ミルと神様
神様を信じているのはミルだけだった。
神様はミルの家のガレージに落ちていた。
それは五年前のこと。もう肌寒いを超えて、雪がちらつくような季節。年末、大掃除をする際に、埃を被った大人と同じサイズの人型の存在を見つけたのがミルだった。
それは、トランクケースともう何十年も使われていない箪笥の隙間に転がっていた。新聞紙に覆われていたが、ヒトの形に盛り上がっていたのですぐに違和感を覚えた。ミルは、おそるおそるその新聞紙を取り外した。出てきたモノは、茶色のさらさらの髪をしていて、見知らぬざらざらとした素材の服を着ていた。一見して男性型なのか女性型なのかは判別することができない。もしかしたら、人間の死体なのかもしれない、と一瞬怯えた。触ってみると温度はもちろんないのだが、表面に弾力はなくすべすべとしており、それは自動人形であるとわかった。
活動開始のためのスイッチは見当たらない。
「おーい」
声をかけても返事はない。破損しているようだった。
ミルはその人形をガレージから連れ出した。大人と同じくらいの重さがあるそれを、台車に乗せて引っ張っていく。台車があっても、それはけっこうな重さをミルにもたらした。
ミルはキッチンにいる母親を連れ出して、その人形を見せた。
「ねえ、お母さん、これ何?」
「知らないわよそんなもの。不気味ね。さっさと捨ててしまいなさい」
でもミルは、その自動人形の瞳を見てみたくなってしまっていた。
そのときミルはまだ十歳だったが、学校で手のひらサイズの普通の人形は作ったことがあった。手先が器用な自信はあったし、その要領で、等身大の自動人形も修復することができたのだった。本人はまだ気付いていなかったが、ミルにはたしかなモノ造りの才能があった。
ミルはその自動人形を部屋に持ち帰り、何週間かかけて、腕を換装し、肌を修復し、声帯を復元した。壊れていた腕はなめらかに動くようになった。凸凹のあった肌はよりすべすべになった。声帯を直すのが一番たいへんな作業ではあったが、近くの工務店で売っている材料でなんとかやり遂げることができた。
ミルは自動人形に声を掛ける。最初と同じように。
「おーい」
そうすると、茶髪の自動人形はぱちりと目を開けた。深いグレーの瞳がミルを覗き込んで、
「お久しぶりです」
と言った。
もちろん、ミルはこの自動人形に会ったことなどない。そもそも、この街にはあまり、自動人形は配備されていない。記憶領域に破損がある可能性があるのではないか。記憶領域を操作するほど、ミルの技術はまだ高くなかった。いつか、正式な人形師のところに連れて行ったほうがよいのだろうが。まあ、受け答えを見るに、言語機能そのものには問題はなさそうだが。
自動人形は立ち上がった。その自動人形の背丈は、ミルより頭一つ分とすこしだけ高かった。立ち上がった自動人形は、手を大きく回してから、腕を組んだ。
「これからよろしくね」
「何をすればいいんですか」
「わたしといっしょにいてよ」
完全に直っていないにしても、この自動人形はミルの大切な友達となった。部屋はちょっと狭くなったけれども、家に帰ると自分だけの大事な友達がいる、というのはとてもよいことだった。この自動人形の定位置は、ミルのベッドの横の小さな椅子だ。机や本棚も、その自動人形が望むなら使ってもいいことになっていた。最初は自動人形を怖がっていた親も、その出来を見て、まあ、自分で直したんならいいよ、と言ってくれた。
ミルはその自動人形に何でも相談した。学校の宿題が難しいとか、友達とうまくいかないとか。
「ねえ、この教科書に載ってる小説なんだけど、どういう意味なの?」
そうミルが自動人形に尋ねると、自動人形はすぐに教科書を読み終えて、
「文学史的には近代に位置づけられる、人間の自我を描いた作品です。その主題は、百五十四ページ三行目のセリフに現れています」
「あなたってなんでもわかるのね」
「なんでもではありません」
このようにその自動人形はどんなことにも的確な返答を返してくれたから、ミルはその自動人形が大好きだった。
自動人形はミルに正解を教えてくれた。
だから取り返しがつかないことが起こったときも、なんとかしてくれるんじゃないかと思ったのだ。
「ねえお人形さん、パルグが死んじゃったの」
パルグというのは、ミルが飼っていたモルモットの名前だ。白と茶色のまだら模様のパルグは、病気というわけでもなく、寿命で亡くなってしまった。
茶髪の自動人形が、少しためらいを見せたあと、
「見せてごらん」
と言ったので、ミルはパルグの墓に連れて行った。自分の家の庭に今日埋葬したばかりだ。その人形が墓の前に立ち、数十秒すると、土がもぞもぞと動き、その中からモルモットが飛び出してきた。パルグはミルの足元に駆け寄ってきて、ミルがそれを撫でると、たしかにあたたかかった。
それから、ミルはその自動人形を『神様』と呼ぶようになった。
だっていきなり現れて、奇跡を起こすようになったのだ。
神様に違いない。きっと。この自動人形は、神の使いなのだ。
それからというものの、神様は、空高く飛んだり、ぱちぱちと火花を出したり、遠くの星をミルの目の前にあるかのように見せたり、するようになった。
ミルはそのすべてに驚嘆し、神様をほめたたえるようになった。ミルは、神様のことをもっともっといろいろなひとに知ってほしいと思った。
しかし、神様は、ミルの前以外で、『奇跡』を見せることはなかった。
友達を家に連れてきて、花火を見せてほしいと神様に頼んだのだが、神様は首を横に振るばかりで、何もしてはくれなかった。
何もしない神様の胸を叩きながら、友達は言った。
「嘘つき! ミル、この自動人形、ただの自動人形じゃん」
「いつもはそんなことないもん……」
友達はそのまま帰ってしまい、次の日も口を利いてくれることはなかった。
そして、神様は、親にさえも、何の『奇跡』を見せることもなかった。
パルグはそのあと、モルモットの寿命を超えて生き続けている――そういえば、神様が何かを生き返らせることは、この例以外にはなかった。
お話をよく聞いてくれる。
それだけでよかった。それだけでいいはずだった。
なのに奇跡が起こってしまった。
だから奇跡を願ってしまった。
神様を信じているのはミルだけだった。
神様はそのことを、よく理解していた。
× × ×
機械の街、それはさまざまな機械が人々の暮らしを守るためにはたらく、技術者たちの街。ここでは、自動人形のみならず、たくさんの機械が自動化のために利用されており、ほぼすべての歩道が動く歩道として整備されていたり、かなりの量の製品が自動工場によって人間なしに運営されていた。
ゆえに、技術者として働く人間以外は、ある程度の余暇を許されていた。だからこそ、みなが娯楽に飢えていたという側面がある。
この街に、有名な奇術師がやってくると聞いた時、みなは浮き足立ったが、ミルは冷静だった。
だって、奇術師って言ったって、所詮はマジックでしょう? ほんものの奇跡を起こしてくれる、わたしの神様に比べたら、すごいところなんてなにもない。
ミルは、学校で配られたチラシを自分の机の前に貼ろうかと思ったが、こんなもの貼る価値もないと思ってやめてしまった。黒と白を基調としたデザインは悪くはないのだが、偽物のポスターなんか貼って、神様の機嫌を損ねたらいけない。
ミルはベッドサイドの椅子に座っている神様に話しかける。
「ねえ、神様。神様の方がよっぽど、すごいもんね」
「大したことありませんよ」
と言いながら、神様は床から五センチ浮いている。もちろん、椅子の座面からも。このくらいは日常茶飯事で、ミルはそんなことでは驚きはしない。
「神様はとってもすごい! なんでもできる、わたしの神様!」
ミルがよろこんでいると、神様はしばしの間思案して、
「それなら何を、すればいいですか?」
ミルは少しの間考えたが、何も思いつかなかったので、
「うーん、今は何もしなくていいよ。わたしの話を聞いてくれれば、それで」
と言った。神様はグレーの瞳をぱちりと瞬かせて、
「そうですか」
と答える。そこに、
「ねえミル、マジックショーを見に行かない?」
母親がドアをノックして入ってくる。その瞬間、神様は浮くのをやめる。地面に足をついて、座面に腰を落ち着ける。
「神様も一緒?」
母親は、ミルが『ただの自動人形』を神様と呼んでいることに難色を示していたこともあったが、最近では渋々認めるようになっていた。下手に刺激すると、部屋に引きこもってしまうことだし。
だから、母親はミルの提案に対して、こう答えた。
「もちろん、連れて行きなさい」
置いていくほうが心配でしょう、と母親が言うので、気乗りはしないけど、と思いながら、ミルは言う。
「行ってみてもいいかな」
「こんなすごいこと、めったにないんだからね!」
奇術師の公演は、中央広場で今日の夜行われるそうだ。配られていたチラシには、改めてよく読んでみると、『ここだけの一大スペクタクル』『世界を巡る奇術師のミラクルパフォーマンス』などと書いてある。
どんなにマジックがすごくたって、本物の魔法にはかなわない。
母親が出ていった後、
「神様はマジック楽しみ?」
「見たことがないので、楽しみも何も、わかりませんね」
よく光りながら、神様は答えた。
その日の夜は、神様と一緒に自分の部屋で夕食を食べた。普段だったら、リビングで家族みなと一緒に食べるものだが、たまにどうしても神様と一緒にいたい気分になる日もある。神様の席はリビングにはないから、そうすると、自分の部屋で食べるしかない。
今日のメニューは魚のソテーと野菜の付け合せだった。
「神様も食べる?」
「その機能はありません」
「わたしがもっと、もっと、いい技術者になって、神様が母さんの美味しいソテーを食べられるようにしてあげたいな」
実際、そのソテーはバターが多すぎてあまりおいしくはなかったのだが、そんなことよりも、ミルは神様と一緒に食事をしたかったのであった。
食事が終わると、身支度をして、外に出る。神様も一緒に。
街で一番大きな広場には、もうすでに人々がひしめき合っていた。遠くにクラスメイトの姿も見えたので、ミルは大きく手を振ったのだが、返ってくることはなかった。ここからではたぶん、見えなかったのだろう。
そこまで期待していなかったのに――もしかしたら、期待していなかったからかもしれないが、奇術師のマジックショーは、けっこう面白かった。
特に、中盤の、コインを使ったマジックが印象に残った。グラスを透過するようにコインが落ちていく光景は、きっとトリックが何かあるんだろうけれども、チャリン、というコインの音とともに、ミルの記憶に刻まれた。
また、マジックというのは、モノを出すよりも消すほうが難しいと聞いていたのだが、このショーでは、何もかもが現れ、何もかもが消えていく、そういったショーだった。
最後に舞台上に残されたのは、最初にガラス玉が出てきた黒い箱。
ふたりが舞台上から姿を消した時、観客は万雷の拍手を送った。
その後のカーテンコールで奇術師とそのアシスタントは笑顔を見せていて、こんなに完成度の高いショーを行うひとたちであってもやっぱり人間なんだな、と思わされた。
隣に立っている神様は、ずっと食い入るようにマジックを見ていた。
「何が気に入ったの?」
「水が宙に舞い、落ちることなく消えていった、あの瞬間ですね」
奇術師が水を降らせたが、その水が地面につくことはなかった。すべて蒸発したかのようにきらきらと消えていき、観客の網膜には一瞬のきらめきのみが残された。
「でも、全部、よかったです」
神様をあまり外に出してあげることがなかったから、どのマジックも新鮮なのかもしれない、とミルは思った。
けっこう満足して、その日は家路についた。家に帰ってからも、ミルと神様はマジックショーの感想を言い合った。母親がさすがにもう寝なさいと言うまで、ふたりは語り合っていた。そのあとは、言いつけを守ってベッドの中に入った――けれども、小声でちょっとだけ会話したり、していた。
だから気が付かなかったのだ。取り返しのつかない異変が起こっていることに。
翌日、神様はミルのベッドの横に座っていた。光ることも浮くこともなく。
その次の日も、そうだった。
さすがにこれはおかしいのではないか、と、光ってみてとお願いしても、何も起こることはなかった。
「ねえ、神様、なんかやってよ」
「お久しぶりです」
「お久しぶりですって何?」
壊れてしまったのだろうか。
市販の機器で行える範囲で記憶領域の簡単なスキャンを行い、声帯のチェックなど、いくつか調べてみたけれど、原因は何もわからない。
まず、神様がなぜ奇跡を起こせていたのかがわからないのだから、原因を神様に求めるのは無意味とも言える。
でも、原因、物事にはかならず原因があるはずで、それは事件が起こるよりも前に存在する出来事だ。神様がこうなってしまったのは――カレンダーを見ると、この日だ。ちょうど、この日だ。
そこでミルは、思い当たるところを尋ねてみることにした。
「奇術師さん、ちょっとお話いいかしら」
ミルはこの街での興行を終え、去ろうとしている奇術師に声をかけた。商店街の人達に話を聞いたら街を去る日はわかったし、駅は一つしかないから、ここに張っていればそのうち会えると思ったのだ。その予感は的中した。黒のロングコートを着た奇術師は、隣にモーブピンクの髪をなびかせたアシスタントの人形を従えていた――遠目ではわからなかったが、あれは自動人形だった。
奇術師はショーのときみたいに大仰に言う。
「これはこれは、お若い方。ちなみに僕は弟子入りは受け付けていないんだ」
「そうじゃないの」
ミルは奇術師を見向きもせずに言う。
「ちなみにわたしはミル。これが神様」
「神様?」
怪訝そうにしている奇術師に対して、神様は、
「お久しぶりです」
ただ事実を述べるかのように、冷静に答えたが、文脈にそぐう返答を返すことはない。
神様は歩くことはできるようだったから、ミラが家から連れてきたのだ。
「神様は神様よ。わたしがそう呼んでいるの。あなたのマジックを見たその日から、神様が魔法を使わなくなっちゃったの」
火花を出さない。
すごい速さで計算もしない。
飛ばないし何に対しても正しい答えを返してくれることもない。
ただそこにいるだけのモノになってしまったのだ。
奇術師は神様を上から下まで眺めたあと、こう言う。
「えーと、その、神様、って呼べばいいのかな。神様はなんて言ってるんだい?」
「お久しぶりです」
「これしか言わなくなっちゃったの」
ミルは奇術師を下からまっすぐ見つめて、言う。
「ねえ、奇術師さん。奇術師さんなら治せるんじゃないの? 壊したんだから」
「壊したって……」
奇術師の横に立っている自動人形が不安そうな顔をしている。
「うーん、僕に直せるかはわからないけど、一応見てみよう」
列車の時間までまだ余裕があるし、サニー、待っていてくれないか、と奇術師は言う。それから、奇術師はカバンから工具を取り出して、神様に当てたり、小指の先を分解したりしていた。小指の先に、何かあるのだろうか。自分はこんなところ、触ってはいないのだけれども。
ミルは、その間、サニーと呼ばれていた人形と遊んでいた。サニーは言葉を発することのないタイプの人形だったが、とても表情豊かで、ショーのときよりも輝いているような気がした。
サニーがふたりでやるあやとりをミルに教えてくれたので、ミルはその代わりになにができるだろう、と思ったところで、自分は機械を作ることくらいしかできないことに思い当たる。
「ごめんね、この街の遊びって、だいたい機械に関係があるの」
だからここじゃあできないの、と言うと、サニーはにっこりと笑って、タワーの形のあやとりをミルに差し出した。
たしかにこれも機械なのだと言われればそうかもしれない。ミルの知る機械よりも、だいぶやわらかで、儚く、不安定なものなのだが。
そこで、奇術師の終わったよ、という声が聞こえる。
奇術師が分解した後、すっかり元に戻された神様が、すっくと立っていた。グレーの瞳を見開いて。なにかミルに話してくれるんじゃないかな、と思っていたが、その期待は裏切られた。
奇術師は言いにくそうにしながらミルに切り出した。
「ええと、言わせてもらうと、この人形は壊れていない。至って正常だ」
「でも、魔法を使わなくなっちゃったんだよ」
神様は、魔法を使うものだ。ミルが出会ったときから、ずっと。
魔法を使わない神様なんか、神様じゃない。
「そのことなんだけど」
奇術師は腕を組みながら、
「人形は普通、魔法は使わないんだ。というか、人間も」
ミルだって、この世界のどこかに魔法があるというのは聞いたことがある。でもそれは失われた技術だ。普通の人間には使えない。
でも神様には使える。
「知ってるよ。だからこれは神様。そうでしょう?」
「核を見ても、声帯を調べても、これ以上の機能があるわけがないんだ、だから」
奇術師は神様の右手を取って、ミルに手渡す。
その右手は、いつも触っていた神様の右手と同じようにあたたかく、すべすべとして、まるで生きているみたいな、モノだった。
奇術師は続ける。
「直ったんじゃ、ないかな。この人形は。今までが異常だっただけで。もしかしたら、僕のマジックの光パターンが何らかの形質に作用して――」
後半はほとんど聞こえなかった。聞きたくなかった。何? あの神様は、バグだったっていうこと? わたしはバグと暮らしていたの?
「あなた、マジックはできるけどそれ以上のことはできないのね。残念だわ。わたし帰る」
神様の手をしっかり握って、ミルは走り出した。
これがモノなのか、それとも神様のものなのか、ミルのはもう、判別がつかなかった。
もうとっくに夕方になっていた。家に帰って、部屋に神様を連れて行って。
「ただいま」
「おかえり、どうしたの」
母親が心配そうに声を掛けてくれるけどミルはそれを無視した。
自分の部屋に、分解されたのに元に戻らなかった神様を連れて行って。
神様は、いつもどおり、グレーの瞳を瞬かせながら、立っているだけだった。
「お久しぶりです」
定型文しか返ってこない、神様の胸をミルは叩いた。
「なんでお話できないのよ」
神様は首を傾げる、ミルの言うことがわかっていないのだろうか。
最初、ミルは、楽しい話し相手がほしいだけだった。
この家では、ミルの話をちゃんと聞いてくれるひとなど誰もいない。
学校でも、ミルのモノ造りの才能から人々はどんどん遠巻きに見るようになっていってしまった。友達ともぜんぜん話が合わない。みんなクラスメイトのうわさ話ばかりしている。
だから、話し相手が欲しかった。
それが、人形が使う魔法を見て、神様だと思うようになっただけなのだ。
ミルはつぶやく。
「魔法が使えなくたっていいよ。だから戻ってきて」
「――」
神様が何と答えたのか、明かされることはないが、ミルはその答えに満足した。
窓から差し込む光によって、神様はまるで、光輪をまとっているように見えた。
× × ×
機械の街から、次の街へ。
がたがたと進む列車の中、奇術師は横に座る人形に話しかける。
「なあ、僕は悪いことをしたんだろうか」
車窓からは田園風景が見えてきており、あの街からどんどん離れていることがわかる。人形は電車の揺れと一緒に揺れている。
「でも、あの人形は確かに正常だったんだ」
奇術師が思い出すのは、少女が連れてきた、人形のこと。魔法を使うのだ、とかいう、人形のこと。まったくもって、そんな権能はなかった、人形のこと。
「だって、誰も魔法なんか使えないからね、今は」
かつてこの世界には魔法が存在したと言われている。でも、魔法使いたちはその多くが姿を消してしまった。それに、もし仮にあの人形が魔法使いの一種だったとして、わざわざ彼女を苦しめるようなことはしないだろう。
畑と草原しかない車窓を眺めながら、奇術師は言う。
「あの人形と、彼女がどうなるかはわからないけど、きっと、どうにかなるじゃないかな」
人形は薄いブラウンの瞳で奇術師を見つめる。その視線の意味は、奇術師にはわからない。
「――僕にしては楽観的すぎかな」
ひとつ伸びをして、奇術師は言う。
「会ったばっかりだったのに、どうしてわかるんだろう――わかるんじゃなくって、信じたいだけなのかもしれないね」
なんといっても彼女はまだ若いのだ。もしかしたら新しい技術を開発したりして、あるいは誰かが直してくれたりして、どうにかするのかもしれないし、『直らない』人形と一緒に暮らしていくのかもしれない。どちらにしても、希望があるのだと、奇術師は信じたかった。
「どう思う」
奇術師は人形に尋ねるが、ふっと笑って、
「答えてくれるわけないよな、だって僕がそう作ったんだから」
相変わらず、人形は列車とともに揺れている。風にそよぐ草花のようで、好ましいと奇術師は感じた。
「でも、たまに思うよ」
奇術師は窓の外を見ながら言う。
「お前と話せたらよかった」
そうしたら、お前が広く愛されることはなかったかもしれないけど、今、楽しく、おしゃべりが、できただろう。
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