは、わからないが。
「僕はあいつに笑っていてほしいのに、あいつを僕のそばに縛り付けてる――僕はあいつに自由意志を設定してあるから、あいつの意思で、あるはずなんだけど、でも」
食べかけの皿を目にしながらも、奇術師は言う。
「喋りすぎましたね、片付けたら寝ます」
人形師の家は、基本的に人を泊めるためにはない。だいたいすべての依頼人は、ここに来ては期日までに取りに来るだけだからだ。当然、客人を泊める用の寝室はないから、奇術師はリビングのソファで眠ることになる。ふかふかしたソファだったので、すぐに眠りにつくことができた。
目が覚めると、すでに太陽は昇っていた。風も嵐もなくてよかった、と奇術師は思う。
朝日が差し込む頃には、人形は機能を回復していたはずだ。
人形師は、作業部屋に行き、人形の最終チェックを行った。すべてのアップデートは終了し、完全な状態になっているということを確認した。
「眠り姫を起こしてやれ」
と朝食を食べたところの奇術師に言う。
「あいつは眠り姫なんていうタイプじゃありませんよ」
そう返して、奇術師は作業部屋へと向かう。
さまざまな機材が置いてある作業部屋の、中心にある寝台。
そこに、人形が寝かされていた。日が差し込むその部屋で、モーブピンクの髪がかすかにきらめいていた。いつも通りの白い服を着せられたままのその人形は、すぐにでも動き出しそうだが、起動手順を踏まなければ動くことはない。
奇術師は、人形のそばに歩いていって、横に立ち、しゃがんで、額に右手を置いた。
「おはよう」
すると、即座に人形はぱちりと目を開け、薄いブラウンの瞳が、奇術師を見る。それから、人形は口を少しばかり開き、そっと閉じて、にこりと笑った。
「よかった」
奇術師は、思わず、そうつぶやいていた。
少なくとも、今ここにいる人形は、この人形は、自分のそばに帰ってくることを、選んでくれた。
「おかえり」
人形は起き上がって、寝台から降り、しゃがんだままの奇術師の頭を、そっと撫でた。
しゃがむ、ジャンプする、手を伸ばす、指を動かす。
人形は再起動後の作動確認を行っていた。マジックのアシスタントをするものだから、一層正確な動作が必要となる。その動きはすべてなめらかで、人間と遜色がないどころか、それ以上だった。そのように奇術師が作ったからだ。
「なんか、前より動きがよくなった気がしますね」
動作確認を終えた奇術師は、それを眺めていた人形師に言う。
「気のせいだよ、元に戻しただけで、これは元々の設計だ」
奇術師も頼まれていた分の仕事はすべて片付け、次の街に向かう準備を始めていた。一泊二日で終わるのは、多忙な奇術師にとってありがたいことだ。
トランクケースにすべての荷物を詰め込んで、コートを羽織って。忘れ物がないかを確認していたら人形が横から覗き込んできた。人形も自分の分の荷物を持っている。
支度をすべて終えて、玄関先で奇術師は人形師に言う。
「では、ありがとうございました」
奇術師が言うと、人形も頭を下げる。
「何、お代はいつもどおり、きっちりいただいてるからよ」
「お高いですもんねえ」
奇術師がそう言うと、人形も小首をかしげる。
「まあ、そう言わずに、来年も来てくれ」
人形師は床に広げてあった仕事道具を片付けながら続ける。それから、立ち上がって、
「こういう精巧な自動人形を見るのは、職人にとっても楽しいもんだからな」
奇術師と人形はもう一度一礼して、人形師の家を去った。
次の公演のある街までは、一週間ほどかかるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます